〜東方外来録〜   作:歩向タカ

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第二十四話「十六夜咲夜」

## 【シーン1:屋上】

 

月が少しだけ傾いていた。

 

レミリアの話は続いていた。タカは口を挟まずに、隣でずっと聞いていた。美鈴との出会い。ハンターだった彼女が自分の正義に疑問を持ち、傷だらけになって仲間になった話。

 

聞き終えて、タカは小さく息を吐いた。

 

「……美鈴さんらしいですね。迷って、悩んで、それでも自分で答えを出したところが」

 

「そうね。あの子は最初から優しかった。だから迷えたのよ。迷えたから、こちら側に来られた」

 

夜風が吹いて、レミリアの髪が揺れた。

 

「でも——次に来た相手は、違った」

 

「……咲夜さん、ですか」

 

「ええ」

 

レミリアの声が、少しだけ低くなった。

 

「あの子は迷わなかった。迷うことすら、許されていなかったの。感情を削られて、言葉も奪われて、ただ吸血鬼を殺すためだけに育てられた。人間の形をした、殺戮兵器だったわ」

 

タカは今の咲夜を思い浮かべた。静かで、礼儀正しくて、紅魔館を支える完璧なメイド。その姿と、レミリアの言葉が、どうしても結びつかなかった。

 

「信じられないでしょう?」

 

「……はい。正直」

 

「私も、初めて会った時はそう思ったわ」レミリアは目を細めた。「美鈴とは違う。あの子は本当に——私たちを、殺しに来たの」

 

---

 

## 【シーン2:束の間の休息】

 

パチュリーの小さな家は、以前より少しだけ賑やかになっていた。

 

美鈴は外で薪を割っていた。規則正しい音が窓越しに聞こえてくる。パチュリーは本を読みながら、片手間に家の周りの結界を維持していた。レミリアは椅子で体を休めていて、フランはその隣にぴったりくっついていた。

 

「お姉様、今日は痛くない?」

 

「痛くないわ」

 

「お姉様いなくなったら嫌だからね!」

 

「フランの前からはいなくならないわ」

 

「絶対だよ?」

 

「絶対に、嘘は言わないわ」

 

フランは少しだけ安心した顔で頷いた。でも、レミリアから離れようとはしなかった。処刑場の一件以来、フランは片時もレミリアのそばを離れなくなっていた。

 

「少しは離れたら? 邪魔でしょう」とパチュリーが本から目を上げずに言った。

 

「やだ!」

 

「即答ね」

 

「お姉様のそばにいるの!」

 

「好きにさせてあげなさい、パチェ」

 

「妹には甘いわね」

 

「大切な妹だもの」

 

パチュリーはそれ以上言わなかった。ただ、口元だけが少し緩んでいた。

 

その時だった。

 

カン。

 

外で、乾いた音がした。何かが結界に当たった音。

 

パチュリーの目が細くなった。

 

カン。

 

また同じ音。同じ場所。

 

カン。

 

「……嫌な音ね」

 

「何? 石でも当たったの?」とレミリア。

 

カン。今度は少し強い。

 

「ナイフよ」パチュリーが本を閉じた。「それも、数ミリのズレもなく、まったく同じ場所を打ち続けている。このまま続けられたら、結界は割れるわ」

 

レミリアが立ち上がった。外から美鈴が駆け込んでくる。その顔は青ざめていた。

 

「美鈴。何か知っているのね?」

 

美鈴は喉を鳴らした。

 

「……話でしか、聞いたことはありません。ハンターの組織に、吸血鬼を殺すためだけに育てられた者がいると。人間ですが、放たれれば必ず仕留めると言われていました。感情も、痛みも、恐怖も、全部殺されている——殺戮のための兵器のような存在だと」

 

フランがレミリアの服を掴んだ。

 

「お姉様……」

 

レミリアはフランに向き直った。

 

「あなたは中にいなさい!」

 

「やだ!」

 

「フラン!言うこと聞きなさい!」

 

声が少しだけ強くなった。フランがびくっと肩を震わせた。レミリアはすぐに屈んで、フランの頭を撫でた。

 

「ここから出ては駄目。いい? 大丈夫だから」

 

「……うん」

 

「レミリアさん、本当に大丈夫なんですか」と美鈴が言った。

 

レミリアは笑った。

 

「大丈夫よ。私、前とは違うもの。今は全快なんだから」

 

そう言って、扉へ向かった。

 

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## 【シーン3:結界破壊】

 

外の森は、静まり返っていた。

 

風の音すら消えたようだった。パチュリー、美鈴、レミリアの三人が家の前に並んだ。結界の一点に、銀のナイフが突き刺さっては弾かれ続けている。同じ場所。同じ角度。同じ速度。まるで機械のような正確さだった。

 

カン。カン。カン。

 

「本当に嫌な精度ね」とパチュリーが呟いた。

 

「……来ます」と美鈴が構えた。

 

次の瞬間、結界に亀裂が走った。

 

ピシッ、と音が伸びて——結界が、砕けた。

 

砕けた瞬間、銀のナイフが正面から一斉にレミリアへ降り注いだ。

 

でもレミリアは動じなかった。腕を振って爪で弾き、足をずらし、翼を広げて風ごと払う。飛来したナイフは、一本残らず地面に落ちた。

 

「さあ」レミリアは森の奥へ向かって笑った。「出てきなさい」

 

返事はなかった。

 

代わりに、空中に数百本のナイフが現れた。月明かりを受けて、銀色に光っている。

 

「多すぎる……」と美鈴が息を呑んだ。

 

「これ、本当に人間なの?」とパチュリー。

 

次の瞬間、レミリアの背後に銀髪の少女が立っていた。

 

音もなかった。気配もなかった。少女は無言のまま、レミリアの背中へ蹴りを放った。レミリアは半身をずらしてかわす。同時に正面から数百本のナイフが迫った。レミリアはさらに身をひねって、ナイフの雨を布のようにすり抜けた。

 

銀髪の少女は、表情を変えなかった。声も出さなかった。ただ、また消えた。

 

時間が、止まった。

 

そして動き出した時、レミリアの周囲にはナイフが並んでいた。上、下、横、背後。逃げ場はないはずだった。

 

でも、レミリアは笑った。そして次の瞬間、全てをかわしていた。

 

「……嘘でしょ」とパチュリーが呟いた。

 

「あれが見えてるんですか?」と美鈴。

 

「今は全快だもの。このくらいは余裕よ」

 

レミリアは銀髪の少女を見た。少女は答えなかった。ただ無言で、また殺しに来た。

 

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## 【シーン4:無言の狩人】

 

銀髪の少女は、一言も喋らなかった。

 

怒らない。驚かない。焦らない。ただ、殺すために動く。ナイフ。蹴り。銃。時間停止。またナイフ。手数だけが淡々と積み重なっていく。

 

レミリアは全部かわし続けた。美鈴とパチュリーは、手を出す隙すら見つけられなかった。

 

「殺戮兵器……」

 

美鈴が口にした。目の前の吸血鬼を殺す。それ以外の全てが、この少女には存在していなかった。

 

「なるほどね……」

 

レミリアは一撃をかわしながら呟いた。

 

「本当に、何もないのね。感情も」ナイフを弾く。「言葉も」蹴りをかわす。「自分の意思も」

 

少女の瞳は、空っぽだった。

 

「……中身がない……可哀想に」

 

その瞬間、少女の動きがわずかに変わった。感情ではない。反応でもない。ただ、次の手に移っただけだった。

 

少女がレミリアの正面へ飛び込んだ。レミリアも前へ出た。二人の影が重なった。

 

その瞬間——銃声が、響いた。

 

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## 【シーン5:銀の銃弾】

 

乾いた音だった。

 

森の奥から放たれた弾丸は、銀髪の少女の体を貫通し、そのまま重なっていたレミリアの胸を撃ち抜いた。

 

レミリアの目が見開かれた。銀髪の少女が、その場に崩れ落ちた。

 

「レミリアさん!」と美鈴が叫んだ。

 

「レミィ!」とパチュリー。

 

レミリアの体が大きく揺れた。胸を押さえる。指の間から血が溢れ、口元からも赤い雫がこぼれ落ちた。

 

「……油断したわ……そう来たのね」

 

レミリアは森の奥を睨んだ。そこに隠れているハンターたち。仲間の少女ごと、平気で撃ち抜いた者たち。

 

「最悪ね……仲間を犠牲にって……しかも……銀」

 

もう一度、血を吐いた。

 

パチュリーが駆け寄って、すぐに治癒魔法をかけた。でも、光が弾かれた。

 

「効かないわ……」

 

「どうして!」

 

「呪いを宿した銀の銃弾よ。吸血鬼の弱点そのもの。しかも心臓のすぐ近くに残ってる」

 

レミリアが膝をついた。

 

その光景を——フランが、扉の隙間から見ていた。

 

お姉様が血を流している。倒れそうになっている。また。また、お姉様が壊される。

 

「お……おね……え、さま……」

 

声が震えていた。

 

レミリアがフランに気付いた。

 

「大丈夫よ……私は……ごほっ……死なないわ……」

 

笑おうとして、血がこぼれた。

 

フランの瞳が、揺れた。

 

---

 

## 【シーン6:美鈴の怒り】

 

その時、二発目の銃声が響いた。

 

狙いはパチュリーだった。治療を止めるために。

 

でも、その弾はパチュリーに届かなかった。

 

美鈴が、間に入っていた。指先で——銀の弾丸を、受け止めていた。弾が指の間で細かく震えている。

 

美鈴の顔から、いつもの穏やかさが完全に消えていた。

 

「あの人たち……許さない……」

 

声が低かった。

 

「仲間だった子を、盾ごと撃って。治療してる人まで撃とうとして……絶対に許さない!」

 

「……助かったわ」とパチュリーが短く言った。

 

「治療を続けてください。あちらは、私が見ています」

 

美鈴は森を睨んだ。怒り。悲しみ。裏切られた痛み。かつて自分がいた場所、正義だと信じていた場所の人間たちは、仲間だった少女ごと撃った。

 

美鈴の中で、最後に残っていた迷いが、完全に消えた。

 

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## 【シーン7:狂気】

 

パチュリーは倒れた銀髪の少女の治療に回った。レミリアはまだ血を流している。美鈴は森を警戒している。

 

そしてフランは——扉の前に、立っていた。

 

小さな手が震えている。歯が鳴っている。息が乱れている。

 

「また……」

 

レミリアがフランを見た。

 

「フラン……」

 

「またなの……?」

 

フランの目から涙が落ちた。

 

「なんで……なんでお姉様ばっかり……また血が出てる! また痛そう! また、死んじゃう!」

 

「大丈夫よ……」

 

「大丈夫じゃない!」

 

それは、幼い悲鳴だった。

 

「フラン、やめなさい……」

 

レミリアの声は、弱かった。届かなかった。

 

フランの瞳が、変わっていく。涙が止まる。震えていた口元が、ゆっくりと吊り上がる。笑っていた。

 

今のフランの笑顔ではなかった。

 

そこに浮かんだのは、笑顔だった。でも、今のフランの笑顔じゃない。処刑場で見た、あの——壊れた笑みだった。

 

「もう、許さない!」

 

「フランさん……?」と美鈴が振り返った。

 

「あのおもちゃ」フランは森を見た。「全部、壊して良いよね?アハハハ!」

 

「フラン……やめ……ごほっ……やめなさい……」

 

レミリアが手を伸ばした。声は掠れて、小さくて、届かなかった。

 

フランが一歩踏み出した。美鈴が慌てて前に出た。

 

「待ってください、フランさん!」

 

次の瞬間、美鈴の体が吹き飛ばされた。

 

フランは見てもいなかった。視界に入ったものを、ただ邪魔だから弾いた。それだけだった。美鈴が木に叩きつけられる。

 

フランはそのまま、森へ向かった。ハンターたちの気配がする方へ。楽しそうに。歌うように。

 

「あは……アハハハ!壊す!全部!全部!壊してあげる!」

 

---

 

## 【シーン8:壊れた妹】

 

森の奥で、悲鳴が上がった。

 

銃声。怒号。逃げる足音。それら全部が、あっという間に消えていった。代わりに聞こえてくるのは、フランの笑い声だけだった。

 

「アハハハ! もっと! もっと壊して遊ぶ!」

 

ハンターたちには、何が起きたのか理解する時間すらなかった。自分たちは狩る側だと思っていた。違った。目の前に現れたのは、恐怖そのものだった。

 

レミリアは必死に立とうとしていた。膝が震える。銀の弾が体の中で焼けるように痛む。

 

「動かないで!」とパチュリーが叫んだ。

 

「フランを……止めないと……」

 

「その状態で動いたら死ぬわよ!」

 

「死なないって……言ったでしょう……」

 

レミリアは、立った。血を流しながら、それでも立った。

 

森から、フランが戻ってきた。

 

笑っていた。手には血がついていた。目は赤く光っていた。そこに、いつものフランはいなかった。

 

「終わったよ、お姉様。……でも、まだある」

 

フランの目が、パチュリーのそばに倒れている銀髪の少女へ向いた。

 

「こいつも!お姉様を傷付けたよね!壊していいよね?」

 

「駄目よ!」

 

フランが振り返った。

 

「どうして? お姉様を撃ったんだよ? 壊していいよね?」

 

「駄目!絶対にダメよ!……フランはあいつらと違うの」

 

「なんで? なんでお姉様はいつも止めるの? 壊せばいいのに!お姉様を傷付けるもの、全部!全部、壊せばいい!」

 

フランの手が動いた。銀髪の少女へ向かって。

 

その瞬間、レミリアは前に出た。

 

フランの一撃を、自分の体で受け止めた。

 

鈍い衝撃。レミリアの体が跳ねた。その衝撃で——胸の中に残っていた銀の銃弾が、血と一緒に体の外へ弾き出された。小さな銀色の弾が、からん、と地面に落ちた。

 

レミリアはふらつきながら、フランを見た。そして、笑った。弱々しく。それでも、姉として。

 

「私は……死なないって……言ったでしょう」

 

そのまま、倒れた。

 

---

 

## 【シーン9:泣き声】

 

フランの目から、赤い光がゆっくり消えていった。

 

「……お姉様?」

 

レミリアは動かない。

 

フランはその場に膝をついた。

 

「お姉様!ねえ!起きて!」

 

声が震えていた。フランはレミリアを抱きしめた。

 

「お姉様……なんで……なんでお姉様……お姉様ぁ……!」

 

その声は、もう狂気ではなかった。ただの、泣き声だった。

 

フランはレミリアにすがって泣いた。何度も名前を呼んだ。何度も抱きしめた。

 

パチュリーは銀髪の少女の治療を終えると、すぐにレミリアに駆け寄った。

 

「弾は出たわ!今なら……今なら治せる!」

 

治癒の光がレミリアを包んだ。今度は、拒絶されなかった。傷が少しずつ塞がっていく。

 

でも、胸には痕が残った。深く、消えない痕が。

 

---

 

## 【シーン10:目覚めた少女】

 

銀髪の少女が目を開けた。

 

咄嗟に跳ね起きて、ナイフを探した。ない。銃もない。体の痛みも消えている。少女は自分の体を見下ろした。撃たれたはずの場所が、治療されていた。

 

理解が、追いつかなかった。

 

「起きたかしら?」

 

パチュリーが隣に立っていた。少女は無言のまま身構えた。

 

「ナイフはないわよ。探しても無駄よ」

 

少女は黙っている。

 

「あなたは、吸血鬼に生かされたのよ」

 

少女が、わずかに首を傾げた。言葉の意味が繋がらない、という顔だった。

 

「……しゃべれないの? はぁ、面倒ね」

 

パチュリーは魔法陣を展開した。

 

「声帯と言語野を無理やり起こすわ。少し痺れるけど我慢なさい」

 

少女の喉元に、淡い光が宿った。次の瞬間、少女の口が動いた。

 

「私は……吸血鬼によって、生かされた……?」

 

少女自身が、一番驚いていた。声が出たことに。言葉が、自分の中から出てきたことに。

 

「そうよ」パチュリーはレミリアの方を見た。レミリアはまだ眠っていて、フランはその横で泣き疲れて丸くなっている。「あそこで寝ている小さな吸血鬼にね。あなたを貫いた銀の弾で重傷を負って、それでも、あなたを助けろと言ったわ」

 

「……なぜ、私を助けた!」

 

「私に聞かれても困るわ」

 

「殺せ」少女の声は平坦だった。「道具が敵に救われるなど……屈辱だ」

 

パチュリーの目が細くなった。

 

「なら、勝手に死ねば?」

 

少女が固まった。

 

「私は面倒なことが嫌いなの。あなたを助けたくなんてなかったわ。面倒だもの。でも、あの子は殺さなかった。それどころか、あそこの金髪の子があなたを壊そうとした時、レミィは体を張って庇ったのよ。……そのおかげで銀の弾が体から抜けて、結果的にレミィも助かった」

 

パチュリーは少しだけ笑った。

 

「つまり、あなたは吸血鬼を助けたの。形は、随分ひねくれていたけれどね」

 

少女は、言葉を失っていた。

 

---

 

## 【シーン11:行き場】

 

しばらくして、少女が口を開いた。

 

「私は……ハンターの組織に、戻ります」

 

「戻る?」パチュリーが顔をしかめた。「残念だけど、戻る場所なんてもうないわよ。あの後、フランちゃんが上層部ごと壊したもの。あなたの後ろに控えていた連中の中に、幹部がいたのでしょう。持ち物で分かったわ。組織はもう、機能していない」

 

少女は黙った。

 

「それで、どうするの?」

 

「私は……」

 

少女の顔が、初めて迷いを見せた。

 

命令がない。戻る場所がない。名前もない。感情も分からない。存在する理由が、全部消えた。

 

「私は……どうすれば、良いのでしょうか」

 

その時、弱い声が聞こえた。

 

「なら……」

 

全員が振り返った。レミリアが目を開けていた。まだ横になったままで、顔色も悪い。それでも、笑っていた。

 

「私に着いてきなさい」

 

少女はレミリアを見た。

 

「……なぜ」

 

「その前に。名前は?」

 

少女は黙った。やがて、ぽつりと言った。

 

「ない。名前は……ない」

 

レミリアは目を細めた。月のない夜に、それでも何かを見つけたような目だった。

 

「そう。なら——私が授けるわ」

 

少女は動かなかった。

 

「あなたは、今日から」

 

レミリアは静かに、はっきりと言った。

 

「十六夜咲夜よ」

 

十六夜咲夜。初めて与えられた、自分だけの名前。

 

少女はその響きを、口の中でゆっくり確かめた。

 

「十六夜……咲夜?」

 

「ええ。よろしくね、咲夜」

 

咲夜は何も言えなかった。ただ、もう一度だけ、深く頷いた。

 

---

 

## 【シーン12:現在】

 

屋上に、夜風が吹いていた。

 

レミリアが話を終えても、タカは長い間黙っていた。

 

咲夜。美鈴。パチュリー。フラン。今の紅魔館にいる人たち全員が、傷だらけの過去の先に集まっていた。あの賑やかな館は、そういう場所の上に建っていた。

 

「……それで、今の皆さんが揃ったんですね」

 

「ええ」

 

レミリアは胸元に手を当てた。

 

「あの日の銀弾の痕はね、完全には消えなかったの」

 

そう言って、レミリアはほんの少しだけ胸元の襟を開いた。

 

「だ、駄目ですよ!」

 

「今さら何を言っているの。減るものじゃないでしょう?」

 

「いや、駄目なものは駄目です」

 

「いいから、見なさい!」

 

タカは困りながらも、ゆっくり視線を戻した。

 

月明かりの下、レミリアの胸元には、古い銃痕が残っていた。銀の弾が貫いた痕。長い年月が経っても、消えなかった傷。

 

「咲夜にも、同じ場所にあるわ。同じ弾に貫かれたから」レミリアは襟を戻した。「あの子も私も、あの日死んでいておかしくなかった。でも、生き残った。だから、今の紅魔館があるの」

 

「レミリアさん……」

 

レミリアは少しだけ笑った。それから、その笑みがゆっくり消えていった。

 

「けれど……フランの心は、もう限界だったの」

 

夜風が吹いた。月に雲がかかって、屋上が暗くなった。

 

「次に話すのは——あの子を、地下に閉じ込めた時の話よ」

 

タカは何も言えなかった。ただ、静かに頷いた。




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