## 【シーン1:屋上】
月が雲から出て、屋上をまた白く照らした。
レミリアはしばらく黙っていた。ここまで淀みなく話してきた口が、初めて重くなっていた。
「ここから先はね」
夜風が二人の間を通り抜けた。
「私が今でも……自分を許せていない話よ」
タカは何も言わずに、小さく頷いた。レミリアは月を見上げた。その横顔は、いつもの当主の顔ではなかった。
「咲夜が来て、家族が増えて、平和になっていくはずだった。でも……フランの力は、そんな簡単なものじゃなかったの」
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## 【シーン2:壊れていく日常】
咲夜が加わってから、しばらくは穏やかな日々が続いた。
美鈴が畑を作り、咲夜が家事を覚え、パチュリーが文句を言いながら家を広げた。フランもよく笑うようになっていた。レミリアのそばを離れなかった小さな妹が、少しずつ、みんなの輪の中に入っていった。
異変は、些細なことから始まった。
ある日、フランが手にしていた湯呑みが、音もなく砕けた。
「あ……ごめんなさい!」
「怪我はない?」と咲夜がすぐに駆け寄った。
「ない……けど。割るつもり、なかったの。持ってただけなのに」
「たまたまでしょう」とレミリアは笑った。
でも、たまたまでは終わらなかった。
フランが触れた扉が砕けた。寄りかかった壁に亀裂が走った。掴んだ手すりが粉々になった。フランは何もしていない。壊そうとしていない。それなのに、フランの「目」が捉えたものが、フランの感情が揺れた瞬間に、壊れていく。
「ごめんなさい……ごめんなさい!お姉様!壊したくないのに!壊したくないのに!」
「分かってるわ!落ち着きなさい!あなたのせいじゃないわ!」
「でも、壊れちゃう!私が触ると、みんな壊れちゃう……もう嫌!嫌!嫌!」
フランは自分の両手を見つめて、震えていた。
パチュリーは何日も調べ続けた。古い文献を漁り、フランの力を観察し、抑える魔法をいくつも試した。
「難しいわ」パチュリーは疲れた顔で首を振った。「あの子の力は『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』……対象の“目”を握り潰す力よ。本人の意思と関係なく、感情に反応して発動する。抑える魔法は、全部その魔法ごと壊されるわ」
「成長すれば、制御できるようになる?」
「可能性はある。でも、いつになるかは分からない。十年か、百年か……もっとか」
レミリアは黙った。
その夜も、家のどこかで、何かが砕ける音がした。
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## 【シーン3:眠れない夜】
一番ひどいのは、夜だった。
フランは悪夢を見る。処刑場の記憶。血まみれのレミリア。銃声。自分が壊した者たちの悲鳴。夢の中で恐怖が膨れ上がると、力が寝ている間に暴発した。
ドン、という音で家が揺れる。駆けつけると、フランの部屋の壁が消えている。天井に穴が開いている。フランは泣きながら目を覚ます。
「また……壊しちゃった……ごめんなさい!お姉様!」
「大丈夫よ!壁なんて、直せばいいの!」
「でも、怖い……」フランの声は震えていた。「いつか、壁じゃなくて……お姉様を壊しちゃったら……フランもう耐えられない!」
レミリアは答えられなかった。
「美鈴が隣で寝てくれた夜も、咲夜が見ていてくれた夜もあった。でも駄目だったの」と、屋上のレミリアは静かに語った。「あの子の力は、近くにいる者から順に壊す。優しくされればされるほど、あの子は怯えた。大好きな人たちを、自分が壊すかもしれないから」
ある朝、フランは自分から言った。
「私、みんなから離れた方がいいのかな……誰も壊したくない……」とフランは涙を流した。
その一言が、レミリアの胸に深く刺さった。
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## 【シーン4:決断】
レミリアは、何日も考え続けた。
フランを遠くへやる? 論外だった。目の届かない場所で、あの子を一人にするなんて、できるはずがなかった。なら、このまま? それも駄目だった。いつか本当に、誰かが壊れる。フラン自身が、一番それを恐れている。
答えは、一つしか残らなかった。
「パチェ!」
「何よ。大きな声出して」
「地下に……部屋を作ってほしいの!」
パチュリーは本から顔を上げた。レミリアの顔を見て、何を意味しているのか、すぐに理解した。
「……本気なの?それで変わるかわからないわよ?」
「フランの力に耐えられる部屋。何を壊しても、外に影響が出ない部屋。中は安全で、快適で……あの子が安心して眠れる部屋よ」
「それは、つまり……」パチュリーの声が硬くなった。「閉じ込めるということよ。妹を。地下に」
「分かっているわ……あの子には傷ついてほしくないの」
「本当に分かっているの? 一度閉じたら、いつ出せるか分からないのよ。十年で済むか、百年かかるか——」
「分かっているわよ!私は恨まれてもいいの!あの子が自分を責めて壊れていく姿だけは、見たくないの!」
レミリアの声が裂けた。パチュリーが黙った。
「……分かってる。分かってるの。でも、他にどうすればいいのかわからないの。あの子は毎晩泣いてる。自分が私たちを壊す夢を見て、泣いてるのよ。このままじゃ、力より先に、心が壊れるわ……」
長い沈黙があった。
パチュリーは深く息を吐いて、立ち上がった。
「……最高の部屋にするわ。約束する」
「……ありがとう……パチェ……」
「礼なんて要らない。その代わり、レミィ」パチュリーはまっすぐレミリアを見た。「あの子を、絶対に忘れないこと。それだけは約束なさい」
「忘れるわけがないでしょう!私の一番大切な存在よ!」
「なら、いいわ。それなら安心できるから」
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## 【シーン5:別れ】
部屋が完成した日、レミリアはフランを地下へ連れて行った。
長い階段を降りた先に、頑丈な扉があった。中は広く、明るく、フランの好きなぬいぐるみや本が揃えられていた。パチュリーが意地で作り上げた、牢獄には見えない牢獄だった。
フランは部屋を見回して、それから、レミリアを見た。
聡い子だった。全部、分かっていた。
「……ここに、私が住むの?」
「ええ……」
「一人で?」
「……ええ」
フランは俯いた。小さな手が、ぎゅっとスカートを握った。
「私の力が、危ないからだよね……」
「フラン——ごめんなさい……」
「いいよ!フラン頑張って良い子になる!」
フランは顔を上げた。泣いていなかった。無理やり、笑っていた。
「お姉様が決めたなら、いいよ!私、ここにいる!もう誰も壊したくないもん。お姉様も、美鈴も、咲夜も、パチェも……何も壊したくない」
「フラン……」
「だから、いい!フランは寂しくない!」
レミリアは膝をついて、フランを強く抱きしめた。
「必ず、会いに来るわ……毎日……ご飯も、本も、欲しいものは何でも届けさせる。そして、いつか必ず……あなたがその力と一緒に生きられるようになったら、必ずここから出すから」
「うん!フランも頑張る!」
「約束するわ。フラン……」
「ありがとう!……お姉様」
「何?」
「ぎゅーって、もう少しだけしてて……フラン頑張るから」
レミリアは、何も言えなかった。ただ、腕に力を込めた。
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## 【シーン6:扉】
扉が、閉まった。
重い金属の音が、地下に響いた。
レミリアは扉の前から、動けなかった。階段を上ればいいだけなのに、足が動かなかった。
扉の向こうから、小さな声が聞こえた。
「おやすみなさい、お姉様」
レミリアは扉に手を当てた。冷たい鉄の感触だけが返ってきた。
「……おやすみ、フラン……」
声が震えないように言うだけで、精一杯だった。
階段を上りきったところで、咲夜と美鈴とパチュリーが待っていた。誰も何も言わなかった。レミリアはみんなの前を通り過ぎて、自分の部屋に入って——その夜、自分の決意を固めた。
当主が弱さを見せる事を、誰にも見せるわけにはいかなかったから。
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## 【シーン7:長い年月】
それから、長い、長い年月が流れた。
最初のうち、レミリアは毎日地下へ通った。扉越しに話をした。本を差し入れた。フランの笑い声が聞こえる日は、少しだけ安心できた。
そんな日が、少しずつ減っていった。
でも、年月は残酷だった。
十年が過ぎ、五十年が過ぎ、百年が過ぎた。フランの力は、少しずつ安定していった。でも「もう大丈夫」と言い切れる日は、なかなか来なかった。一度部屋の外で試したことがある。その日、廊下が半分消えた。フランは三日間、泣き続けた。それ以来、フラン自身が外に出ることを怖がるようになった。
「今日はやめる……やっぱり怖い……自分のことが」
扉越しに、フランはそう言うようになった。
「また今度でいい。ここ、安全だから」
会いに行く回数も、少しずつ減っていった。理由はいくらでもあった。館のこと。外の世界のこと。吸血鬼への迫害が強まり、住処を追われ、移動を繰り返した。生きることに追われているうちに、地下への階段を降りない日が増えていった。
「言い訳よ、全部」と屋上のレミリアは言った。「時間なんて、作ろうと思えば作れた。ただ……怖かったの。会いに行くたびに、あの子が笑ってくれるたびに、思い知らされるから。私が、この子をここに入れたんだって……」
タカは黙って聞いていた。
「気付けば、四百年以上よ!私が狂いそうだったもの……」
レミリアは、笑おうとして、失敗した。
「四百年以上。あの子は、本当に長い間……あの部屋で過ごしたの」
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## 【シーン8:幻想郷へ】
やがて、外の世界は吸血鬼が生きられる場所ではなくなった。
科学が広がり、幻想が薄れ、居場所が消えていった。レミリアたちは、最後の移住を決めた。幻想郷。忘れられたものたちが行き着く場所。
紅魔館ごと、一家は幻想郷へ移った。
新しい土地。新しい湖。新しい空。それでも、フランの部屋は地下のままだった。
「幻想郷に来て、少しだけ考えたのよ。ここなら、あの子を自由にしてあげられるんじゃないかって、私たちより弱い存在しかいない……敵もいないから」
「でも、出さなかったんですね……」
「怖かったのよ。私も、結局はね」レミリアは自嘲するように笑った。「四百年以上も閉じ込めておいて、いまさらどんな顔で『出ておいで』と言えばいいのか、分からなかった」
だから、レミリアは別の方法を選んだ。
「あの霧はね……半分は、幻想郷の連中の力を試すためだった。少し期待したの……フランを止められる者がこの土地にいるのか、確かめたかったのかもね?そしてもう半分は——ただの八つ当たりよ。何百年も溜め込んだ、行き場のない……私への怒りよ」
「それが、紅霧異変……」
「ええ。そうしたら」レミリアはタカを見た。「変な人間が、結界に引っかかったのよ」とレミリアは微笑んだ。
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## 【シーン9:地下に届いた音】
その日、地下の部屋にいたフランは、天井を見上げた。
上が、騒がしかった。
ドン、ドン、と何かがぶつかる音。走る音。声。四百年以上、地下の静けさに慣れた耳が、その音を拾った。
「……なに?」
フランは扉に近づいた。耳を澄ます。誰かが戦っている。お姉様の気配がする。それと、知らない気配。
「お姉様が……遊んでる?」
フランの胸の中で、何かが疼いた。
ずっと蓋をしてきたもの。ずっと「いい」と言い聞かせてきたもの。
——私も、そこにいたい。
「ずるい!」
フランは狂気に溺れていた。四百年以上押し込めてきた感情が、一気にあふれ出した。
「ずるいよ、お姉様。私だって……私だって、遊びたい!」
四百年以上の寂しさが、その日、扉を開けさせた。フランは自分の足で階段を上った。長い、長い階段を。そして、大広間の扉を開けたのだった。
「あの日、フランが自分から上がってきた時……私は驚いたし、慌てたわ。でも、心のどこかで思ったの」レミリアは目を細めた。「ああ、やっと出てきてくれた、って」
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## 【シーン10:異変の後】
紅霧異変が終わった後、フランは地下に戻らなかった。
正確には、レミリアが戻さなかった。
異変で分かったことがあった。フランは、戦いの最中でさえ、完全には壊れなかった。昔のような見境のない暴走はしなかった。四百年以上、力は確かに落ち着いていた。そして、この幻想郷には私以上に強い霊夢がいた。魔理沙がいた。フランを止められる者たちが、ちゃんといた。
「もう、いいんじゃないかって思ったの。……いえ、違うわね。もう、限界だったのよ。私の方が」
最初は、館の中だけ。次に、庭まで。それから、湖のほとりまで。フランの世界は、少しずつ広がっていった。
咲夜が根気強く付き添い、美鈴が遊び相手になった。パチュリーは文句を言いながら魔法を教えた。
そして、タカが来た。
「あの子ね、あなたが完治祝いに来る日、夜明け前から起きていたのよ」
「聞きました。眠いのに迎えに来てくれて」
「四百年以上、友達なんていなかった子よ。壊すのが怖くて、誰にも近付けなかった子。その子が今、自分から会いに行きたがるの」
レミリアの声が、少し掠れた。
「今日一日、見たでしょう。皿を割って、門番の真似をして寝て、魔法を爆発させて、館中を走り回って……あの子、笑っていたでしょう」
「はい。ずっと笑ってました」
「あれがね」
レミリアは、そこで言葉を止めた。
「あれが、私が四百年以上の間、見たかった顔なのよ」
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## 【シーン11:告白】
夜風が吹いた。
レミリアは手すりを握った。小さな手に、力がこもっていた。
「タカ。私はね、ずっと後悔しているの」
「レミリアさん……」
「あの時、他に方法があったんじゃないか。もっと早く出せたんじゃないか。せめて、もっと会いに行けたんじゃないか。四百年よ!あの子の四百年以上の人生を、私が奪ったの!」
「それは……」
「姉として守ったつもりで、姉として一番残酷なことをした。あの子は一度も私を責めなかった。『お姉様が決めたなら、いいよ』って……あの言葉が、今でも一番、胸に刺さっているわ」
月明かりの下で、幻想郷最強クラスの吸血鬼が、ただの姉の顔だった。
「今日、あの子が笑うたびに思うのよ。この笑顔を、私は四百年以上、奪ったんだって。取り返しなんて、つかないんだって」
タカは、しばらく黙っていた。
安易な慰めは言えなかった。四百年という時間の重さは、タカには想像もつかない。それを「仕方なかった」と軽く言うことは、できなかった。
だから、タカは見たままを言った。
「……僕には、四百年以上の年月がどれだけ長いか、分かりません。奪ったものが返せないのも、多分、本当だと思います」
レミリアは黙って聞いていた。
「でも、今日のフランさんは、本当に楽しそうでした。皿を割った時、咲夜さんは真っ先に怪我の心配をしました。門番ごっこで寝ても、美鈴さんは笑ってました。魔法を爆発させても、パチュリーさんは結局最後まで付き合ってました。あの光景は……全部、レミリアさんたちが四百年以上、あの子を見捨てなかったから、あるんですよね」
「……」
「過去は消えないと思います。でも、フランさんの今は、過ぎた時間だけじゃなくて、これからの時間でもできてます。これから先、フランさんが笑う回数は、いくらでも増やせます。それは、奪った分を返すのとは違うかもしれないけど……ゼロじゃないです」
レミリアは、タカを見た。
それから、ふっと息を吐くように笑った。その笑みは本物だった。
「……本当に、変な人間ね、あなたは」
「今日、何回目ですか、それ?」
「何回でも言うわ。本当に変よ」
レミリアは笑った。夜風が、その髪を柔らかく揺らした。
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## 【シーン12:話した理由】
「どうして、この話を僕に?」
タカが聞いた。ずっと気になっていたことだった。
「決める前に、知っておいてほしかったのよ」
「紅魔館に住むかどうか、の話ですか」
「ええ」レミリアは月を見上げた。「昼間見せたのは、今の紅魔館。楽しくて、賑やかで、少し騒がしい家。でもそれだけを見て決めてほしくなかった。私たちがどこから来て、何をして、何を抱えているのか。全部知った上で……それでも来たいと思うなら、来てほしいの」
「……」
「私は、あなたを殺しかけた。フランはあなたの腕を砕いた。それでも私たちは、あなたに家族になってほしいと思ってる。虫のいい話だと分かった上でね」
レミリアはタカに向き直った。月を背にして、まっすぐに。
「これが、紅魔館よ。全部見せたわ」
タカは、すぐには答えなかった。
昼間のフランの笑顔。咲夜の静かな優しさ。美鈴のあたたかさ。パチュリーの不器用な世話焼き。そして、今夜聞いた全部の話。それらが、頭の中でゆっくり一つになっていく。
「……ありがとうございます。話してくれて」
「返事は、今じゃなくていいわ。白玉楼のことも、神社のこともあるでしょうし」
「はい。ちゃんと考えます。全部聞いた上で、ちゃんと」
「ええ。それでいいわ」
レミリアは満足そうに頷いた。いつもの当主の顔に戻っていた。その瞳には、もう迷いはなかった。
「さ、戻りましょう。夜更かしは人間に毒よ」
「吸血鬼が言うと説得力がすごいですね」
「当然よ。夜の専門家だもの」
二人は屋上を後にした。
大広間では、フランがまだソファで眠っていた。毛布にくるまって、安心しきった顔で。
レミリアはその寝顔を、少しの間だけ、黙って見つめていた。
月明かりが、静かに紅魔館を照らしていた。
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