第三話「助けたいから」
――――――――――――――――――――
【シーン1:博麗神社・朝】
朝の境内は、来た頃より少しだけ、慣れた場所になっていた。
歩向タカは箒を動かしながら、石畳の隅に溜まった落ち葉を端へ寄せていく。以前はやみくもに掃いては、風に散らかされ、また掃いて――の繰り返しだった。今は先に風の向きを読んでから、箒を入れるようになっている。われながら成長したと思う。地味だけれど。
「よし、こっちは終わり」
「早くなったわね、洗濯は?」
「終わってますよ」
「朝ご飯は?」
「もうできます」
「修行は?」
「これから華扇さんのところですね」
縁側の霊夢が、湯呑みをすすりながら、ちらりとこちらを見た。
「ずいぶん慣れたわね、タカ」
「慣れないと怒られるので」
「分かってるじゃない。それでこそ立派な居候よ」
「褒められてる気がしないです」
霊夢はそれには答えず、またお茶をすすった。――これがこの人の「まあいいわ」の顔だということも、最近になってようやく分かってきた。
そこへ、頭上から影が落ちてきた。
「お、やってるなお前ら」
箒にまたがった魔理沙が、帽子を押さえながら境内に降り立つ。着地の瞬間、石畳の砂がふわりと舞った。
「魔理沙さん」
「もうDクラスの妖怪退治やってるんだって?凄いぜ」
「はい。なんとか、ですけどね……ははは……」
「まだDクラスだけどね」
霊夢がすかさず補足する。魔理沙が面白そうに眉を上げた。
「へぇ、ちゃんと段階踏んでるんだな。タカ、偉いじゃないか」
「霊夢さんが、Cクラスはまだダメって」
「正解だぜ!タカの実力ならな」
「……そんなに違うんですか?」
「全然、違うわ」と霊夢。
それだけ言って湯呑みに戻ってしまったので、続きは魔理沙が引き取った。
「Dクラスは弱い。Cクラスは――嫌な奴が多いぜ」
「嫌な奴?」
霊夢が、指を一本ずつ折っていく。
「毒。罠。不意打ち。人質。嘘。――正面から戦ってくれる方が珍しいの」
「強さより、そっちが危ないのよ」
タカは黙った。今まではDクラスの依頼しか受けていないから、そういう相手とはまだ当たったことがない。ただ、その言葉のどれかが、胸の奥に小さく引っかかった。
「だから、まだ行くなって言ってるの!タカは実戦経験少ないんだから」
「分かってます」
「本当に分かってるの?あんた」
「本当に……」
霊夢がじっと見てくる。タカの視線が、つい、横へ滑った。
「怪しいわね。まさか受ける気じゃないでしょうね?目線逸らさない!」
「逸らしてません」
「完全に逸らしてたぜ」
「魔理沙さんまで、やめてくださいよ」
――――――――――――――――――――
【シーン2:Dクラスの仕事】
その日の午後、タカは人里近くの林の中にいた。
依頼は、畑を荒らす小妖怪の捕獲。目撃されたのは一体だけだった。木漏れ日が草の上にまだらに落ち、風が吹くたびに葉がさわさわと鳴る。のどかな昼下がりだった。
「いた! あの妖怪だ!」
畑の端。野菜を両腕いっぱいに抱えた小妖怪が、こちらに気づいて固まっていた。膝ほどの高さしかない、丸っこい体の妖怪だ。
「げっ」
「返してください!人のものを盗むのは駄目です!」
「やだ!」
小妖怪が走り出した。タカも走る。以前なら、間違いなく逃げられていた。でも、今は違う。足が軽い。重心の位置が分かるようになって、無駄な力を使わなくなった。
林の中を縫うように追いながら、タカは先を読む。あの木を回り込めば――次は左へ逃げるしかない。
「そこ!逃しません!」
回り込んで、進路を塞ぐ。小妖怪が慌てて足を止めようとして、泥の上で、ずるっと滑った。
「なっ!速い!」
「返してくれたら、痛いことはしません! だから、大人しくしてください!」
小妖怪が、じっとタカを見上げた。
「……本当?」
「本当ですから返してください!」
短い間があった。それから――ぽとり、ぽとりと、抱えていた野菜が地面へ落ちた。
「よし!もうしないでくださいね」
逃げられないよう縄で手足を縛り、タカは小妖怪を肩に担いだ。ぎゃあぎゃあ喚いてはいるものの、抵抗する力はもう残っていない。
「霊夢さんに引き渡します」
「怖い巫女のところ!?嫌だ!嫌だ!嫌だ!怖い!怖い!怖い!」
「怖いですけど、悪いことしなければ大丈夫です」
「やっぱり怖いんだ……。……殺されないか?」
「わかりません……僕にも……。ごめんね……」
正直に答えたら、小妖怪が目に見えてしょんぼりした。少し申し訳なかったけれど、嘘はつけなかった。
――――――――――――――――――――
【シーン3:少しずつ強くなる】
夕方、タカが神社に戻ると、霊夢はいつも通り、縁側でお茶を飲んでいた。
「お仕事は終わった?」
「はい!終わりました!」
「怪我してないでしょうね?」
「擦り傷もないです」
「よろしい!よくやったわね」
「役所で報酬ももらいましたよ」
「ありがとう! それ、家賃としてもらうわね」
「僕の報酬、もうない!早い!」
縁側の柱に寄りかかって聞いていた魔理沙が、ぶっと吹き出した。
「容赦ないな、霊夢のやつ」
「居候だもの、当然じゃないの」
「せ、せめて半分だけでお願いします」
「三分の二ね!異論は認めないわ!」
「……わかりました」
「お前〜交渉下手だな」と魔理沙が笑う。
「強くなりたいなら、生活も修行しなさい」と霊夢。
「それ、ほんと、すごく便利な言葉ですね」
「便利だから使ってるのよ」
霊夢は、まったく悪びれなかった。
その夜、華扇が神社に立ち寄った。境内の端でタカに型をいくつか取らせ、その動きをじっと確かめる。
「体の動き、良くなってきたわね、タカちゃん!驚いたわ」
「本当ですか?」
「ええ。……最初よりは、ね」
「最初よりは……」
「喜びなさい!最初はどうしようもないくらいだったのに、もう妖怪退治ができてるのよ!」
「はい!ありがとうございます!」
よくよく考えれば、最初がひどすぎただけかもしれない。それでも――少し、嬉しかった。
少し離れた縁側で、霊夢がその様子を眺めていた。湯呑みを両手で包んだまま、何も言わない。
「どうしたの?何かあるの?」と華扇が声をかける。
「別に、何もないわ」
「霊力も順調に伸びているわ。思っていたよりずっと早い。成長の速さだけなら、霊夢ちゃんと同じくらいよ」
「そうね」
霊夢は、もう一度タカを見た。
「……順調すぎるくらいに、ね」
「何か言った?霊夢ちゃん」
「何でもない」
――霊夢には、気づいていた。伸びているのは、タカの霊力だけではない。魔力も、妖力も、まったく同じ速さで育っている。普通なら、ありえないことだ。
けれど今はまだ、それを口に出す気にはなれなかった。
――――――――――――――――――――
【シーン4:助けを呼ぶ声】
数日後。
タカはDクラスの依頼を終え、人里へ戻る道を歩いていた。夕方が近く、空が少しずつ橙色に染まり始めている。木々の間を風が通るたび、葉が揺れて、さわさわと鳴った。
体は疲れている。でも、悪い疲れじゃない。ちゃんと動けた、という手応えのある疲れだ。
――その時だった。
「助けて!やめて!」
足が、止まった。
森の奥から、子どもの声がした。女の子の声だ。
「今の声は……」
耳を澄ます。風の音。葉の音。それから――また。
「誰か!お願い!助けて!」
タカの脳裏に、手配書の内容が浮かんだ。 Cクラスの手配書。子どもを攫う妖怪が、載っていた。依頼場所も、覚えている。――多分、あれだ。
森の奥へ目をやる。木々の間が、もう暗くなり始めている。日が沈めば、視界はさらに利かなくなる。
霊夢の声が、耳の奥で蘇った。
『Cクラスはまだダメ!』
華扇の声も、聞こえた気がした。
『自分の実力を、間違えないこと!』
分かってる。分かってる、けど。
「怖いよ!助けて!」
タカは、一秒だけ、目を閉じた。
「……ごめんなさい、霊夢さん」
誰に向けた謝罪なのか、自分でも分からないまま――走り出していた。
――――――――――――――――――――
【シーン5:Cクラス】
森の奥に踏み込むと、すぐに見えた。
林の中の開けた場所。女の子が膝をついて倒れていた。十歳くらいだろうか。着物の裾が泥で汚れている。その前に、細くて背の高い妖怪が立っていた。動かない。ただ、笑っている。
――やっぱりだ。手配書の妖怪と、同じだ。
「その子から離れてください」
妖怪が、ゆっくりとこちらを向いた。
「おや?」
「聞こえなかったんですか」
「――博麗の加護付きか。へぇ」
妖怪の目が、糸のように細くなった。その笑い方は、Dクラスの連中とは、質が違った。
「怖いねぇ、お兄さん。俺を舐めてもらっちゃ困るなぁ」
「お兄ちゃん……」と、女の子が掠れた声で呟く。
「大丈夫。すぐ助けるから――絶対に!」
「助ける?君が?笑わせる!あははは!」
妖怪が、口の端をつり上げた。
「面白い。やれるものなら、やってみな」
タカは息を整えた。華扇に叩き込まれた通りに。重心を低く。力を、抜く。
先に動いたのは、タカの方だった。
妖怪の動きは、速くない。むしろ、Dクラスよりも遅いくらいに見えた。
――いける。
踏み込んで、肘を妖怪の腕に叩き込む。腕が弾け、体勢が崩れる。そのまま肩から押し込み、体ごとぶつかった。
妖怪が、後ろへよろめく。
「今だ!決める!」
「――強いねぇ」
妖怪が、笑った。
その瞬間、足元の草が、ぱっと弾けた。
白い煙が、視界いっぱいに広がる。
「っ!?何コレ!」
吸い込んだのは一瞬だった。なのに、すぐに喉が焼けるように痛み出した。足から、力が抜けていく。膝が、がくがくと笑い出す。
「動けない……ど……毒……?」
「正解だ!お前の負けだ!あははは!」
妖怪の声が、一枚、膜の向こうから聞こえるような気がした。
「Dクラスの相手ばかりしてた子だね。正面から戦うとでも思った?バカだね〜。お人よしさんなのかな?」
タカは片膝を地面につきながら、どうにか上体だけは保った。膝に手をつき、倒れまいと踏ん張る。
「くっ……体が、言うこと聞かない……」
「お兄ちゃん!」と女の子が叫ぶ。
「逃げて……君だけでも……」
「逃がさないよ!美味しくいただくから!」
妖怪が、女の子の方へ手を伸ばした。タカは動こうとした。足に、ありったけの力を込める。――体が、応えない。
「動け……」
「動けよ、僕の体……!」
「無理だよ。その毒は力を奪う。暴れるほど、早く回る」
「まだだ……」
「まだだ?あははは!」
妖怪が嗤う。タカの視界が、ぼやけてきた。意識の端が、ぐらぐらと揺れている。
――その時。空が、白く光った。
「そこまでだぜ」
「なっ、お前は――あれは、魔理沙!」
光の塊が空から降り、妖怪を直撃した。爆発めいた音とともに妖怪が吹き飛び、地面に叩きつけられ――そのまま、動かなくなった。
「適当に撃ったけど、当たったかな?人質、大丈夫だよな、多分」
箒に乗った魔理沙が、木々の間から降りてきた。帽子をかぶり直しながら、まず妖怪を確かめる。それから、タカの方へ駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?人質は!」
「魔理沙さん……人質は、無事です……助かりました……」
「タカ!お前、毒食らったな。もう喋るな」
魔理沙が、女の子を振り返る。
「大丈夫か?――立てるか?」
「う、うん……ありがとう!」
「なら人里まで走れ。大人を呼んでこいよ〜」
「お兄ちゃんは、大丈夫なの?」
「大丈夫!魔理沙様が連れて帰るから、安心しな」
女の子は一瞬だけタカを見て、それから頷き、走り出した。小さな足音が、遠ざかっていく。
魔理沙は、タカを抱え起こした。間近で見るその顔は、いつになく険しかった。
「……霊夢に止められてると思ってたけどな」
「違います……」
「喋るなって言っただろ!毒が回るぞ」
タカは答えようとした。けれど、口が動かなかった。視界が暗くなって、そのまま、意識が落ちていった。
――――――――――――――――――――
【シーン6:博麗神社】
縁側でお茶を飲んでいた霊夢が顔を上げたのは、魔理沙の怒声が境内に飛び込んできた瞬間だった。
「霊夢、お前!」
「……何よ」
「妖怪と戦って、タカが毒食らって倒れてたぞ!お前、なにしてんだ!」
霊夢の顔つきが、すっと変わった。湯呑みを置いて、立ち上がる。
「毒?なんのことよ」
「Cクラスだ。森の中で女の子を助けようとして、このザマだ!お前、認めてなかったんじゃないのか?実戦経験がないから危ないって、言ってただろ!」
霊夢は、魔理沙の腕の中のタカを見た。それから、魔理沙を見た。
「……」
「なんで行かせたんだよ!まだ早いって分かってたんだろ!まだタカは弱いんだよ!」
「魔理沙、ちょっと待って!落ち着いて!」
「落ち着いてられるかよ!」
「私は止めたわ。今のタカには経験が足りないもの」
魔理沙の口が、止まった。
「……え?」
「タカ――勝手に、行ったのね」
霊夢は、タカのそばにしゃがんだ。薄く、目が開いている。
「ねえ、タカ」
「……はい……。手配書に、見覚えがあって……分かっていて、行きました」
「あなた、勝手に行ったの?」
「……はい」
「理由は」
「女の子が……助けを呼んでて……見捨てられなくて……その子が、心配で……」
霊夢は黙った。魔理沙も、何も言わなかった。境内に風が吹いて、木の葉がさわさわと鳴った。
そこへ、華扇が走ってきた。
「――やられたの?毒で?」
一目見るなり、そう言った。
「華扇、あんたなら、処置できる?」
「応急処置ぐらいなら大丈夫。任せて、仙人だからね」
華扇がタカの腕に手を当てる。しばらく目を閉じてから、ゆっくりと息を吐いた。
「……まぁ、命に関わる毒じゃないわ。安心して。でも、数日は動けないわね」
「よかったぜ……本当に、タカは無茶するぜ」と魔理沙。
「……よくないわ」
霊夢の声は、静かだった。怒鳴るわけでも、責め立てるわけでもない。――その静かさが、かえって重かった。
「人を助けようとしたことは、怒ってない。でも、死にかけたことは怒るわよ!タカ、今は私たちも居るんだから、私たちを頼りなさい!」
「……すみません」
「それに、助けたいなら、生きて帰ってきなさい。死んだら、誰も助けられない」
「はい……面目ないです……」
「Cクラスが危ないって言った理由、今回ので分かったでしょ?」
「分かりました……」
「ならよろしい!次は私たちを頼りなさい」
魔理沙が、ぽりぽりと頭をかいた。
「今回は、私も霊夢に怒鳴って悪かったな。本当にごめん!」
「そうね」
「え、認めるの早くない?なんでだ?」
「あんたも後で説教だからに決まってるでしょ!」
「なんでだよ!?私はタカを助けただけだぜ!」
「理由も聞かずに怒鳴ったからよ!腹が立ったのよ!」
「いや、でも心配だったし……許してくれよ……」
「言い訳なら後で聞くわ。楽しみにしてなさい」
「ひどいぜ、霊夢のやつ……」
タカは苦しい息の下で、それでも、少しだけ笑った。
「タカちゃんは、笑ってる場合じゃないわよ」と華扇。
「はい……すみません……」
「明日から修行を変えます。もっと厳しくしますからね」
「え?」
「毒への対処。罠の見抜き方。不意打ちへの反応。今日みたいなことが二度とないように、徹底的に叩き込むわ!――私の弟子なのだから!」
「……っ!」
「それと」と霊夢。
「……なんでしょうか……」
「治ったら、掃除、洗濯、ご飯」
「病み上がりでも、ですか?」
「当たり前でしょ!居候なんだから!」
「幻想郷、厳しい……怖い所です〜……」
「生きてるだけマシだぜ、タカ」と魔理沙。
「その通りよ!優しい方よ!」と霊夢。
タカは、ゆっくりと目を閉じた。明日のことは、考えないように。
助けたい気持ちは、間違っていなかった。でも、助け方は間違えた。
――それを痛いほど知った、そんな一日だった。
感想や評価なども気軽に書いて下さいね。
初小説として使える表現は増やしていきたいです