店の中は、静かだった。
昼間なのに、人の気配がない。
家族でたまに行くファミリーレストランだった。
照明は明るくて、窓から陽気な光が差し込んでいた。
テーブルの上には、湯気の残るハンバーグが置かれている。
ナイフで切った断面から、肉汁が少しだけ皿に広がっていた。
一人でそれを食べながら、ぼんやりと皿を見ていたとき、
ふと、視界の端に何かが引っかかった。
窓の外だった。
花壇の向こう、舗道の上を、茶色いものがゆっくりと進んでいる。
泥のように見えた。
最初は、誰かの仮装か何かかと思った。
だって茶色く足のないミシュランマンに見えたのだから。
けれど、その塊は、形を保ったままゆっくり動いている。
人のような輪郭があった。
足はなく、地面の上を滑るようにして、
それは店の入り口の方へ近づいてくる。
見られている感じはしない。
気にする必要はない――そう考えて、
一度、窓から視線を外した。
すると、店の中に人がいた。
同じクラスの子どもたちが、
当たり前のようにそれぞれの席に座っている。
さっきまで、誰もいなかったはずなのに。
会話の音が、ようやく聞こえてくる。
笑い声も混じっている。
けれど、そのどれもがどこか遠く、
水の中で聞いているみたいに、くぐもっていた。
入口の方から、ぬちゃ、と音がした。
振り向くと、
さっき窓の外にいたそれが、もう中にいた。
ドアは壊れていない。
普通に開けて入ってきただけだった。
誰も、それに気づいていなかった。
隣の席の子も、笑いながら話している。
それが、テーブル二つ分ほどの距離まで近づいたとき、
ようやく何人かが振り向いた。
一瞬の沈黙のあと、空気が変わる。
「え、なにあれ」
誰かが言った。
次の瞬間、一斉に椅子を引く音が広がった。
立ち上がって逃げようとする。
けれど、間に合わなかった。
気づいたときには、もう一体ではなかった。
いつの間にか、三体になっていた。
増えたのか、最初からいたのか分からない。
逃げようとした子に、泥が触れる。
触れられた瞬間、体が沈んだ。
泥の中に引きずり込まれるみたいに、抵抗もできずに。
ぬちゃ、という音がした。
泥団子を握るときのような、湿った音。
「助けて」
声は聞こえた。
けれど、次の瞬間にはもう姿はなかった。
別の方向からも手が伸びる。
逃げようと走った子が、後ろから足を取られる。
転び、そのまま飲み込まれる。
誰かが叫ぶ。
誰かが泣く。
けれど、逃げ切れた者はいなかった。
ただ、順番に、減っていくだけだった。
体が動かなかった。
気づいたときには、机の下に潜り込んでいた。
影が落ちているだけで、真っ暗ではない。
外の様子は、ぼんやりと見える。
心臓の音がうるさい。
さっきまで聞こえていた声は、もうしない。
代わりに、あの音だけが残っていた。
ぬちゃ。
ぬちゃ。
すぐ近くで止まった。
テーブルの上に、何かが乗る音。
そして、ゆっくりと、垂れてくる。
顔だった。
泥でできた、人のような顔。
黒い丸い目と、太い線で描いたような口。
わずかに、笑っている。
距離は、顔一つ分もない。
息が止まった。
次の瞬間、机の外に飛び出していた。
ソファーを乗り越える。
その途中で、景色が切り替わった。
畳の匂いがした。
そこは祖母の家だった。
和室に人が集まっている。
祭りの餅拾いで取った餅を持って、笑いながら食べている。
祖母がいた。
当たり前のようにそこにいて、
こっちを見て、何かを言っている。
声は聞こえなかったが、
それが安心だということだけはわかった。
少しだけ、息ができるようになる。
祖母の家で餅を食べてるとトイレに行こうと思った。
立ち上がり、台所と和室の間の引き戸に手をかける。
横に引く。
戸が開いたその瞬間、景色が変わった。
また、店の中だった。
明るい昼のまま、
あの静かな店の中。
誰もいない。
心臓の音だけが、やけに大きい。
また泥の怪物がいたら逃げ場はないと理解した瞬間、
体が震えた。
怖くて、どうしようもなかった。
目が覚めるとびっしゃりと汗をかいていた事を今でも覚えている。
私は幼い頃見たこの夢が今でも忘れられない。