BEYOND THE HURDLE ―遥かなるエイントリー― 作:砂丘
オジュウチョウサン号、JRA顕彰馬選出おめでとうございます。
“飛越の天才”グランドマーチス号に続く、二頭目の障害競走出身顕彰馬。
障害競走を愛する一ファンとして、本当に嬉しい出来事でした。
そして、障害競走のレジェンドたちへ。
敬意と愛を込めて。
よく晴れた平日のお昼前。
同僚が担当しているウマ娘達のトレーナー相手の営業電話を聞きながら、私は自分のスケジューラーをPCで眺めていた。
……来月末でマネジメント契約終了が二名、今月末に担当交代で契約満了が三名……
レースマネジメント代行会社トラックリンク レースマネジメント部 対外エージェント、メジロパーマー、二十八歳。
私の担当は全部で五人、入れ替わりはいつものこと。
だけれども当面の間、自分が担当するウマ娘は未定。
営業部からの紹介も特に無し。社内データベースから次期担当候補を検索する。
レース適性、性格傾向、希望するサポート内容。
条件を絞り込んでいくと、一人の名前が表示された。
「この子、良いかも?」
そう思ったその時だった。
机の上に放り出していたスマートフォンが震える。
着信。
表示された名前を見て、私は思わず顔をしかめる。
『ダイタクヘリオス』
嫌な予感しかしない。
---
「もしもし?」
『パマちーん! 今ヒマ?』
「ヒマじゃない」
『あはは! そっか!』
相変わらず人の話を聞かない。
『実はさー、相談があるんだよね』
「絶対ろくでもない」
『いやいや今回は真面目!』
ヘリオスが真面目を名乗る時ほど怪しいものはない。
私は椅子を回しながら天井を見上げた。
『ヤマトから聞いたんだけどさ』
『なんか相談したい子がいるんだって』
「ヤマト?」
ヤマトこと、“ダイタクヤマト”。確かヘリオスを慕っている後輩の子だったハズ。
『そうそう。面白い子らしいよ!』
その一言で、少しだけ興味が湧いた。
「その子ってのは誰?」
ヘリオスの返答は
『んー?知らん!』
「知らんのかい!」
『今からそっち行かせてもいい?』
慌てて手帳と予約システムの空きを確認。
「13時から14時半まで社内ミーティングで…15時からなら、どっちも空いてる」
『その時間で大丈夫。じゃ、よろしくー!』
通話終了。
「ちょっと待っ――」
切れた。
昔から変わらない。
変わらないのだが。
私はスマートフォンを見つめながら、なぜだか嫌な気はしていなかった。
予定時刻ちょうど。
壁掛け時計の秒針が一周を終えたのと同時に、面談室のドアがノックされた。
早くもない。
遅くもない。
まるで時計に合わせて来たみたいだった。
この日、私の前に現れた一人のウマ娘が、後に私の成績と評価――いや、もっと大きな何かを変えることになる。
「初めまして」
「メジロブランカと申します」
礼儀正しく頭を下げる。
芦毛らしい淡い灰色の髪を肩口まで伸ばした、落ち着いた雰囲気のウマ娘。
派手さはないけど、不思議と目を引く子。
どこか洋服より和服の方が似合いそうだな、と私は思った。
そして彼女は、まるで当然のことのように言った。
「私、イギリスの障害競走を走りたいんです」
「なんで欧州に?」
「私は『天皇賞にメジロあり、長距離のメジロ』と呼ばれた家のウマ娘です」
「そして障害競走にも、先達がいました」
「だから?」
「障害競走者である以上、一度はグランドナショナルを知るべきだと考えています」
「だから見に行くって話?」
「出走します」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「ちょっと待って!?」
「……確認するけどさ、グランドナショナルに出るつもりなの?」
「はい」
「本気で?」
「本気です」
グランドナショナル。
イギリス・エイントリー競技場で行われる、世界最高峰の障害競走。
障害競走を知る者なら誰でも名前くらいは聞いたことがある。
いや、だからって。
「普通そこ、見に行くじゃない?」
「出ます」
「そういうとこだよ!?」
ブランカは首を傾げた。
どうやら本気で何を言われているのか分かっていないらしい。
「そっか……じゃあさ」
私は一つ質問を変えることにした。
「障害競走の世界一になりたいの?」
グランドナショナルを制した者は世界最高のスティープルチェイサーと称される。
そういう競技だ。
だから当然、返ってくる答えも。
「はい」
だと思っていた。
「いえ」
否定だった。
「え?」
「完走できれば十分です」
今度は私が首を傾げる番だった。
あれ?
ずいぶん現実主義だな、この子。
「目標、小さくない?」
「そうでしょうか」
「いや、グランドナショナルだよ?」
「グランドナショナルです」
会話になっているようでなっていない。
「じゃあ、ずっと憧れてたとか?」
「いえ」
違うらしい。
「じゃあ何なの?」
「出走を決めたのは昨年です」
「ちょっと待って?!それ、トレーナーさんとかに話したの?」
「まだです」
「まずは許可から!」
「そのために本日は参りました」
「先に言って!?」
私はもう学生ではない。社会人として、大人として少し考える。
「……でもさ」
「これはアタシ一人の返事で決められる話じゃないよ」
「はい」
「だからまずはさ、トレーナーさんなり学園なり、ちゃんと正式な場所から許可を取ってきて」
「承知しました」
彼女は名刺を受け取ると、一礼して席を立った。
最後まで落ち着いたまま。
慌てる様子も、熱く語る様子もない。
ただ当然のように、
『グランドナショナルに出る』
と言って帰っていった。
面談室の扉が閉まる。
静かになった室内で、私は一人首を傾げた。
――何だったんだろう、あの子。
数日後。
新規契約者との面談を終え、自席へ戻った私は事務担当から一通の封筒を受け取った。
差出人欄には、
『メジロブランカ』
そして担当トレーナーの名前。
私は数秒、その封筒を見つめた。
――マジで許可を取りに行ったのか。
いや。
私が言ったんだけど。
言ったんだけどさ。
早くない?