BEYOND THE HURDLE ―遥かなるエイントリー―   作:砂丘

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Lost in the Archives

社内で一番静かな場所はどこかと聞かれたら、私は迷わず資料室を挙げる。

昼休みになると昼寝に使う社員までいるくらいだ。

今はその静けさがありがたかった。

資料室そのものは開放されている。

ただ、古い契約資料や顧客情報を保管しているキャビネットだけは別だった。

私は事務課から借りてきた鍵を差し込む。

小さな解錠音が響いた。

 

私は棚の背表紙を目で追う。

ブランカの学年から逆算すると、メイクデビューはこの辺りだろう。

該当する年度のファイルを棚から引き抜いた。

着席し、ページをめくる。

 

――だが。

思っていたより中身は薄かった。

基本プロフィール。

所属トレーナー。

出走履歴。

あとは年間の成績とタイムが並んでいる程度。

履歴書や人事ファイルを少し詳しくしたような内容だった。

 

それもそのはずだった。

平地路線を走っていた頃のブランカは、チーム単位での包括契約。

個別担当のエージェントは付いていない。

だから残っているのは事務的な記録ばかりだ。

障害転向後も状況は変わらない。

個別サポート契約は未締結。

面談記録なし。

キャリア相談記録なし。

エージェント所見なし。

あるのはレース結果だけだった。

 

「なんにもないな……」

思わず声が漏れる。

走った記録はある。

だが、その時何を考えていたのか。

どんな目標を持っていたのか。

肝心なことが何一つ分からない。

 

昔、先輩が言っていた。

「映像を見ろ」

「文字じゃ分からないことがある」

なるほど。

今ならその意味が分かる気がする。

 

内線電話を取る。

数回の呼び出し音の後、相手が出た。

「お疲れ様です。レースマネジメント部のメジロパーマーです」

『はい、お疲れ様です』

「ちょっと確認したいんですが、過去のレース映像って社内で閲覧できましたっけ?」

『レース映像ですか?』

「ええ。数年前の障害レースなんですけど」

 

『直近なら残っていますが、古いものはURAのアーカイブですね』

 

「あー、やっぱりそこか」

『利用されるなら事前予約が必要ですよ』

「ありがとうございます」

 

メモに書き留めた番号を確認する。

今度はURAの資料室へ電話を掛けた。

数回の呼び出し音の後、女性が応答する。

『URA資料室です』

「お疲れ様です。トラックリンク株式会社のメジロパーマーと申します」

『はい』

「レース映像の閲覧をお願いしたいんですが、予約は可能でしょうか」

『もちろんです。閲覧希望日はございますか?』

 

手帳を開く。

明日は新規契約候補との面談が二件。

明後日は社内会議。

空いているのは木曜日の午後だった。

 

「木曜の午後でしたら」

『承知しました』

『閲覧対象はございますか?』

「障害競走です」

「メジロブランカの出走レースを中心にお願いしたくて」

『かしこまりました』

電話を切る。

手帳に予定を書き込む。

 

木曜日。

URA資料室。

どうやら、もう少しあの子を知る必要がありそうだ。

だけれども。

今日はまだ火曜日。

資料室の時計を見る。

昼休みまでにはまだ少し時間がある。

 

せっかくここまで来たんだ。

もう少しくらい調べてもいいだろう。

私はファイルを片手に、別の棚へ向かった

 

障害転向後の成績一覧を取り出す。

 

『東京ジャンプステークス』 七着。

『阪神ジャンプステークス』 六着。

『新潟ジャンプステークス』 五着。

派手な戦績ではない。

だが。

相手は少しずつ強くなっている。

着順は少しずつ上がっている。

まるで勝利よりも、

高い障害へ近づくことを優先しているようだった。

 

勝ちたいだけなら、もっと楽な道もあったはずだ。

条件を下げる。

相手を選ぶ。

現役時代、そんな選択をした選手も見てきた。

それが悪いことだとは思わない。

レースは勝ってこそ意味がある。

 

メジロ家のウマ娘は目標が分かりやすい。

大レースを勝ちたい。

家名に恥じない成績を残したい。

もっと上を目指したい。

言い方は違っても、大体そんなものだ。

だけどブランカは違う。

グランドナショナルに出たい。

 

それだけ。

 

勝ちたいですらない。

 

完走できれば十分。

本人はそう言った。

だけど。

本当にそれだけなんだろうか。

 

館内スピーカーから時計のメロディが流れ始める。

昼休みを知らせる合図だ。

 

それから数分もしないうちに資料室の扉が開いた。

営業部の社員が一人。

私を見るなり、

「あ、先客いた」

 

そのひと言と共に窓際の長椅子へ向かう。

五分後には寝息が聞こえてきた。

やっぱり昼寝しに来るんだな。

 

その寝息以外、音はない。

ページをめくる音だけが静かに響く。

 

私は再び戦績表へ視線を落とした。

そこには数字しかない。

着順。

タイム。

馬場状態。

人気。

それだけ。

なのに。

数字の向こうに何かが隠れている気がした。

 

あの返事を思い出す。

表情は変わらなかった。

声も変わらなかった。

だから信じ切れなかった。

けれど。

この戦績を見ていると。

本当に悔しくなかった人間が積み重ねる数字には見えなかった。

 

分からない。

やっぱり分からない。

だからこそ。

木曜日が少しだけ楽しみになっていた。

 

 




ここまでお読みいただきありがとうございました。

今回は資料を読んで電話を掛けただけ。

ですが、パーマーの中では少しだけ何かが変わりました。

知りたいと思った。そして、調べてみようと思った。

それだけです。
それだけですが、たぶん大事なことです。

次回、URA資料室。

まだ離陸前。

けれど、チョークオフ。パーキングブレーキは解除されました。

次回『Parking Brake Released』
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