惑星ボルタの記録 ――異星人少女と僕は絶望の中で戦い続けた――   作:霧島 高

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第4章 クラカロイドの希望

(くっ、さすがに固い!)

 強固なセキュリティに、僕は苦戦していた。時間がないというのに。

 このままじゃ、間に合わない!

 僕の背後で様々な音が響き渡る。目を閉じて集中している僕の耳がそれを拾う。

 何かが振動し揺れる音。金属と金属がぶつかる甲高い音。けれど叫び声は一切しない。

 一体、どうなってるんだろう。気になるけれど、気にしてはいけない。

 集中しなければならない。

(ティナだって、きっと必死なんだ。なら、僕には僕にできることをやるしかない!)

 僕はギアを一段階上げる。もう何も聞こえなくなった。すべてのリソースを注いだからだ。何もかもだ。

 必ず、これを突破してやるっ!

 

 ※

 

「見えてきた」

 代わり映えのしない暗黒、そこに浮かぶ小さな光の粒、遠くで輝くオレンジ色の恒星、眼下に見える青を基調とした惑星。それらを眺めること一時間。

 逃避行を続ける僕たちは、狭いコックピットの中、身動き一つとれずに密着し続けていた。一時間も経ったけれど、彼女の柔らかな感触に僕がまったく慣れる気配はない。あるいは一時間しか経っていないからか。

「あれが、そうなんだね」

 彼女の言葉を受け、僕は頭をゆっくり回し、彼女の視線の先を眺めた。その際、身体の動きと共に彼女と触れ合っている部分がこすれ、意識しないようにしても、ティナの冷たい肌を感じてしまう。

 もちろんお互い服を着ている。ただし彼女のそれは肌に完全密着した黒のボディスーツで、まるで直接抱き合っているようだった。もちろん直接抱き合ったことなんてないから、本当の感触はわからないけれど。

 なんとかその感覚から意識を切り離し、目の前の光景に集中する。

「テラノイドのステーションに比べて、割とコンパクトにまとまってるんだね」

「ん。あんなに色々いらない」

 異星人クラカロイドは、機械人類であり本質的に無機質な存在だ。有機生命体であるテラノイドとは当然生活スタイルが異なる。生活、という言葉を当てはめていいのかわからないけど。

 ティナの操るこの宇宙艇もまたその証左だ。コックピット内から見ることは叶わないけれど、真っ黒な正三角形をしたこの戦闘機は、ブレーキで起きる衝撃に対する負荷分散なんて一切考慮されていない。

 そこには操縦者自身の耐久性への確かなる信頼がある。といえば聞こえはいいが、それは苦しいという感覚のないクラカロイドだからこそ成立するわけで、僕にとっては当然そうではない。

「円盤型ステーション、って言ったらいいのかなあの形。中はどうなってるの?」

「内側と外側に通路。それぞれ重力が違う」

 僕たちが命からがら脱出したテラノイドのステーションは五層のリングが重なった形で、どの層のリングであっても同一角速度で進んでいた。同じ遠心力が発生していたわけで、つまり擬似重力は同じというわけだ。

 けれどクラカロイドのステーションは違う。

 分厚くてゆっくりと回転する丸鋸のような形をしたそれには中空部分がなく、ティナの言うとおりならば、内部にある二重の通路は内側と外側で重力が異なることになる。遠心力は角速度が変化しないならば回転半径に比例するからだ。

「僕、あそこに入って大丈夫かな」

「問題ない」

 思わず不安を漏らす僕に素っ気ない声が返ってきた。

 けれど僕の不安は一つだけではない。

 テラノイドである僕が、クラカロイドのステーションという異なる環境で無事過ごせるのだろうかという不安もあったが、そもそもクラカロイドが大勢いる中に僕という異質な存在がひとりだけという状況が不安なのだ。

 もちろんティナはついこの前までテラノイドのステーションに一人でやってきていた。つまり彼女にとってみれば、僕と立場が逆転したということ。

 しかし僕と違って彼女は不安なんて感じていなかったに違いない。僕とは根本的に異なる存在なのだから。

 でも、本当に、そうなのだろうか。有機、無機に関係なく、僕たちは同じ生命体だ。であれば、そういったものを含め、本当に感情はないのだろうか。

「応答を確認。ポートに向かう」

 僕の不安を余所に宇宙艇は進む。

 だからといって引き返せるわけもない。引き返す場所なんてないのだから。

 

「……」

 僕たちを迎え入れた格納庫で、多数のクラカロイドが黙々と作業をしている。僕が資料で見たことのある、そして初めて直接目にする標準的なクラカロイドだ。

 丸くはあるものの、のっぺりと平たいその顔に、照明の光がきらりと反射した。頭髪はない。肌はティナのように白いけれど、有機体には絶対にありえない完全なる金属で構成され、冷たく鈍く輝いていた。

 全員が茶色のボディスーツに身を包み、黙々とそれぞれに割り当てられた作業をしている。体型に凹凸は見られず、男性とも女性とも言えない。

 これがクラカロイドだ。ティナとは全く似ていないけれど、それでも同じクラカロイドなんだ。

 僕はティナの後ろをおっかなびっくり付いていく。たくさんいるクラカロイドは誰も僕たちのことを気にしたりせず、誰もこちらを振り向いたりしない。

 けれども、だからこそ僕は怖い。テラノイド的反応ではないからだ。テラノイドなら一人ぐらい珍しそうにこちらを覗いてくるはずなのに。

「みんな、喋らないんだよね」

「そう」

 通路への出入口に向かう途中、ティナは一体のクラカロイドに近寄った。それに気付いたクラカロイドがこちらを振り向く。

 テラノイドの顔から立体感を削ぎ落とし、鼻と口と耳を取り去った上に、目を機械レンズに置き換えれば、こうなるだろうか。それとも決してこうはならないのだろうか。

「……」

 そのクラカロイドは無言のままだ。それには口がないのだから当たり前だ。いやそうじゃない。口あるいは喉、というのはあくまで有機生命体における発声器官なのであって、機械生命体がもし声を出すとしても、わざわざ口の形である必要はない。

 僕の目の前で、ティナとそのクラカロイドの視線が交錯する。ティナの紅い瞳がちかちかと高速で明滅し、そのクラカロイドの瞳もまた同様に光る。

 ティナには僕と話をするときに、その綺麗な双眸で僕をじっと見つめる癖がある。その理由がこれだ。

「ついてきて」

 瞳を通したレーザー通信を終えたティナがそう僕に伝える。彼女の唇から言葉が再度紡がれたことに、どうしてか僕はほっとした。

 

「ヨうこそ、テらのいどの、兵士よ」

 クラカロイドステーションの指令室にやってきた僕は、そのクラカロイドの前で敬礼をする。テラノイドステーションの標準のそれよりも小さく慣れない重力に身体が浮き上がりそうで、うまくできたとはとても言えない。

「スまないが、コルしりーずほど、テらのいど語に、サいてきかされていない」

 目の前にいるクラカロイドはそんな無様な姿に対して特に反応せず、なんとか聞き取りはできる程度のテラノイド語を続けていた。

 このクラカロイドには標準とは異なり口のようなものがある。けれど言葉と連動することはなく、閉じられたままだ。

「マサキ、いつもどおりにして」

 隣から短くも綺麗なテラノイド語が聞こえてくる。ティナの口はそれに合わせるようにしっかりと動く。

 僕は迷いながら、手を後ろで組み直し、足を少し開いて背筋を伸ばして休めの姿勢になる。でも失敗して後ろに倒れかかり、片足を後ろに出して支える羽目になった。

「ワたしは、ルトしりーずのユーリカ。キみたちでいえば、コの基地の司令官だ」

 ルト型クラカロイド。テラノイドにとっては、言葉が交わせる唯一のクラカロイド、と教えられてきた。

 現実には、資料には記載のなかったティナのようなコル型が存在したのだけど。

「でーたは、てらのいど側にも、スでに転送をハじめている。返答アるまでは、てぃなとともにいてくれ」

「了解しました」

 これから何をすればいいのか、僕にはなにもわからない。命じてくれる人たちはみんないなくなってしまった。ならばさらにその上、つまりテラノイド上層部の判断を仰ぐしかない。

 それまではユーリカ司令の言う通りここにいて、連絡を待つしかない。

「ティナ、コちらに」

「ん」

 そのあと、ティナとユーリカ司令はレーザー通信でなにかやりとりをした。僕にはその内容を読み取れない。僕たちは何もかもが違いすぎる。

 ここにいればいるほど、どんどんとティナとの距離が遠くなるんじゃないかと、そんな気がした。

「マサキ、いく」

 そうして僕とティナは指令室を後にした。ティナがいなければ僕はどうにかなっていたかもしれない。

 言いようのない不安に押しつぶされそうだった。

 

 クラカロイドの肌のようなのっぺりとした通路。カンカンという高い金属音が小さく響き、その微妙な音の違いが、ここがテラノイドのステーションでないことを僕に強く意識させた。

 足音以外は、機械の作動音しか聞こえない。誰も喋っていないからだ。

 ちょっとしたお喋りに興じる同僚たち、なんてものはここにはいない。

「僕、どうしたらいいのかな」

 不安は募るばかり。不意にテラノイドのステーションで起きたことを思い出してしまう。

 あれはいったいなんだったのだろう。どうしてみんなあんな姿になってしまったのだろう。考えてもわからない。なにかの奇病、あるいは感染症かも。

 だけど惑星ボルタに到達して二十年も経っているというのに、いまさらそんなことが起こるものだろうか。

「マサキに、いまできることは、ない」

 ティナの言葉はとても冷たい。でもこれは、彼女が単なる事実を述べたに過ぎないことは、僕にはよくわかっていた。

 もし僕にできることがあるとすれば、自分が見たことを可能な限り伝えることぐらいだ。その以上のことはできない。例えば、なぜみんながゾンビのようになったのかなんて問われても、僕にはさっぱりわからない。

「でも……」

 その時、何かを言いかけてティナはなぜか言葉に詰まった。彼女にしてはとても珍しく。

 いやクラカロイドに、言い淀むなんてことがあり得るのか?

「でも?」

「後で……、そう、後で話す」

 なにか言わなければいけないことがある。だけど今はそれを話す決心がつかない。

 ティナの、そのまるでテラノイドのような態度に、僕は胸騒ぎを抑えることができなかった。

 

 身体への負荷が、重力と共に増大する。それに戸惑いながら階段を降りていき、指令室のあった内側通路から外側通路へ移動した。

 不安に揺れる心も圧迫されていた。

「マサキに、話すべきことが、ある」

 唐突にティナがそんな事を言いだし、立ち止まった。

「でも、これは、テラノイドに起きたこととは、関係のない話」

「え?」

「だから、今話すべきか、悩んでいる。……とても」

 それはあまりにも不思議な光景だった。何かに悩む、そんな素振りをクラカロイドであるティナが見せる、そのこと自体がおかしかった。

 そんな戸惑う僕を、紅の瞳がじっと覗き込んでくる。

「クラカロイドは、今話すべきと決めた。だけど、わたしは……」

「……」

「わたしは、まだ時間が必要と、思う」

 よく、わからない。でもこれはきっと、彼女自身にもよくわかっていないことで。

「クラカロイドに階級はない」

 以前僕に言ったことを、彼女はもう一度繰り返した。

 けれどテラノイドステーションの通路で聞いたあの時とは違い、そこに続いた言葉は異なっていた。

「なぜならクラカロイドは、必ず一つの結論に達するから」

「もちろん知ってるよ。思考共有通信の下に、だね」

「そう」

 思考共有通信。

 テラノイドとクラカロイドの間で起きた、惑星ボルタの資源を巡る戦争。その初期、僕たちテラノイドは劣勢だった。その事実が判明するまでずっと。

 クラカロイドの持つその機能を、テラノイドは思考共有通信と名付けた。その名のとおり、クラカロイドたちはお互いに常に思考を共有し続けていた。

 テラノイドはそうと知らないまま、情報のタイムラグという不利を背負わされていた。戦争を続けているうちにそのことが明るみになり、テラノイドが戦闘区域全域で通信を遮断をすることで、それからなんとか拮抗状態までもっていくことができたのだ。

 でもそれならば、やはりおかしい。

 僕は気付いた。短くも濃い時間をこれまでティナと過ごした僕だからこそ、それに気付けたのかもしれない。

「でも、それならどうして、ティナは。ティナだけが、他のクラカロイドと違うことを言っているの?」

「わたしには、ない」

「え?」

「思考共有が、できない。機能がない」

 それはクラカロイドの根幹そのものであったはずだ。

 機械生命体として、論理的帰結を通じて一つの結論にいたり、それを共有することで群をなす。有機生命体には成し得ないそれこそが、機械生命体の種としての鍵のはずだ。

 それがない、だって? なぜだ?

「どうして?」

「それがあっては、いけなかったから」

 僕はどうすればいいのだろうか。

 違う。僕はどうしたいのか、だ。

 テラノイドに起きた重大な事件について、僕にはできることは何もない。それはどうしようもない事実であって。

 けれど目の前で悩むこの少女を、僕は助けたかった。何かを言い淀む彼女を、僕は救いたかった。

 それをできるのはきっと、僕だけなのではないだろうか。

「ねえ、ティナ、話していいよ」

「……」

「僕は。僕はそれを受け止めるから」

「……わかった」

 僕たちは大きな扉の前にいた。そこでわざわざティナが立ち止まっていた。僕はもちろんそれに気付いていた。

 きっとその中に、何かがあるのだろう。彼女が思い悩む何かが。

 

 扉をくぐれば中は洞窟のように薄暗くなっていて、けれど周囲すべてが金属で構成された内部は人工物に間違いなくて。

 何らかの配管がいくつも壁際に伝っているその中を、ティナがどんどん奥へと進んでいく。

 僕は黙って彼女についていく。機械の作動音だけが響き、ここには他にクラカロイドはいないようだ。

 切り離され、僕たちだけの空間。なぜかそれが、とても落ち着く気がした。

「これを見て」

 目の前が明るくなり、緑色をした光が視界を占領する。

 透明な円筒が緑に満たされ、淡く輝いていた。ときおりゴポリという音が聞こえ、その度に気泡が下から上へと浮かんで消えていった。

「これは揺り籠」

 その円筒は幅一メートル、高さ三メートルほど。無数の配管が台座部分と天頂部分につながり、おそらくこの装置を維持するために使われているのだろう。

 揺り籠、テラノイドで言うならば、幼い赤子が健やかな時を過ごす場所を指す言葉。クラカロイド語から変換するのに、その単語がもっとも相応しかったということだ。

 その中央に、半球の金属二つで構成されている球体が浮かんでいた。その繋ぎ目からは、明るいオレンジ色の淡い光が漏れ出ていた。

 あれは。そうだ。僕はあれが何かを知っている。

「クラカロイドの、コアなの?」

「そう」

 コア。心臓。もっとも重要な部分。腹部の、テラノイドで言う(へそ)の先に存在し、クラカロイドの意思が宿る生命の源。

「クラカロイドは揺り籠で育つ。他のクラカロイドから情報を受け継ぎ、コアを形成していく」

「……」

「そして最後に、あるものを組み入れる」

「あるもの?」

「かつて惑星クラカに存在した、有機生命体の遺伝子」

 それはどういうことだろう。機械生命体であるクラカロイドにいったいどうしてそれが必要なのか。

「それはクラカロイドを造った存在。そしてクラカロイドが滅ぼした存在」

「……」

「テレパシーの遺伝子」

「え?」

「クラカロイドの思考共有が依存しているもの」

「そう、なんだ」

「そしてクラカロイドは……」

 そこでティナは言葉を切った。僕はごくりと息を飲む。

「さらなる力を欲している」

 ああ、そういうことか。

 だから、彼女は。

「ごめんなさい」

 最初から、そのつもりで。

「あなただけは、失うことができなかった」

 テラノイドのステーションにやってきて。

「どんな犠牲を、払ってでも」

「もういいよ、ありがとう」

 僕は彼女をそっと抱きしめた。

 あのとき、すべてを捨てて僕を助けに来たってわけだ。

 そして彼女が今何を考えているか、僕には痛いほどにわかった。

 あのとき格納庫で倒れていた、かつての仲間たち。ティナが僕を助けに来なければ、彼らはきっと助かったのだ。

 僕は彼らを犠牲にしたということ。僕の命が救われるために。

 それに、そもそも最初から、彼女は――。

「ねえ、ティナ」

「なに」

「ちょっとだけ、胸を貸して」

「……ん」

 僕は彼女に抱きついたまま崩れ落ちるように跪き、そして泣いた。

 

 少しだけ、そう僕の涙が止まるまでの時間をおいてから、僕たちは揺り籠を後にし、居住区にあるティナの部屋にやってきていた。

 横になるためのベッドしかない狭い空間で、二人並んで腰掛けるのが精一杯だ。

 でも、それがとても心地よい。

 ティナが僕の耳朶にそっと触れるように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「戦争末期。クラカロイドはマサキを知った。だからわたしは造られた。テラノイドのようにあなたに寄り添うため」

 僕たちは手を繋いでいた。

「わたしの使命は、あなたをここに連れてくること。あなたの意思を最大限に尊重し、あなたを説得すること。最終的にあなたの能力を、遺伝子を解明することを目的に」

 僕は彼女のことを当然のように好きになっていた。

「だからわたしはテラノイドのように振る舞う必要があった。あなたと対話しなければならなかった。その障害となる思考共有は排除された」

 彼女も僕のことを好いていると勝手に思っていた。

「もっと、時間が欲しかった」

「うん」

「だから、まだいい」

「うん」

「まだ、決めなくていい」

 彼女はクラカロイドで。だからテラノイドのように振る舞っているに過ぎなかったわけで。

 でも、それは本当に、ただの模倣でしかなかったのだろうか。

 だからどうしても知りたかった。

「ティナは、クラカロイドがそう決めたから、僕の傍にいようとするの?」

「わからない。でも……」

「でも?」

「マサキの近くにいたい。それは確か」

「じゃあさ、傍にいてよ」

「どうして?」

「僕がそう望むから」

 たとえそれがただの欺瞞だとしても。

 僕はとっくに、彼女とは離れることができなくなっていた。

 だから僕の心は決まっていた。

 最初からそう決められて彼女が生み出されたとしても。

 それは僕の意思で決めたことだから。

 何度も僕を救った銀髪の女神である彼女と共にありたいと、そう願ったから。

 僕はテラノイドで、そして彼女はクラカロイドで。

 その根本的な価値観は異なっていて、それを一致させることは不可能かもしれない。

 それでも、それでも。

 僕は彼女を救いたかった。守りたかった。護られるだけではだめだった。

 だから僕は彼女にテラノイド式で。僕の親愛を、彼女への好意を示すべきだと、そのとき思った。

「ティナ、こっちを向いて」

 僕は、もう迷わない。

「ん……っ!?」

 そして彼女の唇を奪った。冷たく柔らかく、けれど暖かかいそれを。

 彼女の紅く輝く瞳が、驚きに見開いたのは、きっと気のせいではないのだろう。僕はそう信じている。

 そして彼女は目を瞑った。僕も同じくそうした。

 彼女はテラノイドを模倣した存在だ。だからこの行為の意味をきっと知っている。

 彼女は僕を受け入れて、そして僕もまた彼女を受け入れたのだ。

 

 だが、そんな幸せな時間は長く続かなかった。

 僕たちは狭いベッドの中でともに眠っていた。いや機械生命体であるティナに睡眠は必要ない。眠ったのは僕だけで、彼女は寄り添っただけ。

 でも、それで充分だった。充分だったのに。

「マサキ、起きて」

 幸福は唐突に中断する。彼女の静かで、それでいてどこか緊張をはらんだ声が、僕の耳を打つ。

「……どうしたの?」

 すっと立ち上がりティナはベッドから降りた。僕はゆっくりと意識を覚醒させるように、ベッドに腰掛けたままだ。

「おかしい」

「え?」

 彼女は慣れた手つきで、小さな部屋の壁面から、それを取り外した。

「音が、聞こえる」

 僕には聞こえない。彼女にだけ聞こえている。クラカロイドである彼女に備わった、高度な聴覚センサーにしか捉えられない、とても微細なそれを。

「戦っている」

 彼女は手に持つ、それを起動した。

 クラカロイド式高周波ブレード。キーンという小さな高音が耳に響く。

 多くのテラノイドの手足を奪った、彼女たちの最も得意とする武器。金属の身体で銃弾を受け止めながら一撃必殺を決めるためのもの。

「どういうこと?」

 もう一度耳を澄ます。僕にもそれが聞こえてきた。キン、という甲高い音が時折漏れてくる。

「行く」

 彼女は部屋を飛び出し、僕もそれに続いた。音はまだ遠い。通路に出てもその発生源はわからない。

 どこから聞こえる? どっちからだ?

 いや、わからない。この基地の構造を僕はそれほど熟知していない。わかるのはきっと彼女だけ。

「指令室に」

「わかった」

 ティナの部屋と指令室は同じ内側通路上にある。ただまっすぐに向かえばいいだけだ。僕たちは走り出した。

 コンパクトな円盤型ステーションは半時間あれば一周可能で、ここから指令室までは走りさえすれば数分で――。

「む」

 ギンッ! ギイイイ。

 金属の重なり合った高音が僕の脳を刺激する。急停止した小さな背中にぶつかりそうなところを、僕はなんとかギリギリぶつからないように踏みとどまる、つもりだった。

 でもここは内側通路、その重力は地球の半分以下で、実際にはそのままティナの背中にぶつかってしまってゴムボールのように跳ね返され、そして僕は無様に尻餅をついた。

「マサキ、下がって」

「わ、わかった」

 ティナは僕を守るように、立ち塞がっていた。高周波ブレード同士の鍔迫り合いの後、目の前で剣戟の応酬が繰り返される。

 僕は身を低くしたままずるずると後ろに下がり、何もできないことに歯噛みしながら、ただそれを見守るしかできない。彼女を守ると誓ったばかりだけれど、その力が僕にはないのだ。

 僕ができることは彼女の邪魔をしないことだけ。

(でも、どうして、クラカロイド同士で!?)

 相手はただ黙ったままブレードを振るう。外側通路の階段から飛び出してきた暗殺者は、ティナと同じクラカロイド。

 ティナの紅い眼が問いかけるように瞬きを繰り返すも、相手のレンズは暗く濁ったまま。

 耳を澄ませば、通路の先からいくつもの剣戟が響いている。同じような争いがそこら中で起きているのだ。

 怒号、悲鳴、そういったものは一切合切なく、甲高い金属音のみがあたりの静寂を切り裂くように響く。

 ギイィィィッ!

 勝負がつくのは一瞬だった。ティナのブレードが相手の脚を吹き飛ばし、続いて相手の胴体を切り裂いて、そのコアごと破壊した。

 彼女は無傷だ。高周波ブレードは一撃必殺、受けてしまえば為すすべがない。テラノイドではそう教わったし、それはクラカロイド同士だとしても変わらないということだ。

 そしてもちろん、彼女が肩で息をするなんてことはない。

「どう、なっているの?」

 僕は立ち上がり、そう小さくティナに向かい問いかけた。

「わからない。だけど、このクラカロイドは、動きが緩慢。だから勝てた」

 それはつまり、そうでなければティナが負けていたということ、なのだろうか。不安が募る。

「行く」

 それを問いかけることはできず、淡々としたまま走り出したティナの後を、僕は追いかけるしかなかった。

 

 そうして辿り着いた指令室は、ひどい有様だった。

 あたりは手当たり次第に切り裂かれており、破壊された多数のクラカロイドが散り散りに倒れていた。

「ヨくきた」

 ユーリカ司令は生きていた。つまり完全には破壊されていなかった。

 指令室の中央、その床に司令は転がっていた。その目前には互いのコアをブレードで突き刺し、相打ちとなったであろうクラカロイドが倒れていた。

 そして司令の四肢はすべて失われていて、一切の身動きが取れない状態で転がるように倒れていた。

「司令官殿、いったい、何が起きているんですか!?」

「オせん、だ」

 汚染?

「……ティナ」

「ん」

 ティナとユーリカ司令、二人の間の視線が交錯し、レーザー通信が行われる。僕には読み取れない何かのデータがまたやり取りされている。

 汚染ってどういうことなんだ。機械生命の汚染? それはつまり、……電子ウィルス?

 そんなこと、高度な機械生命体であるクラカロイドに対して果たして可能だろうか。

 もちろん、相手が機械である以上は、理論上可能だ。ただし少なくともテラノイドで実施した試みはすべて失敗した。二十年の戦争の間、その糸口すら見つけられなかった。

 僕はそのことを知っている。とても詳しく。

 なぜなら僕はずっとそのための訓練をしてきたから。僕は戦争でそういう役目を負うはずだったから。

「ワれわれが、オそれていたことだ。ダからこそきみを……」

「マサキ!」

 僕はティナに突き飛ばされた。軽い重力に僕は浮き上がって平衡感覚を失い、足をばたつかせるようにしながら、やはり無様に転がった。

 ギンッ!

 間一髪のところを、また彼女に救われた。背後から僕を襲ったクラカロイドのブレードとティナのブレードが拮抗する。

 まずい。指令室は広い空間だ。狭い通路とは訳が違う。

 もし敵となったクラカロイドが大挙して押し寄せれば、ひとたまりもない。

「マサキ、通信をすべて遮断して」

「ど、どうやって?」

「マサキなら、できる」

 そういうことか。

 ……やるしかない。

「わかった! でも、どれを使えば――」

「ワたしのうしろだ」

 そこにクラカロイド式の制御端末があった。テラノイドのそれとは全く異なる形状の。

 入力装置はない。当たり前だ。彼らは機械なのだ。ただのっぺりとした長方形の黒い箱であり、ティナの臍の奥にあった端子と同じものが中央部で待ち構えているだけ。

 僕はホログラムコンピュータを起動し、リストバンドからケーブルを引っ張り出した。軍服の内ポケットから変換ケーブルを取り出してつなぎ、そして制御端末に接続する。すべてがまどろっこしい。

 背後では剣戟が響いているというのに。僕の焦燥感がどんどん募っていく。

(急げ!)

 クラカロイドのシステムへダイブする。訓練で何度もやらされたことだ。このために僕は軍隊に入ったんだ。

(くっ、さすがに固い!)

 当たり前だ。それはクラカロイドの基地システムの中枢。

 安々と突破できるはずもない。

(ティナだって、きっと必死なんだ。なら僕には僕にできることをやるしかない!)

 五感をすべて注ぎ込み、意識を集中する。すべてのリソースを使え。ティナを信じろ。彼女が僕を信じたように。

 無限の時が過ぎる感覚。けれど高度なコンピュータの世界では、一刻みなどカンマの下にいくつものゼロが並ぶ秒数でしかない。

 すべての防壁を掻い潜り、通信モジュールを乗っ取り、そこにランダムな数値を刻みつけ、すべての通信をジャミングする仕掛けを施す。

 ただそれだけのことだ。

 これこそが僕の戦いだ。

 彼女を守るための。

「よし!」

 そして、勝った。

 僕は目を開き、そして振り向いた。

 けれども、ティナを襲うクラカロイドはそれでも止まらない。

 当然だ。通信はあくまで汚染の広がりを止めるだけ。

 しかもそれは僕の知らないうちにもう一体増えていた。

 ギイイイイィン!

 その時、彼女は一体を仕留めた。ティナは強い。

 だが。

「ティナっ!」

 それは犠牲を伴った。

 事切れた敵からブレードを引き抜くその僅かな合間に、彼女の左腕が宙を舞った。僕が守りたかった彼女の一部が金属床を叩き跳ねる。

 僕の思考は一瞬停止し、目の前が真っ白になった。

「問題ない」

 けれど僕の感じた悲痛とは裏腹に、彼女は一切動じることなく、右手だけで持ったブレードを振り払う。そうして、もう一体のクラカロイドもまたコアごと切り裂かれた。

 もちろん彼女は痛みなんて感じることはない。わかっている。わかっているのだけれど。

 肘先から、小さく火花が散っていた。それを僕はとても痛々しく感じた。

「マサキ、拾って」

 視線を落ちている左腕に向けながら、彼女は淡々と言う。

「わかった」

 僕は重い金属のそれを拾い上げる。それを両手で包み込むように抱えた。大事な、とても大事な彼女の、その一部だ。

 彼女がそれをただのモノとして扱うとしても、僕にとっては大切なティナ自身なのだ。

「行く」

「どこへ?」

「地上へ」

 僕はユーリカ司令を見た。

 それは胴体を切り裂かれ、コアを破壊され、すでに事切れていた。

 僕は嫌な想像を振り払う。司令の顔にほんの一瞬、ティナの、僕の愛しい少女の顔が重なって見えたのだ――。

 

 ※

 

 彼女の切り離された腕を入れたバックパックを背に、前方の彼女本体を両手で抱え込む。むしろ、しがみついているといったほうが正しいかもしれない。

 再びコル型専用宇宙艇のコックピットに乗り込んだ僕たちは、クラカロイドの基地から脱出し、次の目的地へと向かっていた。

 基地内ではいまだ戦闘が続いている。同じクラカロイド同士の戦い、汚染されたものとそうでないものが。

 思考共有通信が失われたことで汚染の広がりは確かに止まった。けれど同時に、正常なクラカロイド同士の連携が失われた、ということでもある。

 それでも僕たちは、通信を失う前からすでに共有されていた結論を元に、こうやって送り出された。

 つまり、クラカロイドの希望である僕自身が失われないことを目的に。

「いまから突入。……耐えて」

「わかった」

 この宇宙艇はクラカロイドだけを前提としている設計だ。

 むろんクラカロイドだって耐熱性が完全ではないし、耐久性に限界はある。それがテラノイドよりも優れているというだけのこと。

「もっと引っ付いて」

「……うん」

 僕はぎゅっと彼女を抱きしめた。あらゆる部分が接触する。

 コックピット全周から、衝撃と振動を吸収するために必要な気体袋が、内側に向かって膨らんでいく。それは僕の体を冷やしながら、同時に僕を彼女に押し付けていく。

 けれど、もうそこに恥ずかしさはない。

 力の弱い僕なのだけれど、ティナと接すれば接するほど、彼女を守りたいという庇護欲が膨らんでいくようだった。

 そうして僕たちは向かう。惑星ボルタの地表へと。

 そこでこれから、何が起きるのか知らないままに。

 

 

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