惑星ボルタの記録 ――異星人少女と僕は絶望の中で戦い続けた―― 作:霧島 高
僕は、指先一つとして、動かせなかった。
それでも、朦朧とする意識の中、僕を背負うティナから伝わる冷たい感触だけを頼りに、生きようと必死に抗い続けていた。
僕にできることは、それだけだった。
「マサキ、もうすぐ着く」
短く、けれど優しい声が、微かにくぐもりながらも、僕の耳朶を震わせる。
それに答えることは、叶わない。「ああ」でも「うん」でもいいから伝えたいのに、口を開くことどころか、喉を震わして呻くことすらできない。
「もう少し、だから」
今すぐ彼女にそれを伝えたいのに。
「それまで、耐えて。……お願い」
頷くことさえできないままに、僕の意識は次第に薄れていく――。
※
宇宙艇が不時着した。
土と砂ばかりで何もない、見渡す限りの荒野に。
吹き荒ぶ風と共に舞いあがる砂塵に視界を奪われる。目に入ってきた異物が、僕に目を細めさせた。
「動かすのは、無理だね……」
宇宙艇の制御装置からケーブルを外した僕は、無情に診断を下す。
この宇宙艇は重力圏内でも、さらには地上での近接戦闘も想定している。僕たちがテラノイドステーションを脱出する際、絶体絶命だったあの時のように、二足歩行型に変形するのはそのためだ。
だけどそれはあくまでも、地上までこれを安全に運べた場合の話。大気圏を何度も往復できるシャトルで輸送した場合に限った話。
大気圏の摩擦熱に耐え、僕たちを地上まで運んでくれた。でも、この宇宙艇はそれだけで役目を終えてしまった。緊急手段でしかなかったがゆえに。それ以外に地上へ辿り着く方法が、他になかったから。
「歩く」
「それしかないね。どれぐらいかかるか、わかるかな?」
僕は背中のテラノイド式バックパックを少し揺らした。
「三日」
大気圏突入の際に、軌道計算なんてあったものじゃなかった。
静止軌道上にあったクラカロイドステーションから発進したけれど、突入角度は最も安全な大気圏突入となるために最適化された。だからその着地点は、僕たちがこれから向かうべき場所から相当ずれてしまった。
「なんとかなればいいけど」
バックパックの中にはギリギリ三日分の食料と水が入っている。クラカロイドの基地に置いてあった、戦時中にテラノイドの捕虜用として用意されていたもの。それを可能な限り詰め込んだ。
ただし、調理器具はないし浄水器だってない。
つまり僕には一切余裕がないことを意味する。
そう、僕たちにじゃない。有機生命体である僕には、だ。
機械生命体のクラカロイドであるティナには、そんなものは必要ない。
ティナが背負う小さな金属製バックパックには、彼女の動力源となる水素充填用ボトルが入っている。元々僕のバックパックに入っていた、彼女本体から切り離された左腕と共に。
彼女にはそのボトルだけでいい。それさえあればいいのだ。しかも三日であるならば、彼女の中にすでに蓄えられているエネルギーだけで充分事足りる。バックパックの中のそれは、あくまで予備でしかない。
僕と彼女は明確に異なる。それは、種族という名の大きな壁で。
けれど。
「夜は休めるから、安心して」
「なら、よかった」
テラノイドである僕のことをティナは気遣うことができる。
それはとても嬉しいことだ。彼女からの親愛に、僕は満たされた。
なんとかなる。根拠なんて一切ないけれど、そんな希望が生まれた。
そんな気がした。
「行く」
そうして僕たちは、ところどころが溶け落ち、かつての漆黒が継ぎ接ぎ模様になって動かなくなってしまった宇宙艇に別れを告げ、荒野の中を歩き始めた。
そして目指す場所は、クラカロイドの地上基地。
そこに僕たちの安全があると信じて。
時折ブーツに交じる砂を払いながら、代わり映えのしない荒野の中をただ延々と歩き、そして一日目の夜を迎え、夜半を過ぎた頃。
小さな羽虫――惑星ボルタのよく知られた地上生物だ――が耳の近くを掠め、そのせいで僕は不快感に目が覚めてしまった。
夜空に浮かぶ月は丸く、今は見えない恒星の光を反射して、周囲を明るく照らしていた。
それはこの時の僕にとって、数えるほどしかない救いの一つだった。
荒野には燃やせるような火種がみつからず、焚火はできなかった。羽虫が僕に寄ってくるのもそのせいだ。
「ティナ」
周囲を見回し、そこに僕のとても大切な銀髪の妖精が、じっと立ち続けていることに安堵する。
ティナはこの暗闇をものともしない。当然のように暗視装置が備わってるからだ。もちろん僕にはそんなものはない。
暗視装置付きヘルメットなんて、機械化ゾンビに追われながらの緊急脱出の際、テラノイドのステーションから持ちだす余裕が一切なかった。
そのあと命からがら訪れ、そしてまたもや脱出することになってしまったクラカロイドのステーションには、そもそもそんなものがあるわけもなかった。
ともすれば不安に押しつぶされてしまいそうな暗い静寂の中、月と同じか、あるいはそれ以上の銀色を煌めかす彼女の存在は、僕の心に間違いようのない平穏をもたらしている。
「しっかり眠って。明日も早い」
起きている僕に気付いた彼女は、紅い瞳を優しくこちらに向け、静かに言葉を紡いだ。
「……うん」
僕は再び目を閉じた。
少しだけ僕は考える。
以前の僕だったならば、すべてを彼女に任せることしかできないことに、きっと忸怩たる思いを抱いたはずだ。
僕は役に立たないのだと。何もできないのだと。
けれど、今はもうそうじゃない。
僕は彼女を必要としている。
だけど、彼女も僕を必要としている。
つまり、お互いを必要としている。
僕と彼女は互いを信頼している。
そこには僕たちの心を繋ぐ何かが、しっかりと存在するのだ。
今やるべきことは、二人で生き残ること。
それが彼女の望みで、そして僕の望みでもあるのだから。
だから今は眠ろう。
二日目、午後。
雨が降った。乾いた荒野としては、珍しい雨だ。
僕たちは歩みを止めざるを得なかった。この雨は、まるで僕たちの行く手を阻もうとするかのように、土砂降りだった。
小さな岩陰に身を寄せ合い、雨を凌ぐ。
僕は彼女の、肘から先のない左腕を持ち上げた。切断面は応急処置としてシリコンフォームで閉塞してある。
その気密性がしっかりと保たれているかどうか、僕は念のために確認していた。
「不具合はない?」
「ない。マサキこそ、問題はない?」
お互いを気遣いながら。
僕は彼女の左腕を、まるで神聖なもののように掲げていた。
そこから、そっと手を離す。そしてそのまま、彼女の右肩に腕を回して彼女を更に引き寄せようとする。抵抗することなく彼女は僕に身体を委ねた。
「大丈夫だよ。こうしていれば、何も問題はない」
「そう」
これだけ近づいたとしても、彼女の息遣いを僕は一切感じられない。もし感じたとしたならば、それはただの錯覚に過ぎないのだ。
彼女からは体温すらも感じない。冷たい感触だけだ。
それでもこの雨の中、僕の心は彼女から温もりを与えられていた。
だから。旅程が狂い、そして食料を節約しなければならなくなったことは、それほど気にならなかった。
気にしてはいけなかった。
そして、気にしたところで、どうしようもなかった。
そして三日目、正午を過ぎて、それは起きた。
昨日とは打って変わったように燦々と輝く恒星が居座っていた。
その熱がじりじりと僕の肌を焼いていく。
でもそんな程度のことを、気にしている余裕は一切ない。
「マサキ、離れて」
ティナの声が、いつもより硬いような気がする。
焦る心を抑えつけ、駆けださないように注意しながら、後ずさるようにして僕はティナから離れる。
キシャアアアア。
高音があたりに響き渡る。その咆哮は、あのときのことを僕に思い出させた。
あの双頭の怪物のことを。もう死んでしまった隊員たちと共に戦った、あの恐ろしい化け物のことを。
けれど新たに現れた敵性生物は、どこからどうみてもあれとは別種の存在だった。
「……っ」
高周波ブレードを右手だけで正眼に構えていたティナが、僕が充分に距離とったタイミングを見て取り、駆け出した。静から動へ、予備動作なく切り替わったそれに、僕は息を飲んだ。
けれど敵に怯んだ様子は一切ない。相手は知的生命体ではない。本能とも呼べる獰猛さをもつそれは、恐れを抱いたりしないのだ。
ガキッ!
そしてその大きなハサミは、躊躇なくブレードを受け止めた。
受け止めた、だって? そんなことがあり得るのか。
やつは生物なんだぞ。惑星ボルタの原生生物なんだ。硬質な金属でもないはずのそれが、どうして高周波ブレードを受け切れるというのか。
「くそっ」
僕は小さな岩陰に隠れた。そして手に握る銃を見た。大型のハンドガンに見えるそれは、テラノイド製ではない。
クラカロイド式レーザー銃。テラノイド製の実弾兵器とは全く異なる原理であるそれ。本来は認証装置が付いていて、テラノイドでは扱えないはずの代物だが、僕の手によりそのロックはすでに外れている。
ガンッ! カキンッ!
怪物とティナの交錯は続いていた。あの双頭に比べれば大型ではない。体高はティナより少し大きいぐらい。けれどそれがゆえに、素早い。
やつがティナと交錯している限り、僕はそれに向けて銃を撃つことはできない。
それは一対のハサミをかかげ、時折ティナを威嚇するように咆哮する。
その姿は、地球におけるサソリを大型化したような、けれど異質な何か。そのハサミは肥大化しており、サソリと言うよりも蟹のもつそれ。
胴体は飛び跳ねる蜘蛛に近い。丸みを帯びた胴体から、自在に動く足が伸び、その俊敏さを支えている。
尾は長く、丸い先端からは鋭い針が覗く。そこが最もサソリに近く見える。
もしそれが本当に地球上におけるサソリに近い存在であるならば、そこには毒が、おそらく猛毒が仕込まれているのだろう。
もちろん機械生命体であるティナには無意味だ。だからこそ、彼女は僕を遠ざけたのだ。
確かに、僕の身体はテラノイドとしても異常なほどの再生能力を誇る。ただしそれは僕にそれだけのエネルギーが残っていればに過ぎない。
食料を節約すればするほど、その能力は劣っていき、エネルギーが尽きれば再生しなくなる。
「……」
ティナはなにも喋らない。肩で息をすることもなく、その額を汗が伝うこともない。彼女に焦りの色などあるわけもなく、ましてやブレードの一閃が鈍ることもない。
ダッ!
彼女を狙い突進しながら同時に振るわれるハサミ。それを地面を蹴って避ける。その勢いのまま大サソリの背後に回ろうとする。大振りしていたサソリはすぐには振り向けず、彼女はそれに成功した。
彼女はやつの背後からブレードを振るう。
ブンッ!
けれどそれは空を斬った。サソリは自身の重みに逆らうことなく、半回転しながら前に進んだのだ。それはまるで後ろが見えているかのような動きだった。
だけど。
(いまだ!)
それは僕にとって好機となった。サソリとティナの間に大きな空隙が生まれ、そしてサソリの動きが一瞬だけ止まったのだ。
躊躇わず引き金を引く。音もなく、眩い赤色の光線が連続して放たれる。サソリの胴体に照射されたレーザーはすぐさま熱的エネルギーに変換され、その蜘蛛の胴体を焼く。
果たしてどれぐらいのダメージを与えただろうか。サソリがそれを嫌がり、飛び跳ねて逃げたところをみれば、充分効果はあったとみていいかもしれない。
「無理はしないで」
彼女の声が小さく耳に入り、直後に傍で短い足音が続いたと思ったら、ティナが駆けていた。
キシャアアア。
いまだ戦意の衰えない大サソリがこちらを威嚇する。
思わぬ伏兵に驚いたのかもしれない。その咆哮は僕に向けて放たれていた。僕は恐怖を覚え、さっと岩陰に隠れた。
キン! ギンッ!
ティナのブレードとサソリのハサミ。交錯する音がまた続き始める。
僕は恐怖心を抑えつけ、岩陰から様子を伺った。
ブンッ!
そしてそれとティナがサソリの脳天を切り裂くのは、同時だった。
辛くも僕たちは勝利した。
……そのはずだった。
「なんとか勝てたね」
静かになった戦場で、大サソリに視線を向けたままのティナ。その傍に僕は立つ。
「データにない」
「そうだね。きっとテラノイド側にも存在しない」
惑星ボルタ。得体のしれない怪物たち。
どうしてだろうか、僕は双頭の怪物と戦った直前に見た、あの壁画を思い出した。
「旧ボルタ人では、まったく勝負にならなかっただろうね」
テラノイドの重火器と、クラカロイドの高周波ブレード。どちらも、それぞれの種族がその技術の粋を集めて作ったものだ。
旧ボルタ人は残念ながら、石器時代で終わってしまった。彼らの原始的な武器では、考えるまでもなく一切歯が立たなかったに違いない。
「でも、これはおかしい」
「……確かに、そうかもね」
この戦いで僕は気付いた。おそらくティナも同じことに気付いた。
双頭の怪物とこのサソリの怪物には、大きな違いがあることに。
あの怪物にはなく、この怪物にあるもの。
高周波ブレードであっても容易に切り裂くことができない、まるで金属のような硬度を持つ部位の存在。
いや、これはどうみたって金属そのものじゃないのか?
まるでこのサソリは生物でありながら、進化の埒外に存在しているのではないか。
そんなありえない考えを、僕は抱き――。
「ティナ‼」
それは咄嗟の、まさに反射的な行動だった。
そうしなければと、僕の身体が勝手に動いた。
力いっぱい、彼女をその場から吹き飛ばそうとした。
それは土台無理な話なのだ。
彼女はクラカロイドなのだから。その程度で彼女が倒れることも、ほんのわずかに揺らぐこともない。
だがそれがゆえに、それは僕の、そして彼女の仇となった。
「うっ……」
彼女の代わりに僕が倒れ伏す。
ティナは素早く反応し、大サソリの尻尾を両断した。
――その尻尾の先にあったはずの毒針は、なくなっていた。
銃弾のように撃ちだされたそれは、僕の背中に深く突き刺さっているのだろう。遅れてやってきた痛みと痺れが僕の身体を支配していくことで、そのことが僕にはやっとわかった。
体中から力が抜けていく感覚。僕の世界はどんどん白くなっていく。
「うっ……うう」
「マサキ……マサキっ‼」
彼女が僕を呼ぶ声を聞きながら、僕は意識を手放した――。
熱い。体中が熱い。
体が何かを要求している。
「マサキ、水を……」
「げほっ」
受け付けない。何も見えない。ここはどこで、僕はいったいどうなって……。
神経が焼ける。痛い。そうだ、毒だ。
混じった異物に、僕の身体が抵抗している。戦っている。正常なる生理的反応。ゆえに起こる、異常な反応。
「う……うう……」
嗚咽。どうしても漏れてしまう。身体が勝手に熱を生成し、比例した分だけエネルギーが失われる。
失ったエネルギーを、補給しなければならない。
でも受け付けない。毒がその吸収を阻害する。
「どうしたら、いいの」
今にも泣きそうな声。
いや彼女は泣かないはずだ。だからそれは妄想に違いない。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
謝らないで。君のせいじゃない。
泣かないで。君は泣かないはずでしょう。
僕の意識は、現実と空想の中を往復する。おそらくそうなんだろう。いや、もしかしたらすべて妄想かもしれない。
目は視えないはずのに、紅い瞳から滴り落ちる涙を、僕は幻想しているのだから。
「水を……、これなら……」
薄れた感覚。それでも僕はそれを感じた。
ひんやりとした感覚がした。
僕の唇にそれが触れ、束の間苦しみから逃れたような感覚。
喉に液体が流れ込んでくる微かな感覚。
「お願い」
冷たい感覚が一度離れた後、僕の頭全体がそれに包み込まれた。ただ優しく、僕を護るように。
熱が和らぐ。
だけど僕はまた意識を失った。
揺れている。ゆらりゆらりと。
混濁した意識は覚醒と眠りを繰り返し、しばらくの間、何が事実で、どれが妄想なのかわからまま境界を彷徨っていた。
それでも時が経つにつれ、僕の身体は自身の再生能力に従い、僕の記憶をゆっくりと元に戻していく。
「ティナ……ごめ、ん」
だからようやく、たどたどしくもその言葉を口にできた。
「マサキ」
ゆっくりと目をほんのわずかに開く。ぼやける視界はやはり揺れていて。
そして僕は彼女の小さな背中に抱えられているんだと知った。
彼女は右手だけで僕を支えながら、僕をいたわるようにゆっくりと進んでいた。
「マサキ、もうすぐだから」
「うん……ごめん、ね」
けれど失われた体力は戻らない。痛みは薄れても、まだ全身に熱を感じる。だから手足は動かず、だらりと彼女の背にもたれかかる以外、僕にできることは何もない。
「喋らないで、いい。……無理しないで、いい」
その言葉はどこまでも僕に優しい。
僕は彼女の背から、感じられないはずの温もりを受けていた。
籠の中で揺られるような感覚に身を預けていれば、いつの間にか眠りに落ちていく。
僕の体力はほぼ尽きていて、再生能力もここまでが限界だった。
だけども、それはずっと心地よい眠りとなった、気がした。
そして僕たちは辿り着いた。
クラカロイドの地上基地にて、僕ははっきりと目を覚ました。
「着いたんだね」
「ん」
こちらを覗き込む紅い眼と僕は目が合った。そこに当然涙はないけれど、僕はそこに慈愛めいたものを感じた。
そしてゆっくりと起き上がる。
見渡せば、クラカロイドの宇宙ステーションでティナと並んで座ったあの部屋とよく似た場所だった。あの時のように、金属の壁に囲われていた。
「……テラノイド用の栄養剤? よくこんなのあったね。おかげで助かったよ」
僕の左手首からは点滴用チューブが伸び、そしてその先に透明な液体が入った樹脂製の袋があった。フックがないため、壁に粘着テープで張り付けられていた。
これはクラカロイドには必要のないもの。
この点滴により体内のエネルギーが急速に回復したことで、僕の身体は完全に再生したわけだ。
「テラノイドからの鹵獲品。ここの司令官がくれた」
「そっか。あとでお礼を言いに行かないとね」
鹵獲品。この惑星ボルタがかつてクラカロイドとテラノイドが争った場所だという痕跡の一つ。
僕はティナの手を取った。彼女の失われた左手ではなく、右手を。こうして僕たちが出会い、そして愛を深めることができたのは、その戦争が終結したからこそなのだ。それを実感していた。
「左腕、まだ直してないんだね」
彼女の左肘を見れば、応急処置のシリコンフォームで包まれたままだった。
「マサキにつけてほしい」
「……そっか」
どうして彼女はそう思ったのだろう。
そんな感傷めいたものが、機械生命体に果たして存在するのだろうか。
いいや、きっと存在するのだ。
だからこそ僕と彼女は惹かれあい、こうしてお互いの瞳をただ見つめ合うだけで、愛を確かめ合うことができるのだから。
「目覚めたようだナ」
地上基地の司令官は、宇宙基地にいたユーリカ司令と同じくルト型だった。つまり、コル型であるティナほどではないが、テラノイド語を発することができる。
そしてその見た目は、宇宙基地で破壊されてしまったユーリカ司令と、やはり寸分違わない。
つまり標準的クラカロイドと同様、頭髪のないのっぺりと平坦な顔に二つのレンズがあって、ルト型に特徴的な、たとえ喋ったとしても閉じられたままの口があるのみ。
「助かりました。ありがとうございます」
「礼は不要ダ。我らはもはや敵同士ではなイ。共同体なのだかラ」
地上基地の指令室は、宇宙基地のそれとは異なっていてかなり狭い。奥行きと幅は十メートルほどで、そして高さは四メートルほど。クラカロイドらしいコンパクトな造りだ。
指令室内にいるクラカロイドは少なく、司令官を含めたった三人だけだった。
すでにティナから聞いていた話では、あの宇宙ステーションで起きたクラカロイドの暴走現象を防ぐため、この基地を覆うように思考共有通信はジャミングされているそうだ。ここ以外の他の地上基地でも、すでに同様の措置を取っているそう。
しかしながらその妨害電波は、各所との無線通信を同時に遮断している。ゆえにリアルタイムな情報交換は断たれ、連絡には直接クラカロイドを派遣するという、原始的な方法に頼らざるを得ない状況となってしまっていた。
そう考えれば、この指令室にいるクラカロイドが少ないことは、そこまで不思議なことではないのだろう。
「マサキ、いこう」
「わかった。腕を繋がないとね」
僕たちは基地司令官と簡単な情報共有だけを済ますと、その場を辞した。
「爾後のことは、任せるといイ」
司令官が僕たちを見送る際のその言葉に、僕はふとした違和感を抱いた。
同じくルト型だったユーリカ司令と比べ、ここの司令官はずいぶんとテラノイド語を流暢に扱うんだなと。
けれども、おそらくそれは戦争中の経験差によるものだろう。つまりテラノイドの捕虜と接触する機会が多かったからに違いない。
そんな風に僕は考えてしまった。
「そういえば、ティナ」
狭い基地の中、ティナとともに治療室、つまりクラカロイドを修理するための部屋に向かう。宇宙ステーションと同じように無機質な金属で覆われ、相変わらず誰も喋ることない場所だ。
無味乾燥なカツンカツンと足音だけが響いていく。
その音を聞いていて、僕はある事を思い出したのだ。
「あのサソリについては何かわかったの?」
「何も」
「そっか」
それは少し変だな。どういうことだろう。
ここはクラカロイドの地上基地で、あのサソリがいた場所はここからたった一日の距離だ。つまり移動用車両などを使えば、目と鼻の先に存在していたということだ。
ならば、すでに目撃されていてもおかしくないというのに。
双頭の怪物と戦ったときとは違う。あの場所は、それまで訪れたことのなかった未開の地であった。
確かに、あの怪物が常軌を逸した強さだったこと自体は驚きだった。
とはいえ、それまで発見できていなかったということ自体は、そこまで不思議なことではなかった。
今回とは状況が違うのだ。
「このあたりに旧ボルタ人の痕跡はなかったの?」
「それもない」
旧ボルタ人の痕跡がこのあたりで見つからないのは、あまり関係ないのかもしれない。
「……おかしいね」
「ん。おかしい」
問題はやはりあのサソリだ。
その毒針にやられてしまい僕が意識を失ってしまった。だからティナは僕を救うために、その小さな身体に僕を背負って、ここへ急行しなければならなくなった。
だからあのサソリを、しっかりと調べるための余裕がなくなってしまった。
確かに、僕は倒れる前、疑問に思っていたのだ。
あのサソリの巨大なハサミは、クラカロイド式高周波ブレードを受け止めていた。その硬度は、生物として明らかに異常としか思えない。
それは、まるで高度に錬成された金属のようだった。
そのことがあまりに不自然で、疑念を持ったのだ。
「回収を提案した」
「なら、そのうちきっと何かわかるね」
「ん」
ならばと、結論の出ないであろう思考を、僕はそこでやめた。
やめてしまったのだ。
この時、もっと深く考えていれば、よかったのかもしれない。
そうすればこの後起きた悲劇は、防げたのかもしれない。
けれどあるいは――何をしたって、どのみちもう手遅れだったのかもしれない。
治療室内、いつものごとく、ベッドの上に一糸纏わぬ銀髪少女が横たわる。もちろんこれは必要な行為だ。
これから彼女の左腕を繋ぎ直さなければらならない。
ボディスーツを脱ぎ去った彼女に、僕はもう恥ずかしさを覚えることはない。その姿を愛おしく思うことはあれども。
最初に行った機体検査のとき、今のように僕にすべてを委ねることにしたあのとき、彼女はいったい何を考えていたのだろうか。そして今このときは何を考えているのだろうか。
同じなのだろうか。それとも違うのだろうか。
今回もまた、五本のケーブルが僕たちを繋いでいる。そのうち一本は臍の奥に、すなわち彼女のコアと直接繋がっている。
それはテラノイドで言うならば、直接頭の中を覗くのに等しい行為。
だけど、お互いを信頼し愛することになった今ならば、僕たちはもっと深く、そして強く固く繋がるのではないだろうか。
「まず検査をしないとね。始めていいかな?」
「ん」
そして僕は彼女へとダイブしていく。
僕と彼女の意識が重なり始め、彼女の全身を探っていく。なぜだか僕の中から彼女の中へと何かが流れ込んでいく感覚がした。
明確な違和感があった。発見された問題個所はただ一つ、左腕の付け根、腋の下にあるセンサーから、左腕の接続が途切れていることが伝わる。
それはもちろん検査前からわかっていたことだ。それ以外は、異常はない。であれば、まずは腕の状態について詳細を調べ上げなければならない。
そうして必要な部品を全てリストアップした後、それを用いて彼女の切り離されてしまった肘の先を慎重に繋ぎ直せば――。
「……? マサキ、何か、おかしい……」
けれどその時、すでに僕たちの逃げ場は失われていた。
(なんだ、これ? ……くそっ、止まらないっ!)
そう何かが彼女の中に僕から流れ込んでいたのだ。それは明らかな異物だ。僕の中に潜んでいた何かだ。
それが僕の意思とは無関係に彼女の中に流れ込んでいく。
これは何だ? いったい何が、流れている?
そもそも、どうやって僕の中に紛れ込んでいた?
いつから? どこから?
いいや、それよりも、早くこれを止めないと!
「う、ぐっ……⁉」
高速で思考を巡らし、僕は彼女との接続を切るために、彼女の中から急速に離脱しようとする。同時に、機械生命体としてはありえない苦悶の声が、ティナの口から漏れ聞こえた。
もう少し、あと少し。電子の世界の時間が流れていく。それは現実世界ではとても短い、ごく僅かの時間でしかないはずだ。
だけど、僕が現実へと戻ってきたときには、もうすでに。
ガタンッ!
僕の目の前でティナが急に跳び起き、跳ねる。
「ぐぅ……」
為すすべもなく僕は彼女に押し倒された。冷たい床から背中への衝撃が響き、肺が圧迫され、僕は声にならない声で呻く。
「やめて。やめ、て!」
自身の行為に苦しみ、それに抗う声が彼女の口から漏れる。
これは彼女の意思とは、かけ離れた行為なのだ。
「ティ……ナ……」
抑えつけられ、息をするのも苦しい。
言葉を途切れ、もはや漏らすことすら叶わなくなり始めた。
「マサキ……マサキっ! ダメ。なんで……どうして……やめて……」
彼女は涙のない慟哭を漏らしながら、それに反して僕にかかる力は増していく。
一体、何が、起きているんだ。
それでも僕は、無理だとわかっていても、小柄な彼女の無比なる力に抵抗する。
だけど僕に、それだけの力がない。
僕はやはり無力なのだ。それでも、そうだとしても、僕が、なんとかしなければならない。僕が、彼女を救わなければならない。
それは、僕にしかできない。
でも、そんな僕の首元に、彼女の自由にならない右手が添えられた。
「ようやく、捕まえタ」
いつのまにか治療室に、それが立っていた。
「そんな……」
ティナが呟く。僕はもう声を出せなかった。
でも苦しみ藻掻く中で、僕はそれを見た。
基地司令官の姿を。
いいや、それはもはや司令官ではない。
「我らのもとへ、ようこソ」
それは、これまでのすべての事象を繋ぐ存在。
「この時をずっと待っていタ」
そうして僕の意識は次第に刈り取られていく。
ティナの手が、その冷たい指先が、僕の意識を奪っていく。
「やっとすべてを始められル」
苦しく歪み、今にも涙を流しそうなティナの顔が、目の前に浮かぶ。
それが本当だったのか、あるいは妄想だったのかはわからない。
ただ僕は、また真っ白の中に落ちていった――。