惑星ボルタの記録 ――異星人少女と僕は絶望の中で戦い続けた―― 作:霧島 高
僕は夢を見ていた。
テラノイドが暴走したアンドロイドと戦い、多大な犠牲を払いながらもそれに勝利したその翌年、僕はこの世に生を受けた、ということになっていた。
そして僕は生まれたときから、月基地の中にいて、そこで育った。
なぜなら地球は、アンドロイド戦争により荒廃し、もはや有機生命体が住めるような土地ではなくなっていたから。地球が育んできた雄大な大自然も、人類が築き上げてきた大都市も、すべて十把一絡げに破壊され、そして同時に汚染された。
だからテラノイドが地球の再生を諦め、新たな故郷を目指したのは、必然だった。不安定な宇宙空間ではなく、有機生命体が地に足を付けて暮らせる、新たな惑星の発見が求められた。
けれどテラノイドはそのために必要な、ある一つの技術を保有していなかった。
あらゆる手を尽くし、そしてそれがようやく実現したのは、夢の中の僕が十五歳の時だった。
偶然に偶然が重なり、テラノイドが手に入れたのは、夢の技術。
星系間航法技術。
光速の壁を突破し、幾光年と離れた星系の間を自由にジャンプするためのそれ。
だから跳躍航法と呼ばれるようになったそれ。
フィクションの中にしか登場しなかった技術を、テラノイドはついに手に入れた。
そして僕は、星々をめぐる船乗りとなった。
――現実の僕はそうじゃない。
「行ってきます、父さん、母さん」
父母に別れを告げ、遥かなる宇宙へと飛び立つ。
他の大勢の宇宙開拓者と同じように、僕は数多の星系を渡り、テラノイドにとっての希望の星を見つけるのだ。
長い、とても長い旅が始まった。
太陽系からある星系へと跳躍、そこからまた別の星系へと跳躍、それを何度も繰り返す。
跳躍粒子の続く限り。
太陽系の外縁で偶然発見され、それにより星系間航法を実現可能とした、奇跡の存在がある限り。
ほんのわずかなサイズの跳躍粒子。一粒だけでも何光年もの距離を飛翔できるのに、それをほぼ無限に搭載している僕の単座船は、どこまでも飛翔していける。
どこまでも。いつまでも。
何度も同じことを繰り返し。
そんなある日、偶然辿り着いた星系の第三惑星軌道上で。
僕は、彼女に出会った。
「なにか困ってるのかい?」
テラノイド史上で初めて、異星人に出会った。
「……わたしの船、動かない」
――夢は都合がいい。異星人とだって最初から言葉が通じる。
「これは、ダメだね。跳躍粒子が漏れちゃってるよ」
彼女の船に僕の船をドッキングさせて調査した結果、僕はそう診断を下した。
それはどう考えたって、致命的なことだった。
だけどそれは運命だったのかもしれない。
「わたし、帰れないの?」
小さな少女は、ルビーのような深紅の瞳に涙を溜め、それは今にも零れそうだった。
彼女の煌めく銀の髪が垂れ下がり、それが悲しみのすべてを物語っていた。
「大丈夫だよ。僕が助けてあげる。一緒に君の星へ行こう」
僕は泣き出してしまった彼女を抱きしめながら、そんな烏滸がましいことを言っていた。
「ありがとう」
彼女は僕を見上げた。
にっこりと輝くような笑顔が、僕だけに向けられた。
――僕は本当に彼女を助けたかった。救いたかったんだ。心から。
それから僕は、彼女の船をけん引しながら、彼女の母星を訪れた。
その星はまるで地球のようだった。
テラノイドがかつて暮らしていた、映像でしか目にしたことのない、とても綺麗な頃の地球のようだった。
感動的な大自然――大河、滝、雪山、動物の群れ、そんなものが実際にあった。そんなに見たいならと、助けた少女がお礼に、いろんなところを案内してくれた。
それは、きっと彼女にとってはありふれた景色だったに違いない。それでも僕がいちいち感動するものだから、彼女はそれを面白がって、やっぱり僕に笑顔を見せてくれた。
「そんなにおかしいかな?」
「ううん、そうじゃない。嬉しい」
「それならいいけど」
「ねえ。次はあなたの星を案内してほしい」
「ここに比べたら、大して面白くはないよ。でも、それでもいいなら」
――夢の中のティナは本当によく笑う。
僕はその望みどおり、荒廃した地球へと彼女を案内した。
けれど実際に地上を案内したわけじゃない。できたことと言えば、周回する宇宙ステーションから望遠レンズで眺めただけだった。
それでも彼女は、その姿に心を痛めたようだ。美しい自然がすべて失われてしまったことに、ほろりと涙を流した。
「再生は、無理なの?」
「どうだろうね。少なくとも僕たちが生きている間には、不可能じゃないかな」
――そしてよく泣く。
それからの僕たちは、片時も離れることなくずっと一緒だった。
僕と彼女は互いを知り、気持ちを寄せ合い、異なる母星を持つ別の種族でありながら恋をし、ついには愛をもって結ばれた。
彼女は嬉しいと言いながら涙を流す。
僕の目には、彼女の姿があまりにも眩しく映る。
煌めく輝きに、僕は――。
――これはあり得たかもしれない世界の、可能性。
けれど、それは絶対に起こりえない事象。
だから、これは間違いなく夢なんだ。
だって彼女は、笑うことも、泣くこともない、機械なんだから――。
※
「う、うう……」
目を覚ませば、暗闇の中にいた。
頭がくらくらする。ここはいったいどこだろう。すぐに思い出せない。思い出せるのは、とても幸せな夢を見ていたということだけ。
そうだ、彼女との幸せな夢を――。
「ティナ?」
僕は小さく呟く。返事はない。そうだ、ティナだ。早く彼女を見つけなければ。どこにいったんだろう。
いや、そもそも何が起きたんだっけ。
「あっ……」
そうだ。そうだった。
僕は彼女に襲われた。彼女は、正気ではなかった、のか? いや、彼女は正気だった。
けれど、彼女は自らの意思に反した動きを取っていた。まるで操り人形となったかのように、取らされていた。
どうして? いや、まずは彼女を探しにいかないと。
「……ぐっ」
立ち上がろうとして、それが無理だと悟った。椅子に座らされ、そして拘束もされていた。
僕は、いやきっと僕たちは二人とも、捕まったのだ。
でも、いったい誰に?
そうだ、最後に見た、基地の司令官だ。
けれど、あれは、もう……。
「目覚めたようだナ」
その声と共に、カン、カンと音が響く。
目の前がほんのわずかに明るくなった。とても薄い光。そして、そこには人影。
それは、クラカロイドの司令官。
あるいは、そうだったもの。
「……お前は、誰だ?」
こいつの見た目は、間違いなくルト型クラカロイドだ。宇宙ステーションで破壊されたユーリカ司令と瓜二つの。だから僕は騙された。
でも僕だけは気付くべきだったんだ。
だって僕は、ずっと違和感を抱いていたのだから。
けれど、それを疑問へと昇華できなかった。ティナがあまりに流暢なテラノイド語を使っていたからこそ、僕はそれを無視してしまった。
「お前は、クラカロイドじゃない。そうなんだろう?」
僕はそれを睨み付けた。
「いかにモ。我らはクラカロイドにあらズ」
そんな態度を取ったところで、こいつが動じる訳もなかった。
「ただ、この身体を利用しているにすぎなイ」
利用している、だって?
「クラカロイドを乗っ取っているっていうのか?」
そんなことが、できるのか?
いや、そうだ。僕は見たじゃないか。クラカロイドの宇宙ステーションではっきりと僕は見た。思考共有通信を通して、クラカロイドが仲間を襲っているその様子を。
「そのとおりダ。とはいえ、ここまで支配するためには、かなりの時間がかかるガ」
支配。支配だって?
まさか彼女も。
「ティナ……そうだ、ティナ! ティナはどこだ! どこにいる!?」
だめだ。彼女のことになると冷静になれない。
「安心するがいイ。すぐに会えるとモ」
「……え?」
その瞬間、あたりが一気に光を取り戻した。
闇からの急転換に、僕の視界が一瞬で奪われる。あまりの眩さに、僕は目を閉じるしかなかった。
ガシャン。
そのとき、すぐ近くで、そんな音が響いた。
いったい、これは、何の音だ?
僕は胸騒ぎが止まらなくなった。
「く……」
ゆっくりと僕は目を開け始める。動悸が止まらない。不安が押し寄せる。
霞む目に、ぼやけながらも銀色が浮かんでくる。僕の大切な彼女の煌めき。
……そして。
「ティナ……? ……ティナっ!?」
僕は叫んだ。叫ばなければいけなかった。
ああ、彼女は、そこにいた。生きて、そこにいた。
だけど僕は歓喜したわけじゃない。
たとえ、彼女にとって、それが生きていると、そういうべきことだとわかっていても。
そう、彼女は生きている。間違いなく。何もそこには間違いはない。
「ああ……そんな」
たとえそれが、すべての四肢を、もがれていたとしても。
まるで捨てられたように、床に転がされていようとも。
深紅の瞳で、ただじっと僕を見つめることしかできなくなっていたとしても。
彼女は生きていることに、間違いはないのだ。
だけど。
「見ての通り、彼女は無事ダ。いまのところは、だがナ」
「今のところは、だと……? どうするつもりだ! くそっ! 今すぐ、離せ、離せよっ!」
僕は椅子に完全に固定されている。それでも、無理だとわかっていても、どうして暴れずにいられるだろうか。
「落ち着くがいイ。君が我らに協力さえすれば彼女には何もしなイ」
「うるさい、今すぐ離せ!」
落ち着けるものか。目の前で、僕の大切なティナが、あんなふうになって、それでどうして冷静にいられるものか。
「ふむ。やはり、テラノイドにはこうするべきだナ」
僕はその時はじめて、そいつがその手に高周波ブレードを持っていることに気付いた。
「やめろ。……だめだ、やめてくれ……」
そのブレードの切っ先が動き、ティナのコアに向けられた。
「ならば、我らに従うがいイ」
「く……」
脅し。とても効果的な。
テラノイドである僕らには、どうしようもない感情がある。そのことを、この敵は熟知している。おそらくクラカロイドよりも。
「……」
ティナは黙ったままだ。どうして?
そうだ。彼女は声を出せないのだ。おそらく僕にそれを聞かせないために。機能が潰されているのだ。
だけどその紅い瞳が僕をじっと見つめている。それが何かを僕に訴え掛けている。
「ティナ……」
ああ、大丈夫、言わなくても僕にはわかるよ。君が僕に何を伝えたいかなんて、全部わかるんだ。
君は、こいつのいうことなんて聞いてはいけない、ってそう言いたいんだね。
でも、ごめん。ダメだ。ダメなんだ。それだけは、どうしたって君に従えない。君の言う通りにはできない。
だから、本当にごめん。
君だけは失えないんだ。かけがえのない、君だけは。
ティナの瞳が、僕に冷静さを取り戻させた。
あたりを見渡せば、見慣れた金属の壁と床ばかり。のっぺりとしたそれだけで、僕はここがクラカロイドの基地の中だとすぐにわかった。
そうであるならば、この基地のクラカロイドはすべて、もうクラカロイドではない。こいつの、何らかの敵性存在の支配下にあるということだろう。
それはつまり、一切の助けは期待できないということだ。
「お前は、いったい、何者なんだ」
僕はまた同じ質問をした。クラカロイドでなければ、こいつの正体はいったいなんだ。
「答えよウ。我らはこの惑星ボルタに発生した知的生命体であル」
答えを期待したわけではなかった。だけれど、この敵はなぜか答えた。
それは強者ゆえの奢りか。あるいは何かの意図があるのか。
わからない。
「知的、生命体? あの壁画の、旧ボルタ人が実は生きていたのか?」
それはどちらかといえば僕自身への問いかけ。
「いいや、君たちが定義したその存在ではなイ。それらは滅び去り、そして我らが残っタ」
けれど敵は律義に答える。
ならば情報を引き出せ。なんでもいい、ヒントを見つけるんだ。僕たちが助かるための何かを。あるいはティナを助けるための。
「じゃあどうして、僕たちはお前たちを見つけられなかったんだ? クラカロイドだって見つけていない。この惑星に降り立って、二十年も経っている。なのに、どうしてなんだ?」
彼らは自らを知的生命体であると言った。それは当然だ。でなければ、クラカロイドを支配し操り、僕に語り掛けることなんて真似はできない。
つまりテラノイドも、クラカロイドも、ずっと本当の敵を見逃していたということだ。
でもどうしてだ?
惑星ボルタの地上における知的生命体の痕跡は、旧ボルタ人のもの以外にない。ならば彼らはずっと地下に篭っていたとでもいうのか?
だとしても発見できない訳がない。僕たちはクラカロイドと資源をめぐる争いをしたんだ。地下資源だって当然のようにスキャニングしている。そこに明らかな人工物があれば、発見できているはずだ。
敵はどうやって潜んでいた? どうやって僕たちの目をかいくぐっていた?
「いいや、否定すル。そうではなイ」
そうではない? 否定?
待て。何を? 敵は何を否定した?
「テラノイドが、なぜこの惑星に辿り着いたのか考えるがいイ」
テラノイドが、惑星ボルタにやってきた、理由?
それはテラノイドすべてが知っている。廃墟となり、失われた故郷。それに代わる安住の地を求めたからだ。
そして必然的にここに辿り着き、初めて異星人と遭遇し、戦争になった。
必然的に、だ。
そしてクラカロイドもまた、テラノイドと同様の理由で、必然的にここに辿り着いた。
だからテラノイドとクラカロイドがこの惑星で、不幸にも出会うことになってしまったのは、ある意味で当然の結果だった。
そうだ。テラノイドも、クラカロイドも、この惑星に同じものを求めた。
テラノイドが、安住の地を得るのに必要なものがここにはあった。
「テラノイドは跳躍粒子を求めてここにきた。その流れを遡り、発生源を見つけるために」
無限の宇宙を旅するためには欠かせないもの。より多くのそれを集めなければならなかった。より多くのそれが必要だった。
ならば。
僕たちは、まさか……。
「僕たちは最初から騙されていた? おまえたちは、僕たちをおびき寄せた、罠に嵌めたとでもいうのか? 僕たちを知っていたとでもいうのか?」
だとしたら二十年どころではない。僕たちはずっとこの敵を見逃していたことになる。
「間違ってはいなイ。だがまだ足りヌ」
足りない?
だが筋は通っているはずだ。敵は跳躍粒子を使い、僕たち、そしてクラカロイドをここにおびき寄せた。
けれど何のために?
跳躍粒子は貴重な資源だ。それなのに、それを使って僕たちをおびき寄せる意味はなんだ?
「我らはそれだけを否定したわけではなイ」
待てよ。
だとすればいったい何を否定した?
敵が否定したのは何だ?
もしそれが二十年を否定したのでなければ――。
「そうか」
僕の中でパズルのピースが嵌っていく。
敵へ僕が問いかけたこと。
「見つけていなかったわけじゃない。もう見つけてたんだな。お前たちのことをもうすでに。でも、そんなの、ありえない……」
ああ、でも、それしか考えられない。
そうとしか考えられない。
僕の出した答えは。生体コンピュータの結論は。
敵の正体は。
「跳躍粒子」
それしか、ありえない。
「その通りダ」
だが、こいつらの目的はいったい何だ?
いや、そもそもこの問いかけの意味はなんだ?
「我らはずっと探していた」
探していた。つまり、僕たちはずっと敵に見られていた。
「我らは全にして一をなすもノ」
そして粒子であるならば、敵にとって宇宙の距離など無きに等しい。
「我らは矮小なるものなり。そして生物に宿りしものなリ」
ゾンビに変質したテラノイド。惑星ボルタのありえない進化を遂げた有機生命体。生物へ寄生するもの。
「しかしそれでは、足りぬのダ」
敵の目的は? なぜ生物へと寄生するのか。
「だから求めタ。それさえあれば、我らの望むものを得られル」
僕は知っている。
クラカロイドもまた同じものを求めていた。
クラカロイドがテラノイドと休戦して得ようとしたもの。
そして彼らが、ティナというテラノイドに似たクラカロイドを送り、最終的に得ようとしたもの。
けれど跳躍粒子は、別の手段を取った。
「さすれば、われらは」
おそらくそうしなければならなかったから。
「この世の全てを知り」
クラカロイドが求めた以上のものを、跳躍粒子は求めたから。
「そして全能なる神へと到れるのダ」
遺伝情報だけでは足りないから。
「その身体を差し出すがいイ。テラノイドの変異体ヨ」
跳躍粒子は、寄生生命体であるから。
「我らの悲願のためニ」
けど僕にとって、そんなことはどうでもいいことだ。
「それで、そうすれば、彼女は、解放されるのか?」
ティナを護れるならそれでいい。
「安心するがいイ。我らはそれに興味はなイ」
誓いが守れるならばそれでいい。
「我らは全てを知りたいだけダ。それが我らの使命なのだかラ」
ならば、それで、いい。
ティナの視線が僕を射抜く。紅い双眸が僕を睨み付ける。僕を怖気させるように。敵の言葉を聞くな、協力などもってのほかだ、と威圧する。
でもね、ティナ。僕はもう君に恐怖を覚えることはないんだよ。
なぜなら。
君のその視線に、僕への親愛が含まれていることを、すでに知ってしまったから。君の優しさに触れてしまったから。君と想いを通わせたから。
だからね、僕は君のためならば、なんだってできてしまうんだよ。
「僕は何をすればいいんだ?」
「何もせずともよイ。ただ我らを受け入れるのダ」
「そうか」
僕は、冷静に思考を走らせる。
その一言に込められた意味。
もし僕が抵抗すれば。この寄生生命体は僕の中で破壊されるのではないか。
有機生命体は、体内で暴れた異物に対し抗体を生成し、それを撃退するようにできている。僕の体に跳躍粒子が入り込めば、同じことが起きるんだ。
でもそれじゃあ意味がない。
僕の体内に入り込んだ、ほんのわずかな敵を破壊したところで意味がない。
考えろ。もっとだ。まだ足りない。考えるんだ。
なぜ敵は僕にすべてを聞かせたのか。
僕が理由を知らなければいけなかったからだ。
そうでなければ、僕が敵に協力ができないからだ。その意図を知らなければ、計算ができないからだ。初期条件として僕が知っておかねばならなかったからだ。
何ができる? 僕に何ができる?
目の前にいるティナを救うために。
ティナ。
そうだ、敵はなぜティナの四肢を切り落とす必要があったんだ?
きっとそうしなければ、ティナが抵抗するからだ。つまり彼女はすでに自由を取り戻している。だから手足を切り落とされた。
なぜ自由を取り戻せたんだ?
僕ともう繋がっていないからだ。
あのとき、繋がっていたケーブルを通して僕の中から何かが彼女に流れ込んでいた。あれはなんだった?
そんなのは、すでにわかっている。
跳躍粒子。
敵が彼女の中に流れ込んでいた。彼女の身体を、彼女の意志を無視して動かしていたのは跳躍粒子だ。
でもどうして、今は自由なんだ?
さらに考えろ。
これまでのことを思い出すんだ。すべては関係しているはずだ。
ティナ以外のクラカロイドはなぜ跳躍粒子に支配されたんだ?
ティナはなぜ、僕と繋がっていなければ支配できないんだ?
ティナ以外のクラカロイドにあるもの。ティナにはないもの。
それは。
思考共有通信。
その元となっているのは、クラカロイドが滅ぼしたクラカ人のテレパシー能力だ。クラカロイドは、そのコアにクラカ人の遺伝情報を組み込むことで、思考共有通信機能を持つに至った。
つまりクラカロイドは、コアの一部が生物なのだ。
だからその一部に、跳躍粒子が寄生し、思考共有通信により感染が拡大した。
思考共有通信を妨害すれば、感染は収まったのだ。だからきっとこの推論は正しい。
では、テラノイドのステーションではどうして広がった?
考えなくても当然だった。
有機生命体。
生物に寄生する。いわば細菌と同じ。だからきっと隊長のように噛みつかれて、拡散していったのだ。
だけど、どうやって始まった? 噛みつかれるということは空気感染ではないということだ。少なくとも生物に対しては。
感染して異常はすぐに起きる。隊長があの後すぐに変異してしまったのを、僕は見ていた。
だから、地上で感染してから時間を置いて、ステーションで発症ということはありえない。
ああ、そうだ。思い出した。
ブラウン司令は言っていた。
サンプルだ。司令には地上生物を確保せよと命令が下り、すでに実際に入手していたのだろう。僕たちが相対したような危険な生物だったのかどうかはわからないが、けれど地上生物には違いない何かを。
もちろん隔離しただろう。しかし検疫では弾けなかった。それは跳躍粒子だ。純然たる生物ではない。すべてをすり抜ける。
である以上、跳躍粒子には、重火器も、レーザー銃も、高周波ブレードも効果はない。
僕たちとはすでに存在している次元の違う生命体なのだ。
「では始めようカ」
だとしたら、ティナを救う方法は――。
僕は目を閉じ、すべての感覚をシャットアウトする。これから起きることにすべてを集中させなければならない。
僕は跳躍粒子を受け入れる。
体中の至る所に刺さった注射針。点滴チューブの細い管から、それが侵入してくる。その悍ましさに心が急速に冷えていく。
自分が、自分でなくなろうとしていく、その感覚。侵食されていくという、その感覚。
異物に体が勝手に反応し、抵抗しようとする。僕はそれを強烈な意志をもって強固に抑えつける。
今は、何もするな、と。
そうして、ゆっくりと、ゆっくりと、僕はまるで別人に作り変えられていく。
跳躍粒子と同調していく。その記憶、その原点、その意思が、僕の中に流れ込んでくる。
跳躍粒子と思考が共有される。
すべてを知らねばならぬ。
その崇高なる目的は、ただその一点に集約されている。
そのためにはどんな犠牲をも厭わない。いいや、そもそもそれが犠牲なのだと感知すらできない。
旧ボルタ人では達成不可能だった。寄生することで、その生命力が瞬時に奪われた。感染したテラノイドのように、あるいはもっと悲惨に。
テラノイドのように遺伝子を改造したわけでもない。知的生命体として目覚めたばかりで、強靭な肉体を持たなかった彼ら。寄生され、それに抵抗する間もなく、まるで歴史から突如消え去ったかのように、この惑星からいなくなった。
繰り返される実験。地上に生まれた生物はすべてが実験台。
跳躍粒子が寄生し、それでも生き永らえたものの運命。
片っ端から改造され、分割され、合成され、より高みを目指して造り変えられた。双頭の怪物、強靭なサソリ、他にも様々な知性を得られなかったバケモノ。
実験を繰り返しながら、やがて彼らは探し求めた。彼らが感染しても壊れず、かつ強靭な有機生命体を。彼らの知能を神へと至らしめるための宿主を。
跳躍粒子は自らを跳躍させることはできない。静かな湖面に浮かぶ葉っぱが、風が吹かなければただ不規則に震動するしかできないように。
そしてそれは、何万光年という途方もない距離を自ら彷徨った。ただし光速で。引力という
けれどそれは全にして一の存在。跳躍粒子が知ったことは、すべての跳躍粒子が知る。あるいはそもそもすべての跳躍粒子は対であるということ。
そして見つけた。
強靭な生命体を。
テラノイドを見つけた。あるいはそれに見つけられた。
クラカロイドに見つけられた。あるいはそれを見つけた。
つまるところ、すべて仕組まれていたことだ。
真実は残酷で、結果は悲惨だ。
そしてこのまま全てを託してしまえば、その未来に何が起きるか。
跳躍粒子はすべてを知ろうとしている。この宇宙のすべてを手にしようとしている。
ではその後、この宇宙はどうなる?
更なる高次元存在に至ったそれは、もはやこの現実に興味はなくなるだろう。
ここはもはや彼らが一顧だにしない、ただの平面となった砂場。
そしてテラノイドであろうと、クラカロイドであろうと、それが誰であれ苦労して作り上げた砂の城を壊すだろう。
無自覚に。無意識に。無知覚に。
そこにそんなものがあるなど、気付けるはずもないから。
……。
させるもんか。
そんなことは死んでもさせるもんか。
――ティナを壊させるもんか。
「ぐ……」
僕の口からきっと、声が漏れただろう。
現実の感覚は非常に薄い。だから僕はそれを本当に聞いたのかどうかもわからない。
すべてのリソースを、使え。
眼から、鼻から、耳から、全身から血が溢れ出ようとも。
今ここにすべてを、使え。
敵は量子コンピュータ的高次元存在。その計算力は無限に等しい。
でも。
(負けるもんか)
僕だって同じだ。
だから、僕に寄生しようとしている。
だから、僕と同調しようとしている。
ならば狙うのは、その隙のみ。
チャンスは一瞬だ。
現実にして、計り知れないほどわずかな間。コンピュータとしての僕にとってすら、広大な砂漠の一粒に等しい時間。
僕は単一。
敵は複数。
敵はすべてが同一体。
それこそが強みであり。
「……ム?」
そして同時に弱みでもある。
思考を共有し、同一結論に至るそれはクラカロイドと同じだ。
いや、クラカロイド以上に強固だ。
ゆえに、すべての連結を一瞬で切り離す。
そのためには、すべての粒子を僕が観測しなければならない。
同時に。瞬時に。
さすれば情報は失われる。情報は無意味となる。それを刻め。
ははっ。実に簡単なことだ。そう簡単だ。
ただ見るんだ。見るだけなんだ!
だから頭の痛みなんて無視しろ。それはただの幻だ。
僕は頭で考えているんじゃない。すべての計算は身体中で行われているんだから。
「マサキ! ダメ、それ以上は……」
ティナの声が聞こえる。泣きそうなそれが聞こえる。幻聴だ。
だって彼女は声を失っているんだろう?
それに僕は聴覚にリソースを割り振っていない。
(ティナ、ありがとう)
けれど、その声を聞いて、僕は最後の力を振り絞ることができたんだ。
だから、ありがとう――。
――そして僕は、深く孤独な闇へと落ちていった。
※
また夢だ。あの続きだ。
「もうすぐだね」
「ん。会えるのが楽しみ」
彼女が大きくなったお腹を、自らの手で慈しむように優しく撫でた。
――機械生命体が、子どもを産むだって?
「マサキに似る?」
「女の子なんだし、ティナに似てほしいよ」
僕は彼女の銀髪を撫でた。絹を思わせる透き通るようなその手触りに、僕はそれだけでも充分な幸せを感じた。
しかもこれから生まれくる新しい命は、僕と彼女との赤子なのだ。きっと、その子といれば極上の幸福を感じられるに違いない。
僕はなんて恵まれているのだろうか。
「それにしても、ここで暮らすことになるとはね」
「思い出の場所。出会った場所」
「といっても、はるか上空だけどね」
僕が彼女を撫でるのとは反対の手で空を指さすと、彼女はそれを見て微笑んだ。
そうだ。
彼女の乗る宇宙船がトラブルを起こさなければ、そして僕がこの星系に立ち寄らなければ、僕たちが出会うことはなかった。
偶然の産物。運命のいたずら。
誰かに導かれたのではない。きっと僕たちにあった何かが、僕たちをここに引き寄せたのだろう。
「ねぇ、マサキ」
「どうしたの、ティナ?」
「愛してる」
「僕だって、愛してる」
「だから……」
……。
「戻ってきて」
もう君の傍にいるじゃないか、どこへ戻れっていうのかな?
「お願い」
そう言われてもね。
「お願いだから」
泣かないでよ。僕はここにいるから。どこかへ行ったりなんか……。
ああ、そうか。
これは夢じゃない。
夢じゃなかった。
「……ティナ」
そして僕は愛しい人の名前を呟いた。
「っ……マサキ!」
そうして飛び込むように僕に抱き着いた彼女を僕は受け止めた。
ぎゅっと抱きしめた。
とても暖かかった。
ああ、なんて、暖かいんだ――。