原始人戦記 ~原始時代に転生した自衛隊員の話〜   作:いぬがみとうま

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第3話:餓死の足音

 

 洞窟の外へ一歩踏み出した瞬間、肺の奥まで凍てつくような冷気に襲われた。

 

 雪の結晶が混じる乾燥した冷気ではなく、湿った腐葉土と、濃密な「獣の気配」が混じり合った、重苦しい湿気を含んだ寒さだ。

 俺はリアの細い肩に体重を預け、這うようにして集落の境界線へと向かった。

 

「ウル、無理しちゃダメ。まだ立つのもやっとでしょう?」

 

「……偵察は、生存の基本だ。これを怠れば、寝ている間に死に近づく」

 

 掠れた声で応えるが、実際に視界が霞むほど身体は悲鳴を上げている。

 眼前に広がるのは、雄大という言葉では足りないほどに巨大な原生林だった。

 

 現代の山岳で見かけるそれとは、樹木のスケールが違う。空を覆い尽くす巨木の枝葉が、わずかな日光さえも奪い去り、森の入り口は昼間だというのに底なしの闇を湛えていた。

 

 俺はレンジャーの経験で地形をスキャンする。

 動物の足跡、泥の跳ね方、風の抜ける方角。

 だが、その結果は無慈悲なものだった。

 

 ――現状報告。

 今のこの貧弱な肉体では、捕食者の格好の餌食になる。歩兵としての機動力は零。この絶望的な戦力差を埋めるには、真っ向勝負など論外だ。

 

 

 洞窟へ引き返した俺は最も奥にある暗い一角を通りかかった。

 そこには、部族の「明日」を担うはずの子供たちが集められていた。

 

 異様な光景だった。

 数人の赤ん坊がいるが、誰一人として泣いていない。

 普通、空腹なら泣き喚くはずだ。だが、彼らはただ虚空を見つめ、浅い呼吸を繰り返している。

 

 泣くためのエネルギーさえ枯渇した、極限の栄養失調。生物として、子供たちはすでに「生存の優先順位」を最低レベルまで引き下げ、死を受け入れ始めている。

 

「……あの子たち、もうずっと声を出さないの」

 

 リアが悲しげに瞳を伏せる。

 自分の指を一人の赤ん坊に吸わせている女の姿が見えた。

 彼女の献身は、美しい。だが、俺の中の戦術家は冷酷に計算を弾き出す。

 

 あと三日だ。

 それが、この群れが意思を持って動ける限界だ。

 四日目には、全員が横たわったまま動けなくなり、五日目には冷たい肉の塊に変わるだろう。

 

 ゴルゴンのような力押しの狩猟には、不確定要素が多すぎる。あんな非効率な博打に、部族の命を預けるわけにはいかない。

 

 必要なのは、こちらから獲物を「選ぶ」ことではない。

 獲物の側からこちらへ飛び込ませることだ。

 

「リア、茂みにあった蔦を採ってきてくれ」

 

「あの苦い草? 食べられないわよ?」

 

「食うためじゃない。……命を繋ぐためだ」

 

 彼らがただの雑草だと思っている、繊維の強い蔦。

 俺の目で見れば、それは立派な括り罠(スネア)のワイヤーだ。

 

 現代のパラコードも鉄製のワイヤーもないこの世界で、代替品を見つけ出すのは困難を極める。だが、代わりになる素材の「強度」を見極める感覚だけは、俺の経験に刻まれている。

 

 石片を使い、蔦の表面を削る。指先に食い込む痛み。この痛みこそが、自分がまだ「戦う方法」を失っていないという実感に変わる。

 

「ウル……何を作ってるの?」

 

「……罠だ」

 

「罠? なに? 罠って」

 

 罠という物をしらないリアは首をかしげるが、俺は説明をせずに仕掛けを作る。

 

 

 

 俺は震える手で、獣道と思われる微かな痕跡を見極め、最初の罠を仕掛けた。

 獲物の自重を利用し、足を締め上げる。単純だが確実な仕掛けだ。

 動物の習性を利用した、目に見えない罠。素材が自然のものだから、なおさら気付かれづらいだろう。

 

 リアが不思議そうに眺めている。彼女の瞳には、まだ俺の行動への疑念が混じっていた。

 当然だ。彼らの常識では、獲物は追いかけて仕留めるものなのだから。

 

「ウル、そんなもので本当に獲れるの?」

 

「……こいつは小動物用だ。だが、明日の朝にはここに肉が転がっている。間違いなくな」

 

 俺は彼女の目を見つめ、掠れた声で告げた。

 これは奇跡でも呪いでもない。現代戦術の転用だ。

 

「リア、俺がやったとおり、同じように仕掛けてくれ」

 

「う、うん。でもどこに仕掛ければいいの?」

 

「こういうところだ」

 

 草が一方方向に寝ている小動物の通り道。点在する罠を仕掛けるべき場所を指示すると、リアは器用に設置していく。

 

「驚いた……もっと苦戦すると思ったが、一度見ただけで再現するとはね」

 

「私、細かい作業は得意なの」

 

 これならば、より多くの食料が確保できる。

 

 

 括り罠の設置を終えた俺達が、洞窟に戻ろうと背を向けたその時。

 森の遥か深淵から、大気を震わせる地鳴りのような咆哮が届いた。

 

 ――大角熊。

 

 この集落の終わりを決定づける捕食者の声だった。

 

 




――――――ଘ(੭ˊウˋ)੭✧あとがき✧――――――
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