原始人戦記 ~原始時代に転生した自衛隊員の話〜   作:いぬがみとうま

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第6話:力こそが正義

 

 洞窟内を支配していたのは、湿った土の臭いと、いつも以上に強く感じる腐臭だった。

 

 焚き火の爆ぜる音さえ、今のこの集落には絶望的な音に聞こえている。

 広場の隅で、ゴルゴンが拳で岩壁を殴りつけていた。

 

 皮の剥けた拳から血が滴っているが、彼は構いもしない。彼にとって、昨夜、大角熊に獲物を強奪された事実は、自尊心を粉々に粉砕される敗北そのものだった。

 

 ――軍事心理学的分析。

 原始的な共同体において、リーダーの武勇は唯一の統合原理だ。その象徴であるゴルゴンが圧倒的な力に屈した今、組織の紐帯は限界まで引き絞られ、破綻の寸前にある。

 

 彼が理性的判断を失い、獣に対する復讐という無意味で非合理な動機に駆られているのは、崩壊しつつある己の権威を繋ぎ止めるための、本能的な防衛反応と言えた。

 

 

 

 そんな喧騒から離れた洞窟の最奥で、俺は黙々と作業を続けていた。

 

「……ウル、まだそれを削っているの?」

 

 リアが不安げに覗き込む。俺の手にあるのは、堅い広葉樹の枝を削り出し、先端に独特の(フック)を設けた一本の棒――倍力装置(フォース・マルチプライヤー)、アトラトルだ。

 

「力とは何か、リア。それは単なる筋肉の量ではない。俺みたいな非力な者でも戦える……すなわち加速度と梃子の原理を、いかに効率よく一点に集中させるかだ」

 

「なにを言ってるか理解できないよ、ウル……」

 

 真理がある。

 石器時代の技術レベルであっても、梃子(テコ)の原理を利用すれば、人の腕の長さを仮想的に拡張できる。それによって槍に与えられる運動エネルギーは、人の手による投擲を遥かに凌駕し、音速に近い初速で対象を貫く。

 

 俺は手首の返しを完璧に伝えるためのカーブを削り出し、滑り止めの溝を彫り込んだ。

 

 その時、広場が一段と騒がしくなった。

 

「行くぞッ! 動ける者は槍を持て! 奴を殺し、肉を奪い返す。それができないこの集落に、生きる価値などない!」

 

 ゴルゴンの咆哮が響く。傷ついた戦士たちが立ち上がった。

 俺は作業の手を止め、彼らの前に立った。

 

「やめておけ。今のその装備では、大角熊には勝てない。無駄死にを増やすだけだ」

 

 俺の警告に、ゴルゴンが血走った瞳を向けてくる。

 

「黙れ、役立たずのガキが! 獲物を奪われて震えているだけの臆病者に、戦士の誇りを語る資格はない!」

 

 ――戦術的総括。

 偵察を欠き、敵の防御能力を完全に無視した「正面突破」は、兵法上の禁忌だ。負傷者を抱えたままでの戦力の逐次投入。それは戦術ではなく、ただの集団自殺に過ぎない。

 

 俺の制止を振り切り、ゴルゴンたちは森へと消えていった。

 俺は溜息をつき、腰紐に予備の槍を差し込むと、リアを伴って彼らの後を追った。助けるためではない。この身体で、その実戦データを観測(オブザベーション)するためだ。

 

 

 

 原生林の深部。立ち込める霧の向こうから、凄まじい咆哮が轟いた。

 

 大角熊が、奪った牙猪の肉を喰らっていた。

 そこへゴルゴンたちが、怒号とともに突撃を仕掛ける。

 

「突け! 目を狙えッ!」

 

 数本の槍が熊の体表を叩いた。

 だが現実は、無惨なものだった。

 槍先は熊の厚い皮に弾かれ易々と折れた。

 

 熊の反撃は、一瞬だった。

 大木のような前足が薙ぎ払われる。

 

 回避行動さえ間に合わず、一人の戦士が跳ね飛ばされた。木に叩きつけられたその身体はへし折れる。

 逃げ惑う男たち。ゴルゴンもまた、熊の圧倒的な突進をまともに受け、重傷を負って敗走を余儀なくされた。

 

 ――戦闘評価報告。

 大角熊の打撃における破壊力は、現代の生物の限界を超えている。だが、観測の結果、一つの脆弱性(ウィークポイント)を見出した。

 奴の皮膚は、首の付け根と脇の下、そのわずかな隙間だけが、唯一、槍を通し得る。

 

 

 

 日没。

 集落に戻ってきたのは、泥と血に汚れ、魂を抜かれた抜け殻のような男たちだった。

 部族最強と信じられていたゴルゴンの権威は、もはや失墜している。

 絶望に沈む一同の前に、俺は完成したばかりのアトラトルを手に進み出た。

 

「……ウル、何をするつもりだ。もう終わりだ、すべて……」

 

 族長バランが、力なく呟く。

 俺は無言で、立ち枯れた一本の大木を見据えた。

 槍をアトラトルの鉤にセットし、大きく振りかぶる。

 

 空気が割れた。

 

 凄まじい風切り音が洞窟に響き渡る。

 放たれた槍は、人の手では不可能な初速で空間を切り裂き、乾いた大木に命中した。

 

 ドォンッ、という、重い衝撃音。

 槍は深々と木目に突き刺さっていた。

 

「……な、なんだ、今の……」

 

 ゴルゴンが、震える声で漏らす。

 俺は大木に歩み寄り、深く埋まった槍を抜かずに、彼らを見下ろした。

 

「力とは筋肉のことではない。敵を殺し、生き残るための方法のことだ。……明日、あの熊を殺しに行く。生きる意思がある者は、俺の知恵に従え」

 

 部族の視線が、ゴルゴンから「ウル」という一人の少年へと移り変わった。

 覇権の移動(パラダイム・シフト)

 

 暴力の支配が終わり、知略による文明が産声を上げた瞬間だった。

 

 

 




――――――ଘ(੭ˊウˋ)੭✧あとがき✧――――――
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