原始人戦記 ~原始時代に転生した自衛隊員の話〜 作:いぬがみとうま
立ち枯れた大木の幹には、俺が放った槍が深く突き刺さったままだ。
翌朝、広場に集まった若者たちは、その槍と俺の顔を交互に見て、蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。
その隅では、昨日の敗走で全身に泥と血をこびりつかせたゴルゴンが、苦々しげにこちらを睨んでいる。だが、その瞳にはかつての傲慢さはなく、理解不能な力に対する得体の知れない恐怖が混じっていた。
――軍事教育的アプローチ。
今、彼らに必要なのは激励ではない。圧倒的な
個人の武勇に依存する「狩猟」は、不確定要素が多すぎる。
組織として機能し、確率で敵を圧倒する「軍事行動」へと、彼らの意識を強制的にアップデートさせる必要がある。
「いいか、みんな。俺が教えるのは、英雄になる方法ではない」
俺は低く通る声で告げた。
「誰一人欠けずに、獲物を殺して戻る方法だ。英雄になりたい奴は今すぐ森へ行って死んでこい。生きたい奴だけ、そこに並べ」
若者たちは顔を見合わせ、やがて一人、また一人と俺の前に列を作った。
リアがその横で、どこか誇らしげに俺を見つめている。
まずは
俺は全員に、同じ長さの枝、同じ重さの石、同じバランスのアトラトルを作らせた。
これまでの彼らの槍は、各自が思い思いに作ったバラバラの代物だった。だが、俺は「標準化」を徹底させた。
――兵器の標準化。
誰が持っても同じ性能を発揮し、戦場で仲間が落とした槍を拾っても違和感なく使える。
この「互換性」こそが、近代軍隊の基礎であり、集団戦闘における生存率を飛躍的に高める鍵となる。
リアが率先して木を削り、女性や子供たちも穂先になる石を集め始めた。洞窟の前は、さながら原始の兵器工廠(アーセナル)と言ったところか。
昼過ぎからは、
「右、左、右、左! 列を乱すな! 隣の奴の肩を見ろ!」
原始の若者たちにとって、「命令に従って歩調を合わせる」という行為は未知の体験だろう。
最初は足がもつれ、互いにぶつかり合い、混乱が広がった。
俺は手にした木の棒で、乱れた列を叩いて修正する。
「足が止まっているぞ! 横の奴が死んだらお前も死ぬと思え! 呼吸を合わせろ!」
何度も、何度も。泥にまみれ、息が切れるまで同じ動きを繰り返させる。
――規律の心理的効果。
極限状態において、人間を動かすのは勇気ではない。それは、思考を介さずに身体が動く「条件反射」だ。
規律こそが、大角熊という死神を前にした時に、身体を硬直させない唯一の防壁となる。
一人で戦えばただの獲物だが、十人が一つになればそれは「壁」になる。その感覚を、彼らの筋肉に刻み込んでいく。
夕刻、崖下の仮設練習場でアトラトルの投射訓練を行った。
俺はまず、アトラトルの正しい持ち方と、手首のスナップの重要性を説いた。
「ただ投げるんじゃない。アトラトルが腕の延長だと思え。最後の一押しで、槍に回転を乗せるんだ」
シュッ、と鋭い風切り音が連続して響く。
若者たちが放った槍が、三十メートル先の標的に次々と突き刺さった。最初は届かなかった槍が、コツを掴むたびに飛距離を伸ばし、標的を深く穿つ。
「すげえ……あんなに遠くまで、重い槍が飛んでいく……!」
一人の若者が、自分の手を見つめて震える声を出した。
――アウトレンジ攻撃の優位。
敵の牙が届く距離を避け、一方的に損害を与える。
近代戦の鉄則を石器時代に持ち込めば、それはもはや一方的な蹂躙になる。彼らの瞳には、恐怖ではなく、獲物を追い詰める猟犬の鋭い光が宿り始めていた。
その日の夜、俺は焚き火の傍らで地面に砂を盛り、石を並べた。
「これが地形図だ。よく見ろ」
砂上の
俺は指で地面に谷間の絵を描き、石を配置していく。
「大角熊は、この
石を指差し、役割を割り当てる。
「一つの班は、この出口を塞げ。槍を構えて壁になれ。奴が突っ込んできても、絶対に列を崩すな。後ろには、もう一つ班が控え、奴の気を引く。……囮役だ。だが、死ぬ必要はない。俺の合図で、この大岩の影へ飛び込め」
若者たちが固唾を飲んで俺の手元を見つめる。
「主攻部隊は、この高台に陣取れ。奴が隘路に入った瞬間、アトラトルで一斉射撃を浴びせる。狙うのは奴が前脚を上げた瞬間、露出する脇の下だ。そこだけが、奴の心臓に届く弱点だ。……分かったな。これは個人の手柄を競う場じゃないからな」
――
敵を一点に追い込み、逃げ場を奪い、最大火力を集中させる。
大角熊は、もはや畏怖すべき死神ではない。
重たい雰囲気が今夜は心地よい緊張感へと変わっていた。
明日、俺たちは「死神」を殺しにいく。
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