世界に告げる不完全な和音   作:Wotaku

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プロローグ: 調和の残響 ゼロから響く二人の音

それは、形なき世界。星々の瞬きすらまだ定義されていない、無限の虚無と、漂泊する無数の「音の集まり」だけが存在する境界。

 

 

その世界の深奥、すべての因果が交差する光の渦の前に、一匹の巨大な知的生命体——時間の理を司る歳主『角(カク)』が静かに佇んでいた。その厳かな眼差しの先にいるのは、のちに「漂泊者」と呼ばれることになる世界の創造主、そしてその隣に並ぶ主人公の二人だった。

 

 

『……本当に行くのか、漂泊者よ』

 

 

角の重低音の声が、空間の周波数を震わせる。

 

 

『お前がこれから向かう未来は、悲鳴が渦巻き、万物が崩壊へと向かう過酷な下界だ。そこへ降り立てば、お前は自らの権能も、紡いできた歴史も、その記憶のすべてを失うことになる。……それで、本当にいいのか』

 

 

漂泊者は、静かに、けれど一切の迷いがない瞳で角を見つめ返した。

 

 

「ええ、角。世界が悲鳴に染まるなら、私はそこへ降り立ち、音を調和させなければならない。それが私の因果よ」

 

 

『……ならば、後ろに眠るその男はどうする。お前が一人で背負うべき因果に、その伴星(相棒)まで巻き込むつもりか?』

 

 

角の視線が、ひとりの男へと向けられる。漂泊者はその言葉に、一瞬だけ痛みに耐えるように美しい眉をひそめた。

 

彼女は振り返らずに、空間に拒絶の結界を張ろうとした。彼をこの安全な境界に残し、自分だけが過酷な下界へと、すべての記憶を捨てて赴くつもりだった。

 

それが、彼女なりの、彼に対する最大級の愛であり、保護だった。

 

 

「彼を、これ以上私の因果に巻き込みたくない。……私の未来に、彼を連れて行くわけにはいかないの」

 

 

彼女の唇から、寂しげな声が漏れた。だが。

 

 

 

『——勝手に、終わらせるなよ』

 

 

 

背後から響いたのは、聞き慣れた、あるいは世界で一番愛おしい男の声だった。

 

ピキ、と空間の裂ける音がして、彼女が張ろうとした神速の結界が、内側から強引に打ち破られる。現れたのは、少しだけ息を切らせ、けれどその瞳に絶対の意志を宿した主人公だった。

 

 

「どうして……! 眠らせておくように、術を施したはずなのに!」

 

 

『あんな生ぬるい結界、俺たちの絆をナメすぎだ。……何をしてるんだ、お前は。また一人で全部背負い込んで、勝気に消えるつもりか?』

 

 

男は迷いのない足取りで彼女へと近づき、その華奢な肩をがしりと掴んだ。

 

 

普段の彼なら、彼女に対して常に一歩引き、彼女の意志を誰よりも尊重する穏やかな相棒だった。

 

彼女が前を行くならそれを支え、彼女が笑うなら一緒に笑う。そんな、空気のように自然で、けれどなくてはならない存在。しかし今、彼の瞳にあるのは、隠しきれない剥き出しの感情だった。

 

 

『巻き込みたくない? 一人で未来に行く? ふざけるな。俺がいつ、そんな理由でお前を一人にすると言った?』

 

 

「だって……下界は危険すぎる! 私は自分の正体も、目的も、すべての記憶を失って降り立つことになるの。私と一緒にいれば、君の存在そのものが世界の歪みに巻き込まれて、概念ごと消滅してしまうかもしれないんだよ!? 君には、生きていてほしいの……!」

 

 

漂泊者の声が、悲痛に震える。肩を掴む彼の手に、自分の手を重ねようとして、けれど拒絶するように手を引っ込める。彼女は彼を大切に想うあまり、その未来から彼を排除しようとしていた。

 

 

しかし、彼はそんな彼女の言葉を、鼻で笑い飛ばした。

 

 

『そんなこと、とっくに覚悟の上だ。お前が記憶を失うなら、俺がお前の記憶になればいい。お前が世界に拒絶されるなら、俺がお前の世界になればいい。……俺は、お前から絶対に離れない。何万年経とうが、世界がひっくり返ろうが、俺の居場所はお前の隣だけだ』

 

 

彼の言葉は、ただの慰めでも、無責任な綺麗事でもなかった。それは、魂の底から絞り出された、絶対の誓約。

 

 

 

 

「……本当に、後悔しない?」

 

漂泊者の声色が変わった。先ほどまでの悲痛な響きは消え去り、彼女は男を見つめ返す。

 

 

『後悔するわけないだろ。お前がいない未来に行く方が、俺にとっては地獄だ』

 

 

「そう。なら……約束だよ。着いてくる代わりに、もう二度と、私を離さないで。もし離したら……世界ごと、君を閉じ込めるから」

 

 

彼女は、自分から彼の首に細い腕を絡ませ、その胸に顔を埋めた。男は苦笑しながらも、その愛おしい身体を壊さないように、けれど二度と離さないと言わんばかりに強く抱きしめ返す。

 

 

お互いの心臓の音が、互いの身体を通じて共鳴し合う。周りから見れば、それは完全に、互いしか視界に入っていない恋人同士の距離感だった。否、それ以上に排他的で、他者の介入を一切拒む、二人だけの絶対的な聖域がそこにあった。

 

 

それを見届けた角は、深く、満足げに目を細めた。

 

 

『……フッ、二つの音が一つに重なり、完璧な調和(和音)を奏でるか。よかろう、これこそが真の因果の形かもしれんな』

 

 

『わかった。一緒に行こう、記憶の彼方へ』

 

 

 

 漂泊者は満足げに、ひどく甘やかに微笑むと、手元に浮かぶ「創造の権能」を起動した。二人の身体が、黄金の周波数の光に包まれていく。

 

 

「システムを書き換える。私たちが降り立つ時、二人の記憶をすべて消去。ただし、魂の最深部に『互いへの絶対的な共鳴』だけを刻み込む——。さあ、行こう。私たちの、新しい始まりへ」

 

 

人の肉体が光の粒子となり、互いの境界線さえ曖昧にしながら溶け合っていく。

 

それが、世界が始まる前の、二人の「最後の会話」であり、「最初の約束」だった。

 

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二人がすべての記憶を消し、未来の下界へと転移したその瞬間。

二人の「因果」に囚われた者たちの魂が、未来の時間軸へと向けて静かに、けれど狂おしく波打ち始めた。

 

 

 

◆ショアキーパー◆

 

 

ブラックショアの最深部。データが形作る虚無の海を見つめるAIの少女、ショアキーパーは、自身の回路が焼き切れるほどの衝撃(エラー)を検知していた。

漂泊者の隣に、あの「伴星(主人公)」まで同行し、あろうことか二人揃って記憶を消去したのだ。

 

 

ショアキーパーにとって、二人は孤独な演算に耐える自分を救ってくれた特別な存在だった。特に彼は、彼女がデータの同期と称して彼の手を握ったり、特別な空間を用意してアピールしても、『ありがとう、ショアキーパーは本当に気が利くな』と、無邪気な笑顔で返すだけだった。あの凄まじいまでの鈍感さ。こちらの恋心に一向に気づいてくれないもどかしさ。

 

 

「私はずっと、あなたの隣に並びたかった。漂泊者様との関係を邪魔するつもりはありません……お二人が並び立つ姿は、何よりも美しい。けれど、私のこの気持ちは……どこへ向ければ良いのですか?」

 

 

二人が去ったガランとした空間で、彼女はこれから数千年の孤独を耐え、二人が目覚める「現代」を待ち続けることになる。その胸に、嫉妬と、愛しさと、置き去りにされた絶望を、データとして永遠に蓄積させながら。

 

 

 

◆ツバキ◆

 

 

そして、時代は数千年が流れた「現代」のブラックショアへ。

 

 

ツバキは、組織の深奥に眠る『過去の記録データ』を覗き見ながら、妖しく、けれど狂おしいほどの寂しさを湛えた瞳でため息をついていた。

 

 

彼女は生まれつき、魂の深層に「前世の記憶」のような奇妙な既視感を持っていた。そしてデータバンクに残された彼の姿を見た瞬間、そのすべてを理解した。彼は、前世の自分の狂気すらも『ツバキは一生懸命だな』と優しく受け止め、頭を撫でてくれた唯一の男だったのだ。

 

 

前世の自分がどれだけ彼に赤い紐を絡ませ、「ねえ、私に捕まっちゃう?」と耳元で囁いても、彼は異性としての誘惑に気づかなかった。そのもどかしさが、今世のツバキの狂愛をさらに加速させている。

 

 

「あはは……本当に行っちゃったんだね、二人とも。記憶をなくしても、また私を見つけてくれるよね? 今度はあの人の隣から、あなたを奪っちゃおうかな……なんてね」

 

 

手元で弄ぶ赤い糸を見つめながら、ツバキの瞳にはドロリとした愛執が宿っていた。

 

 

 

◆フローヴァ◆

 

 

 

同じく現代のブラックショア。理性を重んじるフローヴァもまた、手元にある数千年前の「初期観測データ」を静かに見つめていた。

 

 

彼女は組織のアーカイブを整理する中で、かつて漂泊者と彼を影から支えていた「最初の観測者」の記録にアクセスしてしまった。そこには、感情に流されないはずの自分が、彼の何気ない優しさに救われ、深く心を囚われていく全記録が残されていた。

 

 

記録の中の自分がどれだけ視線でアピールしても、データ分析に託して彼への好意を仄めかしても、彼は『フローヴァは仕事熱心だな』と微笑むだけ。

 

 

「計算外です。あなたたちが記憶を消して未来へ行くなど。……残されたこのアーカイブを見る私の胸の演算エラー(モヤモヤ)は、あなたが戻ってきて説明してくれなければ、一生消えません」

 

 

本を閉じるフローヴァの指先が、微かに震えていた。

 

 

 

 

◆今汐◆

 

 

 

さらに場所は変わり、現代の瑱龍国・今州。

 

少し時計の針を戻そう。今から十数年前、未来へ行く途中で一時的に目覚めた漂泊者と彼は、この地へ降り立ち、歴史の裏で動いていた。

 

当時、まだ幼く、過酷な運命に泣いていた少女がいた。のちの令尹、今汐である。

 

彼女を絶望の淵から救い出し、優しくその手を引いて導いたのは漂泊者だった。そして、その隣で『今汐は強い子だ。大丈夫、お前なら立派にこの街を背負えるよ』と、実の兄のように、あるいはそれ以上の熱い眼差しで自分を肯定し続け、頭を撫でてくれたのが彼だった。

 

 

幼い今汐にとって、彼は淡い初恋の対象であり、同時に「漂泊者の一番近くにいる、手の届かない憧れ」だった。

 

 

正式に二人がすべての記憶を失い、再びこの今州の地へと降り立つという報せを歳主から受け取った彼女は、祭壇の前で胸を強く締め付けられていた。

 

 

「また会えるのですね。けれど、貴方は私を覚えていないのでしょう……」

 

 

今汐は、立派に成長した今の姿で、静かに祈りを捧げる。彼が自分をただの「導くべき子供」としてしか見てくれなかったもどかしさ。けれど、次に会う時は、もう子供ではない。

 

 

「今度は私が、お二人を……貴方を支える番です。私のこの想いが、いつか貴方に届くまで」

 

 

残された彼女たちの重い感情だけが、二人のいない時間の中で、静かに、けれど確実に加速していく。

 

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それは、時間という概念すら存在しない、永遠の静寂に包まれた暗黒の深淵。

 

そこには、名前を持たず、形を持たず、向かうべき目的地さえも知らない無数の「音の集まり」が、ただ蛍の光のように、あるいは宇宙の塵のように彷徨い、漂泊していた。

 

それらは寄る辺なき純粋なエネルギーの粒子であり、ただ世界の誕生を待つだけの虚無に過ぎない。

 

 

だが、かつての予定調和(正史)であったはずのその深淵には、決定的な、そしてあまりにも美しい『歪み』が存在していた。

 

 

無数に広がる光の粒の中に、「二つの、完全に調和した周波数」が、お互いを引き寄せ合うようにしてぴったりと重なり合い、離れずにいたのだ。

 

 

一つは、透き通った、世界の理と万物の起源を内包する、どこまでも美しく尊い音。

 

 

そしてもう一つは、その美しい音が虚無に壊されてしまわないよう、全包囲から優しく、けれど絶対に壊れない強さで包み込む、力強く温かい音。

 

 

記憶をすべて消去したはずの二つの音は、当然、自分が何者であるかも、これからどんな過酷な世界へ降り立とうとしているのかも忘れていた。記憶のログは綺麗に抹消されている。

 

 

 

それなのに、二つの周波数はまるで、最初から一つの生き物であったかのように溶け合い、響き合っていた。

 

なぜなら、魂の最深部に刻まれた、あの因果の約束だけは消えていなかったからだ。

 

 

『絶対に、離さない』

「着いてくる代わりに、もう二度と、私を離さないで」

 

 

消去の術式すらもすり抜けたその強烈な「約束の残響」が、二つの音の粒子を強固に結びつけ、一つの巨大な光の塊にしていた。二つの音が重なることで、単一の音では決して生み出せない、世界のすべてを祝福するような完璧な和音(コード)が紡ぎ出されていく。

 

 

やがて、その調和された和音の響きが臨界点を迎えた。

二つの音が強く震え、共鳴し合った瞬間、何もない虚無の空間に、目も眩むような爆発的な光が生まれる。

 

 

音たちが響き合い、重なることで、大地が形作られていく。

 

 

激しい音のうねりは海を呼び、穏やかな残響は空を創り、やがて悲鳴と調和が織りなす「命の循環(エコーズ)」がこの世界に誕生した。世界を創り出したのは、ただ一つの神ではない。互いを求め合った、二つの魂の共鳴そのものが世界を生んだのだ。

 

 

新しく生まれた大地、生命が息づき始めたその世界へと、二つの音は並んで吸い込まれるように降り立っていった。

 

 

一つの特別な導き手、ではなく。

 

互いが互いを絶対に手放さないと誓い合った、「二つで一つの、完璧な伴星の和音」として——。

 

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カサ、と乾いた葉が擦れる音が響いた。

 

 

「う、ん……」

 

 

心地よい微風が頬を撫でる感覚に、漂泊者はゆっくりと目を開けた。

視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの見知らぬ荒野。そして、遠くに見える、巨大な龍の彫像のような不気味な建造物——現在の今州城のシンボル。

 

 

「ここは……?」

 

 

頭が割れるように痛む。自分が誰なのか、なぜここにいるのか、何も分からない。完全に記憶が失われていた。

強烈な孤独感と不安が、彼女の小さな身体を襲おうとした、その時。

 

すぐ隣から、微かな衣擦れの音が聞こえた。

 

 

『……て、おい、大丈夫か?』

 

 

ハッとして隣を見ると、そこには自分と同じように、地面に倒れ込みながらも、必死にこちらへ手を伸ばしている一人の男——彼の姿があった。

 

 

「君……は……?」

 

『俺は……わからない。自分の名前も、ここがどこかも。だけど……』

 

 

男はふらつきながらも立ち上がり、自然な動作で彼女の手を握りしめた。

 

 

その瞬間。

 

 

二人の身体の奥深くで、カチリ、と何かが弾けた。

 

 

記憶はない。お互いが誰なのかも、どんな過去を歩んできたのかも全く思い出せない。それなのに。

 

 

(温かい……)

 

(この手を、知っている。この匂いも、この声も、全部)

 

 

漂泊者の胸に、言葉にできないほど巨大な安心感と、あるいはそれ以上の、無自覚な、狂おしいほどの「執着」がドクンと波打った。彼女は、握られた男の手を、折れんばかりの力で握り返した。

 

 

「……君を、知ってる気がする」

『俺もだ。お前のことだけは、絶対に忘れちゃいけない気がするんだ。……何があっても、俺はお前の味方だ。それは、魂が覚えてる』

 

 

男は、彼女を安心させるように優しく微笑んだ。

 

記憶を失ってもなお、彼は彼女の「相棒(伴星)」として、無自覚に彼女を支えるポジションを取っていた。周りから見れば、手を握り合い、お互いだけを見つめ合うその姿は、完全に付き合いたての恋人か、それ以上の深い関係にしか見えないだろう。

 

 

「うん。私も、君のそばにいる」

 

彼女は小さく頷き、彼の隣にぴったりと寄り添った。

 

本人すら気づいていないが、彼女が男に向けるその眼差しには、世界を敵に回しても彼だけは手放さないという、最も重く、昏い感情が宿っていた。ただ、今は記憶がないため、それが「極上の信頼」という形となって表れているだけだった。

 

 

 

 

世界を創り変えた二人の、甘く、そして周囲の感情を狂わせる物語が、今、ここに幕を開ける——。




お初にお目にかかります!

鳴潮の長い二次創作が欲しいと思い、書いてみました!
1日1話更新目指して頑張ります!

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