月の王とかぐや姫 作:名無しのマスター
「……」
次の日の正午過ぎ、私は彩葉の部屋の前に立っていた。あの後、彼女は思いつめたような顔をして『話すのは明日にしたい』とお願いしてきた。さすがにこれ以上、無理強いするのは逆効果だと判断した私はそれを承諾。そして、今に至る。
とりあえず、インターホンをポチリ。ほどなくして扉が開き、チラリと彩葉が顔を覗かせた。どこか怯えたような表情をしているのは気のせいだろうか。
「えっと、中へどうぞ」
「お邪魔します」
彼女に促され、部屋の中へ。そこは半年前、私が引っ越して来た時と同様、ほとんど何もない部屋だった。いや、冷蔵庫などの最低限の家電のみでテーブルすらない部屋なため、私の時より何もないかもしれない。節約のために食費を限界まで削っている状況だ。家具を揃える余裕もないのだろう。よく見れば冷蔵庫も新品ではなく、中古のようだ。
「何もない部屋ですが……あ、どうぞ。お茶です」
「ご丁寧にどうも」
あらかじめ用意していたのか、麦茶で満たされたコップを差し出す彩葉。それを受け取って口に含む。うん、水出しの麦茶だ。多分、私が使っているのと同じもの。
「……」
床に置くわけにもいかず、コップを持ったまま、彼女を見つめる。居心地が悪いのか、彩葉はもじもじとしていた。そして、意を決したように深く息を吸う。
「……そんな大げさな話じゃないんです」
それから彼女は静かに話し始めた。
優しい父親。厳しいけど格好いい母親。少し意地悪だけど一緒に遊んでくれる兄。そんな家族を彩葉は大好きだった。
しかし、歯車が狂い始めたのは父親の死からだった。死因は交通事故。彼女がまだ六歳の時だった。
それから母親はこれまで以上に厳しくなった。何をしても小言を言われ、少しずつ彼女の心を追い詰めていく。それでも兄が二人の間に入ってくれたおかげで何とかなっていた。
だが、そんな生活は兄が突然、上京することとなり、一瞬で崩れてしまう。母親と二人きりの生活。彩葉の心はどんどん蝕まれていった。
そんな時、出会ったのが『月見ヤチヨ』だった。プロゲーマーとして活動している兄を追っている過程で見つけた電子の歌姫。彼女の歌声に彩葉は心を打たれ、一瞬で虜になった。
「ヤチヨがいたから何とか耐えられた。歌を聞いたり、配信見たり……ヤチヨを見てる時は嫌なこと、全部忘れられた。ヤチヨがいなかったら今頃、どうなってたんだろ」
しかし、それでも限界は来る。我慢の限界に達した彩葉は衝動のまま、母親の反対を押し切り、祖父母の力を借りて東京で一人暮らしすることにしたのだ。
そのせいで母親からの仕送りはなし。彼女を心配した祖父母は援助してくれているものの、それだと母親は納得しないだろうとそのお金には手を付けずに生活していくと決めたらしい。
「――その結果が昨日のアレ。迷惑をかけてすみませんでした」
彩葉は頭を下げた後、こちらに封筒を差し出した。受け取って中身を見れば千円札が二枚。私が頼んだ牛丼とラーメン代。話をすればお金はいらないと言ったはずなのにきっちり払おうとするのは彼女が真面目だからだろう。
「……」
でも、私にはそれが他人を拒絶する彼女の心そのものに見えた。そして、拒絶の奥には必ず、その人の隠しておきたい本心がある。ましてや、相手は年頃の女の子。他人に知られたくない秘密は多いだろう。そう、それはまさに『秘密の花園』。
ここでこれを受け取ればきっと、彼女との関係は終わる。本当に話を聞いただけで終わる。
ああ、それでいいじゃないか。そうすれば私と彼女は同じアパートに住む同級生に戻り、ヤチヨが目指した未来は約束される。全員が幸せになれる未来が待っているのだ。たとえ、そのあとに輪廻が繰り返されるとしても。
それで――いいわけあるか。未来が幸せなら今を苦しいままにしていいわけがない。だから、私はあえてその
「受け取っていいの?」
「え?」
「本当に受け取っていいの?」
私の問いに彼女は目を白黒させる。何を言っているのかわからない。そんな反応だ。それでも私は何も答えない。
「それ、は……岸波さんのものなので」
「私はすでに対価を受け取ってる。このお金は必要ないものだよ」
「それでも! お金は、大事だから……」
「だから、返すの? 必要ないって言ってる人に押し付けるの?」
ただ、私は事実を述べる。それだけで彩葉の顔色が悪くなっていく。きっと、母親にも同じように理詰めされていたのだろう。
「せやけど……私は一人で生きていかなあかん。お母さんはできたから私にもできるんやって」
動揺しているからだろうか。不意に彼女の口から方言が漏れる。同級生だと言っていたのにずっと敬語だったのは方言を隠すためだったのかもしれない。
「無理だよ、人間なんだから」
私は断言した。人間は一人で生きていけない。現代社会で生きていくのならどう足掻いても誰かと接することになる。仕事をするにも、学校に通うにも、買い物するにも。絶対にそこには人がいて、会話を交わし、交流する。それが群れる種族である人間というものだ。
「貴女のお母さんだって一人で生きてきたわけじゃないと思う」
「でも、お母さんは両親がいなかったから下の弟妹たちの面倒を見て、仕事をして、お金を稼いで、自立させたって……たった一人で」
「一人じゃないよ、それ」
「え?」
「だって、弟妹がいたんだよね? なら、一人じゃないよ」
確かに彼女の母親は一人でお金を稼いで弟妹たちを自立させたのかもしれない。でも、家に帰った時、そこには家族がいたはずだ。守るべき存在がいる。重荷になると同時に自らを奮い立たせる起爆剤にもあるそれが彩葉にはいない。その違いは天と地の差があるだろう。もちろん、その重荷に潰されてしまう人はいるため、それでもなお、やり遂げた彼女の母親のすごさは変わらないのだが。
「だから、そもそも比べる必要がない。前提条件が違う時点で比較する意味がない」
「……」
私の言葉を聞いた彩葉はただ茫然と私を見つめていた。
彼女はお母さんの言葉を信じ、その姿に憧れて、必死に手を伸ばしていた。でも、最も認めてほしい人に認められず、その理由を必死に探して――己のせいにした。
今までの『酒寄彩葉』が不甲斐なかったから母親に認めてもらえない。
今までの『酒寄彩葉』では足りないから母親に褒めてもらえない。
だから、努力した。
努力して、努力して、努力して、努力して。それでも、どんなに頑張っても母親には届かない。
そして、彼女の中で何かが切れた。プツン、と大きな魚が釣り糸を切ったようにあっけなく。
限界を迎えた彼女は何をしてもおかしくなかった。母親への攻撃。自殺。外界との拒絶。祖父母への
しかし、その中で彼女が取った行動は――『逃亡』だった。
「そう、だね……私は、逃げたんだと思う。もう、あの家にはいたくなかったから」
私の言葉を聞いた彼女は観念したように頷く。ああ、そうだ。誰だってそんな家にいたくないだろう。逃げ出したって仕方ない。そこで終わるのなら話はこんなにややこしくなっていないのだ。
「優しいね」
「な、にが? 私は、逃げたのに……」
「だって、彩葉、お母さんのこと、嫌いになりたくないから逃げたんだよね?」
「ッ――」
パキリ、と何かが砕ける音がした。それは彼女が胸の奥に隠していた
「何、言って……」
「だって、話を聞いてると彩葉のお母さんは子供に対する接し方じゃない。自立を促すって言えば聞こえはいいけど、それは相手がそれに耐えられるのが最低条件」
「……」
「彩葉は耐えられなかった。弱いからじゃない。
そう、その感情に名前を付けるとしたら――『
「だから、私は彩葉のこと、優しいなって思う。どこかに訴えたら虐待だって言われてもおかしくないのにそれをしたらお母さんを傷つけてしまう。自殺しても駄目。引きこもっても駄目。祖父母に助けても駄目。唯一、母親を傷つけない方法が……逃げることだった」
極限状態でも相手のことを思いやれる。それはなかなかできることではない。ましてや、逃げた後でも母親の背中を追いかけて餓死寸前まで頑張ってしまうような子だ。私はそんな『酒寄彩葉』に尊敬の念を抱いた。
だから、私が口にしよう。母親の代わり、などと傲慢なことは言うつもりはないがそれでも本来であれば誰かが言ってあげなければならなかった言葉だから。
「彩葉、よく頑張ったね。えらいえらい」
そう言って彼女の頭を優しく撫でた。少しでも彼女のこれまでが報われるように、と願いながら。
「……ぁ」
数秒ほど硬直していた彩葉だったが、不意にその目から涙が零れ落ちる。最初は一粒。一呼吸置いた後に二粒。そして、三、四と増えていき、粒はやがて一筋となってとめどなく流れていった。
「ぁ、ああ……」
それから彼女はゆっくりと私の方へと両手を広げる。まるで、幼子が母親に抱っこを求めるように。きっと、その役目は私ではないのだろう。母親か、それとも――。
「……おいで」
しかし、それを拒めるほど私は非情にはなれず、それを受け入れる。温もりが広がっていくのを感じながらこの後、どのように動くべきか思考を巡らせた。
(まぁ、何とかなるか)
そして、すぐに思考を放棄する。やってしまったものは仕方ない。あとは明日の私に任せよう。
――そういうところだぞ、マスター。
そんなことを考えると聞き覚えのない、聞き慣れた赤い誰かの声が聞こえた気がした。
fate/EXTRACCCで彩葉がセンチネルになった場合、階層のギミックとして
彩葉が『赤ちゃんプレイ』を強要してきます。
(ザビ子が)ママになるんだよぉ!!