白野が消えた。その事実を理解するまでそう時間はかからなかった。だって、あの彩葉が今にも死にそうな表情を浮かべていたのだ。嫌でもわかってしまう。
「……」
白野の部屋から帰ってきてどれだけ時間が経ったのだろうか。久しぶりに自分のベッドで横になってみたが眠気はいつまで経っても訪れない。お腹も空かない。配信もしたいと思えない。動きたくない。地球に来て二か月。こんな感覚は初めてだった。
「……」
右手が僅かに動いた時、何かに触れた。紙。そう、白野からの手紙だ。『かぐやへ』と書かれた封筒を彩葉から貰った気がする。
「……」
机の上に置かれたスマホが震えた。私の連絡先を知っている人は少ない。彩葉、芦花、真実だけ。ううん、もしかしたらSNSの通知音かも。いつもなら飛びついているのに今は動けない。まるで、自分の体じゃないみたいだ。
「……白野」
いつも私を助けてくれた白野。美人で、クールで、時々、変なことをする面白い女。ずっと一緒にいたいと思った大好きな女の子。彩葉と同じくらい――大大大好きな、白野。
本当にいなくなっちゃったのだろうか。やっぱり、ロンドンにいるはずだ。だって、白野は私の嫌なことはしない。優しい女の子だ。私が我儘を言っても仕方ないなって顔で手伝ってくれる子だ。だから、私は――。
「ぁ……」
ああ、そっか。私のせいじゃん。全部、私のせい。きっと、伝わってなかったのだ。どれだけ白野が大好きかって気持ちが。伝えたつもりだったけど、彼女には何も伝わっていなかった。だって、私は、教えていない。彩葉とは何度もやったけど、白野とはタイミングが合わなくて、やっていなかった。
「仲良しのやつ……教えてなかったなぁ……」
仲良しのやつ。私が考えた仲良しの合図。彩葉には教えたけど、白野には教えていなかった。もし、白野にも教えていたら違ったのだろうか。彼女は思いとどまってくれたのだろうか。消えることは避けられなかったとしても相談ぐらいしてくれたのだろうか。
「ぁ、くっ……」
でも、もうそれを教えてくれる人はいない。白野は言わなきゃ伝わらない、と言っていた。でも、その後に言ったとしても伝わらないこともある、と言っていたような気がする。
だから、私はもっと伝えるべきだったのだ。言葉で、態度で、表情で、行動で。何度も、何度も、何度も、何度も。白野のことが大好きだと――伝えなければならなかった。
「……白野ぉ」
そうしなければならなかったと気づいた時、その相手はもうどこにもいなかった。それを後悔しながら私はただ一人、涙を流し続ける。その間、思い浮かぶのは決まって白野の笑顔だった。
「……」
インターホンの音に気づいたのは偶然だった。ひたすら泣き続け、疲れていつの間にか眠って。少しだけ意識が浮上した時、タイミングよくその音が聞こえただけ。
「……」
もう一度、インターホンが鳴る。習慣とは恐ろしいもので私の体は無意識に動き、体を起こしていた。誰だろう。配信用に何か頼んでいただろうか。でも、今は誰とも会う気力が湧かない。来た人の顔を見て宅配なら居留守を使おう。
「……」
のそりと足を床に下ろし、立ち上がる。立つのってこんなに大変だったっけ? ただ立っているだけなのにフラフラする。それでも私は懸命に足を動かしてインターホンのある場所まで歩く。
「……ぁ」
インターホンの画面に映し出されたのは不安そうな顔で立つ芦花と真実だった。もしかして、私たちを心配してきてくれたのだろうか? そう思っていたら助けを求めるように私の指は勝手に応答ボタンを押していた。
「……は、い」
『ッ!? か、かぐやちゃん?』
私の掠れた声を聞き、芦花が目を丸くした。自分のことながら酷い声だ。可愛い声だねって白野が褒めてくれたのにこんなになっちゃった。
『……かぐや、今、会える?』
「……うん」
『じゃあ、今から行くね。玄関の鍵、開けててくれると嬉しいな』
「わかった……」
どこか思い詰めた顔で話す真実の言うとおり、私はフラフラと玄関まで移動して鍵を開ける。しかし、そこで眩暈がしてバランスを崩して背中から壁に倒れ込み、ズルズルとその場で座り込んでしまった。あ、やばい。こんな姿、芦花たちに見られたら心配かけちゃう。でも、もう動けない。どうしよう。
「お邪魔しま……かぐやちゃん!?」
「大丈夫!?」
案の定、玄関を開けた芦花と真実は私を見つけて慌てて駆け寄ってくる。随分と重たくなった頭を必死に動かして見上げれば今にも泣きそうな二人が私の顔を覗き込んでいた。
「芦花……真実……」
「とりあえず、リビングに行こ!」
「彩葉は!? まさか彩葉も!」
「部屋、にいると思う……」
そういえば、彩葉は大丈夫だろうか。私以上に白野と仲がよかったし、憧れだって言っていた。戦友とも呼んでいたっけ? そんな大切な存在が消えてしまったのだ。私よりも落ち込んでいるかもしれない。
ああ、それよりも――伝えなきゃ。白野がいなくなっちゃったって言わなきゃ。
「白野、白野ね……」
「かぐやちゃん、無理しなくていいよ!」
「話は後で聞くからね! 私、彩葉の様子見てくる!」
「うん、お願い! かぐ――して! ――やちゃ――――――!」
あれ、芦花と真実の声が遠くなっていく。どこに行くの? 白野と同じように消えちゃうの? やだ、消えないで。お願い。もう、こんな気持ちになるのは嫌だよぉ。
(いか、ないで……)
「かぐやちゃん!」
薄れゆく意識の中、誰かが私の手を掴んでくれた。
「彩葉!」
バタン、と大きな音と共に部屋に入ってきたのは真実だった。あれ、どうしてこんなところに真実が? もしかして、私たちを心配してきてくれたのかもしれない。
「大丈夫!? 生きてる!?」
「……うん」
とりあえず、生きてはいるので頷いておく。私が反応したことに安心したのか、彼女は安堵のため息を吐き、視線を落として私の目の前に置かれた手紙に気づいた。
「この、手紙は?」
「白野が……部屋に遺してた。真実と芦花の分もあるよ」
「ッ……じゃあ、白野は……」
真実の問いに静かに頷く。そう、白野は消えた。もし、これが彼女の仕組んだ悪戯ならどんなによかっただろう。でも、白野は芸人魂を発揮することはあっても人を傷つけるようなことは決してしなかった。
だからこそ、わかってしまう。白野は消えることを受け入れた上でツクヨミに来てかぐやを助けてくれたのだ、と。
「白野が……そっかぁ……」
ある程度、覚悟していたのかもしれない。真実は唇を噛みしめた後、顔を上げた。
「彩葉、リビングに行こ? みんなでお話ししよ」
「……」
話して何になる。そう言えたらよかったのに、私は温もりを求めるように真実に手を伸ばしていた。
それから私は真実に支えながらリビングに辿り着く。そこには今にも死んでしまいそうなほど青い顔で眠るかぐやと彼女を膝枕している芦花がいた。
「……かぐや?」
こんなに弱り切っている彼女を見るのは初めてだ。なにより、彼女がこんなになるまで放っておいた自分に腹を立てていることに気づく。ああ、そっか。そうだ。私にはかぐやがいる。かぐやがいてくれる。
「彩葉、大丈夫?」
ううん、かぐやだけではない。芦花も、真実も、こうやって心配してきてくれた。そうだ、そうだった。私はまだ――死ぬわけにはいかない。だって、かぐやがいるのだから。
「……うん、ありがとう」
まだふらつくけど立ち上がる気力が湧き、曇っていた思考が一気にクリアになった私は真実からそっと離れて、ゆっくりとかぐやに近づいていく。弱り切ってしまったかぐや。私がもっとしっかりしていれば彼女のフォローもできただろう。情けない自分に思わず奥歯を噛み締める。
「ごめん。とりあえず、大丈夫」
「……そっか」
芦花はジッと私の顔を見て少し安心したように笑みを零した。しかし、すぐに顔を強張らせる。私とかぐやがこうなってしまった理由を思い出したからだろう。
「白野は……」
「……多分、本当に消えちゃったと思う」
「そんな。白野……」
「なんで、黙って消えちゃうの……」
芦花は綺麗な顔を歪ませ、かぐやに涙が落ちないように静かに泣き出した。それに釣られるように真実も涙を零す。
「ほんと……勝手にいなくなっちゃうとか……ふざけないでよ」
そんな彼女たちを見て気づけば私の目からもやっと涙が落ちた。白野、本当にこうなるってわからなかったの? あんなに相手の行動を読めるのに、どうして自分がいなくなったら悲しむ人たちがいるって気づかなかったの?
問い詰めたいことはいっぱいある。でも、それをぶつける相手はもうどこにもいなかった。
ヒント:第55話 Turning Point