「……」
目の前に置かれたノートパソコンを見つめる。そこには作曲ソフトが映し出されており、いくつもの音の波長が刻まれていた。
かぐやの卒業ライブのために調整した、お父さんとの共作。卒業ライブまでに完成できず、ワンコーラスで妥協してしまった未完成の曲だ。
この歌を完成させてほしい。それが白野のお願いだった。あの時はかぐやがいなくなってしまうかもしれないという焦りと何もできない自分に対する怒りでコンディションは最悪だったのは間違いない。色々と考えることもあったため、作業に集中できていなかった。
「……」
そして、今は白野がいなくなってしまった。そんな状況で調子がいいわけがない。それでも、私がここにいるのは彼女に頼まれたから。この曲を完成させてほしいとお願いされたから。
――お父さんと向き合って。きっと、彩葉に必要なことだと思うから。
白野の手紙を読んだ時、そう言われたような気がした。私の気持ちを見透かしたように察し、的確に射抜いてくる。違うと言ってもその反論すら論破して認めさせる。それが『岸波白野』。私の戦友であり、かぐやと同じくらい大好きな――もういなくなってしまった女の子。
「……」
ヤチヨのことはかぐやたちに任せる。これは私にしかできないこと。私がやりたかったこと。私がやらなければならないこと。
そして、白野の言うとおり、きっと、私はもう一度、お父さんと向き合う必要がある。見捨てられたと思っていたお兄ちゃんと『キョーダイ会議』をやろうと誘ったように。
「……よし」
やるべきことは定まった。あとはやるだけ。私は静かにキーボードへ指を置き、音を鳴らす。
お父さんが死ぬ前、こうやってキーボードで音を鳴らすだけで楽しかった。傍にお父さんがいて、そんな私たちをお母さんが微笑ましそうに見ていて――そんな光景があったことをやっと思い出す。ああ、そうだ。私は忘れていた。苦い思い出で全てを塗り潰してしまっていた。たとえ、もう取り戻せない過去の幸せだったとしてもそれは確かにあったはずなのに。
なかったことにした。忘れたふりをした。見なかったことにした。だって、もう手に入れられないとわかっているのにそれを望むことは辛いだけだから。
でもね、お父さん。私、やっとわかったの。もうあの頃の幸せは取り戻せないかもしれないけど、他の形で幸せを手に入れることはできるんだって。
お父さん、もう何もいらないと思っていた私に絶対に手放したくない子ができたの。何かやる度に騒動を起こして、興味が出たことに全力で、私の都合など気にした様子もなく、勝手に手を掴んで、走って、こっちを振り返って笑う女の子。本当に破天荒で、何度も振り回されて、その度にため息を吐いて――いつの間にか私も笑っている、太陽のような大好きな女の子。
お父さん、私にも親友と呼べる友達ができたの。どうしようもない私の傍にいてくれて、私が疲れてそうなら声をかけてくれたり、気分転換に遊びに誘ってくれたり、気遣って何も聞かず、ただ一緒にいてくれる女の子たち。私にはもったいない、とっても素敵な子たちなの。
お父さん、ずっと見ていたいと思えた推しができたの。電子の歌姫。私が辛くて、悲しくて、悔しくて、どうしようもなくなって、何もかもどうでもよくなった時、傍にいてくれた歌姫。何度も救われた。何度も立ち上がろうと思えた。何度も、何度も、何度も、何度も。彼女がいなければ私はきっと、すでに終わっていただろう。私が今もここで静かに鼓動を打っているのは彼女のおかげだ。
お父さん、お兄ちゃんと仲直りできそうなの。ずっと、お母さんとの間に入ってくれた優しいお兄ちゃん。でも、何も言わずに出て行ってしまったお兄ちゃん。見捨てられたと思った。この先どうすればいいかわからなくなった。それでも彼を追うことは止められなくて、その過程であの電子の歌姫に出会った。
ねぇ、お父さん。こんな私に戦友ができたの。
クールな見た目なのに時々、芸人魂を発揮して変なことをする女の子。それでいて、私たちが気づかない間に全てを救って、勝手にいなくなるような身勝手な女の子。まるで、英雄のような姿に見惚れ、何もできない自分を呪った。そして、もう彼女はどこにもいないのに――彼女のために何かできるとわかった途端、自然と力が湧いた。
「……」
お父さんは何を考えていたのだろう。きっと、優しい彼のことだ。こんなにも理不尽な世界では生きにくかったのかもしれない。
ねぇ、お父さん。今の私を見たらなんて言うのかな? 笑うかな? 泣くかな? 何とも思わないかな?
――彩葉。
私の記憶にあるお父さんは私の名前を呼ぶだけで何も言わない。でも、その顔はとても優しく、どこか誇らしげに見えたのは気のせいだろうか。
「……できた」
あれだけ苦戦していたのに曲は二日ほどで完成した。もちろん、全てが順調だったわけではない。どうしても詰まってしまうこともあった。最初はいいと思っていたのに後から気に食わなくなって作り直したこともあった。それでも、今の私が持っている全てを込めた。個の心を揺さぶる何かをありったけ込めた。
「……」
今、かぐやは何をしているだろうか。彼女はヤチヨを探しながら作曲作業に没頭する私をサポートしてくれた。ご飯を用意したり、飲み物を飲むようにSNSで忠告してきたり、何度か部屋を覗いてきて私が作業しているのを見て大人しく引っ込んだり。これまで何もかもを巻き込んでいたかぐやとは思えないほど献身的にお世話してくれた。それがどこか彼女が大人になってしまったようで嬉しくもあり、ほんのちょっぴり寂しくもあった。
「……」
私はボロボロの状態のまま、かぐやのブレスレットを手に取ってリビングルームへ向かう。かぐやの部屋をチラ見したら、扉の隙間から明かりが漏れていたのでまだ起きているらしい。きっと、ヤチヨ探しが難航しているのだろう。
「……」
リビングルームからそのままベランダへ。夜風が優しく私の頬を撫で、数時間にも及ぶ作曲作業ですっかり沸騰していた頭を冷やしてくれる。ああ、気持ちいい。白野はやっぱりすごいや。未完成の曲を作っただけでこんなにもすっきりした気分になった。もしかしたら、私の気持ちを整理させる目的もあったのかもしれない。あの子ならそこまで考えていても不思議じゃなかった。
「――この一瞬を――最高のパーティーにしよ――」
曲が完成した達成感からか。気持ちの整理が終わったからか。気づけば私は空に浮かぶ月を見上げながら完成した曲を静かに歌い始めた。
多分、この曲に込めた想いはたくさんある。ありすぎて自分ですら把握しきれていないほどだ。
かぐやが月に帰ってしまったら私はどんな曲にしていたのだろう。
ヤチヨがいなかったら私はどんな想いを込めていたのだろう。
いなくなってしまった白野はどんなことを考えながら曲を作るようにお願いしたのだろう。
「――昨日の続き――喋りたかった――くだらなくても――ちょうどよかった――」
ねぇ、かぐや。あなたは月に帰ろうと決意した時、どんな気持ちだったの?
「――本音を聞かせて――ただ叶えてみたいから――」
ねぇ、ヤチヨ。白野が目の前でいなくなっちゃった時、どんな気持ちだったの?
「――この一瞬を――最高のパーティーにしよう――」
ねぇ、白野。自分が消えるとわかっていながらかぐやを救うことを優先した時、どんな気持ちだったの?
「――そしてそっと同じ明日へ――地図をつなごう――」
白野のおかげで私とかぐやは同じ明日へ行ける。ありがとう、白野。
「――ねぇ――心――揺らして――笑顔も――シェアして――」
でもね、白野。私はもっとあなたと一緒にいたかった。楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと。その全てを共有して、生きていきたかったよ。
「――ありふれてる好きな物に――ずっとまみれて――」
ずっとこの生活が続くと思っていた。かぐやがいて、白野がいて、私がいて。三人でずっと一緒にいられると思っていた。
でも、この世界はとても理不尽だから。お父さんを亡くした私は知っていたはずなのに、そんなわけがないと高を括って、気づいた頃には何もかもが遅くて。
「――また新しい景色の――物語をえがこう――」
そのせいで白野のいない生活が始まった。私にできたことはなかったかもしれない。彼女が消えることは運命だったかもしれない。それでも、何かはしたかったよ。どうして、何もさせてくれなかったの? ずるいじゃん、そんなの。バカ。バカバカバカ。白野のばーか。
――彩葉。
その時、誰かの声が聞こえたような気がした。私を呼ぶ優しい声。その声は何度も聞いた。毎日のように助けを求め、その度に助けてくれたあの子。でも、どうして――。
「……彩葉」
歌い終わったところで後ろから声をかけられる。そこにはポロポロと涙を流しながら驚いた様子で私を見つめるかぐやがいた。きっと、随分前からそこにいて私の歌を聞いていたのだろう。
「曲、できたの。どうだった?」
「ッ……めっっっっちゃよかった!! ワンコーラスの時からもそうだったけどマジ天才! ほんとに、すごく……よかったよ……」
最初は嬉しそうに笑っていたのに結局、彼女は声をあげて泣き出してしまった。そんなかぐやの傍へ近寄り、抱きしめようとするが今の自分の状態を思い出して硬直してしまう。
「いろはぁ!」
しかし、かぐやはそんなのお構いなしに抱き着いてくる。そうだった、彼女はそういう子だった。苦笑を浮かべた私は静かに彼女の背中へ腕を回し、温もりを共有する。
「ありがとう、すっごく素敵な曲ができた。かぐやのおかげ」
「そんなことぉ、ないぃ! びえええええええん!」
「ふふっ、漫画みたいな泣き方……これで、私は前に進める。かぐやは?」
私の問いにかぐやは顔を上げてこちらを真っすぐ見つめた。涙でくしゃくしゃになっても綺麗な顔。何故か茶髪に戻ってしまった艶々している髪。そして、ギラギラと空の上で輝く太陽のような瞳。
「もちっ! 彩葉の曲のおかげでもうフルパワー! あ、彩葉! ヤチヨのことなんだけど――」
「――え?」
その後に続いたかぐやの言葉に私はただ言葉を漏らすしかなかった。
酒寄彩葉のマテリアルが更新されます。
SG2:『
↓
SG2:『
お父さんがいなくなってからずっと逃げていた。
あんなに楽しかった音楽を楽しめなくなった。
それでいて、上京する時には女々しくキーボードをダンボールの中に入れていた。
逃げることも嫌だった。
投げ出すことも嫌だった。
見つめ直すのも嫌だった。
それでも、あの人が必要だと言ったから。
こうやって、またあなたと向き合った。
そして、やっとわかった。
やっぱり、私は音楽が好き。
お父さんと一緒に奏でた音が好き。
だから、これからは逃げない。
お父さんから貰った物を大切にして音にする。
ありがとう、お父さん、
あ、それとね?
お父さん、私ね。大切な人ができたよ。
第113話のあとがきに記載した掲示板回について
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掲示板回入れよう
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掲示板回なしで最後まで行こう
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掲示板回ほしいけど終わってからにしよう