本当であれば何もかも完結した後に掲示板回をやるべきですが、少し事情が変わったため、今の話を落ち着いたところで一本ほど入れたいと思います。
「……かぐや?」
「………………え?」
その声で、その声で呼ばれるのは何千年ぶりだっただろう。あまりに唐突に、あまりにも予想外で、私は思わず顔を上げてしまった。
「あ、れ……おかしいな、なんで私、ヤチヨがかぐやに見えたんだろ……」
そこにいたのはここにいるはずのない彩葉のアバター。彼女も無意識にその名前を呟いたのだろう。狼狽したように頭に手を当てていた。
「彩、葉……」
「ごめん、変なこと言ってる自覚はあるの……でも、やっぱり……ヤチヨはかぐやなの?」
「ッ……」
最初は無意識だったはずなのにいつの間にか確信に変わっていた。真剣な表情で私を見つめる彩葉に言葉を詰まらせてしまう。
「そ……んな、わけ、ないじゃーん? ヤチヨはヤチヨ、だよー?」
慌てて誤魔化そうとして出たのはそんな震えた声だった。ああ、情けない。白野を失ったショックで意気消沈していたところに彩葉からのクリティカルヒットを受けていつもの仮面を付けられなかった。あ、そうだった。あの仮面は白野に壊されちゃったんだっけ?
「……っ」
零れた言葉に彩葉は目を見開き、悔しそうに歯を噛みしめて両手を握っていた。しかし、すぐに私の方へ一歩、足を踏み出す。あ、彩葉が来ちゃう。全部、バレちゃう。私の秘密が。白野とのやり取りが。私の過ちが、全部彩葉に。全部、ばれて――何もかも終わってしまう。
「来ないで!!」
気づけば私は彼女に背中を向け、叫んでいた。体はないはずなのに私の心を読み取ったツクヨミが勝手にヤチヨの体を震わせる。お願い、止まって。急いで切り替えなきゃ。急いでヤチヨにならなきゃ何もかもが手遅れになる。だから、お願い。私を見ないで、彩葉。
「かぐや」
そんな願いは叶わず、彩葉はもう一度、私の名前を呼んだ。たったそれだけなのに体の震えは止まった。
「かぐや、教えて……かぐやは――白野と出会わなかったかぐやなの?」
「ッッッッ!?」
その言葉にないはずの心臓が止まったかと思った。彩葉は頭がいい。ヤチヨになって、現実を知って改めてわかったこと。でも、ここまでだとは思わなかった。ほぼノーヒントでそこに辿り着けるとは考えもしなかった。
「どう、して……」
「……ヤチヨがかぐやなのは何となくわかってたの。『Remember』とかぐやの卒業ライブの時に作った曲のメロは同じだったし、ヤチヨも月人だって言ってたし。なにより、白野が最後にヤチヨに向かって『かぐや』って呼んだから」
「っ……」
確かに白野が消える直前、彼女は私を『かぐや』と呼んだ。あの時、彩葉も近くにいたので聞こえていたのだろう。
「それに何度か『輪廻を壊す』のが私の役目だって言ってた。輪廻って繰り返すことでしょ? そんな役目がある白野がやったことって『かぐやを月に行かせなかった』こと。つまり、『かぐやが月に行く』ことが輪廻を繰り返すポイント。多分、輪廻を繰り返してるのはかぐや」
そこで言葉を区切った彼女はゆっくりと私の方へと近づいてくる。私は動けない。言い当てられた衝撃とこんな状況でも彩葉に会えた喜びで感情がぐちゃぐちゃになっている私に逃げるという選択肢が取れるわけがなかった。
「それに白野の手紙に私が作った曲はかぐやに届けられるって断言するように書いてあったの。まるで、そうなることを誰かから聞いたみたいに……もし、それを教えた人が本当に私の曲が月に行ったかぐやに届いたと知っていたら? たとえば――未来から過去にタイムスリップした人がいたとしたら? 月の技術がどれほど高度なものなのかはわからないけどわからないからこそ時間遡行なんてファンタジーもあるかもしれない。英霊召喚なんてファンタジーを使う女の子もいたからね」
「……」
「月に行くことで輪廻を繰り返すかぐや。タイムスリップ。未来を知る誰かから話を聞いた白野……そして、かぐやと同じ月人であるヤチヨ。ここまで来れば自ずと答えは出る。ヤチヨ、あなたは月に帰ってもう一度、私に会いにきてくれたかぐやなんだよね?」
「……あはは、彩葉は、やっぱりすごいなぁ」
多分、彩葉の証言は全て物的証拠を基にしている何の根拠もないものだった。きっと、彼女自身も未だに半信半疑なのかもしれない。しかし、悲しいかな。全部、当たっている。誤魔化しようのないほど彩葉の推測は的を射ていた。
「……今は昔――」
そっと立ち上がった私は静かに語り始める。とある英雄のおかげで何もかも変わってしまった本来のかぐや姫の物語を。
「月へ帰ったあと、社畜OLとなったえらえらかぐや姫はそれはもうバリバリと働いておりました」
ヤチヨ――かぐやはそっと立ち上がり、語り出す。彼女の説明に合わせて背後にある屏風に墨で描いたようなイラストが表示された。
「そんなある日のこと、かぐや姫の元へ一つの歌が届きました」
歌。そう聞いて思い出したのは白野に言われて完成させたあの曲。そうか、私はちゃんと月に帰ってしまったかぐやに届けたのだ。だから、白野も届けられると断言したのだろう。
「それで全てを思い出したかぐや姫はこう考えます。『よっしゃ、もう一回行こー!』ってね」
「いや、軽いな」
あまりにも簡単に決断したかぐやに思わずツッコんでしまう。すると、説明していた彼女は一瞬だけ目を瞬かせた後、嬉しそうに微笑んだ。見た目はヤチヨなのにその笑い方はかぐやそっくりだった。
「それから仕事の引継ぎを爆速で終わらせましたが地上と月の時間の流れは違います。それはもう大遅刻。でも、安心。月のテクノロジーを使えば時間も超えられます」
「っ……」
タイムスリップ。やはり、かぐやは月から地上に戻る時に時間遡行を行ったのだ。でも、それなら何故、かぐやはヤチヨに――。
「……ですが、残念なことにその途中で大きな岩に当たってしまい、かぐや姫を乗せた船は八千年も前の地球へ不時着。更に更に不時着の衝撃で船は壊れて同乗していた『犬DOGE』だけが体を得ました」
「――え?」
――そんな思考を遮るように彼女はあまりにも救いのない話を口にする。八千年。それはヤチヨの設定だった。まさか、彼女は最初から設定ではなく、本当のことを言っていた?
「かぐや姫はそのウミウシの体を通じて人々と交流を続け……なんやかんやあって人々は遠くの人と繋がる力を得ました。そして、生まれたのが『月見ヤチヨ』。八千年前から地球を見守るツクヨミ管理人兼AIライバー兼電子の歌姫……だったんだけどな」
屏風の絵が消え、ヤチヨは顔を俯かせる。先ほどまでどこかおどけた様子で話していたのに今の一瞬でそれが霧散した。彼女が纏っているのは『虚無感』のみ。
「輝かしい未来を目指してあと一歩、というところで……かぐや姫は一人の少女と出会います。その子は初めてツクヨミにログインした時、アカウントがロックされて困っていました」
「ッ――」
「分身ではどうしようもなく、本体が問題に対応しましたがどうしてもそのロックを解除できません。それから色々あってかぐや姫はちょっとした気の迷いでその女の子をアシスタントにしてしまいます」
「ッ!? か、ぐや……」
不意に顔を上げた彼女の顔は――半壊していた。顔の右側はいつもの優しそうに微笑むヤチヨなのに左側は今にも泣きだしそうなかぐやの顔。髪も白銀から金色へ不規則なリズムで点滅しており、その姿はあまりにも不安定だった。
「これね、白野に色々とやられちゃってから安定しないんだー。何もかも丸裸にされて、私はヤチヨじゃなくてかぐやなんだって教え込まれて……やっと、受け入れられたのに白野は消えちゃった」
「……」
「あはは、ごめんね。本当はもっと上手くやるつもりだったんだけど……ドジっちゃった」
そう言って微笑む右側のヤチヨ。しかし、その直後、その顔に走るヒビが更に大きくなった。ああ、そっか。こんなになるまで頑張っていたのか。それなのに私は何も知らないまま、自分のことばかり気にして、白野に言われるまでヤチヨのことにも気づかないで。
「彩葉、こっちに来て」
己の無力さに打ちひしがれているとヤチヨは私に手を取って外を一望できるところまで連れてきた。そこに広がっていたのはツクヨミ。彼女が作り上げた電子の世界そのものだった。
「ここから見る景色が大好きなんだ」
「……」
「……これで私の御伽噺はおしまい。結局、白野に任せちゃった。むしろ、余計なこともしちゃったし」
何も言えずにいると彼女は割れた顔のまま、ツクヨミを眺める。そして、あまりにも唐突にその言葉を発した。
「じゃあ、お別れだね」
「え?」
「だって、白野のおかげでかぐやは月に行かなくて済んだ。私の時にはできなかったハッピーエンド。白野が彩葉とかぐやをそこまで連れて行ってくれた」
何、言って――と言葉を失っている私が見えていないのか、ヤチヨはツクヨミを眺めたまま、言葉を続ける。
「だから、私は――『月見ヤチヨ』は今日でおしまい。ツクヨミの管理者権限も白野の知り合いに渡ったことだし、何もかも一件落着ってね!」
「ヤチヨを止めたら……かぐやはどうするの?」
「んー、なーんも考えてない! 電子の海を漂うのもいいかなー。あ、ネット回線を使えば世界中を旅できるんじゃない!?」
「なに、それ……」
ケラケラと笑うヤチヨに私は思わず、低い声を漏らしてしまう。しかし、彼女には聞こえていなかったのか、楽しそうにこちらを見て――その顔が『月見ヤチヨ』に戻っていることに気づいた。
「八千年も頑張ったから少しは休憩も必要だよねー」
「かぐや!」
適当なことを言い続けるかぐやを止める。そして、その手を掴んだ。たったそれだけでヤチヨの顔が再び割れてかぐやのそれが顔を覗かせる。
「彩、葉……」
「手を掴まれたぐらいで揺らぐような仮面なんて付けないでよ! ヤチヨのことは大好きだけどかぐやがそんな壊れそうになるまで演じる必要はない!!」
かぐやが好きで『月見ヤチヨ』をしているのなら問題はない。でも、今の彼女は見ているこちらが苦しくなるほど無理して仮面を付けている。もし、白野の前でも同じようなことをしていたのなら彼女がそれを許すわけがなかった。
(なんか腹立ってきた)
白野も、かぐやもなんで自分勝手にいなくなろうとするのだろう。残された側の気持ちを考えたことはあるのだろうか。そもそも、かぐやは白野が消えて落ち込んでいたのに同じことをしようとしているのに気づいていないの?
「こっち来て!」
「え、ええ?」
困惑するかぐやの手を掴んだまま、ぐいぐいと引っ張って部屋の中央にまで移動し、彼女を屏風の前に座らせ、私もその前で胡坐をかく。こうなったら我慢比べだ。かぐやには申し訳ないが今日は帰れそうにない。
「全部聞かせて」
「彩葉?」
「かぐやの全部! 全部聞くまで寝ないから!」
「……」
腕を組んでいかにも怒っていますという態度を取るとかぐやはポカンとしたまま、私を見つめ――不意に嬉しそうに笑った。
「もー、無茶言うなぁ」
我儘を言う子供を見るような目で私を見たかぐやは小さくパン、と手を叩く。その瞬間、天守閣にいたはずの私たちはあのボロアパートの一室にいた。
(ここは……)
私の家だったアパート。ほとんど同じだが、よく見れば違うところがある。机の上には体を壊しそうなほどのエナジードリンクの空き缶が並び、壁には節制に関する忠告が書かれた紙が貼られ、家にあった物がいくつかない。特に白野と一緒に買った物や彼女から貰った物が何もなかった。つまり、ここは――。
「――彩葉の家。私が過ごしたあの子の家だよ」
そう告げるかぐやは寂しそうに笑った。そうか、ここは白野と出会わなかった私の部屋。え、こんなにやばい生活していたの、私? エナジードリンクがぶ飲みして、ご飯は死なない程度にしか食べず、ひたすら節制と勉強の日々。ここに越して来た頃、白野にたくさん怒られたからある程度、普通の生活をしていたが彼女がいなければここまで酷かったのか。
(あとはおじいちゃんたちの仕送りか)
白野に出会わなければ私はおじいちゃんたちの仕送りに手を付けずに生活をしていただろう。そのせいで今よりもお金に余裕がなく、こんな無茶な生活をするしかなかった。白野が与えた影響がこんなところにも出ているとは思いもしなかった。
「じゃあ、話して」
でも、今はかぐやの話を聞く方が優先だ。いつの間にかパジャマ姿になっているのも気になったがグッと我慢して彼女へと視線を向ける。
「本当に聞くの? 私の知ってる彩葉は
「ッ……」
そうだ。私は『白野と出会った酒寄彩葉』。目の前に座る『白野と出会わなかったかぐや』の知る『白野と出会わなかった酒寄彩葉』ではない。そう改めて言われるとなかなか心に来るものがあった。
「……聞かせて」
でも、私は知りたかった。目の前にいるかぐやがどんなことをしてきたのか。どんな思いで八千年を過ごしたのか。なにより――私を突き離そうとわざと酷い言い方をして私以上に傷ついたような顔をしているかぐやを放っておけるわけがなかった。
「……じゃあ、まずは縄文人と魚を捕った話から」
私が譲らないとわかったのか、かぐやは彼女が経験した八千年を静かに語り始めた。