体を動かせない。声を出せない。眠ることもできない。死ぬことさえできない。
地球に不時着したかぐやはひたすらそこに在り続けるしかなかった。できることは思考することだけ。しかし、それすらも彼女にとって苦痛となり、『酒寄彩葉』が作った曲を繰り返し、思い出すことしかできなかった。
『ヤチヨ……いるんでしょ? かぐやを助けてよ』
「かぐや……」
記憶の向こうにいるかぐやへ手を伸ばす。しかし、あくまで目の前にいる彼女は虚像。触れることはおろか、私がここにいることすら伝えられない。
何日、何十日、何百日。何年と時は進む。その針が時を刻む度、かぐやの精神は摩耗していく。そんなある日、彼女を乗せた宇宙船に誰かの声が届いた。
『ッ! 待って、行かないで!』
きっと、無意識だったのだろう。その誰かに気づいてほしかったかぐやはナノマシンを使い、『犬DOGE』の体を作った。そして、やっと外界と接触する機会を得られたのである。
それからの彼女はウミウシの体を通して人と交流した。縄文人と魚を捕り、木の棒を器用に持って子供たちに自分のことを聞かせ、時には巫女のような立場となり、人々を導いた。
長い、長い年月をかけてかぐやは人というものを知っていく。
人はすぐ死ぬ。
人は自分のためなら他人を犠牲にする。
人は平気な顔で嘘を吐く。
人は――人を殺す。
きっと、知りたくなかったこともあっただろう。知らなきゃよかったこともあっただろう。でも、知るしかなかった。人と関わることを止めなかったかぐやはその代償として純真無垢ではいられなくなった。
しかし、人は醜いだけではなかった。
人は災害や困難によって壊滅しそうになっても諦めず、営みを築く。
基本的に自分のことを考えているはずのに時折、他人を優先する。
人は嘘を吐かれても赦す時がある。
人は――人を救う。
人は美しいものではなかった。だが、ただ穢れているわけでもなかった。
綺麗か、汚いか。そんな単純なもので言い表せるものではない。人とはとても複雑であり、かつて彼女が憧れたように自由だった。
かぐやは八千年の時を過ごす間に少しずつ真っ白だったキャンバスに色を付けていく。『酒寄彩葉』と過ごした彼女を少しずつ上書きしていく。かぐやはかつてのかぐやでいられなくなる。それでも、彼女は進むしかなかった。全てはあの未来のため。『酒寄彩葉』と再会するために。
縄文を超え、弥生を超え――戦国、江戸、明治、大正、昭和と時代の荒波に飲み込まれながらも必死に走り続けたかぐやだったがついにインターネットが開発され、世界中の人々と交流する力を得た。
ずっとウミウシの体で話すことすらままならない彼女にとってそれはまさに革命だった。信号一つで自分の意志を伝えられる。やっと、かぐやがかぐやとして他の誰かと関われるようになり――気づいた。
『あ、そっか……バカだなぁ、私』
どうして、気づかなかったのだろう。『月見ヤチヨ』はかぐやだった。
それからの彼女は『月見ヤチヨ』となってツクヨミを作り始めた。掲示板でレスバしたり、ウェブサイトも作ってみたり、色々と寄り道をしながら少しずつ仮想空間『ツクヨミ』が形作られていく。
そして、スマコンが開発され、満を持して仮想空間『ツクヨミ』が実装された。
『酒寄彩葉』とかぐやが出会うまでもう少し、もう少しとその時が来るのを待ちながらかぐやはただひたすらツクヨミを楽しんでいた。歌って、配信して、踊って、話して、笑って、叫んで。
だから、ヤチヨはずっと笑っていたのだ。楽しくて、楽しくて、楽しくて――あの未来がもうすぐ来ると心待ちにしていた。
そんなある日、ツクヨミに新たなユーザーがログインした。記憶喪失なだけの普通の女の子。しかし、何故かアカウントがロックされており、キャラクタークリエイトができなかった。分身では対応できず、本体であるヤチヨがチュートリアルのフィールドへ降り立ち――。
――『岸波白野』に出会った。
白野と出会い、成り行きで自分の事情を教えることとなった彼女は思い付きで彼女をアシスタントにする。理由は単純、『面白そうだったから』。
白野をアシスタントにしてからの毎日はこれまで以上に輝いていた。いつの間にか白野と一緒にいるのが当たり前になっていた。ずっと辿り着きたかったあの未来に彼女の姿はなかったのに。
そして、運命の日、かぐやが地上に落ちてきて初めてツクヨミにログインした日、ヤチヨは自分のしたことを自覚した。白野が与えた影響を目の当たりにして恐ろしくなった。なにより、彼女の知っている『酒寄彩葉』がすでにこの世にいないことに気づき、身勝手にも白野に対して憎悪を抱いてしまった。
もちろん、憎悪といってもそれは一瞬のことであり、すぐに消えた。悪いのは彼女を引き込んだヤチヨ。すぐに理性がそれを抑えた。でも、一度、抱いてしまったという事実は変わらない。それがヤチヨの精神を脅かした。
『私のせいだ。私がやらなきゃ。私がハッピーエンドに連れて行かなきゃ。私が、私が、私が!!』
彼女は自分を責めた。自分を嫌った。自分が何とかしなければと思いこんだ。その結果、自分がかぐやの代わりに月に行くことを選んだ。そして、その選択は白野によって止められた。
それから、それから、それから――。
「彩葉!」
誰かの声がする。いや、これは――自分の声? 目を開けたらそこには白銀の姫。なんだ、私か。いや、違う。私じゃない。ヤチヨだ。彼女の記憶を見たせいで自分がヤチヨだと思い込んでしまった。それに彼女はヤチヨだけどかぐやでもある。かぐや。私の知らないかぐや。でも、もう知っている。やっぱり、かぐやはかぐやだった。
「か、ぐや……」
「っ……もう、無茶して……死んじゃうよ」
フラフラとアバターを起こすとかぐやは今にも泣きそうな顔で私の肩に手を添えてくれた。さすがに二徹した後の八千年はきつい。今にも倒れてしまいそうだ。そう思いながら周囲を見渡せばそこはチュートリアルのフィールドに似たワールドだった。しかし、何もない。あるのは遥か彼方まで続く地平線と空。
(そうだ、伝えなくちゃ)
「かぐや」
彼女の正面に座り、そっとその名前を呼ぶ。何だろう、とかぐやは不思議そうに首を傾げた。
「大好き」
伝えなければ伝わらない。だから、最初に伝えたかった。どうしても、彼女に伝えてあげたかった。だから、伝えた。何の飾りもなく、ただ真っすぐに。
「……え?」
最初は何を言われたのかわからない、といった様子で呆然としていたかぐやだったが、次第にその言葉の意味を理解して目を見開く。ツクヨミの感情を読み取るシステムのせいか、彼女の可愛らしい顔が徐々に赤みを帯びていった。
「え、えー? あ、ヤチヨ? ヤチヨだから? そうだよね、彩葉、ヤチヨ大好きだもんね」
「かぐやも大好きだよ」
何故か逃げようとするかぐやだったが逃がさない。彼女の手を取り、しっかり目を見て私の気持ちを伝えた。
「あ、ぅ……」
さすがに自分のことだと認めたのか、かぐやはもじもじと恥ずかしそうにしつつ、視線を逸らす。可愛いかよ。
「で、でも……私は彩葉の知ってるかぐやじゃないよ」
「今、知った。だから、伝えたの。それに『かぐや』だから好きになったんじゃないよ。あなただったから好きになったの」
「ッ……こんなおばあちゃんになっちゃったのに? もうあんなにキラキラできないよ?」
やはり、『かぐや』に対してコンプレックスを抱いているようでかぐやは自信なさげに問いかけた。確かに目の前にいるかぐやは私の知っているかぐやと比べ、落ち着いている。だから、あえて言おう。それがいいのだ、と。
「かぐやも知ってるでしょ? 私、ヤチヨガチオタだよ? むしろ、新解釈の到来でテンション上がってる」
「新解釈って……彩葉は本当に
「うん、だって……何度も救われたから」
私はヤチヨに救われた。それは白野と出会う前の私。それはまだ未来が乖離する前の『酒寄彩葉』であることに他ならない。
「確かに白野の出会った私はかぐやの知る『酒寄彩葉』じゃないかもしれない。でも、ヤチヨに救われた私も間違いなく『酒寄彩葉』だった」
お父さんが死んじゃって。お母さんと上手くいかなくなって。お兄ちゃんが家からいなくなって。
生きるということに意味を見出せなくなり、ただ苦しい、という気持ちばかりが胸に積み重なっていく日々。そんな地獄に――『月見ヤチヨ』が現れた。
彼女の歌を聞けば胸が軽くなった。彼女の姿を見れば生きる気力が湧き上がった。彼女に悩みを打ち明ければどうにかなる、と前を向くことができた。彼女がいなければ私はとっくの昔に駄目になっていた。
「だから、ありがとう。私のために八千年間、歩き続けてくれて。私は確かにあなたに救われた。あなたが私に会いに来てくれたから私は今もこうやって生きてる。私と出会ってくれてありがとう」
「彩葉……」
私の言葉にかぐやは呆然としたまま、涙を流す。そして、小さく笑みを浮かべ、その体がヤチヨからかぐやへと変わった。
「そっか……そっかぁ、『彩葉』、いたんだ」
「いるよ。ここにいる」
「あぁ……彩葉ぁ……」
「大丈夫。これからはずっと一緒だよ」
「うん、うんっ!」
私が彼女の体を抱きしめる。小さな体。ツクヨミにいるせいで温もりは感じられないけど、それでもかぐやはここにいる。それだけで十分だった。
(白野、ありがとう)
白野が手紙でヤチヨのことを書いていなかったら気づけなかったかもしれない。本当によく頭の回る戦友だ。誇らしいと思う反面、やっぱりここにいてくれたら、と思ってしまう。
でも、今は八千年ぶりの再会を喜ぼう。今後のことはそれからでいい。だって、私たちの未来はまだ続いているのだから。
次回、掲示板回です。