「彩葉ぁ!」
かぐや――ヤチヨとの再会を終え、家に帰宅した私を出迎えたのは涙で顔をべちょべちょにしたかぐやだった。靴を脱ぐ暇すら与えず、私に抱き着いてくる。約束したのに二日も帰って来なかったせいだろう。定期的にメールを送っていたとはいえ随分と心配をかけてしまった。
「ただいま……ごめん。色々あって」
「……ご飯」
「え?」
「ご飯、作ってあるから……一緒に食べよ」
それは二日前の約束。不貞腐れたように頬を膨らませるかぐやは私の手を掴んでそれを果たそうと小さく言葉を紡いだ。
「……もちろん、何作ったの?」
「オムライス。ケチャップで文字書いてあげる。ばーかって」
「ははっ、甘んじて受け入れますとも」
それからかぐやは事前に作ってあったチキンライスを温め直し、パパっと卵で包んでオムライスを完成させた。その手際はまさにプロ並み。ヤチヨの話を聞いている間、ほとんど何も食べられなかったのでお腹が鳴ってしまう。
「文字書くよー」
「はーい……って」
ケチャップでオムライスに文字を書いていくかぐや。それを見守っていたのだが、書かれた文字に思わず驚いてしまう。
『だいすき』
それは好意を伝える文字。彼女の顔を見れば納得していなさそうな表情を浮かべながらもその目は私を捉えていた。
「……ああいうのはもうこれっきりにしてね」
「……はい、面目ありません」
どうやら、思っていた以上に二日ほど家を空けたのはかぐやにとって苦痛だったらしい。こればっかりは私が悪いので素直に頭を下げた。
「ほら、温かいうち食べよ!」
「うん、そうだね」
許してくれたようでいつもの笑顔を浮かべた彼女に頷き、私はオムライスを一口。あー、美味しい。やっぱり、かぐやの手料理が一番落ち着く。
「芦花たちは何か言ってた?」
「んー、必要なことだってのはわかってたけど……やっぱり、心配そうにしてたよ」
「そっか、あとでお礼言っておかなきゃ」
「てかさ! ヤチヨを連れ出すのに二日かかるってどういうこと!? かぐや、マジで心配だったんだからね? 彩葉も白野みたいにいなくなっちゃうんじゃないかって!」
「あー……」
聞かれることはわかっていた。しかし、どう説明したものかと悩んでしまう。
ヤチヨは『白野と出会わなかったかぐや』。彼女の可能性の一つだ。しかし、それを馬鹿正直に言ってもすぐには信じられないだろう。
「……かぐやには言えないこと?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
私が何も言えずにいるとかぐやは不安そうな表情を浮かべた。もちろん、説明はするつもりだ。だが、どうしてもきっかけが掴めない。仕方ない、奥の手を出そう。
「ヤチヨ」
『はいはーい、彩葉に呼ばれてやってきました、ヤチヨだよー!』
「へ?」
短くヤチヨの名前を呼べばリビングルームのテレビが勝手に点き、画面いっぱいに彼女の顔が映し出された。思わぬ人物の登場に目を見開くかぐや。なお、私も驚いている。てっきり、スマホの方にいると思っていたのにいつの間にテレビの方へ移動していたのだろう。
「え、ヤチヨ!? なんでテレビに!?」
『ヤッチョは電子の歌姫ですから~☆ 電子機器に移動するのはお手の物! まぁ、テレビのインターネット回線を乗っ取って……違う、ちょっと借りて映像を投影してるだけなんだけどねー』
いつもの調子を取り戻したヤチヨはケラケラと笑う。そして、改めてかぐやの方を見て――言葉を失ったように口をポカンと開けた。
『あ、れ……かぐや?』
「う、うん……かぐやだけど……」
『え、嘘。なんで?』
「ヤチヨ?」
かぐやに説明する手伝いをしてもらおうと思っていたのだが、彼女の様子がおかしい。かぐやの方を見て茫然とする姿に私は思わず立ち上がってしまう。
『彩葉、スマホ出して。かぐやをもっと近くで見たいの』
「わ、わかった」
「何? かぐや、なんかやっちゃった?」
彼女の指示に従い、スマホを取り出してかぐやへ渡す。すると、テレビに映っていたヤチヨが消え、私のスマホへと移動した。
『……』
「……えっと?」
『……かぐや、髪の色変えられなくなった?』
「ッ!? なんでわかったの!?」
ヤチヨの指摘にかぐやは声を荒げる。確かに卒業ライブを始める前までは金髪だった。しかし、白野が消え、ログアウトしたらかぐやの髪色は最初の茶色に戻っていた。それから色々あったので後回しになっていたが確かに気にするべきだった。
『……かぐやが人間になってる』
「……は? 人間って……どういう?」
『月人特有の気配というか……そういうのが全くなくなってる。髪とか肌の色が変えられなくなったのも体を構築する組織がナノマシンじゃなくなってるからだよ』
ヤチヨの解説に私たちは思わず顔を見合わせてしまう。確かにログアウトした直後、かぐやは体の異常を口にしていた。でも、どうして? かぐやが月に帰らなくなったから?
――大丈夫、攻撃じゃないよ。アバターを通じてムーンセルからの餞別を送ったよ。
「……まさか」
白野が消える直前、かぐやに向かってムーンセルから光線を放っていた。あの宝具の詳細は不明だが、願望機であるムーンセルから放たれるそれに『使用者の願い』を叶える効果があってもおかしくはない。
「じゃあ、かぐやが人間になったのは……」
「白野のおかげ、だと思う」
かぐやに光線を当てる前、白野は驚いた様子でムーンセルを見上げていた。そして、BBも最初は喜んでいたのにすぐに白野の考えを読んで信じられないと言った様子で叫んだ。
(まさか、あの時……)
白野はムーンセルによって『かぐやの輪廻』を壊すために召喚されたサーヴァントだろう。記憶すら失った彼女だが、それを乗り越えて見事に使命を果たした。もし、ムーンセルから報酬として願いを叶える権利を得られたのだとしたら――。
「……」
――いや、これはあくまで状況証拠に基づいた推測に過ぎない。軽率に口にすればかぐやを傷つける可能性がある。これは私の胸に秘めておこう。
「ヤチヨ、かぐやが人間になったらどうなるの?」
『髪とか肌の色は変えられなくなるし、肉体を得たから月に行けなくなる。でも、逆に言えばそれぐらい……あ、ううん。重要なことがあった』
ヤチヨはそこで嬉しそうに笑う。まるで、かぐやの幸福を祝福するように。自分のことのように……その目に涙を浮かべて。
『かぐや、あなたは彩葉と一緒に歳を取れる』
「……ぁ」
かぐやから漏れたのはそんな小さな吐息だった。そして、ボロボロとその目から涙が零れていく。寿命。人間になったかぐやは私と同じように歳を取る。彼女の正確な年齢は不明だが、それでも見た目的に私とほぼ同じだろう。
「そっか……かぐや、彩葉と一緒におばあちゃんになれるんだ」
涙を流しながら噛みしめるように呟くかぐや。月人の寿命はわからない。ナノマシンによって人間よりも長いのか、短いのか。それとも、ヤチヨのように肉体が崩れた後は魂だけの存在になってしまうのか。きっと、かぐや自身、先の未来のことはあまり考えていなかっただろう。しかし、同じ月人であるヤチヨからのお墨付きを貰い、何十年後の未来を想像して感涙が零れたのかもしれない。
『よかったね、かぐや』
そんな彼女を見てヤチヨも目元を拭っている。その顔に陰りはない。『白野の出会ったかぐや』は自分とは違う存在だと割り切っているからだろうか。
(でも、これじゃ……)
確かにかぐやは人間となり、歳を重ねられるようになった。だが、ヤチヨは魂だけの存在。実体を持たないせいで食事が取れず、直接、触れあうこともできない。彼女はそれに慣れてしまったかもしれないが私としてはどうにかしてあげたかった。それに――。
(――あの白野がその問題は放置した?)
私以上にヤチヨと交流していた白野が彼女の体の問題に気づいていないはずがない。そして、白野は自分には無理だから、とすぐに諦めるような性格ではなかった。彼女ならヤチヨのために何か動いていてもおかしくはない。
「……」
涙を流すかぐやをあやすように声をかけるヤチヨ。そんな彼女たちを見つめる私の胸に少しだけわだかまりが残った。