結局、無茶をして気絶するように眠った私が起きたのは次の日の朝だった。本日は2030年9月19日、木曜日。普通に平日である。
「えー!? 学校行くの!?」
「そりゃ、休む理由がないからね」
やることはある。白野から託された物の正体も未だにわからないし、完成した曲も聞かせていない。だが、ヤチヨも無事にプライベートルームから連れ出せたので早急に解決しなければならないことは済ませた。彼女もツクヨミの管理者権限譲渡の件で色々とやることがあるらしく、今はツクヨミで作業をしているらしい。一先ず、残りは放課後、ゆっくりとやっていこう。
「芦花と真実が風邪を引いたって学校に言ってくれたから休めたけど出席日数に気になって来たから」
取ってつけたような理由。しかし、本当の気持ちとしては今回の騒動に関わった全員にはヤチヨを連れ出せたことは伝えてあるが、芦花と真実には直接、顔を合わせてお礼が言いたかったのだ。
「……わかった。じゃあ、お留守番してる」
「うん、ありがとう。あ、そうだ。放課後になったら連絡するから合流しよう」
「え、遊びに行くの!?」
「白野の家の合鍵。大家さんに返しに行くの」
「ええー!? 記念に持っておきたいんだけど……ダメ?」
うるうるといつものお願いを発動するかぐや。しかし、今の私は前とは違う。彼女の目を見てしっかりと首を横に振った。
「こればっかりは駄目。鍵は返す」
「……おー?」
きっぱりと彼女の頼みを断ると予想外だったのか、かぐやは不思議そうに首を傾げる。いや、確かにかぐやの頼みをほとんど断れなかったのは私だが、そんな意外そうな顔をしないでほしい。
「とにかく今日は合鍵を返しに行くから放課後、合流! わかった?」
「うぇ~……はーい」
「……その後、一緒に晩ご飯の食材、買いに行こ」
「っ……うん!」
さて、学校に行く準備もできた。私は通学鞄とスマホを手に取り、玄関に向かう。かぐやもお見送りしてくれるのか一緒に付いてきた。
「じゃあ、行ってきます」
『行ってきまーす!』
「はーい、行ってらっしゃ……ちょいちょいちょいちょい!」
靴を履いて外に出ようとしたところでかぐやが通学鞄を掴み、私を止められてしまう。何だろうと振り返れば彼女は私の手に持ったスマホを睨みつけていた。
「ねぇ、今、ヤチヨの声、聞こえなかった?」
「え? うん、スマホにいるし」
『おっはよー、かぐや!』
「なんで!? 忙しいんじゃないの!?」
私のスマホの画面に映るヤチヨはニコニコと笑ってかぐやに手を振っている。そんな彼女にかぐやは驚いた様子で叫んだ。
『本体は忙しそうに作業してるよー? ヤッチョはただの分身! 彩葉の生活をアシストするため、こうやってスマホの中で待機してるのです!』
朝、学校に行く準備をしながら何気なくスマホを見た時、ジッと私の方を見ているヤチヨに気づいて腰が抜けるかと思った。そもそもアシストするとは何をしてくれるのだろうか。耳元で『彩葉、お疲れ様♡』とか言ってくれたらガチで頑張れる気がする。
「……ズルい」
「え?」
「ヤチヨだけ彩葉の傍にいられるのズールーい! かぐやもスマホの中に入ってやるぅ!」
『へへーん、かぐやはもう人間だから電子機器の中に入れないよー! これがヤッチョの『歌姫特権』! 羨ましいだろー!』
「こいつぅ!!」
私のスマホを奪って画面に映るヤチヨを高速でタップするかぐや。『わーん、彩葉ぁ、かぐやがいじめるー!』と特に影響があるわけでもないのにヤチヨは楽しそうに笑って私に助けを求めた。
(ほんと、よかった……)
楽しそうにはしゃぐ二人を見て私はホッと安堵のため息を吐いた。もし、白野の手紙がなければヤチヨは一人で電子の海に飛び込み、行方をくらませていただろう。そうなってしまってはもう彼女を見つけることは不可能となり、今の光景を見ることは叶わなかった。
「……ほら、かぐや、いい加減スマホ返して」
「彩葉もヤチヨの味方するの!?」
「二人の味方。それにかぐやのスマホにもアシストヤッチョいるよ」
「え?」
私の言葉にキョトンとしたかぐやは慌ててポケットからスマホを取り出す。すると、そこには私のスマホにいるヤチヨと同じ姿のヤチヨが『見つかっちゃったー!』と笑っていた。
「いつの間に?」
『これでお留守番するかぐやも寂しくないね! 一緒に歌を歌おう!』
『ヤチヨが二人をサポートするよ! おすすめの晩ご飯はパンケーキ!』
「あー、この適当な感じ、ヤチヨだぁ」
二つのスマホからケタケタと響く笑い声を聞いてかぐやはどこか遠い目をする。今のヤチヨは普段の配信で見せるような姿ではなく、ザビ子と一緒に配信していた時のテンションだった。それはヤチヨが私たちに心を許している証拠。それを噛みしめていると不意に私のスマホにいるヤチヨが声を上げた。
『彩葉、そろそろ出発しないと遅刻しちゃうよー』
「あ、そうだった。じゃあ、かぐや、放課後ね」
「はーい、行ってらっしゃーい」
『行ってらっしゃーい』
かぐやとヤチヨに見送られ、私とヤチヨは学校へと向かう。数日ぶりの学校。はたして、白野はどのような扱いになっているのだろうか。
「お、彩葉ー」
「学校来たんだ、体調はどう?」
「うん、ありがとう。とりあえず、元気になったよ」
教室に入るとすでに来ていた真実と芦花に出迎えられる。クラスメイトたちも私を心配してくれていたのか、軽く声をかけられた。もちろん、いつもの優等生らしく受け答えをしつつ、チラリと白野が座っていた席を見る。そこには誰も座っていなかった。
「朝のホームルームを始めます」
担任の立花先生が教室に来て私たちは自分の席に向かう。そして、白野の席はいつまで経っても埋まらなかった。
「今日の連絡事項は――」
先生は空席があるのに気にした様子もなく、話を続ける。それはクラスメイトも同じ。きっと、白野がいなくなったことをすでに受け入れていつもの日常に戻っているだけ。
「……」
でも、そんな中、私だけは白野のいない教室に慣れていない。彼女のいない生活に慣れたくない。白野がいない毎日なんて考えたくない。
それでもきっと、いつかは慣れてしまうのだろう。そう考えるととても寂しくなった。
「岸波か……一週間ほど前に突然、退学届けを提出しに来たよ」
授業を受け、お昼休みに芦花と真実にこれまであったことを手短に説明している間にいつの間にか放課後になっていた。合流予定のかぐやが学校に到着する前に私は職員室に行き、立花先生に白野について聞いたところ、そんな答えが返ってくる。
「退学、ですか」
「ああ、ロンドンに留学してやりたいことができたって。引き留めたけど彼女の意志は変わらなかった」
「……そう、ですか」
「てっきり、仲の良かった酒寄には相談済みだと思っていたけど、その様子だと何も聞いていなかったんだね?」
「……はい」
彼は私と白野がよく一緒にいたことを知っていたのだろう。意外そうに言う先生に頷くしかなかった。
「そうか……岸波のことは残念だけど彼女の意志を尊重することも大事だと思う。退学届けを出しに来た彼女もいい顔をしていた」
「いい顔?」
「ああ、きっと本当にやりたいことができたんだろうね。覚悟を決めた人と同じ目をしていたよ」
「……」
「それに学校を止めたからと言って会えなくなるわけじゃない。岸波の連絡先は知っているんだろう? 時を見て連絡してあげればいい」
そう言って先生は笑った。私も『そうですね』と笑みを浮かべる。先生、白野はね。もうこの世界にはいません。消えちゃったんです。私たちの手の届かない場所に行っちゃったんです。
「それでは失礼します」
そんな言葉を飲み込んで私は一人、職員室を後にした。
『……彩葉、大丈夫?』
廊下を歩く私の耳に滑り込んできたのは優しい声音。スマホを取り出して画面を見ればヤチヨが心配そうにこちらを見ていた。
「……正直、ショックだった」
白野がいなくなったことは受け入れた。彼女の手紙に背中を押され、前に進めるようになった。
それでも、白野が生活していた痕跡が少しずつ消えていくのを見るとやはり胸が締め付けられる。もっと、何かできたのではないかと考えてしまう。
しかし、結局、何をしても白野は帰ってこない。彼女には会えない。一番欲しいものが手に入らないのであれば――意味がない。
『無理、しないでね』
「うん、もちろん。ありがとう、ヤチヨ」
『あ、そうだ。かぐやもそろそろ校門前に着くよ』
「わかった。急いで行くってかぐやに伝えて」
『あいあいさー!』
私の指示に笑って頷いたヤチヨはスマホから消える。もしかしたらかぐやのスマホに移動して直接、伝えに行ったのかもしれない。ヤッチョアシスト、便利だな。
(やることはまだある)
とにかく、やるべきことをやろう。私は通学鞄を持ち直し、校門へと向かった。