「白野……」
ベッドの上で静かに眠る彼女の名前を呼ぶ。もちろん、彼女からの反応はない。しかし、呼吸はしている。ちゃんと生きている。それが分かっただけでも心の底から安堵していた。
「……白野、会いたかった」
それはかぐやも同じだったのだろう。彼女は私の手を離して白野へと近づき、その頬に触れる。それでも彼女は目覚める様子はなかった。
「感動の再会は終わった?」
その声に私は反射的に振り返る。そこに立っていたのは最初から病室にいた女性。歳は私よりも少し上だろうか? 本は後ろにあるテーブルに置かれ、私たちと話すために立ち上がったのかもしれない。
「まずは自己紹介から。私は『遠坂凛』。魔術師よ」
「魔術師?」
当たり前のようにゲームに出てくるような職業を口にしたため、受け入れるのに少しだけ時間がかかってしまった。しかし、白野も同じ魔術師だったことを思い出してすぐにハッとする。
「やっぱり、白野の部屋を整理した時、一緒にいたのは……」
「あら、それなりに調べてたってわけ? なら、ここにヤチヨって子もいるんでしょう?」
「ッ――」
遠坂さんの言葉に目を見開いてしまう。なるほど、彼女は随分と白野から私たちの話を聞いているらしい。
『いるよ』
どうしたものか、と考えようとする前に私のスマホにいるヤチヨが声を出した。ここで下手に隠れるより、白野のことを聞き出す方が優先だと判断したのだろう。
「よかったわ。酒寄さん、だったかしら。無事にヤチヨを連れ出せたのね」
「……白野が言ってたんですか?」
「ええ、彼女がいなくなった後、自分を探しにあのアパートにあなたたちが来ることも。ヤチヨが自分を責めてプライベートルームに引き篭もることも。それを酒寄さんが連れ出すことも……そして、僅かなヒントからこの病室に辿り着くことも、ね」
『まぁ、彼女が予想した日数よりもだいぶかかってるけど』とどこか嬉しそうに笑う遠坂さん。相手の動きを先読みする白野が自分の予想を外すのは珍しい。しかしそれ以上に気になることがたくさんありすぎた。
「あなたはどうしてここに?」
「白野の付き添いよ。彼女とはロンドンで会って……まぁ、色々と振り回されたわ。いきなり、私を見て月の女王、とか言い出すのよ? わけわかんなかったけど……彼女が私を頼りに来たことだけは分かったわ」
白野がロンドンに行ったのは二週間ほど前だ。しかし、遠坂さんはどこか懐かしそうに苦笑を浮かべている。そんな中、ずっと黙り込んでいたかぐやが一歩前に出た。
「白野は、目を覚ますの?」
「そうね……はっきり言うわ。白野はもう目を覚さない」
「え?」
まさか断言されるとは思わず、声を漏らしてしまった。何かの、冗談だろうか? だって、ベッドで眠る白野は特に顔色が悪い、というわけでもなく、ただ静かに眠っているだけだ。今すぐにでも目を覚まして『おはよう』と言ってもおかしくないくらいに。
「死んでるのよ、その子。正直、手遅れなの」
「死ッ、んでないよ! だって、ほら! 息してるよ? ほっぺたも暖かかった!」
続け様に放たれた遠坂さんの容赦ない言葉にかぐやが言葉を詰まらせながらも必死に否定した。そうだ、白野は生きている。今、目の前で彼女は呼吸して、鼓動を打ち、血が巡っている。だから、そんなはず――。
「……脳、死?」
「ノウシってなに?」
しかし、否定したかったのに私の口から出たのは彼女の言葉を肯定するものだった。もちろん、かぐやがそれを知っているはずないので首を傾げる。
「体は生きてても頭が死んでる……つまり、魂だけ先に死んでしまうことよ。呼吸はなんとか自分でできるから完全な脳死じゃないけど絶望的なのは間違いないわ」
「……何それ、そんなおかしいじゃん。一週間前まであんなに元気にしてたんだよ?」
『私たちが知り合った白野はあくまでサーヴァントとしての『岸波白野』。きっと、彼女は脳死してしまったこの世界の『岸波白野』の体を借りてただけ』
どうしてもその事実を受け入れたくないかぐやだが、私たち以上に英霊に詳しいヤチヨの解説に顔を歪ませた。
「もちろん、外からじゃ本当に魂が死んでしまったのかまではわからないわ。何かの拍子で目が覚めるかもしれない」
「っ……じゃあ!」
「でもね、これだけは断言してあげる。仮に白野が目を覚ましたとしてもそれはあなたたちの知る『岸波白野』ではないわ」
無表情で現実を叩きつける遠坂さん。有無を言わせない彼女の気迫に私は言葉を失ってしまう。でも、それはなんとなく分かっていた。かぐやも何か言おうとしているのに言葉が出ず、口をぱくぱくと動かすだけで精一杯のようだった。
「英霊召喚。簡単には説明を受けてるでしょうけど……改めて私の方からも話すわ」
それから遠坂さんは英霊召喚について話し始めた。その大部分はBBから受けていた話を同じだったがそれでも座って話をしている、より詳細かつ私たちがそれを噛み砕く時間があったため、やっとその全貌がはっきりとした。
「座に還った英霊はその召喚中に得た経験や記憶は記録として残り、再び召喚される時はそれを持ち出すことはほぼできない。」
「それって……仮に私たちが白野を召喚したとしても私たちと一緒にいた白野じゃなくて私たちのことを知らない、フラットな『岸波白野』が現れるってこと、ですか?」
「ええ、私たちの知る『岸波白野』は確かに座に還った。その時点でもう彼女には永遠に会えないわ」
「そんな……」
遠坂さんが頷いたのを見て私はベッドで眠る白野に視線を向ける。眠っている白野は現在、ほぼ脳死状態であり、目を覚ます確率はほぼ0に近い。仮に奇跡が起きて目を覚ましたとしてもその彼女は私たちと一緒にいた白野ではない。
ましてや、英霊召喚をして成功してもそれは『岸波白野』という名前の別人。それはあまりにも――救いがなかった。
(ああ、やっと分かった)
きっと、ヤチヨもこんな気持ちだったのだろう。姿や考え方、声、性格は自分の知るものと同じなのに自分を知らない別人。それはまさしく『白野に出会った酒寄彩葉』と『白野に出会わなかった酒寄彩葉』そのもの。私はそんな状況を想像するだけ胸が張り裂けそうなのに、ヤチヨはそれを経験している。それに気づいてしまい、私は顔を歪ませてしまった。
「……」
「……今日はもう帰りなさい。また話したいことがあったらここに来るといいわ。あと一週間くらいは日本にいるつもりだから」
顔を青ざめさせている私たちを見てこれ以上の会話は困難だろうと判断したのか、遠坂さんはそう提案して――私たちはそれを素直に受け入れて白野の病室を後にした。
どうやって家に帰ってきたのか、記憶が朧げだ。今日は大家さんに鍵を返したら晩御飯の食材を買いに行こうと言う話だったのに気づけば自室で天井を見上げていた。
確かに白野はいた。この世界にまだ存在してくれた。でも、彼女が目を覚ます可能性は低く、仮に目を覚ましたとしても私たちの知る彼女ではない。
(そんなこと言われても……わかんないよ)
知らなければならないことはたくさんある。やらなければならないことはもっとある。
でも、ごめん。流石に堪えた。やっと、あなたに辿り着いたのにすでに手遅れだとか、そんな悲しいこと言わないでよ。
「白野……」
目を閉じて思い浮かぶのは静かに眠る彼女の姿。夢は見られているのだろうか。そんな見当違いな心配をしながら私は晩御飯すら食べずにゆっくりと意識を手放す。その日、私は夢を見なかった。
「……へぇ、直接、乗り込んでくるとは思わなかったわ」
『ごめんね、勝手にスマホに入っちゃって。でも、どうしても聞きたいことがあったの』
「もちろん、知ってることなら話せる範囲で話すけど……何が知りたいの?」
『……月の聖杯戦争。その結末を教えて。白野はムーンセル・オートマトンを手に入れた後、どうなったの?』
白野が予想していたよりも遅くなった理由
→彩葉たちが落ち込む時間の長さを見誤ったため。