『月の聖杯戦争、ね』
私の問いに呟くように言葉を零す魔術師、『遠坂凛』。彼女はロンドンで白野と出会い、付き添い――否、協力者として日本に来た女性だ。整った容姿に眩しい金髪。赤がとても似合う、白野とはまた違った美人さんである。
『どうしてそれを知りたいの?』
「……」
凛の質問に私は少しだけ言葉を詰まらせてしまう。知りたい気持ちに嘘はない。しかし、その理由を言語化するのが少し難しかった。
「……白野はね。いつも自分よりも他人を優先してたんだ」
『ええ、そうね。二週間しか一緒にいなかった私もそう感じたわ』
「そんな優しい人が聖杯戦争っていうデスゲームにいつの間にか参加させられて、たくさん辛い目に遭って……英霊たちと心を通わせて生き残った」
しかし、白野は言っていた。今の彼女は並行世界の『岸波白野』の記憶も保持している、と。きっと、聖杯戦争に生き残った記憶だけではない。その道半ばで無念にも殺されてしまったそれもあるだろう。
「私は知りたい。白野がどんな気持ちで聖杯戦争を生き残ったのか……詳しく教えてくれたのは生き残った記憶だけで死んでしまった時のことはほとんど口にしなかった。私は、
『……正直な話、白野は私にも月の聖杯戦争の話はほとんどしなかったわ』
私の視線を受け、話す気になったのか凛はそんな前置きをした。彼女が白野と出会ったのは二週間前。その間、やることもたくさんあっただろう。聖杯戦争の話をする暇がなくても不思議ではない。
『でも、それでも教えてくれたことはあった。あなたが知らなそうなものは二つ。彼女の出生と――『岸波白野』の最期』
「ッ……」
白野の出生と最期。その単語に思わず息を呑んでしまう。この世界の『岸波白野』は一般家庭に生まれ、普通の女の子として生きていた。だが、月の聖杯戦争に参加した白野は記憶を失っていた。その戦いの中で彼女の正体がわかったのだろう。
『月の聖杯戦争についてはどれぐらい知ってるの?』
「え? えっと、電脳空間『SE.RA.PH』にログインしたマスターにはムーンセルから一騎の英霊を支給されて……128名のマスターによるトーナメント戦で優勝者を決める。その勝者にムーンセルが与えられるんだっけ?」
『ええ、合ってるわ。基本的なルールは、ね』
白野の出生を聞くはずだったのに聖杯戦争のルールを問われ、戸惑いながら答える。私の知識に齟齬はなかったようだが、何故か凜は少しだけ含みのある話し方をした。
『実は月の聖杯戦争には参加する条件があったの』
「条件?」
『そう、予選ってことね。その予選では自分の記憶を封じ込められた後、ランダムに
予選、と聞いて本選と同じように英霊による戦いが行われたと思っていたのだが、予想外な内容に首を傾げてしまう。
『その予選には時間制限が設けられていて学校生活に違和感を覚えて脱出しなければならなかった。違和感すら覚えられなかったマスターたちは……本来の自分を思い出すことなく、死んだ』
「は?」
『予選会場ごと
「そんなっ……」
そんなはずない、と咄嗟に否定しようとしたが私は死にたくても死ねない地獄を知っている。知らない方がいいこともある。何も知らないまま、楽に死んだ方がいいこともある。それは――否定できなかった。だって、私はあの時、何度も死を望んだのだから。苦しむぐらいならいっそのこと、と考える人の気持ちもわかってしまう。
「じゃあ、白野はその予選を突破した時に記憶を失っちゃったんだね」
白野は月の聖杯戦争に参加した時、記憶を失っていた。それは予選を突破した際に発生した事故、と考えるのが自然だ。
『……その方が何倍もマシだったのにね』
しかし、凛はそれを聞いて目を伏せる。記憶を失った方がマシ? そんなはずない。だって、白野はムーンセルという願望機を手に入れるためにマスターとして参加した。つまり、彼女には聖杯戦争に参加してまで叶えたい望み、譲れない矜持があったはずだ。それを忘れてしまったら戦う理由がなくなってしまう。
『違うの。そうじゃないの。そもそも、前提が間違ってる』
「ぜん、てい?」
『月の聖杯戦争に参加した『岸波白野』は――人間じゃない』
「……は?」
白野が、人間じゃない? いや、ありえない。だって、彼女はマスターとして月の聖杯戦争に参加した。それこそ彼女が人間である証拠だ。
『さっきも言ったけど予選では多くの上位AIや一般NPCが用意されてたの』
言葉を失っている私を置いて凛は話を進める。しかし、その口から出た話はあまりに脈絡のないものだった。AIやNPCがどうしたというのだ。
『AIやNPCはムーンセルが記録している地球に住んでいた人間たちのパーソナルデータを基に作成される。例えば、あなたの知る『酒寄彩葉』の姿をしたNPC、とかね』
「彩葉の、NPC?」
『ムーンセルの所有者が見つかるまで月の聖杯戦争は何度も開催された。その度にAIやNPCが用意され……一人のNPCに自我が宿った』
困惑する私に彼女は容赦なく、説明を続ける。待て、待って。その話し方だとまるで――。
『それが『岸波白野』の正体。人間はおろか、AIですらない、ただのプログラムの塊が彼女よ』
「ッ――」
そのあまりの言い方に私は一瞬、頭が沸騰しかけた。しかし、すぐに冷静になる。今、彼女の機嫌を損ねたら話の続きを聞けないからだ。
『白野は記憶を失い……と、いうか最初から記憶を持たないまま、本選に進んでしまった。それから彼女は自分を探しながら戦い続け、自分の正体を知った』
「……」
『探していた願いや矜持はどこにもなかった。そもそも最初から己という存在を持っていなかった白野は悩んで、苦しんで、諦めようとも思ったけど……それでも先に進むことを選んだ。対戦相手の果たしたい願い、想い、気持ちを踏みにじってでも生き残る。そんな覚悟を決めて――月の聖杯戦争に勝利した』
NPCであることには驚いたが、それでも白野は前に進んだと聞いて少しだけホッとする。月の聖杯戦争で『岸波白野』は自我を獲得し、生き残って普通の生活を手に入れて『めでたしめでたし』。うん、それが彼女のハッピーエンド――。
『ムーンセルに接続した彼女は何かを願った。その内容までは知らないけれど……その後はムーンセルによって消去されたわ』
「……え?」
――そんな私の希望を凛は容赦なく踏み潰した。