『ムーンセルに接続した彼女は何かを願った。その内容までは知らないけれど……その後はムーンセルによって消去されたわ』
「……え?」
最初、凛が何を言っているか理解できなかった。ムーンセルによって消去された? だって、白野は月の聖杯戦争に勝利したマスターだ。例え、彼女の正体がNPCだったとしてもそれは変わらない。
『ムーンセルは人間のマスターしか受け入れない。仮にAIやNPCが接続しようとしたらそのデータを消去するようなプログラムが組まれているの』
「ま、待ってよ……それはあまりにも……」
『ええ、あまりにも白野が報われない。でも、それが事実よ』
「白野は……知ってたの? ムーンセルに接続すれば消えちゃうって」
『知ってたわ。勝っても負けても自分は死ぬ。それでもなお、白野は前に進むことを止めなかった。これが白野の正体と彼女の最期。私の知る『岸波白野』の全てよ』
『もちろん、例外はあったみたいだけど』と凛はそう締めくくった。しかし、私はまだ飲み込みきれておらず、思考がグルグルと巡るばかり。でも、駄目だ。頭が理解することを拒んでいる。
白野はどちらにしても死ぬ運命だった。普通なら動けなくなって、その場で蹲って、自分の運命を呪って、何もできずに死んでいく。
でも、彼女はそれでも……自分が死ぬことが確定していたとしても前に進んだ。その道中で他人を殺すことになっても、諦めずに歩みを止めなかった。
死にたくても死ねなかった私と死にたくなかったのに死ぬ運命にあった白野。私たちは違う地獄を味わっていた。でも、死ねないから、と前に進むしかなかった私とは違い、彼女は自分の意志で顔を上げた。その先に待ち受ける死すらも恐れずに。
ううん、違う。きっと、恐ろしかったに違いない。でも、彼女にとってその場で立ち止まる方が嫌だっただけ。きっと、白野ならそれだけで前に進める。だって、彼女は人間だと思っていたのに自分が英霊だと思い出してもなお、すぐに消える運命を受け入れて行動を起こしたのだから。
だが、それでも――彼女の最期はあまりにも悲しいものだった。だって、白野は頑張ったのだ。記憶を失い、他人を殺すことを強要され、自分が人間ですらなかったと知りながらも前に進んだのだ。なら、何かあってもいいじゃないか。誰もがハッピーエンドだと思えるような、そんな展開が。
(でも、白野には……それがなかった)
多分、例外はあったのだろう。月の王として英霊たちと共に戦った、と言っていたのがその証拠だ。
しかし、きっと、並行世界の『岸波白野』は月の聖杯戦争の最中に命を落とし、運よく生き残れたとしてもムーンセルに消去された。例外があればいい、という話ではない。ああ、そうだ。私は――それが許せない。どんな選択肢を選んでもデッドエンドを迎えるとか、そんな運命、納得できるわけがなかった。
でも、私にできることはない。だって、それは全て終わったことだ。ムーンセルのない世界に生きている私にはどうすることもできない。
『このことは酒寄さんたちに話すの?』
「話せるわけッ……ないよ……」
無力な自分を情けなく思っていると不意に凛に問いかけられ、声を荒げそうになって慌てて抑えた。ただでさえ、白野の状況に心を痛めているのに追い打ちをかける真似はできない。この話は私だけの秘密にしよう。
『私が白野から聞いた聖杯戦争の話はこれでおしまい。他に何かある?』
「……最後に聞かせて」
『岸波白野』の顛末に打ちひしがれながらも私は震える声でそう言った。彼女は視線だけで先を促してきたので素直に疑問を口にする。
「この世界の白野は……脳死じゃないんだよね? でも、どうしてもう目は覚まさないって断言したの?」
病室で彼女から聞かされた話で気になった点、それはこの世界の白野の病状だ。医者が脳死判定する時、いくつかの判断基準がある。その中に自発的に呼吸ができるか、という項目がある。白野は呼吸していたので脳死だと判断する基準を満たしていない。つまり、普通であれば目が覚める可能性はあるはずだ。
『……あなたなら知ってるかもね。六十年以上前、一つのウイルスが蔓延した』
「ウイルス?」
『それは人の脳神経を冒し、自分と他人の境界線が曖昧になって記憶を認識することすらできなくなる。そして、最後は死に至る病』
「……アムネジア・シンドローム」
知っている。黒死病と同様に一時期、とても話題になった感染症だ。感染ルートは今でも解明されておらず、1970年代に一人の科学者によって治療法が発見された。しかし、その科学者が亡くなってしまい、研究が頓挫してしまったことがあった。あの時はマジで焦ったのを覚えている。確か、知り合いに声をかけまくって研究を続けるようにしたんだっけ? 多分、余計な行動だったと思うけど何故かあの時の私はいつもと違い、何とかしなくちゃ、と思ったのを今でも鮮明に思い出せる。
『ええ、幸い、ワクチンはすぐに開発されて事なきを得たわ。でも、この病気に関して未だにわかっていない部分が多い』
「そう、だね……」
『そんな中、一人の少女が事故に遭った。両親は他界。親戚はいても遠方だったため、お見舞いに来られる状況ではなかった』
「……もしかして」
待って。嘘だよね? だって、この病気はすでにワクチンが開発されており、不治の病ではなくなった。治る病気なのだ。だから、そんなはずない。
『幸いにも少女の怪我は軽症で入院した病院の医者たちはすぐに目を覚ますだろうと思った。でも、何日、何十日、何百日と時が経っても少女は目を覚まさなかった。外傷はすっかり治っていたし、事故に遭った時に脳を検査したけど異常はなかった。そう、事故に遭った直後は』
「ッ……」
『ワクチンの開発により、アムネジア・シンドロームはすっかり忘れ去られた病気になった。少女……白野が事故に遭って意識がなかったのも災いした。事故に遭った時に感染したのか、それとも最初から彼女の体内に潜伏していたのか。どちらにしても彼女は事故をきっかけにアムネジア・シンドロームを発症した』
「じゃあ、白野が目を覚まさないって言ったのは……」
ねぇ、神様。そんなのってないよ。だって、白野は頑張っていた。この世界の彼女がどんな生活を送っていたのか、それはわからない。でも、あの『岸波白野』が頑張っていないはずがないのだ。ならさ、もっと幸せにしてあげてよ。ただでさえ、並行世界で死ぬ運命にあった『岸波白野』だ。平和なこの世界でくらい普通に暮らしてもいいじゃないか。
『医者たちがアムネジア・シンドロームの可能性に気づき、脳を再検査した時にはすでに彼女は手遅れだった。ワクチンを打ってウイルスを死滅させたけどすでに彼女の脳神経を冒されてしまった。脳にダメージを負った白野は――もう目を覚ますことはないわ』
しかし、凛の口から出たのはそんな無情な事実だった。