「……」
カーテンの隙間から射す日差しが顔に当たってアラームよりも前に目を覚ました。無言のまま、体を起こして枕元に置いてあったスマホを手に取る。今日は2030年9月20日、金曜日。今日が終われば再び三連休がやってくる。
(ヤチヨは、いないか……)
昨日は調査を頼んでしまったのでツクヨミの管理者権限に関する作業をしているのかもしれない。今日は彼女の邪魔はしないでおこうとのそりと布団から出て学校に行く準備を始めた。
「……」
制服に着替えてリビングルームに下りるとそこには誰もいない。いつもより一時間も早く起きたからだろう。今頃、かぐやも自室で寝ているに違いない。
(そういえば、昨日は潜り込んで来なかったな)
白野が消えてから不定期になったとはいえ、よく私の部屋に忍び込んでくるかぐやだが、やはり白野の秘密を知ってショックを受けたのか、昨日は一人で寝たようだ。
「……やるか」
いつもかぐやにばかりご飯を任せているので今日ぐらい私が用意しよう。ううん、違う。何かしていないと白野のことを考えてしまうから何でもいいから体を動かしたかったのである。
それから私は久しぶりに朝食を作った。まぁ、適当にパンをトースターへ突っ込み、付け合わせにウインナーとベーコン、卵を焼いた後、インスタントのスープを付けただけの簡単なものだが。
「……」
何事もなく、朝食は完成した。しかし、いくら待ってもかぐやが起きてこない。どうしたのだろうか。このままでは遅刻してしまう。私はかぐやのSNSにメッセージを送った後、一人で朝食を食べ始める。せっかく作ったそれらはすっかり冷めて、少しだけ味気なかった。
あの後、遅刻ギリギリまで待ってみたがかぐやは姿を現さなかった。しかし、メッセージには『おはよ! ちょっとやりたいことがあるからごめん! 朝食は後で食べるね!』と返信があったため、彼女を置いて学校へと向かった。
「あ、彩葉おは……どうしたの?」
「え? 何が?」
登校途中、珍しく芦花と出会ったが私の顔を見た彼女は開口一番、心配そうな声を漏らす。内心、ドキッとしながらもいつもの笑みを浮かべて首を傾げた。
「……彩葉、顔色悪いよ?」
「そう、かな……」
「そうだよ……私から先生に言っておくから今日は帰った方が――」
「――大丈夫」
彼女の提案を遮って笑う。私は大丈夫。だって、こうやって歩いて学校に行けるほど元気なのだ。今も眠り続けている白野に比べたらこんなの……平気だ。
「……彩、葉? なんで、泣いて……」
「え……ぁ」
笑っていたはずなのに芦花は目を丸くして驚いた。その呟きを聞き、初めて私の目から涙が零れていることに気づく。
「あ、れ……おかしいな」
白野が消えた。そのはずだったのに、彼女はちゃんとこの世界にいてくれた。それは喜ばしいことだ。眠っているとはいえ、白野は生きている。嬉しい。嬉しい、はずなのに。
「……ごめん、さすがに見過ごせないよ。私も付き添うから家に帰ろ」
「でも……」
「だーめ。ほら、お姉さんの言うことは聞かなきゃ」
「誕生日が一か月、早いだけじゃん」
「でも、お姉さんなのは間違いないでしょ? 真実も呼んじゃおっか。不良三姉妹ってね?」
私を落ち着かせるためか、少し茶化したような言い方をしながら私の肩を支える芦花。ああ、本当に――ずるいなぁ。その優しさに私は泣きながら弱々しく笑みを浮かべることができた。
私は芦花に連れられ、家に帰った。そして、マンションの前で芦花の連絡を受け、駆けつけてくれた真実と合流する。しかし、何故か彼女の両手にはパンパンに膨れたコンビニのビニール袋が装備されていた。
「えっと……真実、それは?」
「え? 前みたいにやけ食いするんじゃないの? 第二回愚痴大会」
どうやら、私が泣いたと聞いて白野の愚痴大会を開くと勘違いしたらしく、キョトンとしていた。そんな彼女を見て私と芦花はほぼ同時に吹き出し、彼女の手から重たそうなビニール袋を奪うように取る。
「もー、違うよー。あ、こんなにお菓子買い込んで……太るよ?」
「あ、これかぐやが食べたいって言ってた季節限定の味」
「やけ食いじゃなかったかー。じゃあ、今日はただの女子会! かぐやも誘って皆でわいわいやろう!」
そんな話をしながらマンションへと入り、家に帰る。玄関の鍵を開けてリビングルームを覗き込んだが、カグヤの姿はやはりなかった。
「あれ、かぐやちゃんは?」
「やりたいことがあるんだって……ちょっと呼んでくる」
「じゃあ、女子会の準備してるねー」
ガサガサとビニール袋を漁る芦花と真実を置いて私は二階へ。そのまま、かぐやの部屋をノックした。私が学校に行って誰もいないはずなのに扉をノックされたからか、中から『うえぇ!?』と驚いた声が聞こえた。
「かぐや、私」
「え? 彩葉?」
驚いた様子で扉を開けたかぐや。しかし、彼女の顔を見た私は思わず言葉を失ってしまう。彼女の眼の下に深いクマができていた。
「かぐや? もしかして、寝てないの?」
「あー、まぁ、ね。それより、彩葉、目が腫れてるよ? もしかして、泣いてたの?」
「えー、その……ちょっと、ね」
なんだかお互いに知られたくないことを知ってしまったような状況に気まずくなってしまう。しかし、そんな沈黙を破るようにリビングルームの方から『コップ、勝手に出すよー』と真実の声が響いた。
「真実? なんで?」
「学校、サボっちゃった。芦花もいるよ」
「ほほーん、これはいけませんなー。不良になっちゃったん?」
「ぶふっ」
「え、そんなウケるとこ?」
芦花と同じようなことを口にしたため、私は笑ってしまう。それからかぐやを連れてリビングルームに下り、目の下にできたクマに驚かれたり、真実が買ってきた食料品たちの山に驚いたりと楽しい時間を過ごした。
「ねぇ、彩葉、やっぱり二人には話した方がいいんじゃない?」
そんな中、かぐやが唐突にそんなことを言い出す。その言葉に芦花と真実は少しだけ背筋を伸ばした。私やかぐやの状態を見て何かあったのだろうと察していたに違いない。それでも聞き出そうとしなかったのは彼女たちの優しさなのだろう。
「……そうだね」
芦花と真実は色々と動いてくれた。なにより、白野と友達だ。彼女の状態がどうであれ、この世界にいることは伝えておきたかった。
「実は――白野が見つかった」
「……え?」
「白野が、見つかった……え、ほんと!?」
私の言葉に芦花は茫然とし、真実は声を荒げて立ち上がる。そして、二人は口元を緩ませ――私とかぐやの表情が暗いことに気づき、目を細めた。
「何か、あったの?」
「……もう目を覚まさないらしいの」
「……目を、覚まさない?」
状況を飲み込めていない二人に私は遠坂さんから聞いた話を簡潔に伝えた。正直、話しながら私も未だにわかっていないことが多いことを再確認する。
「脳死……でも、あんなに元気に動いてたよ?」
「あくまで私たちが接していた白野は英霊の『岸波白野』で、この世界の『岸波白野』の体を借りて召喚されてただけだったみたい」
「じゃあ、その英霊の白野が座に還ったから……」
「この世界の白野は眠ったままに戻ったってこと」
「目を覚ます可能性はないの?」
真実の震える声に私は黙って首を振るしかなかった。今の医療技術では脳死に至ってしまった人は救えないことがほとんどだ。ただでさえ、白野が英霊として召喚され、かぐやの輪廻を壊したこと自体、奇跡なのにこれ以上を望むのはあまりに――。
「そうかな?」
そんな私の思考を止めたのは隣に座っているかぐやだった。自然と私たちの視線が彼女へ集まる。
「凛は脳死に近い状態って言ってたじゃん? つまり、脳死じゃないんだよ。脳死って初めて聞いたから色々と調べてたんだけど、呼吸も自分でできなくなっちゃうんだって! でも、昨日の白野は自分で呼吸してたから脳死じゃない!」
「……もしかして、一睡もしてなかったのは」
「あはは、どうしても諦めきれなくてどうにかできないかなーって調べてたの」
私の指摘にかぐやはどこか困ったように笑った。私は自分の無力感に苛まれながら寝ていたのに、彼女はたった一人で足掻いていたのだ。その姿はまるで――。
「かぐやね、月に帰らなきゃならないってわかった時、すぐに諦めちゃったんだ」
そう語りながらそっとテーブルの上に置かれた飴を手に取って個包装を破るかぐや。その中から白い飴が顔を覗かせた。
「でも、卒業ライブの時、彩葉たちがかぐやを月に行かせないように頑張ってくれて……それでも駄目でさ。仕方ないよねーって受け入れようとした直後に白野は来てくれた。どう見ても絶望的な状況なのに……『諦める』っていう考えすら持ってないような顔で立ってて」
彼女は白い飴を手に取ってジッと観察する。かぐやの口調があまりにも自然だからか、話を聞きながらもその白い飴の味は何だろう、と余計なことを考えてしまった。
「本当に……嬉しかったんだ。彩葉も、芦花も、真実も、帝たちも……そして、白野は――かぐやを本当に大切に想ってくれて、どんなことをしても失いたくなって思ってくれて、かぐや、めっちゃ幸せ者じゃーんってね」
「かぐや……」
「それにさ。白野が目を覚ましたとしてもかぐやたちの知ってる白野じゃないって凛は言ってたけど……それでもかぐやはこの世界の白野とも仲良くなりたい。白野が地上に落ちてきたかぐやを助けてくれたみたいにかぐやが助けてあげるの!」
立ち上がって私たちへ夢物語を語るように満面の笑みを浮かべ、白い飴を口に放り込むかぐや。そんな彼女の傍に少し前まで一緒にいた私たちの英雄の姿を幻視した。
ねぇ、白野、見てる? あなたがこの世界で刻み込んだ軌跡は座に還った後でもここにしっかりと刻まれているよ。
「お片付けのやり方も、プログラムツールの作り方も、炎上しない方法も、気持ちの伝えた方も、どんなに苦しいことを前にしても諦めない心も! 全部、白野が教えてくれた! だから、今度はかぐやの番! 皆が諦めちゃったとしてもかぐやだけは絶対に! 絶対に、絶対に、ハッピーエンドに向かって突き進む!! かぐやはもう何も諦めない!!」
きっと、それは彼女なりの宣戦布告だったのだろう。目の下にクマを作っているのに、それでもその瞳はキラキラと輝いていて――その輝きに私は、きっと――。
『ごめん、かぐや。私が間違ってた』
「ッ――」
その声に私たちはハッとして顔を上げる。みんなの視線は私のスマホへ。その画面に――電子の歌姫、ヤチヨが覚悟を決めたような表情を浮かべて立っていた。
なお、かぐやが食べた飴の味が『ミルク』です。