「ヤチヨ?」
『あ、ごめん。こっちじゃ見にくいよね。テレビの方に移動するよ』
突如として現れたヤチヨに驚く中、彼女はテレビに移動して笑った。そして、そのまま芦花と真実へ視線を向ける。
『芦花、真実……改めて『月見ヤチヨ』です。これからよろしくね』
「ぁ、えっと……」
「う、うん……」
ヤチヨの言葉に戸惑いながら頷く芦花と真実。二人にはヤチヨを連れ出したと説明したが彼女が『かぐや』であることはまだ伝えていない。そのため、彼女がいきなりこの場に現れたことに驚いているのだ。
(でも、『かぐや』だって説明すればもっと混乱させちゃう)
彼女たちには申し訳ないが今は黙っておこう。とにかく優先するべきは様子のおかしいヤチヨの話を聞くことだ。
「ヤチヨ、さっきのはどういうことなの?」
『……実は昨日、私一人で凛のところに行ったの』
「え?」
ヤチヨは肉体を持たない魂だけの存在。その特性を活かして電子機器の中を行き来できる。きっと、私たちが病室を去った後、遠坂さんのスマホに潜り込んでいたのだろう。
「でも、なんで?」
『聞きたいことがあったから……その中に私もかぐやと一緒で白野の脳死に引っかかりを覚えて事情を聞いたの』
やはり、白野の脳死は少し事情が違うらしい。しかし、ヤチヨの顔色は晴れていなかった。つまり、良い話ではなかったのだろう。これは覚悟して話を聞いた方がいいだろう。
「それで、なんて言ってたの?」
『……確かに今の白野は脳死までには至ってないんだって。でも、アムネジア・シンドロームっていう病気に罹っちゃって脳に深刻なダメージを受けちゃったんだって』
「アムネジア、シンドローム……」
聞いたことない病気だ。軽く検索してみるとどうやら、何十年も前にワクチンが開発され、最近では滅多に見られない感染症らしい。しかし、治療法は見つかってもその感染ルートやどのようなメカニズムで脳に異常を与えるのか、など未だにわかっていない部分が多いようだ。
「つまり、脳死にはなってないけどその受けたダメージをどうにかしないと白野は目を覚まさないってこと?」
『多分、でも、今の医療技術だと難しいみたい』
白野が目を覚まさない理由はわかった。現状ではどうすることもできないのも事実。でも、白野から大切なものを貰った彼女はヤチヨの話を聞いて笑顔を浮かべた。
「そっか。なら、何とかしないとね! まずはアムネジア・シンドロームの情報を集めて、同じような症状になった人を探して、治療法があればそれを試す。もし、なかったら……その時に考えよ!」
『もー、簡単に言っちゃって……でも、かぐやの言うとおりだね。凛の話を聞いてもう駄目だって思ったけどここで諦めちゃったらそれこそおしまい。私たちが諦めない限り、可能性は0%にならない!』
かぐやの言葉にヤチヨも頷いた。アニメか、ゲームか。ソースは忘れてしまったが絶望は伝播すると聞いたことがある。しかし、それは希望も同じ。どんな絶望的な状況でもたった一人でも諦めない人がいれば周囲にいる人たちも立ち上がれることがある。きっと、その一人こそ――英雄と呼ばれるべき人だ。
「彩葉!」
『彩葉!』
かぐやとヤチヨはほぼ同時に私に手を伸ばす。ああ、本当にずるいよ。二人はいつだって私をどこかへ連れ出してくれる。でも、それは逆も同じ。二人が悩んだ時は私がどこかへ連れ出す。そうすればきっと、私たちはどこにだって行けるはずだ。
「……そうだね。私たちのことを諦めなかった白野を諦めるわけにはいかないか」
白野。
――きっと、今の彩葉ならお母さんとも上手くやれるよ。
「……あ、そっか」
ああ、なるほど。そういうことか。やっとわかった。ずっと心の中で燻っていた将来に対する不安。それがたった今、晴れた。そうか、これが――私のやりたいこと。
「みんな、私、やりたいことができた」
それを自覚した途端、心が軽くなって自然とみんなに話しかけていた。何だろう、と四人の視線が私に集まる。
白野はアムネジア・シンドロームによって脳に深刻なダメージを受けた。かぐやの言ったように似たような事例があれば今の医療技術でも直せる可能性はある。
しかし、ヤチヨも言っていたがそう簡単には行かないだろう。白野がアムネジア・シンドロームに罹っているとわかった時点で担当医がどうにかしようと調べたに違いない。それでも、白野を治す方法は見つからず、今もベッドの上で眠っている。
「私が白野を治す」
だから、私が治す。今の医療技術では太刀打ちできないのなら私がその技術を底上げする。研究者となり、なんとしてでも白野を起こしてみせる。
「彩葉……」
「だから、私も諦めない。絶対に白野に会う。たとえ、目を覚ましたあの子が私たちの知る白野じゃなかったとしても……戦友をこのまま眠らせたままにはできない」
茫然とする芦花にそう言って笑う。私は元々、お母さんと同じ弁護士になるつもりだった。もちろん、白野のおかげでお母さんの後を追うことはなくなったがやりたいことはなかったため、専攻は文系のままだ。しかし、医療技術を向上させるのなら理系を専攻することになる。高校二年生の秋から理転して追いつくのは難しいことだろう。でも、それは私が歩みを止める理由にはならなかった。
「かぐや、ヤチヨ、手伝ってくれる?」
「もちろん、かぐやちゃんに任しときっ!」
『調査ならヤチヨにお任せあれ! どんな機密情報もちょちょいと集めちゃうよ!』
「いや、それは犯罪だから止めてね」
私の言葉に笑って頷くかぐやとヤチヨ。しかし、さすがにハッキングは見過ごせなかったため、やんわりと止める。そして、そんなやり取りがどこかおかしくて三人同時に吹き出した。
「もー、彩葉ぁ! 私たちもいるよ?」
「さすがに東大とか一緒にいけないけど、勉強のお手伝いはさせてよね」
「真実、芦花……うん、その時はお願いするね」
笑い合う私の傍に来た二人の言葉に心が震える。私は一人じゃない。私には頼れる友達がたくさんいる。だから、諦めない。必ず、白野を――夢の中から連れ出してみせる。
「そのためにはまずは色々と把握しておかないと、ね」
「把握?」
「うん、私たちはまだ知らないことがたくさんある。それを一つずつ確認して……遠坂さんに会いに行こう」
その手始めとしてここから始めよう。私はみんなに声をかけた後、自室に戻ってそれを手に取ってリビングルームに戻ってくる。
「ヤチヨ」
『うん、何かな?』
「白野から手紙を預かってる。まずはこれを読んでほしい」
『白野からの、手紙……』
私が差し出したのは表に『ヤチヨへ』と書かれた手紙。私たちに宛てられたものは読み終えていたがプライベートルームに引きこもっていた彼女はまだ読んでいなかった。もしかしたら、この中に重要な情報が書かれているかもしれない。
『……彩葉、読んで。私は、それを手に取れないから』
しかし、ヤチヨの答えは少し意外なものだった。どこか寂しそうな顔で笑った彼女は証拠を見せるようにこちらへ手を伸ばすが画面の中にいる以上、どうしても私の持つ手紙には届かない。
「いいの?」
『うん、みんなにも聞いてもらいたいんだ……特に芦花と真実には、ね』
「え、私たち?」
ヤチヨの言葉に戸惑いながら顔を見合わせる二人。ああ、そっか。白野はヤチヨの正体を知っている。この手紙もそれを踏まえたものになっているはずだ。
「……じゃあ、読むよ。芦花と真実は多分、驚くと思うけど説明は後でするからまずは聞いててほしい」
「……わかった」
私のお願いに二人が頷いたのを確認した後、慎重に手紙を広げて――目を見開く。ああ、もう……白野、この出だしは卑怯だよ。
「……『かぐやへ』」
ヤチヨへ宛てられた白野の手紙。その出だしにはしっかりと『かぐや』と書かれていた。
彩葉、医療の道へ。