「そろそろ落ち着いた?」
『うん……とりあえず、何か言われてから考えることにする』
「賢明ね。じゃあ、話の続きをしましょうか」
アイスを食べ終えた遠坂さんがスマホの中で項垂れているヤチヨに声をかけたところで休憩時間が終わった。私とかぐやも背筋を伸ばして彼女の方へ視線を向ける。
「あなたたちの覚悟はわかったわ。こちらとしてはやってみたら、と言うしかないけど……それで? その様子だと他にも話したいことがあるんでしょ?」
「はい……白野がロンドンで何をしてたのか教えてほしいんです」
今日の目的は二つ。一つは遠坂さんに私たちの目的を伝えること。もう一つはロンドンで白野が何をしたのか把握することだ。先ほどのコールドスリープの件もそうだが、白野は私たちの行動を読んですでに厄介事を終わらせていることが多い。私たちがこの先、どうするか考えるためにもまずはそこを知る必要があるだろう。
「……」
しかし、私の言葉を聞いた遠坂さんは難しい顔をして黙り込んでしまった。何か話しにくいことでもあるのだろうか。
「そうね……白野がロンドンでやったことは主に三つ。一つは私に会いに来て協力してほしいとお願いしたこと。二つ目はさっきも話したレオナルドとの交渉……で、問題は最後の一つなんだけど白野も失敗したわ」
「失敗?」
「正しくは交渉が上手くいかなかった……正直、ぬか喜びさせたくないからあまり言いたくないんだけど、聞きたい?」
どうやら、私たちのことを思って言わない方がいいと思っているらしい。でも、あの白野が交渉に失敗する? あまり想像できない。それほど気難しい相手だったのか、難解なお願い事だったのか。
「……聞きます。いいよね? かぐや、ヤチヨ」
だが、落胆することになっても聞いておくべきだ。そう判断してかぐやたちに同意を求め、二人もコクリと頷いてくれた。それを見た遠坂さんは小さくため息を吐いた後、ヤチヨの方へ顔を向ける。
「私の協力を得た白野はとある人物について聞いてきたわ。その目的を聞いて私もコネというコネを使いまくってなんとかその人とコンタクトを取ったの」
「……」
「その人の名前は……言わないでおく。あなたたちには関係ないし、無駄に
十分すぎるほど前振りをした後、彼女は口内を潤すためにすっかり冷めてしまったコーヒーを啜る。そして、壊れ物を扱うように慎重にカップを置いて顔を上げ、あまりにも予想外な内容を口にした。
「白野がやろうとしていたこと……それはヤチヨに体を与えるよ」
『……え?』
彼女の言葉を飲み込めず、茫然とする中、最初に声を漏らしたのはヤチヨだった。スマホの中にいる彼女は目を見開いて口をポカンと開けている。
(ヤチヨに、体を?)
「まぁ、正確には等身大の人形を作ってもらってその中にヤチヨを入れることだったんだけど……」
「え、ぁ、人形?」
「そう、人形。この世界にはね、魔法みたいなことができる魔術師が何人かいるんだけどその一人に人形師がいるのよ。その人は人体とほぼ同じ性能を持つ精巧な人形を作ることができるの」
最初に聞いた時はマリオネットやぬいぐるみのような人形を思い浮かべたがその人形師は人間とそっくりな人形を作れるらしい。魔術の世界を知らない私からしてみれば『そんなことできるの?』と首を傾げてしまうが今は遠坂さんの話を信じるしかなかった。
「その、人形があればヤチヨは体を得られるの?」
「ええ、噂によれば味も、痛みも、暖かさもわかるし、排泄も可能らしいわ」
「それ……普通の人間と何が違うの?」
「だから、言ったじゃない。人間とほぼ同じ性能を持つ人形を作れるって……白野と交渉してる時も人形自体は作れるって言ってたわ」
『そもそも、なんで白野、あの人のこと知ってたのかしら』と今となっては答えを得られない疑問を口にする遠坂さんだったが私はそれどころではなかった。もし、彼女の話が本当であればヤチヨと
(ああ、やっぱり……)
白野は動いていた。魂だけの存在となってしまったヤチヨに味覚や嗅覚などの五感を再び感じられるように――いや、普通の人間と同じような生活を送らせることを最後まで諦めていなかったのだ。
「……」
しかし、暖かくなった胸の中が急速に冷えていく。そうだ、遠坂さんは言っていた。白野の交渉は失敗した、と。なるほど、確かにこれはぬか喜びしてしまう。彼女の心配は正しかった。
『……なんで、交渉は失敗したの?』
そんな中、当事者であるヤチヨは意外にも冷静に遠坂さんへ質問する。スマホの画面を見れば彼女は真剣な表情でジッと遠坂さんの答えを待っていた。
「単純に無理だったの。技術的な意味でね」
「え、でも、人形は作れるんだよね?」
その答えに驚いたのはかぐやだった。人形師は人間と同じ性能を持つ人形を作れる。つまり、それ以外の要素で実行不可だと判断されたらしい。今回の場合、考えられる候補は――。
「――人形って機械じゃないですよね? なら、その人形にヤチヨが移動する方法がない」
ヤチヨは魂だけの存在のため、電子機器を自由に行き来できる。おそらく、月が電脳空間そっくりな環境だったからだろう。しかし、人形が機械――つまり、電子機器を搭載していないのであればヤチヨはその中へ移動することができない。もし、ヤチヨのためにあえて電子機器を組み込んだとしてもそれはヤチヨが機械仕掛けの人形を動かしているだけだ。とても人間と同じとは言えない。
「っ……へぇ? 酒寄さん、大正解」
私の答えは当たっていたらしく、意外そうな顔を浮かべた後、彼女はニヤリと笑った。まるで、思わぬところで才能を持つ人を見つけたスカウトのように。
「人形師の人形はまさに人体とほぼ同じ。そこに機械は埋め込まれてない。だから、魂だけのヤチヨはその人形に入れないの。それこそヤチヨの魂を人形に移すのなら魔法が必要になるって言われたわ」
『……そっか』
きっと、最初から期待はしていなかったのだろう。遠坂さんの解説にヤチヨは寂しそうに笑みを浮かべるだけだった。
「魔法? 魔術と何が違うの?」
しかし、そこで不思議そうにかぐやが疑問を口にした。魔術と魔法。素人の私からしてみれば同じような言葉に聞こえるが彼女はどこか明確な違いを持っているような気がする。
「魔術と魔法は大違いよ。ちょっとディープな話になっちゃうんだけど魔術は一般的な技術。才能や知識があれば事実上、誰でも使うことのできるもの。また、魔術は魔術以外でもその現象を再現できる、とも定義されてるわ。それに対して魔法はそれを凌駕する奇跡。例えば、並行世界に干渉したり、ね」
並行世界。その言葉に少しだけ引っかかりを覚える。確か白野はこの世界にムーンセルはないと言っていた。そのため、強引に宝具でムーンセルにこの世界を観測させて顕現させた、と。つまり、あの時の彼女は並行世界にあるムーンセルに干渉した。それこそ、魔法と呼ばれる現象ではないだろうか。
「どちらかと言うと因果関係を利用した究極のごり押し、かしら。白野はムーンセルを手に入れて『月の王』となった。そんな彼女が宝具でほんの数秒でもこの世界にムーンセルを呼び、事象光を利用して『白野がいる=ムーンセルはそこにある』という因果を世界に刻み込んだ。船が停泊するために
白野がいればそこにはムーンセルがある。そう、世界を騙したことであの日、ツクヨミにムーンセルが顕現した。簡単に言っているがそれは少し強引すぎではないだろうか。
「それだけデタラメなのよ、聖杯っていうのは……まぁ、私は白野から聞かされたことをそのまま説明してるだけなんだけど」
「でも、人形のことで並行世界に干渉する必要あるの?」
「もちろん、第二魔法である『並行世界の運営』は関係ないわ。今回はヤチヨの魂をどのようにして人形の中へ入れるのか。それは第三魔法『魂の物質化』に関係する」
あくまで並行世界の話は例え話。そう言うようにかぐやの質問に遠坂さんはその魔法を口にした。