遠坂さんと喫茶店で話してから数日ほど経った。今後の方針が決まったため、あれから私たちの生活はガラリと変わり、未来に向かって進み始めている。
「かぐやっほー! かぐやだよ! 今日はねー」
まず、かぐやが配信を再開した。卒業ライブからずっと休んでいたし、なにより私たちがこれからやることは何かとお金がかかる。そのために今のうちに少しでも稼いでおきたいそうだ。
「白野にはたくさん助けてもらったんだからかぐやが頑張るの!」
ただ楽しいから配信をする、という純粋な気持ちだけではなくなってしまったがそれでも彼女のやる気は十分。今も配信部屋でぎゃあぎゃあとリスナーとプロレスしながら楽しそうに騒いでいることだろう。
「じゃあ、昨日の続きから……とにかく最初は魔力をコントロールすることに集中すること。体内で生成された魔力を外に漏らさないように」
「はい」
その一方、私はリビングルームでわざわざ家まで来てくれた遠坂さんから魔術の基礎を学んでいる。まさか少し前まで魔術の存在を知らなかった私がこうやって魔術の特訓をするとは考えもしなかった。
「……」
「ふぅ……あれ、どうしました?」
魔力を知覚し、外に漏れないようにコントロールしていると遠坂さんが何故かジト目でこちらを見ているのに気づき、首を傾げる。しかし、それも気に食わなかったのか、彼女は小さくため息を吐いた。
「早すぎる」
「え?」
「上達が早すぎるの。魔力コントロールの練習をしながら少しずつ魔術師としての体作りをしていくつもりだったんだけど……すでに魔力コントロールはほぼ完璧。最近、開いたばかりの魔術回路はともかく、精神面は熟練の魔術師レベルまで到達してるわ」
『あなた、本当に17歳よね?』と訝しげな表情を浮かべる彼女に私は苦笑をするしかなかった。多分、ヤチヨの記憶を見たせいだろう。以前よりもずっと心が落ち着いているような気がする。
「でも、魔力コントロールが上手くなったとしても魔術を使って魔術回路を傷つけるかもしれない。まずは魔術回路に魔力を流して慣らしていきましょ」
「はい、わかりました」
それから私は彼女の指導の下、魔術の特訓を続ける。早くヤチヨに『接魂の手袋』を使ってあげたいが遠坂さんの言うとおり、焦っても意味はない。確実に前に進もう。
因みに遠坂さんはロンドンに帰る日を変えた。私を鍛えるのもそうだが、件の人形師は基本的に日本にいるらしく、その人と交渉するためらしい。何から何までお世話になりっぱなしだ。かぐやたちと相談して謝礼金を用意しておいた方がいいかもしれない。お金好きのようだし。
『彩葉、お疲れ様ー』
今日の特訓が終わり、遠坂さんが帰った後、私のスマホから聞こえたのはヤチヨの声だった。彼女もかぐやと同様、配信をしている最中のため、スマホにいるのはアシストヤッチョである。
「うん、ありがとう。そっちはどう?」
『いい感じだよー。でも、東大の医学部を目指すってなるとそれなりに準備が必要そう……』
私は白野を目覚めさせるため、ダメージを受けた脳を回復させる研究をするつもりだ。そのためにヤチヨには情報収集を頼んでいる。本来であれば私自身でやるべきなのだが、遠坂さんがロンドンに戻るまでに魔術の方を少しでも学んでおきたかった。
「それはそうだよ。理転するだけでも難しいのに最難関の医学部に行こうとしてるんだもん」
東大には様々な学部があり、その中で私が目指しているのは最難関の医学部だ。正直、魔術の特訓をしている暇はない。今すぐにでも参考書や教材を揃え、準備する必要がある。
(でも、私にとってこっちも大事だ)
人形師との交渉次第でヤチヨは体を得られる。逆説的に言えば得られない可能性もあるのだ。その時のために私は『接魂の手袋』を今のうちに使えるようになりたいし、交渉が上手く行った場合、第三魔法の研究にも協力したい。やるべきことがいっぱいだ。
そして、私以上にやることが多いのはスマホの中で笑っているヤチヨである。
「レオナルドさんとの打ち合わせはどう?」
『うっ』
「え、ちょっ、大丈夫?」
私の問いかけにアシストヤッチョは顔を引きつらせ、その場で崩れ落ちた。まさかの反応に思わず声をかけてしまう。
『海外進出するための準備ってあんなに必要なの!? 想像の八千倍やばいの!』
「日本と海外じゃ規模が違うからね」
何しろ、人口一億人強の日本に比べ、全世界が対象だ。その差はまさに約八十倍。海外用のプログラムコードへの書き換えやサーバールームの確保など少し考えただけでも途方に暮れるような作業が頭に浮かぶ。
『うぅ……頑張ってプログラムを組んでもバグだらけで毎日デスマーチなんだろーなー、あはは』
「それは、大変だね……私にできることがあったら手伝うんだけど」
私はヤチヨの記憶を見た。しかし、あくまで見ただけなのでプログラムに関する知識はない。本当は手伝ってあげたいのだが、魔術の特訓、東大医学部の受験を控えているため、さすがに彼女を手伝うのは難しかった。
『その気持ちだけで嬉しいのですぅ……でも、魔術が使えるようになったらぎゅって抱きしめてね』
「もちろん、お安い御用ですよお姫様」
『因みに白野でも一分で魔力切れ起こしてばたんきゅーだったから頑張ってね!』
「……え」
思わぬ情報に言葉を失う中、アシストヤッチョは『それじゃ私も作業に戻るねー』とスマホからいなくなってしまう。白野の魔力量は不明だが、彼女は記憶を失っていても英霊だった。そんな白野でも魔力切れを起こすほどの大喰らいならまともに使えないのではないだろうか。
(……まぁ、何とかなるか)
とにかく今は魔術を使えるようにならなければならない。その後のことはその後に考えよう。そんな少し前の私では考えられないような後回しっぷりに思わず苦笑を浮かべた。
「ん?」
その時、私のスマホが震えた。もしかして、またヤチヨだろうか。そう思ってその画面を覗き込み――息を呑んだ。
『着信:母』
それはお母さんからの着信。最近はずっとドタバタしていたせいで気にすることもなかったが母からの電話はこれまでにも定期的に掛かってきていた。しかし、迷いのある状態で電話に出ても言いくるめられるだけだと無視していたのだ。
「……」
でも、今なら――答えを得た私ならばあるいは――。
――きっと、今の彩葉ならお母さんとも上手くやれるよ。
「……ははっ」
結局、私はまた彼女の言葉に背中を押され、スマホを手に取って電話に出た。スマホから聞こえたのは僅かなノイズ。そして、私が言葉を発する前に先手を打ったのは母だった。
『ああ、やっとではったね。根性なしが』
「……ふふっ」
相変わらずの切れ味に思わず笑ってしまう。ああ、そっか。私、お母さんの小言を聞いて笑えるようになっていたのか。本当に、何とかなってしまうかもしれない。
『……何がおかしいん? 学校から連絡があったで。連絡もせず何日も休んではるって。大層なご身分やね。一人で生きてるつもりなんか?』
「そんなことないよ。いつもありがとう、お母さん」
『っ……お礼を言うってことは自覚ありってことやんな? つまり、悪いことだとわかっていながらやったってことやんな? あんたが一つ滞らせるだけでどれだけ多くの人間が迷惑をこうむるかわからんか?』
「そうだね、わかってなかったんだと思う」
いつもの説教を前に静かに頷いた。そうだ、私は何もわかっていなかった。一人で生きていく厳しさも、世界が理不尽な出来事で溢れていることも、それでいてその中に救いがあることも。
『何もわかっておらん。あんたは甘ちゃんや。一年ちょっと一人で暮らしたからってわかった気に――』
「――知ってるよ。知ったんだよ、お母さん」
彼女の言葉を遮った私に電話の向こうで息を呑む音が聞こえた。これまでの私は小言を遮らず、甘んじて受け止めていたからだろう。
「一人暮らしをしてからたくさんの人に助けてもらってたんよ。一緒に隣を歩いてくれた友達がおったんよ」
『……』
「でも、その子はもういなくなっちゃった。目の前でいなくなっちゃった。何もできないまま、お別れすることになっちゃった」
言葉が勝手に溢れてくる。もしかして、お母さんもお父さんを喪った時、こんな気持ちだったのだろうか。無力な自分に嘆いて、それでも守るべき存在がいるから、と無理やり立ち上がる。そんな心が軋むような無茶をしたのかもしれない。
「お母さん、この世界ってさ、本当に理不尽なことばかりなんやね」
『なら、戻ってきな。わかったやろ、あんたには無理なんや』
「ううん、戻らないよ。私にはやるべきことがある。絶対に、何が何でも、この人生全てをかけてでも、やりたいことができたんよ」
『言葉ではなんとでも言えるで。そんな大層な言葉を並べたところで私は納得せえへん』
それはそうだ。お母さんはこれまでの私を知っている。彼女のいう甘ちゃんな私しか知らない。だから、言葉で何を言っても彼女は納得しない。
「うん、知ってる。それでも言わせて……この先、どんなことがあっても私はこの夢を諦めるつもりはない」
『そこまで言うのなら大層な夢なんやろな?』
「もちろん、私は大切な人を救うために医学の道に進む。大切な人が脳死状態になっちゃってダメージを受けた脳を回復させる技術を確立するの」
『……ちょい待ち。さすがに冗談やろ。あんた、文系やん。今から理転……しかも、医学部なんて受かるわけない』
「そうかもね。でも、何浪しても東大の医学部に行くつもり」
本当に驚いたのだろう。その言葉に対し、お母さんは数秒ほど沈黙して小さくため息を吐いた。
『さすがに無謀すぎるわ。だいたいな――』
そこからは言い合いになった。当たり前である。私に譲る気がなく、お母さんは納得するつもりがない。そんなもの話し合いではなく、お互いの主張を言い合うだけの喧嘩だ。
『……そこまで言うのならええよ』
しかし、その戦いは不意に終わりを告げた。不服そうだったがそれでも彼女は頷いたのである。
『ただし、浪人は許さへん。進学するのならきちんと滑り止めも受けること。路頭に迷うことがあればその時は覚悟しとき』
「うん、わかった。ありがとう、お母さん」
『……受かるかもわからんのにお礼を言われる筋合いないわ』
そう言って、お母さんは電話を切った。小さく息を吐き、手に持っていたスマホへ視線を落とせば二時間にも及ぶ口論を繰り広げていたことに驚く。
(でも、言えた)
東京に来る前に私にとってお母さんが一番だった。しかし、白野に諭され、かぐやと出会い、ヤチヨの手を掴んだ私の一番はいつの間にか変わっていた。
「……」
ソファに倒れるように寝転がり、天井を見上げる。あれだけの啖呵を切ったのだ。絶対に合格してみせる。そう、決意を新たにした私は小さく笑みを浮かべたのだった。
酒寄彩葉のマテリアルが更新されます。
SG1:『
↓
SG1:『
きっと、最初から間違っていたのだろう。
お父さんの葬式の時、私とお母さんの気持ちはすでにすれ違っていた。
でも、そのまま強引に繋ごうとして、余計に絡まって、そのまま引っ張って固く結ばれてしまった。
多分、この結び目はそう簡単に解けない。
それでも、私とお母さんは繋がっている。
ぐちゃぐちゃに絡まってしまった糸で確かに私たちは結ばれている。
だから、その結び目も受け入れよう。
だって、今でも私はお母さんのことを――。
まだ私のことは認められないだろうけれど、それでもいいのだ。
私が私のことを認める。それが一番大切なことだと彼女から教わった
だから、もう大丈夫。私は未来に向かって進める。
あ、そうだ。これだけは言っておかないと。
お母さん、私を産んでくれてありがとう。