月の王とかぐや姫 作:名無しのマスター
きっと、歯車が狂ったのは父親が亡くなった時だった。まだ六歳だった私は事故で死んでしまったお父さんの葬式に出ていた。幼いながらにも『死』という存在を理解していたからもう会えないお父さんを想ってしくしくと泣いていた。
「……」
葬儀で隣に座る母親が険しい表情を浮かべていた。いや、違う。険しい表情を浮かべているだけだった。涙一つすら零さず、ただ前を見つめているだけ。子供だった私はそれが不思議で聞いたのだ。悲しくないのか、と。
「あんたには、まだわからん」
きっと、母は気張っていたのだ。幼いお兄ちゃんと私を一人で育てなければならない。だから、泣いている暇などない、と。
でも、違うのだ。私はただ話したかっただけ。お父さんがいなくなっちゃって寂しいね。お父さんのこと大好きだったよね。お互いに顔をくしゃくしゃにしながら思い出話に花を咲かせ、すっきりした顔で先に進みたかった。
しかし、彼女は一人で先に行ってしまった。立ち止まっている私に気づかず、これまでと同じように歩み出していた。ただでさえ大人と子供では歩幅が違うのに出遅れてしまった時点で何もかも手遅れだった。
こうして、私とお母さんの間に致命的なズレが生じたのである。
(やばいやばいやばい!!)
母との大激闘の末、おじいちゃんとおばあさんの援護射撃により、東京で一人暮らしする権利を得た私は見慣れない街道を必死に走っていた。今日は東京に引っ越してくる日。本来であれば引っ越し業者が到着する時間よりも前に新居に着いているはずだった。
だが、東京の混雑と複雑さを舐めていた。電車は乗り間違え、人にぶつかりそうになって荷物を取り落とし、道を一本早く曲がってしまい、自分のいる場所を見失う。一日に一回だけ起こりそうな些細なミスが立て続けに起きた。そのせいで予定していた時間はとっくに過ぎており、こうして自慢の脚力を遺憾なく発揮して新居を目指している。
(あれだ!)
息も絶え絶えとなっていたが無事に新居に到着。引っ越し業者のトラックはすでに道に停まっており、その近くで引っ越し業者と思わしき男性と僅かにウェーブのかかった長い茶髪の女の子が話をしていた。
「す、すみません!」
その女の子がスマホを取り出したところで私は声をかけた。距離はまだ離れていたが明らかに引っ越し業者のお兄さんが女の子に何かを相談している様子だった。私が遅れたせいで依頼主を勘違いしている可能性もある。そう思って早めに声をかけたのだ。
「……」
そのおかげで女の子の手が止まる。そのままの勢いで二人の傍に辿り着いた。
「はぁ、はぁ……すみません、道に迷ってしまって……」
乱れに乱れた呼吸の中、何とか遅れた理由を口にする。すると、引っ越し業者のお兄さんは安堵のため息を吐いて笑った。
「いえいえ、大丈夫ですよ! 一応、お名前と事前にお伝えしたお客様番号をいただいてもいいでしょうか?」
「はい、酒寄彩葉です。こちらがお客様番号です」
「……ん?」
鞄に入れていた書類をお兄さんに渡して一息、吐く。彼は安心したように笑った後、書類を私に戻して引っ越し作業に入った。すでに疲れてしまったが本番はここからだ。そう思っていると不意にすぐ近くから視線を感じた。
「……」
「あ、えっと?」
そう、引っ越し業者のお兄さんと話していた女の子だ。私より少し年上だろうか。長い茶髪とキリっとした瞳とクールな容姿。ジッと年上の美人さんに見つめられ、思わずたじたじになってしまった。
「……私は岸波白野。同じアパートに住んでる女子高校生になる人です」
何か用事だろうかと戸惑っていると軽く会釈をしながら自己紹介をしてくる。岸波白野さん。しかし、問題はその後に続いた言葉だ。女子高校生になるとはどういう意味だろう。
「あ、もしかして、四月から高校に入学するっていうことですか? 改めまして、酒寄彩葉です。私も四月から高校生になります」
まさかの同い年だったことに驚きながら頭を下げた。同じアパートに住んでいるらしいため、ご近所さんだ。初めての一人暮らしに不安だったが、同年代の女の子がいるのなら少しは安心できそう。
「よろしくね。引っ越し、手伝う? 随分、走ってきたみたいだけど」
そう考えていると岸波さんは鞄からハンカチを取り出して私の額に滲む汗を拭きながらそんな提案をしてきた。ハンカチで汗を拭かれ、自分に何のメリットもない提案をしてきたことに驚き、彼女の顔をジッと見つめてしまう。
(――綺麗な目)
しかし、そんな思考は一瞬にして吹き飛んだ。一見、普通な目に見るのにどうしてだろう。彼女の目には――芯があった。何事も貫き通す力強さ、いうべきだろうか。岸波さんの瞳はそれほど真っ直ぐに私を見ていた。
そんな不思議な目に吸い込まれてしまいそうになり、私は考えることを止めてしまう。ああ、きっと、彼女は私にない何かを持っている。それがあれば今頃――。
「――彩葉?」
「え? いえいえ、そんな大丈夫です! お気持ちだけで!」
名前を呼ばれ、慌てて首を横に振る。ほとんど荷物はなく、手伝ってもらうようなことではない。それに岸波さんは明らかにどこかへ出かける途中だった。彼女の貴重な時間を私に使ってもらうわけにはいかない。
「そう? 何かあったら言ってね。私、あの部屋に住んでるから」
「は、はい! ありがとうございます!」
私がその提案を断ると彼女は特に気にした様子もなく、私が住む予定の部屋から見て二つ隣の部屋を指さした。あそこが岸波さんの部屋。今後の生活を鑑みるにご近所付き合いはあまりできないと思うが通学時間が重なった時はきちんと挨拶をしよう。
「それじゃあね」
「……」
そう言って岸波さんは去っていった。その後ろ姿を意味もなく、見送る。提案を断ったのは少し早計だっただろうか。
――都合の良い話は毒や。一番食ってかからなあかん。
いやいや、駄目だ。私は一人で頑張ると決めた。こんなことで誰かに助けられていたらこの先、やっていけない。
パチン、と気合を入れ直して私は新居へと向かう。でも、どうしてだろうか。知り合いがいる、というだけでずっと胸の中で燻っていた不安がほんの少しだけ軽くなっていた、
「……」
「……何?」
岸波白野。私の部屋の二つ隣に住む女子高校生。私と同じ学校に通い、同じクラスに属しており、友人関係となったため、移動教室なども一緒に行く仲だ。この一か月で仲良くなった芦花と真実を入れて四人で行動することが多い。
「別に~?」
「別にっていう顔じゃないんだけど」
しかし、人畜無害そうな顔をしている彼女だが、その本性はまさに
クールな容姿かつ口数は多い方ではないため、冷たい人だと思われそうだが、私が人生で会った中で一番のお人好し。それが良き友人である岸波白野だった。
そういう私も出会って数日で本心を暴かれ、この胸に溜まったダムを決壊させられた。そして、母親に甘える子供のように彼女の胸で大泣きし、すっきりしてしまったのである。なお、泣き疲れて眠ってしまった私は夕方頃に起きた時、彼女に膝枕されており、悲鳴を上げてしまった。
「まぁ、いいか。ここ教えて。どうしても理解できなくて」
「そこはね――」
あの日のことは忘れられない。パズルを解くように私の心の内側に入られた時はなんというか――めちゃくちゃ恥ずかしかった。誰にだって隠しておきたいことがあるのに正論をぶつけられ、反応一つで理解されてしまう。そして、否定する暇もなく、秘密を引っこ抜かれる。そのままこちらの欲しい言葉をくれた。
(ほんと、記憶喪失なくせに色々と見えてるっていうか……)
白野は記憶喪失だ。それに加え、先ほど判明したのだが、両親はすでに他界しており、頼れる親戚はいない。そして、数年に渡って植物状態だったらしく、年齢は十八歳。学年は同じだが、本当にお姉さんだったのである。
まさに波乱万丈な人生。普通であれば精神的に追い詰められて取り返しのつかないことをしてもおかしくない状況なのに本人は目の前でのん気に数学の勉強をしている。本当に記憶喪失なのだろうか、この人。
「ん? どうしたの?」
「なんでもございませーん」
私の視線に気づいた白野は首を傾げる。美人はそんな小さな仕草だけで様になるのだから羨ましい。因みに彼女が記憶喪失なことは芦花たちには話していない。先ほどの様子を見るに彼女にとってそれは聞かれたら答えるレベルのどうでもよさなのだろう。
お人好しで、自分より他人を優先して、困っている人を放っておけなくて、全てを見通しているかのように相手の心を暴いて、優しい言葉で慰めて、クールな見た目とは裏腹に芸人魂みたいなところがあって時々、変なことをするけど――すでに白野のことは学校で噂になっている。告白されるのも時間の問題だろう。
(やっぱ、こういう子がモテるんだろうなぁ)
しかも、あれは男女問わず落とすタイプ。典型的な人たらしだ。
まぁ、私自身、すでにクラスの男子から告白されてしまったのだが、相手のこともよく知らなかったので断らせていただいた。こんな私に好意を寄せるとは見る目がない。白野とか芦花とか真実とかもっと素敵な女の子がいるというのに。
「彩葉、聞いてる?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「これなんだけど――」
そう言って白野は教科書を指さす。いつの間にか数学ではなく、英語になっていた。待たせるわけにはいかないので聞かれた内容に答える。
「うん、なるほど。ありがとう」
「いえいえー」
この勉強会にも慣れてきたため、彼女のお礼の言葉に頷いて私も教科書に視線を落とす。白野のおかげで心の少しだけ余裕ができたからか、予想していたよりも一人暮らしは順調だ。バイトも始めたし、これからどんどん忙しくなる。そう言った意味では白野が提案した勉強会は私としても助かっていた。
(あ、そうだ)
助かっているとは言えばもう一つ。私は手に持っていたペンを置き、タブレットに手を伸ばした。動画投稿サイトにアクセス。もちろん、再生するのはヤチヨの配信アーカイブだ。
「ヤチヨ?」
「うん」
白野と出会って一か月。自然とお互いの部屋を行き来していたのだが、私がヤチヨのファンだとすぐにばれてしまった。まぁ、私の秘密を暴く時に彼女の話題を出したので白野の方から『ヤチヨ、好きなの?』と聞かれ、頷くしかなかっただけなのだが。
「何見るの?」
「これ」
勉強会の時に作業用BGMの代わりにヤチヨの配信を見ていたので白野も特に気にした様子もなく、問いかけてくる。話すより見せた方が早いだろう。そう思ってタブレットをテーブルの上に置いた。
「……これは?」
「今日の配信のアーカイブ! ヤチヨ、アシスタントを雇ったんだって!」
ヤチヨの話題になると勝手に声量が大きくなる。しかし、白野はどこか顔を引きつらせてタブレットに視線を向けていた。
「へ、へぇ?」
「最初はおふざけ担当なのかなって思ったけど、帝との戦いがめっちゃすごくて!」
「ほ、ほーん」
何故か反応の鈍い彼女を置いて私は珍しくヤチヨではなく、ヤチヨのアシスタント――ザビ子のことを語るのだった。
ザビ子「さぞモテるんだろうなー」
彩葉「さぞモテるんだろうなー」