月の王とかぐや姫   作:名無しのマスター

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第3話 Login

 あれからしばらく経って季節は三月。『岸波白野』は無事に再入学の資格を得た。約半年にも及ぶ勉強期間の末、この手に掴み取ったのだ。

 

 もちろん、簡単なものではなかった。自分の学力を把握するところから始まり、中学校で習う単元の復習、受験対策。勉強だけじゃない。記憶を失くしてしまったせいでどこかへ吹っ飛んでしまった常識、日々を生きていくために発生する雑用(タスク)。それを満遍なくこなしながら頑張ってここまで走ってきた。

 

「……」

 

 そこまで思い返して私は苦笑を浮かべる。正直、心が折れそうになったのは間違いない。記憶喪失の大変さを舐めていたともいう。

 

 一度、外に出たらそこは何も知らない世界。最初は生きていく基盤を整えるのに必死だったため、何とかなった。だが、落ち着いたら少しずつ不安が心の中に溜まっていく。それに気づいた頃にはすでに私はその闇に囚われそうになっていた。具体的に言うとご飯が喉を通らなくなるほどに。

 

 

 

 ――大切なメロディは流れてるよ。あなたのハートに。

 

 

 

 そんな私の心を軽くしたのは意外にも『月見ヤチヨ』だった。彼女の歌は誰かの心に寄りそうものが多く、特に『Remember』はスッと心の中に入ってくる。残念なのはあの曲はたった一人のために(・・・・・・・・・)作られたことだろうか。本当に何となくだが、そんな気がする。そう思った理由は、よくわからない。

 

 とにかく、大事なのはもう少しで高校に入学できる、ということ。そして、私は超頑張ったということだ。まだスタート地点に立ったばかりだが、少しぐらい気を緩めてもいいだろう。

 

 そう、だからこそ、私は手に持った――コンタクトレンズ型デバイス・通称『スマコン』に視線を落とした。

 

 『月見ヤチヨ』を調べたことで仮想空間『ツクヨミ』の存在を知った。味覚や触覚などの一部の五感は実装されていないものの、美しい世界とコンテンツの多さから人気が出たらしい。特に『月見ヤチヨ』の主な活動がツクヨミなため、彼女のファンはライブ目的にダイブしているのだとか。

 

 さて、それはさておき。私の手に持つスマコンはツクヨミにログインするために必要な機器だ。他にもスマートグラスやスマホからでも入れるようだが、スマコンの方が場所を取らないし没入感が違うらしい。そのため、高い買い物だったが合格祝いということで購入したのである。

 

「……」

 

 スマコンの蓋を開けた。そこには一見、普通のコンタクトレンズが入っている。これを眼球に装着すればツクヨミにログインできるらしい。記憶を失っているせいか、結構すごい技術なのではないだろうか。

 

 早速、目に付けてログインの手続きを行う、というか『ログインする』と念じる。これで私は仮想空間『ツクヨミ』に――。

 

 

 

 

 ――ログインを確認。修復を行います。

 

 

 

 

 

 そして、私の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――太陽が沈んで、夜がやってきます』

 

 その声で目を覚ました。何が起こったのかわからず、黙って目の前の光景を見ているしかない。

 

(これ、は……)

 

 いや、違う。私は目の前の光景に見惚れていた。

 

 足元は水面に揺れ、灯篭が浮かんで柔らかく周囲を照らす。なにより、そびえ立つ鳥居の存在感に言葉を失った。そう、それは仮想空間とは思えない美しい光景。

 

 ああ、そうか。ここが仮想空間『ツクヨミ』。この半年間、ずっと我慢していた彼女が舞う電子の世界。なんだか少しだけ――懐かしい(・・・・)

 

「こんばんは」

 

 美しい光景に茫然としていると目の前に人影が現れる。ずっと画面の向こうにいた『月見ヤチヨ』だった。

 

 そんな彼女が私の手を優しく握る。感触はないが何故か温もりのようなものを感じた。おそらく、目の前に立つ彼女はチュートリアルを担当しているAIのような存在。それでもユーザーに楽しんでもらいたいと心を込めた(プログラミングした)のだろう。その思いやりが伝わってきたような気がした。

 

「出かける前に、その格好じゃあつまらない!」

 

 そして、『月見ヤチヨ』は満面の笑みを浮かべて指を鳴らす。すると、私の前にウィンドウが出現した。なるほど、これを使ってツクヨミ内で活動するためのアバターを作るのだろう。

 

「……?」

 

 これはじっくり考えなければ、とウィンドウを覗いたがそれは真っ黒に染まっていた。首を傾げて指でタッチしてみたが反応はなし。何かの不具合(バグ)

 

「ん? どうしたの?」

 

 不思議そうにしている私を見て『月見ヤチヨ』が声をかけてきた。その表情と言動に不自然な点はない。チュートリアルと知らなければ本物だと勘違いしてしまいそうだ。

 

 それはそれとしてこのままではアバター作成ができない。仕方なく、ウィンドウを指さして事情を説明した。

 

「あれあれ~? こんなこと今までなかったのに……ちょっと待ってね」

 

 私と一緒にウィンドウを覗いた彼女はむむむ、と唸りながら別のウィンドウを開いて何かを操作し始めた。しかし、数分ほど待ってみたが私の目の前に展開されたウィンドウに変化はない。

 

「アカウントがロックされてる? でも、管理者権限でも解除できないなんて……ねぇ、ツクヨミにログインする前に何かした?」

 

 彼女の問いに首を横に振る。アカウント作成をしたのはついさっきだ。そう思いながら視界の端に映るUIに刻まれた時刻を見て――思わず、目を見開いた。

 

(時間が、進んでる?)

 

 ツクヨミにログインしたのは午後三時過ぎ。だが、今は午後六時になりそうな時間。三時間ほど時間が経っていた。この空白の時間はなんなのだろうか。これが原因?

 

「時間が経ってる? んー、どういうことなんだろ。さすがに(AI)じゃ対応できないかも……」

 

 申し訳なさそうにした『月見ヤチヨ』は目を閉じる。そして、雰囲気が変わった。AIとしての彼女の存在感(データ量)は人のそれと変わらないように見えたが目の前に立つ彼女は別格。その存在感(データ量)に私は目を見開いた。そう、彼女こそ、本物の『月見ヤチヨ』だ。

 

「もうちょっと待ってねー」

 

 そういったヤチヨは再びウィンドウを操作して調査を始めた。ツクヨミの運営やライブ活動の準備などで忙しいはずだ。ただのユーザー一人のためにここに来てくれるとは思わなかった。

 

「あれ、んー?」

 

 しかし、本物のヤチヨも上手くいっていないようでうんうんと唸って手を動かす。なんだか、ここまでくると申し訳なくなってしまう。

 

「あ、こんなところにアバターデータが……でも、ツクヨミのものじゃない? 流用

(コンバート)は可能だけど……」

 

 少し経った頃、何かを見つけたようで驚いたように言葉を零す。どうやら、アバターデータはあるらしい。これ以上、彼女の時間を無駄にしてしまうのは申し訳ない。とりあえず、それで大丈夫。

 

「本当に? 見た感じ、ただの制服なんだけど……それに容姿も現実のものと一緒っぽいよ?」

 

 制服、か。これから高校に通う身としては少しでも着慣れておいた方がいいだろう。戸惑った様子の彼女の問いにコクリと頷いた。

 

「そっか、じゃあ、設定するね! そーれ☆」

 

 ヤチヨがポチポチとウィンドウを操作すると私の服装が変わる。茶色いブレザーだ。確かに動画で見たツクヨミのユーザーたちのような派手さはない。でも、どうしてだろうか。私はこの服を着たことがある。それもそれなりに長い間。

 

「お、予想以上にお似合い! なんというか、会ったばかりだけど君らしい感じがする!」

 

 彼女の目にも同じように見えたらしく、うんうんと頷いた後、優しく微笑んだ。そして、真剣な表情へと変わる。

 

「私の方でもう少し調べておくね。もし、制限(ロック)が解除されたら改めてキャラクリしてね♪」

 

 そう言ってヤチヨはこちらに手を伸ばす。調べた話だとチュートリアルでキャラクリを終えた後、彼女はユーザーの手を取って鳥居に向かってぶん投げるそうだ。それが様式美というのなら甘んじて受け入れよう。そして、彼女が私の手を取った時だった。

 

 

 

「ッ――」

 

 

 

 私とヤチヨが同時に目を見開く。しかし、それを視認する前にガツン、と頭に衝撃が走った。大きな金槌で殴られたようなそれに体から力が抜け、その場に倒れてしまう。

 

「ッ!? ――! ―――――!」

 

 慌てた様子のヤチヨが何か言っている。だが、すでに聴覚は上手く機能しておらず、何も聞き取れない。視界がチカチカする。それでいて思考はしっかりしており、その矛盾で胸の奥から何かがこみ上げてきた。

 

 

 

 

 

 

 ――奏者よ、指示を!

 

 

 ――問題ない。任せろ、マスター。

 

 

 ――バリバリ呪うゾ♪

 

 

 

 

 

 

 誰かの声が聞こえる。聞き覚えのある、聞いたことのない声が。

 

 懐かしくて、遠くて、頼もしくて、届かなくて、それでいて――記憶を失ってもなお、心のどこかに残っていた何かを奮い立たせてくれるような、誰か。

 

(だ、め……)

 

 その時、ぐるりと視界が回る。凄まじい情報量を頭に叩き込まれ、体が耐えきれなくなったのである。

 

「―――!」

 

 最後に見たのは今にも泣きそうな様子で私を見下ろす電子の歌姫の顔だった。

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