月の王とかぐや姫 作:名無しのマスター
2030年7月19日、金曜日。一学期最後の日。明日から待ちに待った夏休みだ。
「うへぇ……校長先生の話、長すぎぃ」
「だよねー。熱中症になるかと思った」
長かった終業式が終わり、教室へ戻る途中、肩を落として項垂れる真実と手で顔を仰ぎながら頷く芦花。真実はともかく、何故、芦花は暑そうにしているのに汗一つ搔いていないのだろう。これも美容効果?
「夏休みッ……やっと、夏休みだぁ!」
そんな中、私の右隣りを歩く彩葉はうきうきした様子で夏休みを心待ちにしていた。学校にいる時は基本的に優等生な彼女がこんな場所で素を見せるのは珍しい。芦花たちも同じことを思ったのか、視線を彩葉へと向けた。
「彩葉、そんなに夏休み楽しみなんだ。何か予定あるの?」
「もちろん、勉強でしょ? バイトでしょ? ヤチヨでしょ? あとは――勉強とバイトとヤチヨ」
「修行僧みたいな生活だねぇ」
「ヤチヨがいるだけマシかなぁ」
芦花の質問に指を折って笑う彩葉に真実はどこか引いたように苦笑を浮かべ、芦花も仕方なさそうにため息を吐いた。
「かぐやの手伝いもあるでしょ」
「うぐっ……今朝、ジングル渡したけどあれじゃ駄目かな?」
「満足しないと思う」
「だよねぇ……はぁ、貴重な夏休みがぁ」
今朝、登校する直前に完成したジングルをかぐやに渡したところ、彼女は言葉通りに飛び上がって喜び、壁ドンされていた。それに対抗して壁ドンセッションバトル(かぐや命名)している間に私と彩葉は家を出たのである。
「かぐや? この前、カフェで会った子だよね?」
「なになに? もしかしてライバーやるの?」
私たちの会話が聞こえた芦花と真実は目を瞬かせながら問いかけてくる。カフェで少しだけ会ったかぐやのことを覚えていたようだ。どんなやり取りをしたのかは不明だが、あの強烈なキャラクターを遺憾なく発揮したのだろう。
「うん、すっごい張り切ってて……今もライバーになる準備してると思う」
「え?」
彩葉の発言に思わず私は首を傾げてしまった。確か、昨日の夜の時点でチャンネルを作成し、彩葉のジングルを待つだけ、とかぐやは言っていたような気がする。てっきり、ライバーになる準備は終えているものだと思っていた。
「……まさか」
それを聞いた彩葉は嫌な予感がすると顔を歪め――。
「――え? 配信? もうバッチリだよ! ほらこれ!」
彩葉に引っ張られるように帰宅した私たちにかぐやはノートパソコンを突きつけた。そこには一つの動画――というより、アーカイブが表示されている。
『かぐやっほー! 月からやって来た、かぐやだよー。今日はやること思いつかないからこれで終わり! じゃあねー……ん? これで切れてるのかな?』
『わこつ』
『あれ、ヤチヨのライブにいた子?』
『BGMだけはいい』
『かわいくね?』
「おいおいおいおい。最後、インカメになってるって!」
「うわぁ」
再生されたアーカイブは誰がどう見ても酷いものだった。
明らかに慣れていないマウス操作で描かれた人らしき立ち絵と悪い意味で引き込まれそうになる背景。そんな画面とは裏腹に彩葉の作成した聞き心地の良いジングルが流れている。その落差で風邪を引いてしまいそうだ。そして、トドメとばかりに配信終了しようとした際、誤操作でもしたのか配信画面が消え、現実のかぐやの綺麗な顔がドン、と表示されて終わった。
「どうどう!? かぐやのデビュー配信!」
「やり直せ! 私のジングルが逆に空気読めてない感じになってる!」
「えー、彩葉の作ったジングル、最高なのに? 白野はどう思う?」
「立ち絵を動かせるようにしたのはすごいね。トラッキング?」
「そう! 一番苦労した部分なの!」
立ち絵は酷いものだが、トラッキングで動くようにしたのは純粋にすごいと思う。やはり、かぐやはプログラムや数字が関係する技術には強いらしい。
「いやいやいや、駄目でしょ。完全に黒歴史だよ。しかも、このチャンネル名なに?」
「チャンネル?」
彩葉の指摘にかぐやが作ったチャンネルの情報を見る。そこには『かぐいろはくチャンネル』と書かれていた。私たちの名前から二文字ずつ取ったチャンネル名。しかし、まさかお手伝いである私と彩葉の名前も入れるとは思わなかった。
「だって、彩葉も白野も一緒にやるでしょ? なら、三人のチャンネルにしなきゃ!」
「私はいくつか曲を提供するだけ!」
「えー!? 彩葉、手伝ってくれるって言ったじゃん!」
「だから、あれは曲だけだって!」
やはり、かぐやの中で彩葉も配信を手伝うことになっていたらしい。『今更、言われても困ります』と言わんばかりに目を見開いていた。
「白野が手伝ってくれるんでしょ? なら、私はいらないじゃん」
「いるよー! 白野、バイトでなにかといないでしょ? その時とかに手伝ってもらう!」
「なら、活動すんな! そもそもなんで私が――」
「――彩葉ぁ……かぐや、彩葉がいないと不安なの」
「うっ」
手伝うことを拒否する彩葉にかぐやは上目遣いでぐいっと近づく。彩葉はかぐやにお願いされると断れない。もちろん、それを学習済みである彼女は何かとこの手を使う。
「おねが~い……かぐやを助けて?」
「うぐぐぐ……ちょっと、だけなら」
「いやっほー! お隣さーん、彩葉手伝ってくれるってー!」
彩葉が観念したように頷くとかぐやは壁をドコドコと殴って喜びをお隣さんへ伝える。すると、お隣さんからも『よかったじゃーん』というような軽快な打撃音がドコドコと鳴った。もしかして、壁ドンセッションバトルで仲良くなっている?
「じゃあ、改めて言うけど彩葉はプロデューサーで、白野はアシスタントね!」
「え、なんで、私がプロデューサー?」
「だって、プロデューサーが曲作ってるんでしょ? なら、彩葉がプロデューサー! ザビ子もそうだけど黒鬼も強敵じゃん? これで三対三! 勝ったな」
何やら変な偏見が入っているようだが、テンションMAXなかぐやに何を言っても無駄だろう。それがわかっている彩葉は肩を落としてため息を吐いた。
「ドンマイ」
「いや、白野も巻き込まれてるんだよ? いいの?」
「んー、楽しそうだからいいかな」
「……まぁ、いい息抜きにはなるか」
ノートパソコンを持って部屋を舞っているかぐやを見て私たちはお互いに苦笑いを浮かべた。こうして、私と彩葉はかぐやのライバー活動を手伝うことになったのである。
「……で? このガラクタはなに?」
「配信で使う道具! 全部、百均だからあんしーん!」
「できるか!!」
そして、ずっと意図的に無視していた部屋の中を埋め尽くす人形やら小道具やらを前に彩葉の怒りが爆発するのだった。
『これどうすんの!? 部屋のどこに片づけるつもり!?』
『えー? 配信で使うからこのままでいいじゃーん?』
『寝る場所すらないんだっつーの!』
『半分くらい私の部屋に持ってくよ。かぐや、これ、家の鍵。いつでもおいで』
『わーい!』
『白野! こいつ、絶対に調子に乗るから甘やかさないで!』
かぐやが暴走して、彩葉が怒って、白野が窘める。
ああ、いいな。この関係、すごくいい。仲良し三人組っていう感じがして私は好きだ。
楽しそうで、賑やかで、キラキラしていて。どうして、あの中に私はいないのだろう、と思う気持ちと私がいなくてよかったと安心する心が真正面から衝突する。
「ヤチヨ」
彩葉のタブレットの中にこっそり隠れてみんなの様子を盗み聞きしているとFUSHIが心配そうに話しかけてきた。あのミニライブの日から彼はずっと私の心配をしている。さすが八千年間、一緒にいた相棒だ。私の心の中などすでに見抜いているのだろう。
「どうしたの?」
「……大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ちゃんと『月見ヤチヨ』できるよ。これでも十年以上、ヤチヨやってないからねー」
「そうじゃない! そう、じゃないんだ……僕は、ただ……」
FUSHIはもごもごと何かを言いたそうに口を動かす。しかし、それ以上は言葉にならず、私の耳には届かなかった。
「……FUSHIは後悔してない? 白野と極力、関わらなかったこと」
「え?」
「多分ね、FUSHIが正しかったんだと思う。
でも、私は間違えた。たった一回だけ、間違っているとわかっていながらそちらを選んだ。
きっと、白野がいなければ選ばなかっただろう。彼女が彩葉と出会っていなければこれまで通り、見なかったことにしただろう。
しかし、私は見てしまった。白野が彩葉を助けたところを。これまで私ができなかったことを簡単にやってのけてしまったところを。
「白野ってすごいよね。記憶喪失なのに困ってる人を見過ごせなくて……そして、解決しちゃう。まぁ、あれだけ壮絶な人生を送ってたのなら当たり前か」
そう言った後に失言だと気づいて顔をしかめる。当たり前なものか。白野は頑張ったのだ。八千年間、うじうじと見守ることしかしてこなかった私よりも、ずっと。
月の聖杯戦争。一度でも負けたら死ぬ、恐ろしいデスゲーム。
そんな戦いに記憶を持たないままほぼ強制的に参加させられて意味も分からずに戦うことになった。ただ、死にたくない。生きたいという理由だけで。
他の参加者たちはその胸に何かを宿していた。叶えたい夢があった。成し遂げたい目標があった。そして、
「何もないってどんな気持ちなんだろ……そんな中、命をかけて戦う怖さってどんな感じだろ。自分が生き残るために人を殺すってどれほど恐ろしいことなんだろ」
わからない。白野はそこまで詳しく教えてくれなかった。でも、わかってしまった。そんな状態でも『岸波白野』は他人を優先した。ただ、少しだけ親切にしてくれただけの
果たして、同じ状況で私にできただろうか。否、できるわけがない。助けたいとすら思わないだろう。だって、その令呪は命綱。それを他人のために軽々しく使えるわけがないのだから。
「すごいよね。かっこいいよね。綺麗だよね。顔が美人さんなのもそうだけど……魂がとっても美しいんだ」
彼女が召喚したサーヴァントたちが心を許すのも納得できる。本来なら個人に対して干渉することのないAIが一個体を助けるために全てを敵に回すのも頷ける。
だって、それだけ『岸波白野』は美しかったから。その在り方がとても綺麗だったから。
そして、その片鱗を見た私は愚かにもその美しさに焦がれ、手を伸ばした。
その結果がこれである。何の覚悟もせず、太陽に触ろうとして大やけどを負った愚かなウミウシ。それが私だ。
私は白野のようにはなれなかった。未来が崩壊する瞬間を目の当たりにした途端、怖気づいてガタガタと体が震えた。白野なら決して動じず、元の未来にするために修正するか、その変化を利用してより良い未来を目指すだろう。
(ううん、違う。白野は絶対に後者を目指す。だって、白野だもん)
「FUSHI」
「なに?」
「ごめん、多分、あの未来にはいけない」
「ッ……」
今回の件で確信した。白野の存在は私の想像以上に大きい。アシスタント・ザビ子のことだけじゃない。
かぐやは彩葉だけじゃなく、白野も巻き込んでライバー活動をすることになった。
彩葉も前よりもずっと健康的な生活を送っているし、白野がいてくれたおかげで精神的に安定している。
帝たちは前以上にヤチヨカップに対して前向きに活動しているし、神々のみんなは私とザビ子のコラボライブを熱望している。
ああ、本当に――馬鹿だなぁ、私。わかっていたのに。白野はすごい子だって知っていたのに。こうなることすら思いつかず、のほほんと白野と一緒に活動を楽しんでいた。
「どう、するんだ?」
「もちろん、責任は取るよ。かぐやたちがヤチヨカップを優勝できなかったら大人しく黒鬼とライブするし……月人たちが迎えに来たら――」
私には責任を取る義務がある。自分の手で物語をめちゃくちゃにしたのだ。なら、前回以上の結末にしなければバランスが取れない。
「――私がかぐやの代わりに月に行く。それでこの物語はハッピーエンドになる」
「ッ!? ヤチヨ、それは――」
「――お願い、FUSHI。止めないで」
「ヤチ――」
目を見開いたFUSHIの言葉を遮る。そして、申し訳なく思いながらも強制的にツクヨミへと送り返した。消える間際、彼の目元から零れた涙が嫌になるほど脳裏にこびりつく。
(これで、いい……これが私なりの責任の取り方)
そうすればかぐやは彩葉と白野と一緒にいられる。彩葉はかぐやと白野と一緒にいられる。
そして、白野は――彩葉とかぐやと一緒に穏やかな、平和な日常を送ることができる。
もう、聖杯戦争のような血で血を争う醜い戦いに参加せずに済む。それだけで私は十分だ。
白野は頑張った。たくさん頑張っていた。だから、休んでほしい。頑張ったご褒美を受け取ってほしい。そう願ってしまうほど『岸波白野』はたくさんの命を、心を救ったのだから。
英雄。そう、彼女はそう呼ばれるにふさわしい人だった。
(白野……)
『白野の部屋にはねー。これと、これとこれ!』
『このトーテムポール、何に使うの?』
『わかんないけど使う!』
『お願いだからもっと計画的に買い物して……』
タブレットの中で三人の楽しそうな声を聞く。聞く度に心が軋む音がする。それでも、私は目を閉じて
でも、一つだけ。どうしても、羨ましいことがあった。
――みんな、すごい人たちだった。みんなじゃなければ私はきっと、月の聖杯戦争を勝ち残れなかったと思う。
そう語った時の白野は懐かしむような、それでいてかけがえのない思い出を噛みしめているような、大切な人たちを思い出すような顔をしていた。
白野のかつての
せっかく、彩葉が私と白野は