月の王とかぐや姫 作:名無しのマスター
「ヤチヨカップ、優勝した~い! どうすればいいのだー!」
盛況だった路上ライブから数日後、約束通りに私は彩葉たちと一緒に海に来た。最初は楽しく遊んでいたかぐやだったが、やはりヤチヨカップの動向が気になるのかエゴサを始めてしまい、とうとう砂浜に置いた浮き輪の上で叫んだ。
「この間の歌配信めっちゃよかったけどねー」
「ね、かぐやちゃんゲームも歌も上手いよね」
そんな彼女を見てパラソルの下で休んでいた真実と芦花が微笑ましそうに口元を緩めながら呟く。なお、真実の前には焼きそばが置いてあるのだが、すでに三杯目。健啖家である彼女にしてはまだ食べていない方である。
「で、ずっと気になってたんだけど……白野、なんで手袋付けてるの?」
「ふっふっふ……これ、手袋じゃないんだよ」
呆れたようにかぐやを見ていた彩葉だったがその目を私に向けてきた。彼女が見ているのは私の両手を覆う手袋――否、水泳用グローブである。水かきと同じように指と指の間に膜があり、泳ぎのサポートをしてくれるものだ。これで令呪も隠せると水着を買いに行った時に見かけて一目ぼれしたのだ。多分、令呪のことがなくても買っていただろう。
「いや、ガチか。水着も競泳水着だし」
「これは単純にデザインが気に入っただけ」
今の私は上が白、下が青を基調としたスポーティな競泳水着だ。更にセット売りされていたサンバイザーも一緒に購入し、髪を一本にまとめている。理由はわからないがこれしかないと即決したのだ。
「ちょっとみんな、聞いてる~?」
どうやら、先ほどの叫びは独り言ではなかったらしく、浮き輪の上にいるかぐやが頬を膨らませていた。
(黒鬼か)
現在、ヤチヨカップの暫定一位は黒鬼こと『Black onyX』。彼らはヤチヨのミニライブでヤチヨカップで優勝すると断言したらしく、その言葉通りに一位の座に君臨している。なお、ザビ子のヤチヨカップ不参加に対し、『残念だが優勝を目指すのは変わらない』とコメントしていた。
「んー、確かにこのままだと期間内に一位になるのは難しそうだね」
「あ、ならさ! いろP脱げばいいんじゃない? ついでに白野もバイザーも取っちゃってさ。美少女三人ユニット組んで歌う! これしか――」
「――はい、没収」
「ああ、そんなぁ!?」
真実がニヤニヤしながら案を口にしたのだが、彩葉がそれを遮り、彼女の焼きそばを強奪して一気に食べ切ってしまった。寝転がっていた真実にできることはなく、ただ空しく焼きそばに手を伸ばし、空になったそれを見てガクリとシートへ倒れ伏す。可哀そうだが、彼女の案は私も反対だったので特に慰めたりしない。
「うーん、やっぱりもっと配信とかライブするしかないかなぁ……ねぇ、彩葉~、手伝ってー」
「え、なんで私……」
「白野は伴奏できないもーん。彩葉にしか頼めないの! だから、おねが~い」
「うっ……」
いつものおねだりに顔を強張らせる彩葉。配信はともかくライブに関しては私にできることは少ない。前に一緒に歌わないかと誘われたが申し訳なく思いながらも断った。練習していないし、私が歌う時は、きっと――。
「時間が、ある時ね……」
「よっしゃー! もっともっと配信するぞー!」
「なんで私は……」
返事を聞いたかぐやは嬉しそうに叫び、その傍らで彩葉が悔しそうに砂浜に膝を付き、項垂れる。私もかぐやのお願いはあまり断らないが彩葉みたいに嫌でも受け入れてしまうというわけではない。
「ちょろはだ」
「ちょろはだね~」
「ちょろはかな」
「ちょろくない!」
私たちの苦笑を受け、彩葉はすぐに立ち上がってキッと睨んでくる。少し前までは芦花たちの前でも優等生を演じていた彼女だが、かぐやが来てから自然と素の姿を見せるようになった。かぐやに振り回され、優等生の仮面を付ける余裕がない自分を少しずつ受け入れているのだろう。
「ん? え、なにこれ!?」
そう思っていると不意に彩葉が慌てたように下を見てあわあわとその場で小刻みにジャンプし始めた。彼女の足元には小さな赤い軍隊――蟹がたくさん彼女に群がっている。
「蟹! 岩の下にいた! いっぱい集めて軍隊作る!」
「はぁ!? 蟹で軍隊……って、なんでこっちに来るの!?」
どうやら、近くに落ちていた岩をかぐやが動かしたことで驚いた蟹たちが一斉に彩葉に襲い掛かったらしい。超人彩葉も蟹の軍隊には勝てず、慌てて海の方へと逃げた。もちろん、蟹たちもその後を追いかけ、水辺できゃあきゃあと騒ぎ始める。
「彩葉、明るくなったね」
「一年前の春はふって消えちゃいそうだったもんね」
「まぁ、ここにいるスパダリがなんとかしちゃったんだろうけど」
「ん?」
そんな彩葉を見ているといきなり芦花と真実が私の肩に手を置く。しまった、慌てる彩葉が珍しくて話を聞いていなかった。何の話だろうと首を傾げたが二人は私の様子に気づかず、かぐやを手招きする。
「でも、かぐやちゃんが来てからもっと明るくなった」
「吹っ切れたっていうのかなー」
「どんな魔法、使ったの?」
私から離れた芦花と真実がかぐやに問いかける。確かにかぐやが来てから彩葉は変わった。あくまで私がやったのは母親の呪縛からほんの少しだけ彼女を引っ張り上げただけ。その証拠に未だに彩葉は母親のことに引っかかりを覚えている。
だが、彼女は――月から落ちてきたお姫様はそんな彼女の手を取って自由に振り回した。勉強のこと、バイトのこと、将来のこと、母親のこと。その全てを忘れさせるほどの熱量で彩葉を引きずり回して、面倒くさいことを忘れさせた。きっと、それは私にはできなかったこと。隣に立って寄り添うしかなかった私とは違い、かぐやは彩葉の手を掴んで未来へ引っ張っていた。
「まほー? こーどきゃすとのこと?」
しかし、かぐやはその自覚がない。現在進行形で彩葉の人生を変えているとは思わず、ただ自分の心に従って動いている。だから、その方法を問われても首を傾げるしかない。
「……ふふっ、これは本気で応援したくなっちゃった」
「コラボ、しちゃう?」
「コラボ!? やるやるぅ!」
そう、だからこそ無邪気な彼女はただそこにいるだけで人の心を動かす。芦花と真実が彼女に抱き着き、コラボに誘ったように。
「……」
これから芦花と真実がかぐやの活動を手伝ってくれる。つまり、私の負担も減る、ということ。なら、少しの間、かぐやのことを任せてしまおう。その間に私は私にしかできないことをする。
「は、白野! これ、どうにかして!!」
「……今行くよ」
だが、それは今じゃない。少なくとも今はこの時間を満喫しよう。そう思いながら蟹に襲われている彩葉を助けるため、私は苦笑を浮かべた後、海の方へ歩き出した。
あ、バイトのお姉さんだ!!(水泳用グローブ着用)