月の王とかぐや姫 作:名無しのマスター
「じゃあ、よろしく」
そう言って私は通話を切った。これでツクヨミの所有権がオークションで売り出されたとしても少しの間は大丈夫だ。こちらで話すのは初めてだったがなんとか交渉が上手くいって良かった。まぁ、色々と失ったものも多かったが。向こうのことを一方的に知っている私が有利なはずだったのにやはり、油断ならない相手である。
「んっ……はぁ……」
通話アプリを落として凝り固まった背中を伸ばす。そして、冷蔵庫から飲み物を取ろうとして立ち上がり、引いた椅子が何かに当たって僅かにバランスを崩した。
「っと……あー」
何だろうと後ろを見るとそこにはかぐやが以前に買ったよくわからないトーテムポールが転がっていた。そして、部屋を見渡すと床が見えないほど落ちている配信グッズたち。彩葉の家に入りきらずにこちらへ運ばれたそれらは満足に横になることすらできないほど溢れかえっていた。
(ホント、どうしよ、これ)
スパチャやふじゅ~で収入を得たかぐやは豪遊という言葉が似合うほど衝動買いを繰り返す。配信で一回だけ使って終わったものからまだ出番のないものまで。本当にどこで使うかわからないものがほとんどであり、売り出そうと思った企業もそれを買ったかぐやもよくわからない感性を持っているようだ。
「よっと」
とりあえず、トーテムポールさんには部屋の隅で転がっていてもらおう。それを担いで奥へ放り投げた私は冷蔵庫へと直行する。東京の夏は暑いが今日は特段、酷い。冷房を付けていても汗が止まらないほどだ。
「ふぅ」
電気代に目を瞑り、冷房の温度を下げる。数時間前、かぐやは一緒に出かけようと誘ってきたが今日は通話の約束があったため、断った。その後、文句を言いながらもついていく彩葉の声が聞こえたので二人で出かけたのだろう。この猛暑の中、二人は無事だろうか。
「ん?」
その時、机の上に置きっぱなしにしていたスマホが震える。これは電話だ。SNSのメッセージはともかく、電話がかかってくることは少ないため、少しだけ嫌な予感が頭を過る。
そう思いながらスマホの画面を見るとそこには『かぐや』と表示されていた。その予感は更に深まる。
「……もしもし」
『あ、白野! 助けて!』
通話ボタンを押すと同時にかぐやの泣きそうな声が耳に届く。やはり、何かがあったのだ。でも、かぐやの声は震えているが不調を抱えている様子はない。つまり、彩葉に何かあったのだろう。
「大丈夫、落ち着いて。彩葉に何かあったの?」
『っ! うん、なんか急にしゃがみこんじゃって! 体があつあつなの!!』
かぐやの言葉に思わず奥歯を噛み締める。彩葉が熱中症で倒れてしまったのだ。確かにこの猛暑の中、何も対策せずに歩けばそうなってしまうのもわかる。
だが、外に出て数時間しか経っていないのに意識が朦朧とするほど重症となると話は別だ。おそらく、元々、彩葉の体調は良くなかった。そして、この暑さがトドメを刺し、熱中症として顔を表しただけに過ぎない。
(もっと、私がフォローしていれば……ううん、今はそれどころじゃない)
「今すぐそっちに行く。かぐや、今どこにいる?」
『え、えっと、大きいマンションの近く! 道路があって、車がいっぱい!』
かぐやたちがいる場所を聞き出そうとしたが、かぐやも相当パニックになっている。このまま電話でやり取りしている間にも彩葉の体調は悪化する一方だ。
時間はない。かぐやも今にも泣きそうなのにそれを我慢して頑張ってくれている。彩葉だって倒れるまで無理をしていた。それを言えなかったのは私がかぐやの手伝いやバイト、ヤチヨのことに気が取られていたから。彼女は自分のことには疎い癖に他人のことになると鋭くなる。そう言うところは似た者同士かもしれない。
時間がない。どうする? 何が最適解だ? 私は何をするべきだ? 彩葉とかぐやを助けるための最善策。私にできることは――。
(……覚悟を決めろ、『岸波白野』)
私がもっとしっかりしていればこんなことにはならなかった。もっと上手くやっていればこんなことにならなかった。なら、その責任を取ろう。ずっと目を逸らしていたことに向き合う時が来たのだ。
「……かぐや。今すぐに日陰に移動して。その後、自動販売機でスポーツドリンクを数本買って彩葉の脇の下と首に当ててあげて」
『う、うん、わかった! でも、場所は……』
「大丈夫。何とかする。それと……もし、ありえないものを見たとしても何も聞かないでね」
『え、白野、それってどういう――』
混乱するかぐやの言葉を遮るように通話を切って貴重品を掴んで部屋を飛び出す。かぐやは素直で頭のいい子だ。私の言うとおりに処置してくれるだろう。
一瞬、タクシーを呼んでもらうことも考えた。しかし、パニックを起こしているかぐやでは自分たちのいる場所を説明できないだろう。それに加え、車がいっぱい――つまり、交通量の多い道路の近くにいると言っていたので渋滞に巻き込まれる可能性だってある。
なら、こうした方が早い。
――【move_speed();】
――【view_map();】
頭の中に焼き付いた術式に魔力を注ぎ込むとバチリ、と私の体に紫電が走る。それと同時に魔術回路が悲鳴を上げて激痛が体を襲った。
「構う、もんか!!」
私の声に呼応するように目の前に見慣れたマップが表示され、速度が強化される。そして、マップの設定を変えてターゲットをかぐやと彩葉に指定。
「見つけた」
よかった、そこまで離れていない。それでも急ぐ必要があるだろう。私は人にぶつからないように右へ左へ避けながら街路を走る。周囲の人は速度の上がった私を何事かと見るが今はそれを気にする余裕はなかった。
「かぐや!!」
走ること十数分、何度か【move_speed();】をかけ直して無事にかぐやと彩葉を見つける。彼女は私の言ったように彩葉を日陰に避難させてスポーツドリンクで体を冷却してくれていた。
「は、白野!? なんで、ここが――」
「――それは後! かぐやは買ったスポーツドリンクを持って家に向かって! 私は彩葉を背負う!」
「そんな無茶だよ! 白野がどんなにすごくても人を運ぶなんて……タクシー! タクシー呼ぼう!」
「走った方が早い!」
彩葉の服からスポーツドリンクを取り出してかぐやに投げ渡す。そして、彼女を背負うとやはり体が恐ろしいほど熱くなっていた。息も荒いし、体の熱さと比べて汗をかいていない。なら、少しでも体力を回復させる方が先決だ。
――【heal(64);】
「うっ」
背負った彩葉を対象に
「は、白野? 今、彩葉の体が光って……」
「先に行ってる。かぐやは事故に気を付けて帰ってきてね」
「え、何言って――」
――【gain_str(32);】
――【move_speed();】
彩葉を背負うための筋力強化と速度強化の
(ぐっ……)
家まで数キロ。その間、私は何度か
でも、それぐらいなら構わない。あそこでタクシーを待つ間に彩葉の容態が急変するぐらいなら私はいくらでも血を吐こう。いくらでも無理をしよう。それで彩葉の命が救われるのなら、多少の痛みぐらい我慢しよう。
「ッ――」
歪む視界の中、必死になって走っていると私たちが住むアパートに辿り着いた。階段を昇っている時間すら惜しい。筋力強化を信じて二階部分へと跳躍。高さは足りてくれたのでそのまま彩葉の部屋へと突撃する、ものの鍵が開いていなかった。仕方なく、私の部屋へと彼女を運んだ。
(必要なのは氷と水分補給用の水。あとは飲みやすいようにストローか)
冷房の温度を可能な限り下げた後、かぐやの配信グッズを部屋の隅へ押しやって私の布団に彩葉を寝かせる。そのままかぐやのスマホへ電話を掛けながら冷蔵庫の中を開けた。
『白野!? あのスピードなに!? え、何がどうなってんの!?』
「それは後! 家に着いたから私の部屋に寝かせてる」
『はっや!?』
「そんなことより、今から言うものを買ってきて!」
彩葉の看病に必要な物でこの場にないものを伝え、電話を切る。とりあえず、熱を下げなければならない。氷の準備ができるまでの応急処置として濡らしたタオルを彼女のおでこに乗せて着ていた制服を着崩させる。
――【heal(64);】
更に再び
――【add_regen(32);】
「うっ」
そう考えた私は持続回復の
(ううん、今はそんなことより彩葉の看病だ)
とりあえず、危険な状態は脱しただろう。呼吸も安定しているし、体の熱も下がりつつある。あとは水分補給だが、様子を見て意識を取り戻さなければ口移しも視野に入れた方がいい。いや、そもそもそうなったら先に救急車か。どうやら、私も相当、焦っているようだ。
「絶対に助けるから」
すでにぬるくなってしまった濡れタオルを取り換えながら私は小さく言葉を紡ぐ。それは誰に向かって放たれた言葉なのだろう。目の前で倒れている彩葉? 月へ帰ってしまうかぐや? それとも、今もなお、苦しみ続けているヤチヨ?
(絶対に、助けてみせる)