月の王とかぐや姫 作:名無しのマスター
「すぅ……すぅ……」
布団の上で彩葉が一定のリズムで寝息を立てている。熱もすっかり下がり、食欲も旺盛。念のために風邪薬も飲ませたし、少しの間、目を離しても大丈夫そうだ。
「……」
彩葉が食べ終わった後、少し多めに作っておいたおじやを食べる。彼女が起きないように配信もせず、動画も見ず、作業もせず、静かにおじやを口に運ぶ動作を繰り返した。
(ん~? 少し味気ない?)
彩葉は美味しいと言ってくれたが何となくいつもより味が薄いような気がした。ううん、違う。文字通り、味気なかった。
いつもなら私が作った料理を白野が『美味しそうだね』と小さく笑って褒める。その隣で彩葉が『またこんな豪華にして……もう』と呆れたような表情を浮かべながらもご飯の匂いにゴクリと生唾を飲み込む。
そして、三人で手を合わせていただきますと食前の挨拶をしてほぼ同時に料理を口にする。
私が地上に落ちてから私たちはいつも一緒だった。会わない日はなかった。どんなに忙しくても、用事があっても、配信があっても、顔は必ず合わせていた。
それが私の日常。手に入れたかったつまらなくない日々。ずっと終わって欲しくない毎日。
「……」
ご飯を食べ終わって静かに食器を洗う。気持ちよくごちそうさまが言えるように後片付けもきちんとやる。これは初めて料理をした日に白野が教えてくれたこと。
少し外に出るため、彩葉の部屋の鍵と白野が渡してくれた合鍵を持って部屋を出て施錠。東京は怖いことがいっぱい。ちょっとした用事でも外に出るなら鍵をかけること。それは私地上に来たばかりの頃、部屋を抜け出した私が彩葉に連れ戻された時、彼女にチクチクとお説教されたから覚えている。
たくさん、たくさん教えてもらった。彩葉が、白野が、芦花が、真実が。何も知らない私に色々なことを教えてくれた。
「……」
白野から貰った合鍵を使って彼女の部屋へ入る。まだ寝る時間には早いはずなのに真っ暗な部屋。心の中で白野に謝りながら部屋の電気を点けるとそこには死んだように眠る彼女の姿があった。
(白野……)
私は今日、初めて彩葉に隠し事をした。他ならない白野のことだ。まだ私も詳しい話は知らないけど秘密にしてほしいと言われたので言えなかった。
「白野は……」
着替えることすらせず、布団の上で苦しそうに寝息を立てている白野へと歩み寄り、小声で声をかける。相当、無理をしたのだろう。彼女は目を覚ます様子はなかった。
(あの時のあれは……何だったんだろう)
場所を教えていないのに私たちの居場所がわかったこと。
数キロの道のりを十数分で走ってきたこと。
苦しむ彩葉が仄かに輝いたこと。
ぐったりとしている女の子を軽々と持ち上げたこと。
そのまま彩葉の家に向かって普通ではありえない速度で駆け出したこと。
何より、落ち着いた彩葉を部屋へ運んだ後、急に咳き込んでそれを右手で押さえ、チラリとその手に赤い液体が見えたこと。
――こっちは大丈夫。かぐやは彩葉の看病をお願い。ちょっと疲れちゃったから今日は寝ちゃうね。何かあったら遠慮せずに叩き起こしていいから。
(拭ききれてないよ、白野)
彼女の口の端には僅かな血が付着していた。このまま彩葉と顔を合わせたら色々と聞かれてしまうだろう。だから、私は近くに置いてあったウェットティッシュで白野の口元を優しく拭いてあげた。
ねぇ、白野。あれはなんだったの? いつもみたいに教えてほしいな。
もしかして、あまり体に良くないものなの? 私や彩葉のために無理したの?
私のせいかな? 調子に乗って具合の悪い彩葉に気づかず、炎天下の中へ連れ出したせいで白野も苦しんじゃったの?
「白野、答えてよ」
私は楽しいことが好き。面白い物が好き。彩葉が好き。白野が好き。みんな、大好き。
だから、私のせいで苦しんじゃったのならごめんなさい。だから、教えてほしいよ。
あなたは一体、何者なの?
「……」
死んだように眠る白野は答えない。そして、ふと彼女の左手の甲に刻まれた赤いタトゥーが目に入る。初めて見た時はかっこいいと思ったが、こうやってじっくり見ると少しだけ怖いかもしれない。
人間は得体の知れないものに恐怖を覚えるらしい。だから、知りたがる。駄目なものだとわかっていながらおそるおそる深淵を覗いてしまう。
「……おやすみ、白野」
心の中にまとわりつくもやもやしたものを頭を振って吹き飛ばし、立ち上がって眼下で眠る白野へ声をかける。そして、その返事を待たずに彼女の部屋を後にした。
もし……もし、仮に。人間が得体の知れないものに恐怖を覚えるのなら。
あの力を使う白野に覚えたこの感情は何なのだろうか。それを教えてくれる人はいなかった。
「……なんてね」
と、私らしくない考えをしてしまい、思わず苦笑を浮かべる。でも、反省は必要だ。彩葉が普段からアホみたいに頑張っちゃうのも悪いが彼女を振り回した私にも責任がある。ヤチヨカップが終わるまであともう少し。彩葉に何かをお願いする時はちゃんと彼女の体調やスケジュールを確認してからにした方がいいだろう。
「ん?」
白野の部屋に施錠して彩葉の部屋へ戻る途中でポケットに入れていたスマホが震える。それを取り出して画面を見ればそこには芦花の名前が表示されていた。
(そういえば、彩葉が倒れちゃったって伝えたんだっけ?)
白野のことや彩葉の看病ですっかり連絡するのを忘れていた。急いでメッセージを確認するとやはり彩葉の体調を心配する言葉と数日後に会う約束はどうしようか、という相談だった。
(さすがに外で遊ぶのは危ないよね)
彩葉もそうだが正直、白野の方が心配だ。あんな不思議な力を使ったのなら何かしらの代償があってもおかしくない。明日の体調次第だが、外で遊ぶのは控えておいた方がいいだろう。
(心配だからツクヨミで遊んだ方がいいかも、と)
彩葉が目を覚ましてご飯を食べたこと。お薬を飲んで寝ていることを伝え、代替案を送っておく。すると、すぐに安心した旨と了承と返ってきた。更に芦花から真実に遊ぶ場所がツクヨミになったことを伝えておいてくれるらしい。
「……」
スマホをポケットに入れて彩葉の部屋に戻る。そして、しっかり施錠した後、彩葉の部屋を見渡した。彼女の部屋は私が衝動的に買ったもので溢れかえっている。病人が寝るには少し騒がしいかもしれない。
(反省しなきゃなぁ……)
――うん、私がこのアパートに着いた時にたまたま外で鉢合わせたんだけど……多分、あの時にね。憧れたんだと思う。
「そっか、憧れだったんだ」
部屋の隅に移動して膝を抱えて座る。私の視線の先には気持ちよさそうに眠る彩葉の寝顔。病人よりも苦しそうにしている白野とは正反対の寝顔だ。
私は彩葉が好き。白野も好き。みんな、大好き。
でも、どうしてだろう。彩葉のあの言葉を聞いた時、ほんのちょっぴり胸がぎゅってした。それが私の思考にエラーを生じさせ、少しアンニュイな気持ちになってしまう。だから、あんなおかしなことを考えてしまった。
「彩葉ぁ……白野ぉ……」
眠る大好きな二人。ずっと一緒にいたい大好きな二人。いつまでも三人一緒にいられると思っていた。信じて疑わなかった。
(でも、そうじゃないかもしれないんだよね?)
もし、彩葉が白野を選んだら? 白野が彩葉を選んだら? 私はどうなるのだろう。これまでと同じ三人でいられるのかな? それとも変わっちゃうのかな? わからない。わからないよ。
そんなもやもやを胸に押し込みながら私はそのまま膝を抱えて目を閉じる。いつもなら彩葉の隣で寝ているのに今日だけはここで眠りたかった。
「おやすみ、彩葉、白野」
小さな声でそう呟き、ゆっくりと意識を手放す。明日にはいつも通りの私に戻っていると願いながら。