新居の話を聞いてから数日後、彩葉とかぐやが引っ越しをすることになった。本来であればもう少し後の予定だったが連絡を取った引っ越し業者の予定がたまたま空いていたらしく、そこを逃すと9月以降になってしまうと言われたらしい。
「じゃあ、かぐや先に行ってるねー!」
「うん、わかった」
荷物を引っ越し業者へ引き渡した後、かぐやは私たちにそう言って一足先に新居へと向かった。向こうで引っ越し業者を迎えるためだ。
「白野、手伝ってくれてありがとう」
「ううん、全然」
引っ越し業者とのやり取りがあるため、アパートに残った彩葉が改めてお礼を言ってきた。一年以上、苦楽を共にした戦友だ。これぐらいの手伝いでお礼を言われるほどではないのだが、律儀な彼女らしい。
「お隣さんにも挨拶したし……ここともお別れか」
色々と思うところがあるのだろう。彩葉は玄関から何もなくなってしまった部屋を眺めている。
「……よし。じゃあ、手続きをして私たちも向こうに行こっか」
「うん、わかった」
数秒ほどして気持ちを切り替えたのか、手に持った書類を私に見せて笑う彩葉。私もこれから彩葉たちの新居に行き、荷解きを手伝う予定である。
「白野が引っ越す時、私たちも手伝うね」
「……その時はお願いね」
書類に自分の名前を書きながら言う彩葉に対し、私は頷く。全てが上手くいけば10月から私も彩葉たちと一緒に住むことになる。でも、その前に乗り越えなければならない壁があるのも確かだ。
(頑張ろう)
そう心の中で誓うも未だに月人対策は思いついていない。なにより、この先の未来がどうなるのか。たった一か月先だったとしてもちょっとした出来事で思い描いていたものとまったく違う未来が待っていることもある。
「すみませーん、書類の確認お願いしまーす!」
書類を完成させた彩葉が引っ越し業者の人へ駆け寄った。その背中を見た私は一か月半後、彼女と同じ手続きができればいいな、などと余計なことを考えてしまう。運命の日まで残り一か月を切ったからだろうか。それとも、ヤチヨの様子がおかしいのが原因だからだろうか。その理由は私にもわからなかった。
「おぉ……」
手続きを終えた彩葉と共に初めて彼女たちの新居を訪れたが、思わず声を漏らしてしまう。家賃35万円の高級タワーマンション。その全貌はどんなものかと期待していたのだが、想像を遥かに超える広さだった。
まず、部屋の中に螺旋階段がある。あそこを登れば二階へ行けるのはわかるのだが、部屋に二階があるという時点ですごい。
そして、キッチン。広い。綺麗。収納スペースが多い。毎日、料理をするかぐやが喜びそうなものだった。実際、今も目をキラキラさせて蛇口から水を出して喜んでいる。
また、部屋そのものもあのボロアパートよりも広く、大きなソファを置いていても余裕があるほどだ。実際、キッチンを見終わったかぐやが走り回っても物にぶつかっていない。
「白野! すごいっしょ~!」
「うん……これはすごい」
いきなり立ち止まったかぐやは私の方へ振り返り、渾身のドヤ顔を披露してくれる。しかし、それにツッコむ余裕がないほど私は彼女たちの新居に圧倒されていた。
「それはあっちにお願いします」
そんな中、彩葉は冷静に荷解きをしながら引っ越し業者へ指示を出して作業を進めている。その手に迷いはなく、引っ越す前に何度も動きをシミュレートしたのだろう。
「ほら、かぐや。荷解き、やって。あんたの荷物がほとんどなんだから」
「え~、めんどくさーい。白野~、手伝って~?」
「いいけどどこに置けばいいかわからないからちゃんと指示にしてね」
こうなるだろうと予想していたので一番近くに置いてあった段ボールを持ち上げる。段ボールには大きく『かぐや!!』と書いているのでかぐやのものだろう。
「わかってるって~……あ、それは二階のかぐやの部屋に置いて!」
「二階のどの部屋?」
「こっちこっち~」
とてて、とかぐやは螺旋階段を駆け上がる。その後に続き、二階部分へ到着すると扉は二つあった。その片方の扉の前でかぐやはそわそわしながら待っている。
「ここがかぐやの部屋! もう一個が彩葉の部屋だよ!」
「じゃあ、『かぐや』って書いてる段ボールはこっちの部屋に運ぶね」
「うん! あ、それとね! こっち来て!」
引っ越し業者によって運ばれたベッドやタンス、机などの家具しか置かれていないかぐやの部屋に段ボールを置いた後、彼女に手を掴まれて一階へ戻った。そのまま、部屋を駆け抜けて一つの扉の前に辿り着く。
「ここがね、白野の部屋! 10月になったら一緒に住もうね!」
「ッ……そう、だね」
かぐやの無邪気な笑顔に私は思わず言葉を詰まらせた。彩葉もかぐやも私と一緒に住む未来を疑っていない。この部屋で私と彩葉とかぐやの三人で過ごせると信じている。
「……」
かぐやが『開けて!』と目で訴えてきたため、静かに扉を開けて部屋の中に入った。部屋は二階よりも僅かに狭いが十分な広さはある。
「白野って布団派? それともベッド派? かぐやはね、今回、ベッドにしてみたの! でも、彩葉は布団がいいんだってー」
「……」
「白野?」
「あ、うん……どっちがいいかな」
「じゃあ、かぐやのベッドを組み立てたら寝てみて! まだ一か月以上あるし、色々考えておいてよ!」
何もない部屋で両手を広げて笑うかぐや。この部屋が私の私物で埋まることを楽しみにしているのだろう。
「……うん、考えておく」
「あ、そうだ! 白野にお願いがあったの!」
「お願い?」
「実はコラボライブの練習に付き合ってほしくて。ヤチヨと一緒に踊るところがあるんだけどやっぱ相手がいないと立ち位置とかわかんないことがあってさー」
確かに今まではかぐやが歌いながら踊って、彩葉が伴奏をするという形だった。しかし、今回のコラボライブではヤチヨもいる。二人で別々の振り付けを踊るわけにはいかず、立ち位置など、二人で踊るからこそ覚えなければならない要素もあるはずだ。
「いいけど、踊ったことないよ?」
「細かい部分は大丈夫! 雰囲気とか立ち位置とか確認できればいいから!」
「わかった。そういうことなら」
「じゃあ、早速なんだけど――」
「――かぐやー!」
何故か今から練習を始めようとするかぐやをリビングにいる彩葉の怒った声が止めた。まさに狙ったかのようなタイミングに私たちは顔を見合わせ、思わず笑い声を漏らしてしまう。
「怒られちゃった。荷解きやらないとね!」
「私が二階に運ぶからかぐやは部屋で整理して。運び終わったらそっちも手伝うよ」
「オッケー! よーし、とっとと終わらせちゃうぞー!」
「おー」
それから私はかぐやの荷解きを中心に手伝い、夕方には大体の作業を終えることができた。なお、片付けが苦手なかぐやは疲れてしまったのか、ソファでぐったりしている。
「うへぇ……疲れたぁ」
「はいはい、お疲れ……白野、この後どうする?」
「帰るつもりだったけど」
「えー!! そうなの!? 晩ご飯、三人分用意しちゃった!」
彩葉の言葉に答えたのだが、かぐやが体を起こして声を荒げる。そういえば、彩葉がかぐやのシャンプーを買いに行った時、一緒にかぐやもついていったがついでに食材も買っていた。私は荷解きの方を進めておこうと家に残ったのだが、一緒に行けばよかったか。
「白野ぉ、一緒に食べよ~? ついでにお風呂に入ってー、配信もしてー、一緒に寝よー?」
「いや、めっちゃ要求するじゃん」
「お泊りセット持ってきてないよ」
「ふふーん、そんなこともあろうかとー!」
呆れてジト目を向ける彩葉の横を通り過ぎてかぐやは二階へと向かい、すぐに戻ってきた。その手には大きな袋。ガサガサと音を立ててソファに座った彼女は勝ち誇った顔で袋から何かを取り出す。
「じゃーん、白野のパジャマ!」
「え?」
「こっちは歯磨きセットで、これは白野が使ってるジャンプ―とリンスでしょー……あ、白野の部屋にはすでに布団も置いてあるよ!」
「……うん?」
私はこの家に引っ越すのは10月だ。泊まることもあるとは思っていたがあまりにも用意がよすぎる。これは、もしかして――。
「――かぐや、なし崩しに私をここに住まわせようとしてる?」
「えー、そんなことないよー?」
あっけらかんと答えるかぐやだったがその目は泳ぎまくっていた。きっと、三人分の晩ご飯を用意したのも私を帰らせないためだろう。
「……ヤチヨの手伝いをする時は何があっても帰るからね」
「っ! ち、因みに今日は?」
「ないよ。今日は泊まるね」
「ッ~~~~~! やったー!」
私が泊まると言った途端、かぐやは両腕を上げて大喜びした。多分、色々と不安だったのだろう。ぴょんぴょんとソファの上で飛び跳ねる彼女を見て苦笑を浮かべてしまった。
「本当に大丈夫?」
「うん、問題ないよ。まぁ、これからも泊まることになると思うし、いいかなって」
「あー……」
「彩葉?」
何故か気まずそうに声を漏らす彩葉に首を傾げる。そして、彼女は言うか言うまいかうんうんと唸って悩んだ後、小さく息を吐いた。
「白野」
「うん、何?」
「多分、大変なことになると思うけど……頑張って」
「?」
大変なこととは何だろうか。その詳細を聞きたいのに彩葉は飛び跳ねるかぐやを止めるためにソファの方へ行ってしまった。
(何されるんだろ、私)
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を見ても一向に答えが出ず、いずれわかるだろうと私は考えることを止めた。
配信でリスナーさんに白野のパジャマってどんな柄なのか聞きましたが
まさか公式から正解が提示されるとは思いませんでした。
よろしければ感想、高評価よろしくお願いいたします。