月の王とかぐや姫 作:名無しのマスター
これからも本作品をよろしくお願いします。
――女の話をしよう。
その女はまさに悪童。楽しいを優先し、周囲の人々を振り回してしまうお転婆娘。
そんな純真無垢で、破天荒の化身は世界を知った。
独りで過ごす苦しみを知った。
人間は簡単に死ぬことを知った。
助けたくても助けられないことがあることを知った。
それと同時に人間の輝きを知った。
どんなに厳しい冬でも協力して生き延びる人々がいた。
愛する人のために命を捨てる人がいた。
友のために笑って死地から逃がす人がいた。
追われている身なのに他人を優先する人がいた。
死が近づいているのに笑って過ごす人がいた。
辛いはずなのに笑って上を目指す人がいた。
全てを燃やし尽くされたのに生きるために前へ進む人がいた。
危険なはずなのに快く手を差し伸べた人がいた。
いつしか真っ白だった女のキャンバスは様々な
知ることはいいことだ。ああ、そうだ。いいことだとも。
しかし、知るという行為は不可逆。知らなかった頃には戻れない。
女は色々と知りすぎた。知るしかなかった。輝いていた頃の自分とはかけ離れてしまったことを自覚しながら、それでも進むしかなかった。
そして、彩を知った女は辿り着く。八千年という長い時を経てもなお輝き続けた未来に。
そんな未来に知らない色が一つ。その少女はかつての女と同様に真っ白だった。
己を失い、家族を失い、夢を失い、目的を失った白紙の少女。
その少女はあまりにも無垢であり、放っておけば死んでしまいそうな小動物。
かつての己を思い出した女は気づけば少女へ手を差し伸べていた。それが悪手だと知らずに。
さて、彩を知った女と色を失った少女。本来であれば交わることのなかった二色は知り合った。
女は焦った。己の知る未来が変わってしまうのではないか、と。
しかし、出会った時点で手遅れ。すでに賽は投げられ、それは盤外へ。気づいた頃には投げられた賽は女の手の届かないところまで転がっていた。
さぁ、その賽が止まった時、吉と出るか、凶と出るか。それとも蛇が出るか。
数日が過ぎた三月末。そろそろ新学期が始まり、私は高校生になる。そう、二つ隣の部屋に住む『酒寄彩葉』と同級生になるのだ。
「……」
あれから彩葉とは顔を合わせていない。私が極力外出を控えているからだ。二つ隣とはいえ同じアパート。外に出たら鉢合わせる可能性は十分にある。少なくともヤチヨが決断するまで待つ――つもりだった。
しかし、籠城は時間制限付きの作戦。兵糧が尽きた場合、瓦解する。言ってしまえば、家にご飯がなくなった。多めに買い込んでおいたカップラーメンなどの非常食も含めて。昨日の夜に非常時用の乾パンを食べた、と言えば私の努力を理解してくれるだろうか。ツクヨミの解析をしながらボリボリと乾パンを食べたのである。ひもじいという気持ちを理解した瞬間だった。
「……」
だが、今は2029年。スマホ一つで家までご飯を届けてくれるサービスがある。これなら顔を出すのは一瞬。日持ちするものを複数買えば入学式までなら持つだろう。
そう考えて時刻も夕方だったため、早速、ポチリ。節約のために慣れない自炊を続けていたが今回ばかりは仕方ない。ちょっと早い入学祝いだ。
少しわくわくしながら待っているとインターホンが鳴る。しかし、すぐには出ない。アプリで扉の前に置いてもらうように指定したからだ。扉の近くで聞き耳を立てるとガサガサという音がした後、足音が遠ざかっていく。
(もういいかな?)
初めてなので少し様子を見る。数分ほど経っても特に何も起こらなかったので扉を開けた。そこには大きなビニール袋が置かれており、ここからでもいい匂いが鼻孔をくすぐる。昨日から乾パンしか食べていない身としてはあまりに毒。さぁ、早くこの袋を手に取ってゆっくりと味わ――。
「――あ」
不意に後ろからガチャリ、という扉の開く音。無意識に振り返ればそこには数日前よりもどこかやつれた顔をしている少女、彩葉がいた。理由はわからないが彼女は扉の影から顔を出している。今にも襲い掛かってきそうなほど目を血走らせて。
「……」
出会ってしまった、というよりも何があったのだろうか、と疑問を抱いてしまった。いや、待て。彼女の視線は私ではなく、もう少し下――地面に置いてあるビニール袋に向いていた。もしかして、とビニール袋を手に取ってゆっくりと持ち上げる。すると、彼女の目もそれを追うように少しずつ上がっていく。
「……」
今度は左。次は右。下、斜め上。動かす度に彼女の目はそれを追う。そして、我慢の限界が来たのか、ぐぅ、と何とも気の抜ける音が聞こえた。それで正気に戻ったのだろう。彩葉はハッとした後、その頬を紅潮させる。
「……一緒に、食べる?」
あれだけ彩葉と関わらないようにしていたのに今にも空腹で死んでしまいそうな彼女を見てしまった私は気づけばビニール袋を掲げてそう提案していた。
「ほんと、ぐすっ……すみません! はぐっ、ん! 本当に、もぐもぐ。ごめんなさい! 美味しい、美味しぃ!!」
「いいからゆっくり食べて」
滝のような涙を流しつつ、謝りながらガツガツと牛丼を食べる彩葉に水の入ったコップを差し出す。相当、無理をしていたのだろう。数日前に見た時よりも痩せているように見えた。一体、この数日で何があったのだろう。そう考えながら私もハンバーガーをパクリ。うん、美味い。
「はぁ……生きてるって素晴らしい……」
それから数分後、牛丼とラーメンを瞬く間に食べ終えてしまった彼女は力尽きたように背中から倒れ、しみじみと呟いた。一先ず、これで彼女が餓死することはないだろう。だが、さすがに同年代の女の子が死にそうになっているのを見過ごすわけにはいかない。
「何があったの?」
本当なら事情を聞かない方がいいのだろう。少なくともヤチヨの決断を聞くまでは。だが、何か事件に巻き込まれているようなら話は別。女の子の一人暮らしは危険が付き物だ。ここは一人暮らしの先輩として何か手を貸さなければ。
「……ちょっと、節約、してまして。引っ越したばかりでお金もなく、我慢してたら限界が来て気づいた頃には身動きが取れなく……」
「……ん?」
そう考えていたのに返ってきたのはそんな答えだった。聞き間違いだろうか。つまり、お金がないから節約していたけど、我慢しすぎて動けなくなってしまった、と。
それはさすがに馬鹿なのではないだろうか。
「うぐっ」
正論をぶつけると彩葉から呻き声が漏れる。ヤチヨに嫌われる覚悟で彼女に手を貸そうとしたのにそんな間抜けな――いや、待て。
「節約? どうして?」
彩葉の事情はヤチヨからほとんど聞いていない。知っているのは一人暮らししていること。私と同じ高校へ通うこと。一年後に月から落ちてくる『かぐや』を拾うことだけだ。こんな餓死寸前になるまで節約しなければならない事情があるのだろうか。普通なら親から仕送りがあるはずだ。
「あー……えっと、事情があってあんまり頼れない、というか」
つまり、親からの仕送りはない、ということなのだろうか。私のような事情がない限り、高校生はまだ親の保護下に置かれる。置かれるはずだ。
「……」
そう問いかけると彼女は無言になってしまう。言えない、というより言いたくない。そんな感じがする。
なるほど、これは重症だ。彼女は根本的に人を頼るのを拒否している。これはちょっとやそっとじゃ彼女の心の中を暴くことはできないだろう。
「牛丼、ラーメン」
だが、知らん。私は彼女の事情が気になった。可能であれば力になりたいと思った。ヤチヨがどう、とか関係ない。ただ、私がそう思っただけ。
「え?」
「計二千円弱」
「……あ!? あ、いや、えっと……すぐには、払えないんだけど……部屋にもお金、なくて」
まさかこのタイミングでお金の話をされるとは思わなかったのだろう、彩葉は体を起こして慌て始める。餓死寸前まで我慢するような阿呆だ。使わないように可能な限り、お金を口座に入れていると思った。そこを突く。
「駄目。今、払って」
「そ、そんな!?」
「じゃあ、話して。それが対価」
「対価って……明日まで待ってくれたら払うから!」
「駄目。対価を払うまでこの部屋から出さない」
そう言って立ち上がった私は扉の前で両手を広げる。ここは現実世界であるため、
「……」
床に座っている彩葉は茫然とした様子で私を見上げていた。聡明そうな彼女のことだ。私の思惑に気づいたのだろう。
「な、んで……」
「気になったから」
「それだけでッ! だって、人は……信じられるのは自分だけで……」
「……信じられるのは自分だけ?」
もしかして、それが人の手を取らない理由なのだろうか。それが正しいと幼少期から教え込まれたような言い方。うん、まずはそこを切り崩そう。大丈夫、私にはとっておきの
「私はそう思わない。だって、私自身が私を知らないから」
「え、それはどういう……」
「半年前以前の記憶がない。記憶喪失なの」
「……はぁ!?」
とんでもない爆弾を落とされた彩葉は目を丸くする。信じられる自分を知らない。彼女が教え込まれた信条に当てはまらないイレギュラーな私。さぁ、どう出る?
「あ、え、いや……それは、大変ですね」
「うん、でも、特に困ってない。色々な人に助けられてるから」
確かにこの半年、私はあまり人と関わっていない。
しかし、たった独りで生きていたとは微塵も思っていないのも事実だ。
本屋さんで参考書を選んでいた時、親切に声をかけてくれた店員さんがいた。
図書館を利用としてルールがわからず、通りすがりのお姉さんに手伝ってもらったことがあった。
自炊しようと商店街で買い物している時、たくさんおまけをしてくれた八百屋のおじさんがいた。
そして――何もない私に手を差し伸べ、アシスタントにしてくれた歌姫がいた。
たった半年でこれだけ私は他人に助けられている。この世界に悪い人はたくさんいるだろう。でも、それと同じようにいい人だってたくさんいる。だから、信じられるのは自分だけ、などと寂しいことは言って欲しくなかった。
「別に助けたい、とか烏滸がましいことは考えてない。ただ、話を聞きたいだけ。だって、せっかく出会ったんだから話ぐらい聞かせて欲しい……彩葉、お願い」
ヤチヨ、やっぱり、駄目だ。今にも倒れてしまいそうな女の子が目の前にいる。そんな状態で見て見ぬ振りはできない。そのせいで未来が変わってしまう可能性があるとしても――『岸波白野』は今を生きている。だから――。
(――ごめん)
心の中でヤチヨに謝罪しながら私は彼女に手を差し伸べる。この選択が正しいのか、それはわからない。でも、それでも、ここで彼女を放っておくことを私は良しとしない。
誰かを助ける余裕などないのはわかっている。しかし、それは手を差し伸べない理由にはならない。
きっと、それが『岸波白野』という人なのだ。
それが空っぽになっても残っていた『岸波白野』の
「……」
茫然とした様子で私の手を見つめる彩葉。そして、震える手でそっとそれを取ったのだった。
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