もちろん、全裸で大事なところは花びらで隠しています。
「ツクヨミが、崩壊?」
不思議そうに私の言葉を繰り返したヤチヨだったがすぐに表情を戻した。どこか拍子抜けしたような顔。まるで、茂みが揺れて最大限に警戒していたのに出てきたのが小さな犬だったように。
「白野は私がいなくなったらツクヨミを管理する人がいなくなることを言ってるんだよね? それなら安心だよ! 実はね、すでにツクヨミの管理者権限を譲渡する準備は終わってて今日中に――」
「――『レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ』」
「……は?」
意気揚々と語るヤチヨの言葉を遮ったのはとある男の名前。それを耳にした彼女は思考を停止させ、わけがわからないと言わんばかりに呆然とする。わからないのは意味ではない。私がその名前を口にできた理由がわからないのだ。
「西欧財閥の御曹司で、次期当主でありながらすでにいくつかの企業を任されている天才王子、だったっけ?」
「な、んで……白野が彼のことを知って……」
「だって、ツクヨミの管理者権限をオークションで競り落とすように頼んだの、私だし」
「……なんて?」
わかりやすいように説明したつもりだが、今度こそ彼女は信じられないとポカンとしてしまった。まぁ、ただの女子高生が海外で活躍する御曹司と知り合いだとは思いもしないだろう。
「えっと……ごめん。さすがに嘘だよね?」
「本当だよ。彼も月の聖杯戦争に参加してたの。こっちでは初対面だったけどこっちから連絡して少し話したら普通に打ち解けた」
打ち解けた、というより協力体制を築けたと表現した方が正しいかもしれない。もちろん、協力関係になったとしてもタダではなく、オークションに参加、管理者権限を競り落とす代わりに私の持つ
「そんなの、あり?」
「使えるものは何でも使わなきゃ。ロンドンに行った時に顔合わせもしたし……ヤチヨから管理者権限を受け取ったらツクヨミを崩壊させるように依頼もしておいたよ」
「は?」
「言ったでしょ? ヤチヨが月に行ったらツクヨミは崩壊するって」
「……」
私の言葉にヤチヨは何も言えずにパクパクと口を動かすだけだった。何かは言いたいのに驚きのあまり、声が出ないのかもしれない。因みに彼には『ツクヨミを崩壊させるとヤチヨに伝える』とだけ言っただけで本当に崩壊させるつもりはなかった。
「……脅しのつもり?」
「ううん、違うよ。一応、前任者には伝えておこうと思って。でも、ヤチヨにはもう関係ないよね。だって、一時間もしない間にあなたは月に行くんだから」
そう、これは脅しなどではない。ただ、彼女の心に重しを付けるだけの作業。失うものなどない、と勘違いしているヤチヨに負荷をかけただけ。臆病者な彼女には辛いだろう。一つ目のSGを利用させてもらった。
「……それでも、私は月に行く」
私の予想通り、ツクヨミが崩壊することになったとしても彼女は考えを改めなかった。でも、彼女の感情は揺れ動いている。ここだ。
「でも、この場所はヤチヨにとって大切な場所でしょ? いいの?」
「それは……」
「嫌だよね。だって、ここは寂しい思いをする人が一人でも少なくなるようにって作った場所だもんね」
「ッ……」
その言葉に彼女は動揺したように一歩だけ後ずさった。明らかな隙。そこを見逃すほど私は甘くない。
「ヤチヨは優しいね」
「な、にが?」
「ツクヨミを作ったのは……ヤチヨが寂しかったからだよね? この八千年の間、ずっとずっと寂しかったから――こんな苦しい思いを誰にもしてほしくない。そう思ってこの場所を作ったんだよね?」
「ぁ……」
彼女は小さく息を漏らすとその体が一瞬だけブレ、白銀の向こうに金色が見えたような気がした。ここはヤチヨの深層領域。アバターで感情を誤魔化すことはできない。
「そ、うだけど……それがどうしたの?」
言葉を詰まらせながらもヤチヨはいつも通りに笑う。だが、今更取り繕っても意味はない。すでにお見通しだ。
「月は寂しい場所だよ。味もない、娯楽もない、話し相手もほとんどいない。だから、あなたは地上に落ちてきたんじゃないの?」
「それは……ほら、『かぐや姫』にも出てきた羽衣! あれを着れば地上の記憶は全部、消えて――」
「――この一瞬を最高のパーティーにしよう」
再び、彼女の言葉を止める。たったワンフレーズの歌詞。それを聞いただけでヤチヨは体を硬直させて目を大きく見開いた。
「消えるわけじゃない。強制的に封じ込められるだけ。事実、彩葉の歌を聞いて全部、思い出したよね」
「……FUSHIに聞いたの?」
「うん、ヤチヨが誤魔化した部分を含めて教えてくれた」
ロンドンに行っている間、私は何度かFUSHIに連絡を取ってヤチヨのことを聞いた。その中に彼女が経験した八千年のことも含まれており、月に帰った後、彩葉の歌を聞いて記憶を取り戻した話があったのである。
「……今回は大丈夫。彩葉はきっとあの歌を歌わない。あれはかぐやが月に帰ったから完成した歌。私が月に行ったらあの歌の続きは生まれない」
「私が彩葉にヤチヨの正体をバラしたら?」
「ッ……そう簡単に信じられないよ」
「でも、彩葉なら気づく。ヒントを出せば絶対に答えに行きつく。私の戦友を舐めないで」
きっと、ヤチヨもわかっているのだ。きっかけさえあれば彩葉は必ず真相に辿り着く。それだけ彼女はかぐやとヤチヨを見ている。それだけあの子はあなたたちを想っている。
「羽衣を着せられ、何もかも忘れたあなたは月に行き、彩葉の歌で全てを思い出す。そうなったらかぐやの時みたいにもう一回、地上に落ちてくる?」
「……もう一回は勘弁かなぁ」
こちらの問いかけにヤチヨは苦笑を浮かべて首を横に振った。時間遡行――タイムトラベル。FUSHIの話では地球よりも高度な技術を持つ月人であってもタイムマシンの作成は難儀だったらしく、その性能はあまりにピーキーなものだったらしい。
きっと、ヤチヨは月に帰ったとしてもタイムマシンは作らない。二度目だったとしてもまた失敗して八千年――いや、それ以上に酷いことになってしまう可能性があるだけで動けなくなる。だって、それだけ八千年という時間は彼女を苦しめたのだから。
「でも、月に残ったとしてもあなたは苦しみ続ける。むしろ、月にいた方が酷いかもしれない。だって、月人に寿命はないから」
「……」
「味もしない。娯楽もない。話し相手すらほとんどいない寂しい月で永遠の時を過ごす。毎日、ただ仕事をこなす日々。その終わりのない生き地獄に……ヤチヨは耐えられる?」
「そ、れは……」
彩葉が必ず曲を完成させるとは限らない。
そうなれば彼女の心は恐怖に震える。その可能性を考慮するだけで足が竦む。だって、人と関われば傷つくことを知っているのに未来が変わってしまうかもしれないというだけで独りになれなかった
「……それでも、いい」
そう答えるヤチヨの輪郭が歪む。バチリ、と音を立ててその仮面にヒビが入る。その奥に見えたのはキラキラと輝く太陽のような赤い目。現実世界のあの子の瞳。
「それで彩葉たちがハッピーエンドを迎えられるなら、私は……いいの」
しかし、瞬きの間にその歪みは消え、ヤチヨは目を伏せて答える。声は震え、自分を抱くように肩を掴み、必死に恐怖を噛み殺す彼女の姿はあまりに情けなかった。
「本当にそれだけ?」
だが、私は言葉を止めない。まだ足りない。完膚なきまでに彼女の心を砕いてその奥に隠している本心を晒す。それが私にできること。私にしかできないことだ。
「え?」
質問の真意がわからなかったのか、ヤチヨは怯えたように声を震わせる。ごめんね、怖いよね。もう少しで終わるからそれまで頑張って。
「本当にハッピーエンドにしたいから月に行くの?」
これまで話していたのはヤチヨが月に行った場合に起こりえる結果。そして、次に触れるのは動機。何故、ヤチヨは月に行こうと思ったのか。どうして、彼女は月に行かなければならないと考えたのか。その
「もちろん、そうだけど……」
「だって、誰かを犠牲にしたハッピーエンドなんて彩葉とかぐやは喜ぶと思う? 本当に目指すべきなのは誰も犠牲にならない結末なんじゃないの?」
「でも、誰かは犠牲にならないと! 輪廻が壊れてパラドックスが……パラドックス、が……」
さすがに我慢ならないと勢い任せに叫んだヤチヨだったがその途中で何かに気づいたように言葉を詰まらせ、どんどんその顔から血の気が引いていく。おっと、ここで思い出してしまったか。
「あ、れ……なんで、私……プロテクトがあったはずなのに……」
プロテクト。月人はパラドックスを起こせるほどの技術力を持つ。そのため、パラドックスを起こさないように魂そのものに制限が掛けられているらしい。
しかし、ヤチヨはパラドックスを起こしかねない存在である私を受け入れた。そもそも、プロテクトの存在そのものを忘れていた。
(うーん、どうしたものか)
こうなるかもしれないと考えていたがヤチヨの反応は予想以上だった。このままだと精神崩壊を起こしかねない。とにかく落ち着かせよう。
「パラドックスを起こさないように制限がかけられてるんだよね」
「ッ……白野、なんで知って……」
「色々知ってるよ。なんでヤチヨがプロテクトのことを忘れてた、とか。ごめん、原因は私なんだ」
「白野が、原因?」
信じられないと言った様子で言葉を繰り返す彼女を見て小さく息を吐いた。余計なことは言わない。ただ事実だけを伝えればいいだけ。
「ヤチヨはね、暗示にかかってたんだよ」
そう自分に言い聞かせながら私は彼女にそう言ったのだった。