「は?」
白野の言葉に従うように月人が消えた。それを目の当たりにして私は思わず、呆けてしまう。
(今、何が起きて?)
いや、そんなことよりも今はかぐやだ。私は頭の中を埋め尽くす疑問を意図的に無視してかぐやの傍へと駆け寄る。彼女は白い部分が混じった黒髪の男性に下ろしてもらい、何が起こったのかわかっておらず、キョロキョロと周囲を見渡していた。
「シャルル、ありがとう」
「おう、また呼んでくれよな」
「わっ、消えた!?」
その男性は白野に笑いかけた後、パッと消えてしまう。傍にいたかぐやは思わず声を上げていた。
「かぐや!」
「あ、彩葉……」
混乱するかぐやに声をかけると彼女はハッとしてこちらを見る。ああ、よかった。まだいる。まだ、ここにかぐやがいる。そのことに安堵してしまい、思わず涙腺が緩んでしまった。
「彩葉、泣いてる場合じゃないよ」
「う、そうだけど……って、白野、何をしたの!?」
それをすぐに察知した白野の言葉に顔を引きつらせるがそれ以上に今の現象のことを説明してほしかった。ほら、かぐやもコクコクと頷いているし。
「時間がない。後でまとめて説明するよ」
「時間?」
そういえば、白野が月人たちに『少し待ってて』と言っていた。もし、あの現象が月人たちに言うことを聞かせる効果があった場合、少しだけ猶予ができた、ということだろうか。
「……白野、もういいの」
しかし、それに待ったをかけたのはあろうことかかぐやだった。彼女は私たちの戦いを見ていた。月人との戦力差を目の当たりにしていた。だから、白野が来たところで無駄だと思ったのかもしれない。
「ほら、今日はかぐやの卒業ライブだよ? 歌も踊りも満足するまでやった! だから、かぐや、月に帰らなきゃ」
「はい、嘘吐かない」
「ぎゃんっ!?」
どこか諦めたような顔で言うかぐやの額に白野は遠慮なくデコピンをする。すると、痛くないはずなのにかぐやは短い悲鳴を上げてその場でひっくり返った。文字通り、彼女のアバターが百八十度、回転したのである。
「あ、ごめん。まだ力加減がよくわかってなくて」
地面に転がるかぐやに謝りながら手を差し伸べる白野。月人が攻めてきているのに緊張感のない二人のやり取りに気が抜けてしまった。
「酷いよぉ、白野」
「ごめんね……でも、嘘は吐かないでほしいな」
彼女の手を取って立ち上がらせた後、白野は言い聞かせるようにかぐやにそう言った。そして、そのまま両手でかぐやの手を握りしめる。
「月がどうとか。仕事がどうとか。運命がどうとか……そんなのどうでもいい。かぐやはどうしたい?」
「それは……」
「彩葉も」
「え?」
言い淀むかぐやを見ていると不意に声をかけられて驚いてしまう。白野はかぐやの手から片手を離した後、そのまま私の手を握った。
「彩葉はあまり自分の気持ちを言わないよね。照れ隠しとか、誤魔化したりとかしちゃうよね」
「……」
「でもね、思ってるだけじゃ伝わらないよ。言葉にしても伝わらないこともあるけど……まずは自分の気持ちを口にするところから始めないと何もかも手遅れになる」
白野の瞳が私を捉える。ああ、やっぱり、綺麗だ。私はこの目に憧れた。こうなりたいとあの春の日に心が震えた。
「……かぐやと離れたくない」
だからだろうか。私の口から本音がするっと零れ落ちた。ああ、そうだ。帰ってほしくない。ずっと傍にいてほしい。そんな悲しそうな顔で未来を諦めてほしくない。だって、私は――。
「――かぐや、好きだよ」
夏祭りの日、伝えていなかった私の気持ち。それを今更ながらかぐやに伝えた。彼女は目を大きく見開いてその瞳を揺らす。
「そうだよね。言ってなかった。何も伝えてなかった……ごめん」
「彩、葉……」
「この気持ちに名前はまだ付けられないけど……でも、名前を付ける前にいなくならないでよ。名前を付けるまで一緒にいてよッ!」
ああ、駄目だ。我慢できない。目から涙が零れ落ちていく。私はかぐやが好き。白野も好き。でも、この気持ちがなんなのかわからない。わからないから気付かない振りをしていた。もう、私の心にはかぐやと白野がいるのに。
「……かぐやね。邪魔かなって思ってたんだ」
数秒ほど黙り込んでいたかぐやだったがそう静かに言葉を紡いだ。何のことだろうか、と顔を上げると彼女は優しく微笑みながら白野に握られている手を見下ろしていた。
「彩葉がさ。白野に憧れてたって言ったじゃん? ヤチヨのこともあんなに好きだし……あー、かぐやの入り込む余地ないじゃーんって」
「そんなこと……」
「そんなことあるよー。だって、知らなかったもん。彩葉がかぐやのこと好きだって。ずっと迷惑かけちゃってたし、かぐやがいない方がきっといいんだろうなーって。二人の邪魔しちゃ駄目だなって」
ああ、本当に白野の言うとおりだ。気持ちは言葉にしなければ伝わらない。ずっと傍にいると思い込んで彼女を蔑ろにしていた。私の馬鹿。大馬鹿。
「だから、さ……帰ろうって、思ってぇ……これ以上は、迷惑、かけたくなくてぇ……」
「あー、よしよし」
かぐやも我慢できなくなってしまったのだろう。ボロボロと涙を零す彼女を白野は慰めるように片腕で抱きしめる。私が、泣かせてしまったのか。こんなになるまで我慢させてしまったのか。ああ、本当に――私は馬鹿だ。
「迷惑じゃないよ、かぐや」
だから、今度こそ間違えない。気持ちを伝える。そうだ、私はかぐやが好き。その気持ちは間違っていない。その気持ちに名前を付けられなかったとしても――これは間違いじゃない。
「私はかぐやと一緒にいたい。これからも色々やりたい。かぐやは?」
「……やりたい。まだ、やりたいこと、たくさんあるの」
「そっか……なら、一緒にやろ。まだ地上に来て二か月じゃん? かぐやの知らないこと、まだまだたっくさんあるよ」
もちろん、白野も、と彼女に視線を向ける。彼女は私に見つめられ、どこか不思議そうな顔をしていた。おい、いつもなら察してくれるだろう。
「……白野も?」
そんな私の気持ちが伝わったのか、かぐやが顔を上げて白野に問いかけた。その拍子に彼女の目から最後の涙が零れ、それは静かに床に落ちる。
「……」
しかし、白野は答えない。静かに微笑んでかぐやを見つめるだけ。ねぇ、白野。なんで何も言わないの? そこは頷くところでしょ? 言葉にしないと伝わらないって言ったのはあなたでしょ?
「かぐやちゃん!」
その時、戦っていたはずの帝が階段の向こうから姿を現す。いや、帝だけじゃない。雷、乃依、芦花、真実の全員が揃っていた。
「どういう状況だ!? 戦ってた月人たちが急に消えたんだが?」
「私がリスポーン地点に飛ばした……さて、そろそろ時間かな」
帝の言葉に答えた彼女はかぐやから離れてステージの中央へ向かう。その凛とした佇まいに私たちは顔を見合わせるしかなかった。
「月人たちとの戦いは振り出しに戻った。もう一回、最初から戦うことになる」
「白野?」
コツコツと音を立てて歩く白野が説明するように言葉を奏でる。そして、ステージの中央に立つと月人たちの登場によって色が変わった空を見上げた。
「でも、ここには月の光が届かない。だから、色々と準備する必要がある」
彼女はそう言いながら左手を掲げてその甲に視線を向ける。赤いタトゥー。しかし、私が見た時よりもそれは小さく――いや、力を失ったように掠れた部分が増えていた。
「あ、あのタトゥー……」
かぐやもあれが見えたのだろう。何かを思い出したかのようにそう呟いた。
「足りないものは三つ。全てを観測する月の光、お姫様を守るための兵士たち、そして――数を凌駕できるほどの力。じゃあ、まずは兵士たちを募ろうか」
「あー、テステス。聞こえていますかー? ん? とっても可愛らしい女の子の声が聞こえるって? もー、本当のことを言っても何も出ませんよ?」
誰かの声が聞こえた。きっと、ここにいる全員の耳に届いているのだろう。かぐやたちは何事かと周囲を見渡して――観客席も同じように困惑していることに気づいた。
「かぐや姫の卒業ライブを見に来たあなたも、映画館で見ている君も、小説を読んでいる読者様も。さぁ、準備はいいですかー? 力いっぱい振るためのサイリウムは? 公共の場にいる方はイヤホン付けてます? 文字を打つためのキーボードの用意はいいですかぁ? よろしい! では、せーので行きますよー! せーのっ!」
「BB――、チャンネル――!!」
そして、視界の全てが桜の花びらに埋め尽くされた。
BB~、チャンネルぅ!!