呪いで美少女になった少年兵、剣一本で戦場を駆ける 作:ハネケン
第三防衛ラインを粉砕した解放軍の咆哮が、荒野を震わせる。
グラウド国軍の本陣は、死の直前の生物のように慌ただしかった。傷ついた兵士たちが焦燥を顔に張り付かせ、最後の防衛ラインを構築している。
その陣営の深奥に、巨大な異物が鎮座していた。
国軍の切り札、移動要塞『グラン・マルキノ』。十メートルを超える漆黒の砲身が天を突き、鋼鉄の鎧を纏った巨躯は、さながら地を這う鉄の墓標だ。車輪が地面を軋ませ、二本の煙突が黒煙を吐き出している。
その威容の前に、一人の男が立っていた。
ファウンド大佐。四十代半ばの、整えられた黒髭と鋭利な眼光を持つ男だ。彼が放つ静謐な重圧に、周囲の喧騒すら遠ざかっていく。
そこへ、生真面目そうな青年将校、ロウレイブ大尉が駆け寄った。
「事態は深刻です、ファウンド大佐」
「ロウレイブか」
ファウンドは視線を動かさず、戦場の惨状を眺めたまま応じる。
「第三防衛ラインが奪い返された今、敵は、まもなくここまで到達します」
「やれやれ。各基地からの援軍を以てしても、押し切られるか」
「セウスノール側の……異常な戦力、あるいは『援軍』の仕業です」
「策も練ったが、あっさりと踏み抜かれたな」
ロウレイブの細い目が、悔恨に歪む。
「……あの百門の砲撃を、たった一人の人間が強行突破するなどと。常軌を逸しています」
「起きてしまった事実は消えん。……だが、その代償は彼らに払ってもらう」
ファウンドは冷徹な眼光をロウレイブに向けた。
「例の援軍は遅れている。……となれば、ロウレイブ大尉、君に出撃してもらおう」
ロウレイブは狂気じみた笑みを浮かべ、細い目を鋭く光らせた。
「ようやく、その言葉が聞けました。やつらの首を、この手で仕留めます」
「肩に力を入れすぎだ。だが、期待はしているぞ」
ファウンドが薄く微笑む。それは慈悲ではなく、獲物を追い込む捕食者の笑みだった。
ロウレイブは力強く敬礼を返す。その足元で、グラン・マルキノが地響きのような唸りを上げ、主砲が不気味に空を向いた。
荒野の岩石が、怒涛の行軍に削られていく。
敵陣営の気配が濃密になる。前方に展開するグラウド国軍は、迎撃の布陣を敷いていた。
「チッ、対応が早すぎるな」
クレイドの吐き捨てた言葉を皮切りに、国軍の剣兵と銃兵が一斉に雪崩れ込む。
「一気にケリをつけるぞ!」
クロコとフロウが先陣を切り、岩石帯の回廊で二つの軍勢が激突した。
クロコが振るう剣は、もはや銀の残像でしかない。フロウの華麗な剣技と合わせ、敵陣の中心が瞬く間に切り裂かれていく。
「ひるむな! 陣形を組んで囲め!」
国軍の隊長が叫び、兵たちがクロコたちを包囲せんと殺到する。だが、
「俺たちを忘れるな!」
側面からクレイドとブレッドが強襲し、包囲網を紙屑のように粉砕した。
無敵の四人による蹂躙。クロコは戦場を切り開きながら、前へ前へと食い込む。
「調子に乗るなよ、小娘!」
怒号と共に、一人の男がクロコの行く手を塞いだ。ロウレイブ大尉。手にした長槍が、冷徹な光を放っている。
「貴様か。砲兵隊を壊滅させたのは」
「だから何だ!」
「我が誇りに懸けて、ここで始末する!」
クロコの姿が、陽炎のように消えた。
――瞬歩。次の瞬間、ロウレイブの死角に現れたクロコが鋭利な一閃を放つ。
ヒュンッ!
だが、刃は空を切る。ロウレイブは驚異的な反射神経で横へ跳び、難なく回避した。
「……ッ!」
驚く隙も与えず、ロウレイブの槍が蛇のようにうねり、クロコを襲う。
ヒュゥンッ!
空気を裂く鋭い音。クロコは身をかがめて回避するが、切っ先が髪を微かに掠め、黒い房が宙に舞う。
だが、恐るべきはその先だ。ロウレイブの槍は、通り過ぎたはずの軌道を無視し、鞭のようにしなってクロコの喉元へ戻ってきた。
「なっ……!?」
予期せぬ変幻自在の軌道。反応が一瞬遅れる。
ギィンッ!!
火花が散り、剣と槍が交差する。金属音の余韻が戦場に響く中、ロウレイブは不敵に笑みを浮かべた。
「ほう……。さすがにやるな」
(……強い。こいつ、格が違う!)
クロコは剣越しに伝わる強烈な振動を感じ取り、戦慄と同時に昂揚を覚えていた。
クロコは体を反転させ、重心を低く保ったまま敵の懐へ飛び込む。回転の遠心力を乗せた渾身の斬撃。
ヒュンッ!
だがロウレイブは、まるで風を透かすように背後へ跳び退く。
「チッ……!」
距離を取った瞬間、ロウレイブの長槍が火を噴く。間合いの外から放たれる高速の突き。それは刺突の速度を超え、視界を塗りつぶす銀の閃光と化した。
クロコは紙一重で身をそらし、死線を避ける。しかし、ロウレイブの攻撃は止まらない。突きと斬撃が複雑に絡み合い、逃げ場を塞ぐ波状攻撃となってクロコを追い詰める。
(クソ……防ぐだけで精一杯だ!)
距離を取ろうと後方に飛んだ瞬間、裂帛の気合とともに槍が唸った。
ヒュゥンッ!
鋭い切っ先がクロコの肩を掠め、深紅の飛沫が宙を舞う。
「フッ、この間合いに慣れぬ者に勝ち目はない。……ここで消えろ、女!」
「……! 誰が女だッ!!」
怒りで瞳を赤く燃やし、クロコが踏み込む。
ギィンッ!!
渾身の力で槍の穂先を叩き折るように弾いた。ロウレイブの重心がわずかに浮く。その刹那、クロコは地を這うような速さで懐へ滑り込んだ。
「ここだッ!」
大振りの一撃がロウレイブの脇腹を裂く。朱色がシャツを染め、ロウレイブが苦悶の表情で跳ね退く。
二人の間に再び距離が生まれる。ロウレイブが脇腹を押さえ、苛立ちを露わにしたその時だった。横合いから銀色の閃光が走り、ロウレイブの死角を突く。
「くっ……!」
ロウレイブは槍の柄で何とか致命傷を防いだ。
「大丈夫!? クロコ君」
「フロウ!」
「チッ、面倒な奴らだ」
ロウレイブが舌打ちをする間も与えず、フロウの剣舞が襲いかかる。
ヒュヒュヒュンッ!
流れるような連撃。ロウレイブが後ろへ下がりながら紙一重でかわすと、今度は反対側からクロコの凶刃が腹部を切り裂く。
(……新手も手強い。二対一では、さすがに分が悪すぎる)
ロウレイブの表情に焦燥が走る。彼は状況を瞬時に判断し、隙を見て大きく後方へ跳んだ。
「逃がすかッ!」
クロコが地を蹴ろうとしたその時、フロウがその肩を掴んだ。
「待って!! クロコ君!」
「なんだ……!?」
不意に国軍兵たちが、潮が引くように後方へ退いた。
戦況を見ていたフロウが、血の気を失った顔で前方を指さす。クロコが視線を走らせると、敵軍は一定の距離を保ったまま、不気味なほど整然と足を止めていた。
「不気味だ……撤退の合図もなく、ただ距離を置くなんて」
フロウの脳裏に、最悪の可能性がよぎる。なぜ下がった? なぜ陣形を固める?
ふと、フロウは味方の陣形を見渡した。中央に密集しすぎた友軍。その時、後方の敵陣の背後に蠢く「巨大な影」が目に入った。背筋を氷の槍が貫くような戦慄。
「みんなっ!! グラン・マルキノだーッ!! 岩壁に寄って伏せろーッ!!!」
フロウの絶叫は、戦場の喧騒を切り裂いた。
クロコたちは反射的に地を蹴った。クレイドも、ブレッドも、兵士たちも、本能のままに岩壁の陰へと飛び込む。
ドォン――。
遠くから響いたのは、死のファンファーレだった。
直後、空を切り裂く風音が急速に膨れ上がる。
ヒュゥゥウウ、と高音を上げる死神の鎌の音が頭上を掠め、次の瞬間――。
ドオオオオオオォォォォォォォンッ!!!
視界が塗りつぶされた。狂ったような閃光が辺りを白銀に染め上げ、爆音という名の槌が鼓膜を叩き割る。
遅れて襲いくる熱風。巻き上げられた砂塵が赤茶色のカーテンとなり、すべてを隠蔽した。クロコは見た。数十の兵士が紙切れのように宙を舞い、砕けた岩片が弾丸となって肉を切り裂く様を。悲鳴さえ爆音に飲まれ、戦場は一瞬で「理解の外にある地獄」へと変貌した。
やがて、狂乱の余韻だけが残る静寂が訪れた。
「うっ……」
クロコが泥を啜りながら身を起こす。
キイィィィン……と、脳を直接かき回すような激しい耳鳴りが居座る。口の中にはジャリとした土の感触と、鼻腔を突く濃密な火薬の臭い。
視界が開けるにつれ、惨状が残酷なほど鮮明に浮かび上がった。通路の中央、無残に折り重なる兵士の骸。
「これが……こんなものが……」
クロコは立ち尽くした。あまりの現実感のなさに、思考が凍りつく。
だが、その硬直を破るように、新たな怒号が空気を震わせた。
「敵だーッ! 敵が来るぞ!!」
クレイドの声だった。クロコは反射的に剣を握りしめ、泥を拭う。地獄の火はまだ、消えてはいなかった。
クロコは反射的に大地を蹴り、立ち上がる。その視界の先、硝煙を突き抜けて国軍の猛追が迫っていた。
クロコ、フロウ、ブレッド、クレイドの四人が最前線へ躍り出る。後に続く兵士たちは百名余り。先ほどの爆撃で判断力を失い、魂が抜けたような表情で震えている。
フロウの顔が苦痛に歪む。
(クソッ……! これでは撤退の形すら作れない……!)
「みんなが立て直すまで、ここは僕たちが死守する!」
フロウの絶叫に、クレイドが獣のような咆哮で応える。
「当たり前だッ!!」
殺到する敵軍を、四人の剣技が切り裂く。泥と硝煙の中、乱戦が幕を開けた。
その混戦の只中、異質な殺気がブレッドを襲った。長槍を構えたロウレイブが、戦場の喧騒を置き去りにする速度で肉薄する。
ギィンッ!!
ブレッドは紙一重で槍を受け止めたが、衝撃で足元が軋む。
「クソッ、何なんだこの動きは……!」
ロウレイブは執拗に、かつ流麗に槍を振るう。蛇のような突きがブレッドの急所を抉る。ブレッドは冷や汗を流しながらも、極限の集中力で軌道を見切り、相手の槍が死角を通り過ぎた一瞬、迷わず懐へ踏み込んだ。
ヒュンッ!
鋭利な斬撃が走る。ロウレイブは紙一重で身をかわしたが、軍服の裾が赤く裂けた。彼は舌打ちと共に後方へ跳び、距離を取る。
「……チッ、こいつも手強いやつか」
その時だった。戦場に轟くブロズドの声。
「撤退だッ!! 一時撤退するぞォォォッ!!」
後方の部隊がようやく再編を終えようとしていた。
クロコたちは追撃してくる国軍の槍先を紙一重でかわしながら、死に物狂いで後退を開始する。背後で爆音と怒号が渦巻く中、彼らは泥を這うようにして戦場を脱した。