呪いで美少女になった少年兵、剣一本で戦場を駆ける 作:ハネケン
解放軍は第四防衛ラインまで退却していた。先ほどの地獄の記憶が尾を引いているのか、兵士たちの顔には灰色の恐怖がこびりついている。
瓦礫の山に腰を下ろし、クレイドが枯れた笑みを漏らす。
「……ったく、一瞬、天国に招待されるかと思ったぜ」
「笑えない冗談だね」
フロウが努めて軽口を叩くが、その瞳は深く沈んでいた。隣で砂にまみれたブレッドがため息を吐き出す。
「しかし、ついにグラン・マルキノを投入してきたか」
その言葉に、フロウの思考が高速で回る。
(グラン・マルキノの投入……だが、このタイミングで? 敵の狙いは、単なる殲滅じゃない……?)
「皆、こっちを向けッ!!」
ブロズドの怒号が響く。
「敵がグラン・マルキノを撃ち込んできた。これより我々は中央を空けた陣形をとる! 再編だッ!」
兵士たちが黙々と動く。ブレッドがボソリと呟いた。
「まあ、妥当だな。二度もアレを食らったら、戦う前に心が折れる」
一方、グラウド国軍本陣。
ロウレイブは、巨大な砲身を抱く鉄の獣を見上げながら、ファウンドに疑問を投げかけた。
「大佐。先ほどの一撃、何の意味があったのですか? 温存すべき切り札をあそこまで早々に投入した割には、戦果が薄い」
ファウンドは微かな笑みを浮かべる。それは、盤上の駒を見下ろす支配者の慈悲に似ていた。
「あれはな、敵を殺すためではない。敵の『形』を整えるためのものだ」
「陣形を、ですか」
「そうだ。一度撃ち込めば、奴らは恐怖する。再び撃たれることを恐れ、陣形を左右に分断せざるを得なくなる。……単純な作戦だ。だが、極限の恐怖を頭に刻み込まれた者たちには、この単純さが最大の毒となる」
ロウレイブの表情に納得の色が広がる。
「なるほど。状況を冷静に分析すれば、我々の狙いは見抜けるはず……」
「ロウレイブ大尉。人間が行動を決める際、知能が介在する余地など僅かだ。人の行動を決定づける根源は、いつだって『感情』だよ」
ファウンドは冷ややかな微笑を深め、グラン・マルキノの砲身を愛撫するように見つめた。
解放軍の空気は、凍りついた沼のように重かった。ブロズド副指令が提案した「陣形分割」という作戦に、誰も異を唱えない。いや、唱えられないのだ。恐怖という名の泥が、兵士たちの喉を塞いでいたからだ。
その沈黙を切り裂いたのは、フロウの鋭い声だった。
「待ってください! 今、軍を左右に割るなんて自殺行為です」
フロウは迷いのない足取りで、ブロズドの前に出た。
「中央を空ければ、どんな展開になろうと力負けします。それは敵の掌の上で踊るのと同じです」
「何を言う……!」
ブロズドが射抜くような眼差しを向ける。
「もう一度あの砲撃を受ければ、我が軍は壊滅するんだぞ。先ほどの地獄を見て、何も感じなかったのか」
周囲の兵士たちがざわめく。あんなものの正面に立つなど狂気の沙汰だ、と。だがフロウは、その波のような罵倒を涼やかな表情で受け流した。
「二度目の砲撃はあり得ません。情報によればグラン・マルキノの砲弾は最大で三弾。彼らにとって『グラン・マルキノ』は、本陣攻略のための切り札。無駄撃ちは致命的なミスに直結します」
「推測に過ぎん。もしもの時はどうする」
ブロズドの怒りは、自身の恐怖を隠すための鎧のように見えた。フロウはそれを冷徹に看破し、言葉の刃を突き立てる。
「撃たせればいい。その時は、こちらが対策を講じる好機となるからです。敵がその一発を吐き出した瞬間、彼らの持つ『恐怖の威圧』という唯一の武器は剥がれ落ちる。詰みです」
議論の余地などない、という冷ややかな断言。兵士たちの動揺が、フロウの論理に呑まれ、奇妙な静寂に変わっていく。
「……だが、今の精神状態で中央に立たせれば、陣形維持など不可能だ」
「なら――」
フロウが、さらに一歩前に出た。その小さな背中が、まるで巨大な城壁のように膨れ上がる。そこにいたのは少年兵ではなく、戦場の支配者だった。
「僕が中央の先頭に立ちます。兵の盾となり、死の道を切り拓く。僕が先頭にいれば、この論理に命を懸ける説得力が宿るでしょう? 今、我々は有利なんです。この勝機を恐怖で手放すなんて、愚かだと思いませんか」
ブロズドは絶句した。フロウの瞳の奥に宿る、決して消えぬ鋼の闘志に圧倒されていた。
「俺も中央の前衛に立たせてもらうぜ」
クレイドが軽薄な笑みを浮かべ、ずいと一歩前に出る。
「グラン・マルキノに尻尾を巻いて、せっかくの勝機をドブに捨てるなんて冗談じゃないからな」
「それじゃあ、俺も遠慮なく特等席をいただこうかな」
ブレッドも肩を並べ、背後のクロコを振り返る。
「クロはどうする?」
「……聞くまでもねぇだろ」
「そうか、聞くまでもなく安全な端っこで戦うか」
「どうしてそうなるんだよッ!」
クロコのツッコミに、戦場の緊張がわずかに溶ける。兵士たちのあいだに波紋のようなザワつきが広がった。
「おいおい、あいつらマジかよ……」
「だが、確かにあいつらの言う通りだ。有利なのは俺たちのはず……」
死の淵で凍りついていた兵士たちの表情に、わずかな生気が戻り始める。それを見たブロズド副指令は、肩から力が抜けるような大きなため息を吐いた。
「……分かった。隊の配置は変更しない。そのままの形で敵を迎え撃つ」
ブロズドは、四人の背中に視線を固定する。
「貴様ら四名。言葉通り、中央の前衛として死地を切り拓いてこい」
「ハッ!!」
四人の咆哮が、荒野に響いた。
「……大佐。こちらの意図が見抜かれる可能性はないのですか?」
国軍本陣。ロウレイブが、戦場を見下ろすファウンドの背中に問いかける。ファウンドは腕を組み、冷ややかな瞳で戦況を俯瞰していた。
「ゼロとは言わん。もし解放軍側に、あの恐怖の中で冷静に戦術を分析できる理知的な駒がいれば……有り得なくもない」
ファウンドは愉悦を隠そうともせず、言葉を紡ぐ。
「だが、私の経験上、そのような者はそうそう存在しない。人間は恐怖という猛毒の前では、賢者ですら愚者に成り下がるものだ」
「万が一、見抜かれたら?」
「その時は完全撤退も考えねばならない」
ロウレイブの眼光が、獣のようにギラリと光る。
「もしそのような事態になっても、私がこの槍で押さえて見せます」
ロウレイブは長槍を手に取り、獲物を狙う肉食獣の足取りで戦場へと歩き出した。その後ろ姿を見送り、ファウンドがぼそりと呟く。
「……無理はするなよ」
赤い岩壁が囲む天然の回廊。第四防衛ラインを挟み、解放軍とグラウド国軍が再び対峙していた。
数百メートルの距離。その地平線の彼方には、死の巨獣『グラン・マルキノ』が不気味な影を落としている。
パンッ!
乾いた銃声が戦場の火蓋を切った。国軍の波が押し寄せ、それに応じるように解放軍の中央、クロコたち四人が先陣を切って地を蹴る。
「……崩れる気配がない。だが、この私が食い止めてみせる!」
ロウレイブが地団駄を踏むが、時すでに遅し。クロコたちが突撃の楔(くさび)となり、国軍の陣形を中央から引き裂いていく。雪崩れ込む解放軍の兵たちが、左右に分断された敵軍を蹂躙した。
混戦の渦中、クロコが左翼へ踏み出した瞬間だった。
ヒュッ と空気を裂き、殺意の詰まった槍が喉元へ突き出される。
「そろそろ仕留めさせてもらおうか!!」
ロウレイブの咆哮。クロコは狂気的な笑みを浮かべ、剣を構えた。
「それはこっちのセリフだ。さっきの仕返しをしないとな」
ロウレイブの槍が、銀の雨となってクロコを襲う。だが、今のクロコは違う。突きも斬撃も、もはやその網膜にはすべて「予兆」として映っていた。完璧な軌道読み。クロコは紙一重のダンスで攻撃をいなし、じりじりと懐へ踏み込む。
「悪いが、アンタの間合いにはもう慣れた」
「だからどうした! 慣れた程度で勝てると思うなッ!」
ロウレイブの攻撃が激しさを増す。槍が唸りを上げ、空気を叩く。
その時、ロウレイブは槍を大きく回転させた。大振りの軌道。クロコが防ごうと剣を上げた瞬間、切っ先は虚空を切り、そのままクロコの足首を狙って急激に軌道を落とした。
「……ッ!!」
「これで終わりだ!」
死の軌道が足に触れる直前。クロコは空中で重心を入れ替え、踏み込んでいた足の裏で、ロウレイブの槍の穂先を力任せに踏みつけた。
「なっ……!?」
槍が大地に縫い止められる。ロウレイブの顔に驚愕が浮かんだ瞬間、クロコは勝機を逃さなかった。
ヒュンッ!!
肉を断つ冷たい音。クロコの剣がロウレイブの胸部を深く切り裂いた。
男の動きが止まる。その瞳から光が失われ、よろめくように数歩後退した。
「こんな……こんなところで……死ぬわけには……」
ロウレイブは執念を燃やしながらも、やがて力なく泥の中へと沈んだ。
クロコは戦場の冷たい風を背中で受け止めた。
「悪いな。オレもここで死ぬ気はないんでね」
ファウンド大佐は、不気味なほど静かな眼差しで戦場を俯瞰していた。分断された自陣。戦局は完全に解放軍の支配下にある。
「退き時か……」
男の口から漏れたのは、敗北の宣告ではなく、狩りを切り上げる際の冷静な呟きだった。その時、背後で耳障りな金属音が響いた。
ガシャンッ! ドンッ!
「貴様、何をしているッ!」
兵士の怒号にファウンドが視線を向けると、一人の少年が兵士の下敷きになっていた。十五、六歳ほどだろうか。身の丈に合わないダボダボの私服に、分厚い眼鏡。白い髪を揺らし、少年はひどく怯えた様子で縮こまっている。
「何者だ、貴様!」
「えっ、あ、えっと……グラウドの軍人です」
「軍人が私服で戦場にいるかッ!」
「す、すみません! とにかくすみません!」
少年はペコペコと頭を下げた。その顔には、死線を越えてきたはずの兵士の殺気など微塵もない。無邪気な笑みを浮かべ、彼は繰り返す。
「こんな格好ですけど、一応軍人なんです、ホントに」
「どうした、騒ぎの理由は」
ファウンドが早歩きで二人の間に割って入った。少年はファウンドの威圧的な空気に射抜かれると、反射的に背筋を伸ばし、ぎこちない敬礼を捧げた。
「はっ! 遅れて申し訳ありません! シャルルロッド基地より援軍として参りました、スコア・フィードウッドです!」
ファウンドは一瞬、言葉を失った。スコアという名の少年を、剥製を見るような無機質な瞳で見つめる。
だが、その瞳の奥には、確かな戦慄が灯っていた。
(彼が……『瞬神の騎士の再来』だというのか……!)