呪いで美少女になった少年兵、剣一本で戦場を駆ける 作:ハネケン
撤退したセウスノール解放軍は岩石帯を抜け、広大な荒野へと吐き出された。
目の前には、町の石門を囲うようにそびえ立つ灰色の長城――第五防衛ライン。ウォーズレイの基地と町を背負う、最後の要塞だ。
日はすでに西の地平線に溶けかけていた。防壁の裏側では、傷ついた兵士たちの呻きと、医療班の慌ただしい声が混ざり合い、戦場の終わりを告げている。
クロコは、包帯を巻かれるブレッドの傍らに寄り添った。
「様子はどうだ、ブレッド」
「ああ、かすり傷だ。オレよりフロウの方がよっぽど深いぜ」
「僕なら平気だよ。次の戦闘には支障ない」
フロウが痛みを隠して微笑むが、傍らのクレイドが鼻で笑う。
「見た感じ、とてもじゃないがそうは見えねぇな」
「……仮に深くても、引くわけにはいかないだろう? あんな『化け物』が出てきた以上は」
その言葉を合図に、場が凍りついた。
沈黙を破ったのはフロウの重い吐息だ。
「あれが、噂の『瞬神の騎士の再来』……スコア・フィードウッドだろう」
「あの国軍の剣士か」
ブレッドが静かに応じる。フロウは悔しげに唇を噛んだ。
「名前は聞いていた。天才だと……だが、あれは天才なんて言葉で括れるものじゃない」
クレイドが忌々しげに眉をひそめる。
「ああ。あれは『化け物』だ」
重苦しい沈黙が再訪する。ブレッドが不意に、クロコへ視線を投げた。
「そういえばクロ、お前。アイツと何か関わりがあるのか? あいつ、お前を見た瞬間、動きを止めたように見えたが」
クロコは眉間に皺を寄せ、思案する。
「分からない。記憶にないんだ。あんな威圧感を放つ奴なら、絶対に忘れるはずがない」
「確かに。オレはクロとずっと行動を共にしてきたが、そんな男と会った覚えはないな」
ブレッドの言葉に、クロコは黙ってうなずいた。
(忘れるはずがない。あいつの放つ冷気のような殺気……だが、最後に見せたあの表情。あれは一体、何だ?)
クロコは視線を落とす。心の中で、薄氷を叩くような微かな違和感が、消えずに波紋を広げ続けていた。
「結局、あれは何だったんだろうね」
フロウが宙に視線をただよわせる。
クレイドは、苛立ち混じりに首を鳴らした。
「考えても解決しねぇよ。問題は、これからどうするかだ」
彼は荒い息を吐きながら、仲間を見渡した。
「最終防衛ラインまで追い詰められた。おまけに『瞬神の騎士の再来』までいる。今までの戦術じゃ、敵の懐にすら潜り込めない」
フロウは暮れゆく空を見上げた。夜の帳が、戦場を静寂で塗り潰そうとしている。
「今日中の決戦はないだろう。となると……明朝が全ての終着点だね」
「最大の壁は、その『瞬神』と『グラン・マルキノ』か」
ブレッドが渋い顔で続ける。「正面からアイツを食い止めるには、俺たち四人が連携するしかない。だが、手負いの俺たちにそこまでの余力があるか……」
その時、場違いにゆったりとした足音が響いた。
振り返ると、そこには白髪と白い髭に覆われた初老の男が立っていた。ウォーズレイ基地の最高司令官、アストリアだ。
「アストリア司令官……なぜ前線に?」
フロウの問いに、彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「この防壁を抜かれれば、基地など無防備な張りぼてに過ぎん。司令部はブロズドに任せ、私が直接指揮を執ることにした」
アストリアの瞳には、死を覚悟した指揮官特有の静かな熱が宿っていた。
「決着は明日だ。敵もグラン・マルキノを前進させ、総力戦を仕掛けてくるはず。我々も全戦力を投入する。……君たちの力が必要なんだ。作戦会議に出席してくれ」
防衛ラインの隅に建てられた簡素な小屋。木製テーブルを囲んだのは、アストリア司令官、二人の部隊長、そしてクロコたち四人だった。
アストリアが地図を広げ、低く落ち着いた声で語り始める。
「現状を整理しよう。ここからウォーズレイ基地までは僅か六百メートル。奴らの『グラン・マルキノ』の射程とほぼ同等だ」
アストリア司令官は地図上の第五防衛ラインを指でなぞった。フロウが静かにその意図を代弁する。
「つまり、ここを突破されれば、グラン・マルキノの射程に基地が晒される……ということですね」
「その通りだ」
アストリアは険しい表情で続けた。「戦況は敵に傾いている。戦力は拮抗していても、質において我々は劣勢だ。端的に言えば、君たちと『瞬神の騎士の再来』の力量差が、そのまま勝敗に直結する」
正面からぶつかれば、まず勝ち目はない。その冷徹な分析に、クロコが鋭く切り返す。
「だからといって、ここで指をくわえて逃げるわけにはいかねぇだろ」
「当然だ。だが、敵も勝利のために二つの条件をクリアせねばならん。防衛ラインの突破、そしてグラン・マルキノの接近だ」
アストリアは地図を叩く。
「逆に言えば、このどちらか一つでも潰せればいい。消耗しきった敵軍にとって、もはやグラン・マルキノ以外の決定打はない。奴らはアレを死守し、前進させてくる」
「……グラン・マルキノの破壊、ですね」
フロウの推察に、司令官は深く頷いた。
「そうだ。正面での防衛は囮だ。我々は防衛ラインに兵力を集めて敵を釘付けにする。その裏で少数精鋭の奇襲部隊を編成し、別ルートからグラン・マルキノを叩く」
クロコは地図上の複雑な地形に目を細める。
「奇襲か。だが、敵の心臓部を突く道なんてあるのか?」
「この岩石地帯は我々の庭だ。我々しか知らない抜け道がいくつも存在する。それを使えば、鉄の怪物の懐に飛び込むことも不可能ではない」
アストリアの瞳に、老獪な将の光が宿る。
「グラン・マルキノさえ沈めれば、決定打を欠いた敵は戦意を喪失するはずだ。そうなれば、地の利を持つ我々が圧倒的有利に立てる」
クロコは地図を見つめ、不敵に笑った。
「……奇襲か。性に合ってるぜ」
崩落した第四防衛ラインに、巨大な鉄の獣『グラン・マルキノ』が影を落としていた。
国軍の陣内でも、熾烈な作戦会議が繰り広げられている。
「次の戦闘で全戦力を投入すれば、勝利は確実です!」
部下の楽観的な進言に、ファウンド大佐は顎髭を撫でながら静かに首を振った。
「そうかな。敵も馬鹿ではない。私なら、まずグラン・マルキノの首を狙いに行く」
「そんなことが可能でしょうか? 正面突破は論外。別ルートからの奇襲も、我々の警戒網があれば……」
「少数精鋭なら話は別だ。奴らはこの地形を骨の髄まで熟知している。警戒の薄い死角を突かれれば、奇襲は十分成立する」
軍人たちが色めき立つ。「ならばスコアを護衛に回すべきでは?」という提案に対し、ファウンドは不敵に唇の端を歪めた。
「スコアは防衛ラインの突破に集中させる。あの怪物を失うわけにはいかんからな。グラン・マルキノの守りは精鋭十数名で十分だ。……それに、策はある」
一方、解放軍の作戦会議は、アストリア司令官の決断を待っていた。
「奇襲部隊のメンバーは誰にするのですか?」
ブレッドの問いに、司令官は迷いのない視線でクロコとフロウを射抜いた。
「部隊は二人。クロコとフロウ、君たちだ」
「二人……ですか?」
フロウの驚きに、クレイドが納得したようにうなずく。
「なるほどな。敵の網を潜り抜けるなら、少人数で迅速に動ける二人が最適ってわけか。俺たちが加わっても、お前らの速度にはついていけねぇだろうしな」
しかしブレッドの表情は晴れない。懸念を拭えない彼に、アストリアは確信に満ちた声で告げた。
「数は力だが、時には重荷にもなる。君たち二人なら、たとえ包囲されようと突破するだけの戦力があると判断した」
クロコは隣に立つ少年を見た。
「フロウ、前の傷はいいのか?」
「大丈夫。しっかり処置はしたし……何より、隠密奇襲は僕の独壇場だからね」
フロウは少年のような無邪気さと、研ぎ澄まされた戦士の笑みを浮かべて見せた。
アストリアが細部を詰めていく。運命の決戦は、明日の朝。
静かな小屋の中に、嵐の前の緊迫した空気が満ちていた。
夜の帳が、第五防衛ラインを重く包み込んでいた。兵士たちが焚き火を囲み、毛布の下で束の間の休息を貪る中、クロコは眠れぬまま、満月に照らされた夜空を見上げていた。
「クロ……起きてるか?」
隣から声がした。同じく寝付けない様子のブレッドだ。クロコが視線を向けると、彼は自嘲気味に笑った。
「どうも落ち着かなくてな。おまえもだろ?」
「……まあ、そんなトコだ」
「ここに来てから、命がいくつあっても足りないぜ。正直、二度は死んだと思った」
「俺は三回だ」
「ハハッ、そりゃあ俺の負けだな」
二人の笑い声が、焚き火の爆ぜる音に溶けていく。
やがて、ブレッドが静かに口を開いた。
「なぁ、クロ。入軍試験のとき、ガルディアさんの前で言ったこと……覚えてるか?」
「入軍理由か。……ああ、『希望』を求めてるって言ったな」
ブレッドはしばらく沈黙し、星空を見つめたまま呟いた。
「なあクロ。本当にこの先に『希望』なんてあると思うか?」
「そんなもん、先に進む前から考えても仕方ないだろ。今はただ、信じて進むだけだ」
「フッ……いいんじゃないか、お前らしい」
ブレッドの視線が少しだけ揺れる。クロコは食い下がるように声を潜めた。
「……で、お前はどうなんだよ」
「……少し迷ってるのかもな」
ブレッドは視線を合わせず、ぼそりとこぼす。
「何をだよ」
「わからねぇ……ただ、俺は最後に見届けたいだけだ。それが今の俺のすべてだからな」
「だから何をだよ」
「何をだろうな」
「おいっ」
ブレッドは穏やかな笑みを浮かべた。
「そろそろ寝ようぜ。おやすみ、クロ」
ブレッドの寝息が聞こえ始め、やがてクロコの意識も、闇の中へと深く沈んでいった。
グラウド国軍本陣。静まり返った闇の中で、少年だけが眠りを拒絶していた。
スコアは一人、膝を抱えて座り込んでいる。その心には、決して埋まらぬ深い溝が刻まれていた。
(クロコ……なぜ君がここにいる? どうして……)
少年の深い青の瞳が、月明かりを反射して虚ろに揺れていた。
翌朝。決戦の朝が訪れた。クロコたちは装備を点検し、静かに戦いの時を待っていた。
「クロコさん!」
背後から飛び込んできた明るい声に、クロコが振り向く。そこには、晴れやかな笑顔を浮かべたサキが立っていた。
「サキ! その顔……怪我はもういいのか?」
フロウが安堵をにしませて尋ねると、サキは弾むようにうなずいた。
「はいっ! なんとか間に合いました。また皆さんと戦えます!」
サキは目を輝かせ、決意を露わにする。
「クロコさんたちが最前線で戦っているのに、僕だけ寝ているわけにはいきませんから。皆さんほどではないですけど、少しは役に立ちたいんです!」
その健気な姿に、クレイドが目を細めて微笑んだ。
「ああ。頼りにしてるぜ、サキ」
「はいっ!」
サキの力強い返事が、戦場に漂う重苦しい空気を一瞬だけ切り裂いた。
偵察部隊が戦場から帰還し、アストリア司令官に速報を告げた。
「敵は全戦力を投入し、進撃中です。到達までおよそ二十分。グラン・マルキノは第四防衛ライン地点で待機しております」
「ご苦労だった」
アストリアは報告を噛みしめると、クロコたちの元へ足早に向かった。
「……準備はいいかね?」
「はい、万全です」
フロウの凛とした声に、クロコが不敵な笑みで応える。
「待ちくたびれたぜ」
「ふむ、頼もしいな」
司令官は細めた目で二人を見つめ、黒い箱――時限爆弾を手渡した。
「ルートは『C』だ。爆弾そのものに破壊力はないが、内部の砲弾に誘爆させれば鉄の獣は沈む。頼んだぞ」
「クロコさん、フロウさん、気をつけて!」
サキの祈るような声に、クレイドがニヤリと笑う。
「こっちは任せておけよ」
ブレッドがクロコの肩を叩き、鋭い眼差しを向けた。
「クロ、必ず帰ってこいよ」
「ああ。こんなトコで死ぬ気はねぇ」
ブレッドは次にフロウへ手を差し出す。
「フロウ、死ぬなよ」
「……クロコ君よりは、安心していいよ」
「おい! どういう意味だッ!」
クロコの抗議も空しく、ブレッドは岩石帯へ剣の柄を握り直す。
「さて、俺たちの相手は『瞬神』か……」
「あのヤロウに、たっぷりと借りを返してやるぜ!」
クレイドの闘志が沸点に達する。
静寂が戦場を支配した。その空気を切り裂くように、クロコが隣のフロウに視線を送る。
「フロウ」
「なに?」
「……必ず、生き残るぞ」
フロウは深く、柔らかな笑みを返した。
「うん、必ず」
「これより作戦を開始する」
アストリアの号令とともに、クロコとフロウは疾風のごとく駆け出した。
だが、フロウの脳裏に冷たい予感が過る。
(総力戦と奇襲。どちらも紙一重の賭けだ……。もし敵が、僕たちのこの『手』さえも計算に入れていたとしたら――)
走り出した少年の背に、戦場の不穏な風が吹き抜けた。