呪いで美少女になった少年兵、剣一本で戦場を駆ける 作:ハネケン
赤く染まった大地。戦場の狂騒が嘘のように静まり返ったその中央で、悪夢は形を成していた。
スコアの足元。友軍の砲撃に巻き込まれ、砂埃まみれで倒れ伏すサキ。
「サキ!!」
「どうなってやがる!」
ブレッドとクレイドの怒号が同時に爆ぜ、二人は文字通り死地へと駆け出した。
「うっ……」
サキが頭を押さえ、ふらふらと上半身を起こす。その視界に、氷の化身が映り込んだ。
絶対的な死の気配。スコアの冷徹な青い瞳がサキを捉えた瞬間、少年の全身の毛穴という毛穴から冷汗が噴き出した。
「くっ……!」
反射的に剣を抜くサキ。だが、死神の鎌はすでに振り下ろされている。
「バカヤロー!! すぐに離れるんだー!!!」
ブレッドの絶叫、スコアの姿が陽炎のように掻き消えた。
音を置き去りにした神速。サキの眼前に突如としてスコアが顕現する。逃げ道など最初から存在しない。
ヒュンッ――死の閃光が少年の首筋へと迫ったその刹那。
ギィンッ!!
凄まじい金属音が戦場を切り裂いた。サキの肉を断つはずの刃は、間一髪で割り込んだブレッドの剣に阻まれていた。
「ブ、ブレッドさん……っ!」
「バカヤロウ……! 早く離れろ……!」
ブレッドの歯噛みする口元から、一筋の血が垂れる。スコアの重撃を受け止めた両手から、鮮血がとめどなくにじみ出ていた。その圧倒的な力の差を目の当たりにし、サキは血の気を引かせて立ち尽くす。
「早く離れろーッ!!!」
ブレッドの血を吐くような怒号に、サキは泣きそうな顔で後ろへと這いずった。
砂塵の中、スコアとブレッドがタイマンの間合いで対峙する。遥か後方からクレイドが泥を蹴って迫るが、距離がありすぎる。
スコアは一足飛びに間合いを取り、冷たい瞳でブレッドを見据えた。
ブレッドは痛む腕を庇いながら、不敵な笑みを貼り付ける。
「逃がしちゃ、くれねぇよな……」
先に動いたのはブレッドだった。
百戦錬磨の技量を絞り尽くし、死線の隙間を縫うようにスコアの懐へと滑り込む。放たれた渾身の一撃。だが、スコアは紙一重でそれを躱す。
(わかってる……! 次は左へ逃げる、その予測線の先へ、この一撃を叩き込む……!)
ブレッドの瞳が、常人の領域を超えた神速の残像を追う。見切った。
ギィンッ!
唸りを上げるスコアの剣を、ブレッドは死力を尽くして受け止めた。
(とらえた……ッ!)
だが、それは罠だった。防いだはずの刃から伝わったのは、耐えがたいほどの質量を持った巨獣の暴威。
「……!! くっ……!」
強烈な剣圧がブレッドの足場を奪い、その体を軽々と宙へと浮かせた。空中。それは戦士にとって死の棺桶に等しい。
「逃がさない」と言外に告げるように、スコアの影が跳ねる。
宙を舞い、無防備に晒されたブレッドの懐へ、死神が容赦なく踏み込んだ。
ヒュンッ!!
残酷なまでに鮮やかな一閃が、ブレッドの腹部を深く、深く切り裂いた。
大量の血飛沫が空へと上がる。
「ブレッドーーッ!!!」
絶望に染まったクレイドの咆哮が、血塗られた戦場の彼方へと吸い込まれていった。
ブレッドの体が、糸の切れた操り人形のように力なく泥へ崩れ落ちる。
スコアはその敗者に一瞥もくれず、再び防衛ラインへ踏み出そうとした――その足首を、冷たい鉄の枷が掴んだ。
止まった足。スコアが視線を落とすと、そこには死に体となったブレッドの右手があった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
開いた口から鮮血が溢れ出し、傷口からは生命の熱が滝のように流れ落ちている。だが、ブレッドの右腕は万力の如き執念でスコアの足首を絡め取り、決して離さない。
その泥臭すぎる執着に、スコアの瞳に微かな動揺が走った。
ブレッドは痙攣する肉体に鞭打ち、もう片方の左腕を中空へ高く突き上げる。
――友軍へ向けた、渾身の決死の合図。
遠くの防衛ラインからその姿を捉えたアストリアの顔から血の気が引いた。一瞬の戸惑いの後、老将の眼光が血走った獣のそれに変わる。迷いは消えた。アストリアは肺腑を抉るような大音声で、戦場を揺らす号令を叩きつけた。
「全砲兵隊っ! 標的『瞬神の騎士の再来』……砲撃準備!!!」
その気迫の叫びに、恐怖に凍りついていた砲兵たちが電撃に打たれたように跳ね起きた。無数の砲身が、一寸の狂いもなくスコア一点へと収束する。味方を巻き込む禁忌など、もはや脳裏にない。
「一斉砲撃――撃てぇっ!!!」
ドンッ! ドンッ! ドドドドドーーーンッ!!
放たれた数十門の死の雨が、スコアへと降り注ぐ。
「な……ッ!?」
初めて、スコアの顔に仮面を剥ぎ取られたような焦愕の色が浮かんだ。
ドォーンッ! ドドォーンッ!!
世界が白濁の爆炎と轟音にかき消される。スコアとブレッドがいた一帯が、すべてを無に帰す業火の奔流に飲み込まれた。
吹き荒れる暴風のなか、サキとクレイドはただ呆然と立ち尽くすことしかできない。
やがて、狂乱の爆風が去り、もうもうと立ち込める砂煙が風に流されていく。
視界が開けたその場所には、泥まみれとなったブレッドの体だけが孤独に置き去りにされていた。
「ハァッ……ハァッ……!」
そのわずか後方。爆風の死地を紙一重で抜け出したスコアが、荒い息をついていた。
愛剣を握る右腕の軍服はズタズタに裂け、そこから紅い血がぽたり、ぽたりと赤き大地を濡らしている。初めて負わされた「傷」。
その刹那、敵陣の奥底から乾いた信号銃が連打された。
パンッ! パンッ! パンッ!
「撤退だーっ! 一時撤退するぞォォォッ!!」
両翼を粉砕され、さらに至宝である『瞬神』までもが負傷した。国軍の指揮官を下した冷徹な判断が、素早い退却の号令を響かせる。
青き波が潮を引くように後退していく。
スコアは悔恨に染まった青い瞳で、一度だけ防衛ラインの奥を睨みつけた。
そして――振り返ることなく、鮮血の残る戦場を背にして静かに走り去っていった。
「ブレッド!!」
クレイドは逃げ惑う国軍には一瞥もくれず、爆煙の残る地平を蹴った。崩れ落ちた男の元へと狂ったように走り寄り、その肩を抱き起こす。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
ブレッドの呼吸は、まるで穴の空いた風船のようだった。
「おいっ! ブレッド、しっかりしろ! 大丈夫か……っ!」
励ます声を、クレイドの喉が引き裂く。見開いた視界の先、ブレッドの腹部からとめどなく溢れ出る鮮血が、赤き大地をさらに黒く染め上げていた。あまりの惨状に、クレイドの声が絶句に変わる。
「……クレ……イ……ドか?」
「……! ブレッド、ここにいるぞ!」
「スコ……アは……?」
かろうじて繋ぎ止められた糸のような声。クレイドは歯を食いしばり、震える声をねじ出した。
「撤退した! お前の命懸けの一撃で、あいつを追い払ったんだ……だから、もう大丈夫だ……!」
遅れて駆けつけたサキが、足元から崩れ落ちるように膝をついた。無残に血に染まった戦友の姿に、ただ息を呑み、絶望のまま立ち尽くす。
「足止めは、作戦は……成功したのか……?」
「ああ……お前が作ったあの瞬間に、すべてを叩き込んだ。だから、クロコたちの作戦には何の支障もねぇよ……」
「そうか……そいつは、……っ!」
言葉の途中で、ブレッドが激しくむせ返る。黒ずんだ血の塊が、その口から零れ落ちた。
「もうしゃべるな、ブレッド……っ!」
「ハ……ハハ、どうやらオレは……ここまでみたいだな……」
死を予感した乾いた笑みに、クレイドの奥歯が音を立てて砕け散る。
「ふざけんな……! 死ぬわけねぇだろ、生きるんだよ!」
「クロに……すまねぇって……伝えてくれ……」
「伝えたいことがあるなら、自分で言え……っ!」
「それと……もう……いっしょには……進めない。だけど……おまえは、決して進むのをやめるな……進み続けろって……」
「ブレッドさん……っ!」
サキが嗚咽を押し殺し、震える両手でブレッドの衣類を掴む。
「クレイド……ありがとな……」
「礼なんて言うな……! まだ早いだろ、まだ……!」
ブレッドの視線が、かすかに中空へとさまよう。
「きれいな……空だな……」
その瞳に映るのは、砲煙に汚されていない、どこまでも高い蒼穹。
「オレも……もう少しだけ……もう少し……」
か細く呟いた唇が、スッと力を失う。
ゆっくりと、瞼が閉じられた。
そして――彼の胸の微かな起伏は、二度と戻らなかった。
「チクショウ……! チクショーッ!!!」
クレイドの絶叫が、血塗られた荒野を切り裂く。握りしめた拳が地面を打ち砕き、泥と血飛沫が飛び散った。
「ボクの、ボクのせいだ……ボクがあんなところに……だから、ブレッドさんが……!」
サキは泥の中に両手を突き、泣き崩れるように頭を垂れた。
冷たい風が吹き抜け、戦場の血の臭いをどこかへ運んでいく。
その空は、皮肉なほどにどこまでも青く、晴れ渡っていた。
「……ん?」
鉄の獣を討つべく、険しい岩陰を疾走していたクロコは、突然背筋に走った奇妙な悪寒に足を止めた。
「どうしたの、クロコ君?」
先導していたフロウが、不思議そうに振り返る。
「いや……なんでもない」
(なんだ……? 今の胸騒ぎは……まるで、大切な何かを引きちぎられたような……)
「それより、目的地はもうすぐだよ」
「ああ、そうだな」
雑念を振り払うように頭を振ったクロコは、再び鋭い眼光を前方へ向ける。
巨岩の狭間。その闇の向こうに、禍々しい鉄の塊がうねりを上げて鎮座していた。
「クロコ君、あれが……!」
「ああ、グラン・マルキノだ!」
クロコは柄にかけた手に力を込め、冷徹な殺意を瞳に宿す。
「――作戦スタートだ」