呪いで美少女になった少年兵、剣一本で戦場を駆ける 作:ハネケン
狭隘な岩壁を抜けた瞬間、乾いた風が視界を一気に開けた。
二人が躍り出たのは、狂気の鉄獣――グラン・マルキノの真裏。巨獣の足元を取り囲むように、七、八人の剣兵が警戒の目を光らせている。
「クロコ君、見て」
フロウが指し示した先。巨体の背部に、剥き出しの金属扉が嵌め込まれていた。そこに続く木製の足場と、宙を這う短いはしご。
「あそこが、内部への入り口だ」
「ああ。だが、まずはあの取り巻きを片付けねぇとな」
「ううん、その必要はないよ」
フロウは静かに首を振る。その瞳に、研ぎ澄まされた刃のような決意が宿っていた。
「奇襲はスピードが命だ。僕が血路を開く。君はその隙に扉へ飛び込んでくれ」
「……! おい、だがその傷じゃ……」
クロコが厚く巻かれた包帯を睨みつける。フロウは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げ、クロコの真紅の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「クロコ君。戦争とは、狂気が渦巻く泥沼だ。君もその醜さに触れてきたはずだ。……だけど、僕は信じたい。その狂気の中でも、人が掲げる『誇り』だけは折れないと」
フロウの声音には、少年とは思えないほどの重みと気高さがあった。
「僕もまた、一人の戦士として誇りを持って戦っている。だから――僕を信じてほしい」
しばしの沈黙。クロコは少年の瞳の奥底に燃える青い炎を見据え、やがて短く、力強く頷いた。
「……分かった。お前を信じる。だから、絶対に生きて帰るぞ」
「もちろん、そのつもりさ!」
フロウが咲かせた無敵の笑みに、クロコも不敵な笑みで応える。
「――行くよ」
弾かれたように、二人の影が岩陰から飛び出した。
「敵だ――! 奇襲だぞっ!!」
警報の叫びと共に、周囲の剣兵が一斉に群がり来る。だが、二人の足は一歩も緩まない。標的はただ一つ、背後の鉄扉のみ。
立ちはだかる数人の剣兵。先陣を切ったフロウが、鋭く踏み込む。
ヒュンッ!
閃光のような小剣の突き。剣兵は咄嗟に身を引いてかわすが、フロウの勢いは止まらない。追撃の踏み込み。敵がカウンターの刃を叩きつけるよりコンマ数秒早く、フロウは自身の被弾を度外視した捨て身の踏み込みを見舞った。
ヒュンッ! ヒュンッ!
肉を断つ軽快な軌跡。フロウの剣が剣兵の陣形を紙細工のように切り裂き、わずかな、しかし確実な活路がこじ開けられる。
「いけぇ――っ、クロコ!!」
フロウの叫びを背に、クロコは弾丸のように加速した。剣兵の壁を瞬く間にうがち、鉄の扉へと直進する。
「行かせるかッ!」
追撃しようとする剣兵たちの鼻先を、風切り音が引き裂いた。
ヒュヒュヒュヒュンッ!
フロウが放った無数の刃の雨が、絶対の防壁となって敵の足をとめる。剣兵たちは舌打ちと共に後方へと跳び退いた。
扉の前に立ち塞がり、単身で敵を迎え撃つフロウ。
彼は背後をチラリと一瞥する。クロコが重い金属扉をこじ開け、内部へと滑り込むのを確認した瞬間、フロウの青い瞳に冷徹な光が灯った。
「ここを通りたければ……僕の死体を越えていくんだね」
小剣を構える細腕の額から、痛みに耐える冷や汗が流れる。
(――この警備兵たち、そこらの雑兵とは練度が違う。動きが洗練されている。……まさか、敵はこちらの奇襲ルートまで読んでいたのか……!)
包帯の下から、痛烈な熱を持った鮮血がじわりと滲み出していく。それでもフロウは一歩も引かなかった。
一方、鉄獣の腹心へと飛び込んだクロコは、回廊を疾走していた。
内壁の木板が、不気味な心音の如く「ゴウン、ゴウン」と物の動く重低音を響かせている。
「止まれッ!」
通路の角から、三人の剣兵が牙を剥いて飛び出してきた。だが、クロコは動じない。一瞬で重心を落とし、死角を縫うように懐へ潜り込む。
ヒュンヒュンヒュンッ!
狭小な廊下という死の檻において、大柄な男たちの集団戦はむしろ足枷となる。クロコの小柄な体躯と研ぎ澄まされた刃が、三人の喉元を紙細工のように一閃した。
さらに襲い来る六、七人の兵士をも、クロコは怒濤の連撃で床へと沈めていく。
(外の連中ほどじゃない……! いける、このまま一気に……!)
呼吸を整える暇もなく、複雑に入り組んだ廊下を駆け抜ける。砲弾が眠る心臓部はどこだ。焦燥が心臓を内側から叩く。
その時だった。狭かった通路の視界が一気に開け、大きな空間へと飛び出した。
「ここは……」
木造の壁に囲まれた大部屋。その中央に、クロコは足を踏み入れた。
「ようこそ、セウスノールの剣士殿」
静寂を切り裂くように響いた低い声。
クロコが反射的に見据えた先、反対側の扉の前に、一人の男が静然と佇んでいた。
手入れの行き届いた黒髪、端正な黒髭と口髭、そして底知れぬ静謐を湛えた鋭い眼光。歴戦の猛者だけが纏う重々しい気配が、空間そのものを支配している。
グラウド国軍大佐、ベイズ・ファウンド。
「この扉の先こそ、砲弾の保管庫および発射装置だ。――君が命を懸けて探していた『終着点』に他ならない」
ファウンドの言葉に、クロコは真紅の瞳を獣のそれに変えて睨み据えた。しかし、敵の将は微動だにせず、むしろ余裕の笑みを浮かべる。
「家にね……極上のフランセールワインを寝かせてあってね」
「……なに?」
「一刻も早く仕事を終わらせて、あれをグラスに傾けたいものだ」
呆気にとられるクロコを前に、ファウンドは静かに、しかし凄みのある笑みを深めた。
「――で、君は何者だ? 名もなき特攻のネズミか、それとも」
「……ふざけんな。アンタこそ、何者だ?」
「私か?」
ファウンドは不敵に唇を歪め、抜身の軍刀に手をかけた。
「――ベイズ・ファウンド、ただの中年の軍人さ。この国の泥を啜ってきた、な」
「ベイズ・ファウンド……なるほど、アンタが、大勢の人間のど真ん中にグラン・マルキノを、こんなものを撃ち込む作戦を考えるようなやつか。少しばかり、その顔を拝んでやりたかったんだ」
クロコは怒濤の殺気を滲ませ、ファウンドを射抜いた。しかし、将は冷ややかに嗤う。
「おかしなことを言う。私は国軍の指揮官だ。敵がどれほど死のうと、私個人の知ったことではない」
「……アンタ、正気かよ」
「司令官なればこそだ。味方を守り、勝つ。その目的のためならば、私はいつでも悪魔にだって成り果てよう」
ギリッとクロコの奥歯が鳴る。研ぎ澄まされた刃をファウンドへと突きつけた。
「そこをどけ、オッサン」
「力ずくでこじ開けてみせろ。もっとも、私から退く気は毛頭ないがね――お嬢さん」
「誰がお嬢さんだ! 見た目で判断するんじゃ……!」
「見誤る気はないさ。噂に聞いたセウスノールの『四人の援軍』、その中に女の剣士がいると聞いてな」
クロコが息を呑む。ファウンドは懐から静かに軍刀を抜いた。
「身なりなど互い様だ。――容赦はいらんよ」
瞬間、空気が凍りついた。
クロコの姿がかき消える。踏み込みの爆発的な加速でファウンドの懐へと滑り込み、死閃の如き一撃を叩き込む。
ギィンッ!
間一髪で軍刀が軌道を塞ぐ。だが、クロコは止まらない。流れるようなステップで敵の側面に回り込み、追撃の刃を閃かせる。
ギィンッ!
再び防がれた瞬間、ファウンドの腕が円を描くようにしなり、剣身を滑らせた。
キィン……!
絡め取られたクロコの剣が外側へと弾き飛ばされ、致命的な重心の崩れを生む。
「……っ!」
隙を見逃すベイズ・ファウンドではない。容赦なく振るわれた重撃の刃が、崩れたクロコの肉体をかすめる。
ヒュンッ!
間一髪で後ろへ跳び退いたクロコの手元から、鮮血が床へと散った。
ポタポタ……
肩口から裂けた軍服を赤く染め、温かな血が滴り落ちる。一撃の浅さに救われたものの、技量の壁は厚かった。
「……クソ……」
疼く傷口を抑えながら、クロコの脳裏に、突入の直前に交わしたフロウの言葉がフラッシュバックしていた。
「スコア・フィードウッド、『瞬神』が最大の障壁だが、もう一人、警戒すべき男がいる」
「もう一人?」
「ベイズ・ファウンド。敵の司令官であり、かつて『裂破の獅子』と謳われた歴戦の剣士さ」
「司令官ってことは、結構な歳だろ。ただのいいオッサンじゃないのか?」
「そうだとしても……もし、その牙がいまだに錆びついていなかったとしたら」
「なら、どうなる」
「僕たちの奇襲を阻む、最大の壁になる」
肩の裂傷から伝わる熱い痛みが、クロコの脳裏にフロウの警告を鮮明に呼び覚ます。
「なるほど……フロウの予言通りってわけかよ」
牙を剥き出しにするクロコを前に、ファウンドは静かに、しかし底知れない不敵さをたたえて微笑んだ。
「戦線から退いて八年か。……確かに、体力も瞬発力も全盛期よりは衰えた。だがな、剣を握り続けた技術の冴えだけは、あの頃の私など遥かに凌駕している」
「……クソッタレが」
クロコは低い重心で地を蹴り、一気に間合いを詰める。
左右へと揺さぶる幻惑のステップ。残像を残すほどの高速機動。だが、ファウンドは微動だにせず、ただ眼前の軌道だけを見据えていた。
「うおおおぉぉぉッ!!」
死角を突くようにファウンドの斜め背後へ回り込み、全身の力を乗せた会心の閃光を振り下ろす。
キィン……!
だが、その一撃は完璧にいなされ、クロコの身体は重力を失ったようにバランスを崩した。
ヒュンッ!
見えない軌道から放たれたベイズ・ファウンドの刃が、クロコの左足を深く切り裂く。
「うっ……!」
激痛に顔を歪め、クロコは残された右足で無理やり地面を抉り、背後へ跳んで辛うじて距離を稼いだ。
「これで、そのチョロチョロと鬱陶しい足も封じられたな」
ファウンドは一歩も動かず、鉄の扉の前に仁王立ちしたまま呟く。
「さて、受動の守りには飽きた。――次は、こちらから行こうか!」
爆発的な踏み込み。老いた獅子の猛進が、一瞬にして空間を圧縮する。
「くっ……!」
迎え撃つクロコの手元から、無数の軌跡が弾け飛ぶ。
ヒュンヒュンヒュン……!
ファウンドの連撃は、クロコほどの絶対的な速度はない。だが、すべての剣閃が人間の心理の死角、平衡感覚の崩れた瞬間を正確に抉り抜いてくる。研ぎ澄まされた老練の牙が、確実に少女の肉体を追い詰めていく。
「クソッ……!」
牙を剥く老獅子の連撃を、クロコは死に物狂いで弾き返す。だが、裂けた左足から鮮血が噴き出し、次々と放たれる刃がその肉体を蝕んでいく。
「ううっ……!」
全身のあちこちから紅い華が散る。ファウンドは攻めの手を一切緩めない。牙を剥き出しにした老練の猛攻の前に、クロコは荒れ狂う暴風の中の枯れ葉のように翻弄される。
「うあーっ!!」
最後の意地を込め、クロコは相手の死角を狙って全霊の剣閃を放つ。
キィン……!
だが、その一撃すらもファウンドの熟練の技に優しくいなされ、抗う術なく重心を崩される。失血により四肢の感覚が遠のいていく。崩れた体勢のまま無防備に晒された少女の腹部へ、容赦のない死の刃が肉薄した。
ヒュンッ!
「がはっ……!」
浅黒い回廊に、おぞましい肉の裂ける音が響く。腹部を深々と切り裂かれ、紅い血しぶきが天井へと舞い散った。
それでもクロコは闘志の火を消さず、眼を血走りながら虚空に向けて大剣を叩きつける。
「うわああぁぁっ!!」
ヒュンッ!
しかし、ファウンドは軽やかなステップで紙一重の回避を見せ、涼しい顔で数歩後ろへ下がった。
再び扉の前に仁王立ちした老騎士は、傷だらけの少女を冷徹に見据える。
「はあっ! はあっ! はあっ……!」
クロコの両足はすでに限界を超えていた。無数の裂傷から血が滝のように流れ落ち、腹部を押さえる小さな両手が紅く染まっていく。
「君の剣技は見事だった。私にここまで対抗できたのだからな。しかし……」
「…………はあっ、はあっ、はあっ」
ファウンドの称賛の言葉が、耳に届いているのかも怪しい。クロコの瞳から光が失われ、焦点は虚空をさまよっていた。
「どうやら――」
「はぁ……はぁ……」
限界を越えた過呼吸が、急速に細く、弱々しいものへと変わっていく。
それでもクロコは、血に濡れた大地を踏みしめ、執念だけで数歩前へ足を踏み出した。
――しかし。
限界を迎えた肉体は、もはや意志に従わない。ガクンと両膝が折れ、クロコはその場に崩れ落ちた。
「はぁ…………っ……はぁ……」
ぽた、ぽた、と、少女の命そのものである赤が、冷たい床を絶望的に濡らしていく。
「どうやら、ここまでだな」
ファウンドは静かに息を吐き、微塵の隙もない構えのまま、動かぬ標的を見下ろした。