呪いで美少女になった少年兵、剣一本で戦場を駆ける 作:ハネケン
グラン・マルキノの断末魔が噴き上げる。破滅の炎が吐き出す猛烈な赤光は、岩壁に弾け飛び、辺りの空間のすべてを紅蓮へと染め上げていた。
その業火のただなかで、クロコとスコアは死線を挟んで対峙していた。
クロコの額から嫌な冷汗が滝のように流れ、顔面は強烈な痛みにこわばる。
スコアは一言も発せず、ただ冷徹な瞳でその半死半生の姿を見つめていた。やがて、静寂を裂くように、その唇が動く。
「――酷い有様だね、クロコ」
静謐をたたえた声で名を呼ばれ、クロコは心臓を鷲掴みにされたように息を呑んだ。
「おまえ……なんでオレの名を……」
驚愕に揺れるクロコを、スコアは冷ややかに見据えたままだ。
「なんでだと思う……?」
「…………」
吹き抜ける爆風の音だけが、耳を打つ。
スコアは無言のまま自分の首元へ手を伸ばし、何かを外す素振りを見せた。そして、それを右手に掲げ、クロコの目の前へと突き出す。
朱色の乱気流の中で、銀色に輝く割れた卵型のペンダントが鈍い光を放った。
「……ッ!!」
その瞬間、クロコの脳裏を、フランセールの記憶が稲妻のように突き抜けた。
見開かれた双眸が、信じられないものを見るように限界まで広がっていく。喉の奥から声にならない絶叫が漏れかけた。
「おまえは……まさか、おまえが……スコア・フィードウッドなのか……!」
スコアはペンダントを再び自分の首へと掛け直すと、どこか遠くを見るような目で、静かに語り始めた。
「これで、お互いに正体を知っての再会ってわけかい」
一瞬、スコアの視線が足元の泥へと落ちる。
「まさか、こんな場所で……こんな最悪の形で……」
その整った口元が、わずかに、しかし痛切に震えた。
スコアの深い蒼き瞳に宿ったのは、怒りでも冷酷さでもない――痛切なまでの悲嘆の光だった。
クロコはもはや言葉を失っていた。驚愕と混乱の濁流に呑まれ、ただ立ち尽くすことしかできない。
やがて、スコアはゆっくりと背筋を伸ばし、クロコに背を向けた。
「さよならだ、クロコ。今回は……今回だけは、きみを見逃すよ。だけど――」
背中越しに響く声に、確かな殺気が孕まれる。
「次に戦場でまみえたその時は、容赦しない。その時は、ボクがきみを斬る」
赤き煉獄の光の中、クロコは崩れそうな足を踏ん張り、ただ呆然と去りゆく背中を見つめるしかなかった。
「もう二度と、出会わないことを祈るよ……」
それきり、スコアは振り返ることなく、爆煙の彼方へと影を消していった。
背中が見えなくなった後も、クロコの思考は停止したままだった。全身の神経を焼き尽くしていた痛みが、急速に現実感を失っていく。
「うっ……」
限界を越えた肉体から、ぷつりと糸が切れた。
クロコはそのまま意識の闇へと沈み込み、赤く染まった泥の中へ、力なく倒れ伏した。
漆黒の無音。光すら凍りつくような深い闇の底を、静寂だけが無限の速度で流れていく。
――静かに、ただ静かに。
不意に、暗い水面を割るように瞼が持ち上がった。視界を突き刺す眩い白光。目の前に広がる無機質な灰色の壁。
とくん、と心臓が跳ねた直後、ふと視界の端を誰かの影が覆った。
「おっ! やっと目を覚ましたか、クロコ」
のぞき込んできたのはクレイドの顔――しかし、どこかやつれた顔だった。
「…………そのマヌケ面は……クレイドか」
乾ききった喉を絞り出すように、クロコはぼんやりと呟く。
「……開口一番それかよ。まあ、その口ぶりなら生き延びたってことだな」
「ぐっ……! いってぇ……!」
反射的に身を起こそうとした瞬間、全身の縫い目が一斉に引き裂かれるような激痛が走った。
「おい、無茶すんなって! 体中が切り刻まれてるんだぞ。中にはけっこー深い裂傷もあったんだからな」
慌ててクレイドがその肩を押さえつけて制止する。
「くっ……なあ、クレイド。オレは、どれぐらい気絶してたんだ?」
「丸一日ってところだな。ここは『ウォーズレイ基地』の治療室だ」
言われて視線を巡らせる。灰色の鉄板で囲まれた広い大部屋。ずらりと並んだ簡易ベッドのいくつもの上に、同じように手当てを受けた負傷兵の姿が見えた。
一通りの状況を呑み込み、クロコは一呼吸置いてからクレイドを見据えた。
「……勝ったのか?」
「ああ、俺たちの勝ちだ」
クレイドの口調には、揺るぎない確信がこもっていた。
「グラウド国軍はグラン・マルキノを失って、泡を食って撤退していった。基地もこの通り無事だ。俺たちの防衛戦は完全に成功したんだよ」
「そうか……」
張りつめていた糸が緩み、クロコは心底安堵したように長く息を吐き出した。しかし、次の瞬間、脳裏に雷光が走る。
「そうだ! それよりフロウはどうなった!? あいつ、オレのせいで敵陣のど真ん中に……!」
慌てて身を起こそうとするクロコを、クレイドは複雑な目をしながら押しとどめた。
「落ち着けって。お前をあの地獄から引っ張り出して、ここに担ぎ込んできたのはそのフロウだよ。敵陣でぶっ倒れてたお前を拾い上げたんだとさ。まったく、運のいい奴だぜ」
「そうか……無事だったんだな」
心の底からホッとしたように息をつき、クロコは再びベッドから脚を下ろそうと動いた。
「いてて……!」
「だから無茶するなって言ってんだろ」
「寝てられるかよ。早く顔を見せねぇと……あいつ、無駄に心配性だからな。ブレッドのやつ、またうるさく説教してくるぜ」
――ピクリ。
その名前が出た瞬間、クレイドの顔の血の気がサーッと引いた。
クロコは、その決定的な硬直を見逃さなかった。
「……どうしたんだよ、急に」
クロコはまっすぐにクレイドの瞳を見据える。
「クロコ……落ち着いて聞いてくれ。ブレッドは……ブレッドはな……」
クレイドが絞り出したのは、聞いたこともないほど掠れ、震えた声だった。その表情に張り付いた絶望の影を見た瞬間、クロコの胸の奥底で、冷たい鉛の塊がドクリと重く沈んだ。
説明の続きなど待てなかった。言い終わるより早く、クロコは激痛を置き去りにするようにベッドから跳び起き、病棟の出口へ向かって走り出した。
「おい……ッ! クロコ!」
追ってくるクレイドの声を背に、クロコはウォーズレイ基地の廊下を狂ったように駆けた。左足の傷口から包帯を突き破って鮮血が滲み出ようとも、地を蹴る足の速度を緩めることはしない。
たどり着いたのは、基地の一角にある広間だった。
無機質な床の上には、今回の防衛戦で命を散らした戦死者たちが幾重にも並べられていた。その数、四百人余り。クロコは早鐘を打つ心臓をねじ伏せ、無数の亡骸を一つ一つ、狂気的な眼光で舐め回すように見据えていく。
「……ッ!!」
無数の静寂が横たわる中、一際見覚えのあるその特徴に、クロコの足がピタリと凍りついた。
艶のない茶色の髪、高い鼻、少しだけ吊り上がったきつい目元。ボロボロに引き裂かれた軍服のまま、白い布の上に仰向けになって横たわる男。
クロコは感情を完全に剥ぎ取られたような無表情のまま、一歩、また一歩と、死の磁場へ引きずられるように近づいていく。
「……冗談だろ。おい……なにこんな変なトコで寝てんだよ」
目の前に立ち、その顔を凝視する。まるで深い眠りに落ちているだけのように、穏やかに閉ざされた瞼。
「おまえ……なにしてんだよ……」
崩れるようにその場にしゃがみ込み、冷え切った頬にそっと手を触れる。
――冷たい。硬い。
指先から伝わってきたのは、生命の熱など微塵もない、あまりにも絶対的な「死」の感触だった。
全身の血管が逆流するような戦慄とともに、クロコの小さな体が小刻みに震え始める。
「ウソだろ…………ウソだ…………ウソだっ! ウソだ、ウソだぁっ!!」
堰を切ったように、クロコは男の胸の上に顔をうずめ、獣のような絶叫を上げた。
「ふざけんな、ふざけんなよ……! なんだよこれ、なにしてやがる……!」
瞳の奥から、熱い大粒の涙がとめどなくあふれ出し、無機質な軍服を濡らしていく。
「オレは……! 約束どおり、生きて帰ってきたんだぞ……! なのに、なんでおまえがここにいねぇんだよ……! なんでだよっ!」
絞り出すような慟哭が、血塗られた広間の天井へと虚しくこだまする。
しかし、横たわる体が再び動くことは、二度となかった。
「クロコ君……」
哀しみの気配に気づき、静かに歩み寄ってきたフロウが足を止める。遅れて到着したクレイドが、その後方で重い足取りのまま立ち尽くした。
クレイドは乾いた唇を震わせ、絞り出すように言った。
「立派な最期だった……。スコアに狙われたサキを庇って、あいつはたった一人で、あの化け物に命を懸けて立ち向かったんだ」
「……っ、うう……う……」
クロコは亡骸の胸に顔を押し付けたまま、顔を上げることもできない。
「あいつがな、最期に言ってたぞ。『クロコにすまねぇと伝えてくれ』って……。『もう一緒には進めない。だけど、お前は決して進むのをやめるな。進み続けろ』ってよ……!」
「…………ブレッド……っ」
「あいつは、最後の最後までお前のことを……!」
クレイドの言葉の途中で、クロコはただ小さく震えるだけで、もう二度と声を上げることはなかった。
フロウは静かに目を閉じ、合掌するようにうつむく。
クロコの目の前で、男はすべてをやり終えた戦士のように、穏やかに眠り続けていた。
ただ静かに、あまりにも冷たく、永遠の静寂に抱かれながら――。
数時間後、夜のとばりが世界を黒く塗りつぶしていた。
ウォーズレイ基地の外壁。冷たい夜風が鉄板の壁を打ち鳴らす音のなか、クロコは独り、背中を預けて蒼白い月を見上げていた。
まばたき一つせず、ただ虚空の月を凝視するその真紅の瞳に、感情の色はない。
やがて、足音が一つ。闇の中から、小さな影が近づいてくる。
クロコがゆっくりと視線を巡らせた先には、痛々しく身を縮こまらせたサキが立っていた。
「クロコさん……」
サキの瞳は痛ましいほどに潤み、壊れそうなほど揺れていた。
「…………」
クロコは表情を一切動かさず、ただ静かにその少年の姿を受け止める。
「ごめんなさい……ボクの、ボクのせいで……ブレッドさんが……!」
か細く、絞り出すような声が震える。
「ブレッドさんは……離れろって、そう言ってくれたのに……ボクが、気が動転して剣を向けて……そしたらブレッドさんが……!」
サキの全身が痙攣したように震え、今にも崩れ落ちそうな硝子細工のようだった。
クロコは無言のまま、冷ややかにその様子を見つめ続ける。やがて、壁にもたれていた体をゆっくりと起こし、黙ったままサキへと歩み寄った。
恐怖と罪悪感に押し潰されそうなサキは、逃げ出したい衝動に逆らうように必死で踏みとどまり、溢れ出る涙をそのままにクロコを見上げる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!!」
クロコはその目の前まで歩を進め――しかし、立ち止まることなく、そのまま少年の横をすり抜けようとした。
すれ違うその瞬間。
クロコはふっと手を伸ばし、サキの頭を優しく「ポンッ」と叩いた。
「……あいつはな、そんなことでおまえを恨んだりしねぇよ。……あいつは、そういう奴だからさ」
それだけ言い残すと、クロコは振り返ることもなく、冷たい夜の闇の中へ歩き去っていった。
「……うっ……ううっ……!」
せきを切ったように、サキはその場に崩れ落ち、泥の上に両手をついて泣きじゃくった。
冷たい月の光だけが、独り泣き崩れる少年を静かに照らし出していた。
あてどなく夜道を歩くクロコの手が、ふと制服のポケットを探る。
取り出されたのは、銀色に輝く、あの割れた卵型のペンダントの片割れだった。
手のひらの上で冷たく光るそれを、クロコは微動だにせず見つめる。
「スコア・フィードウッド……」
夜風にかき消されそうなほど小さく響く呟きが、闇へ溶けた。
それから数日後。
クロコたちは激戦の地を離れ、拠点であるフルスロック基地へと帰還することになった。
揺れる馬車の窓から、クロコは外の光景に目を奪われる。
並走する別の馬車。その荷台には、静かに布をかけられた一つの「棺」が載せられていた。
その姿を見つめるクロコの真紅の瞳は、痛切な痛みを帯びて、小さく、そして悲しく濡れていた。
――初めての任務。
それはクロコに確かな戦果と、戦場の残酷な現実、そして生涯消えることのない、一つの巨大な「喪失」を刻み付けたのだった。