呪いで美少女になった少年兵、剣一本で戦場を駆ける 作:ハネケン
ゴォーン、ゴォーン。
教会から昼の鐘が、冷たく澄んだ空気に響き渡る。
クロコとブレッドが歩く基地の廊下は、どこか殺伐としていた。入軍から十日が経過した今、クロコの眼光は以前よりも刃のように研ぎ澄まされ、その切れ味に周囲は神経をすり減らしている。
そのせいでほぼ一日中顔を合わせているブレッドは心労気味だ。
「おい、クロ」
たまらずブレッドが溜息交じりに声をかける。
「いつまでアールスロウとの一戦を引きずってんだ」
「……別に、気になんかしてねえよ」
クロコの返答は、乾いたナイフのようだった。
「ウソつけ。顔にも行動にも、全身から『悔しい』って滲み出てるぞ」
「うるせえ! あいつより早く強くなってやるってだけだ」
「おいおい。おまえが倒すべき相手はアールスロウさんじゃなくて、グラウド国軍だろ?」
「あいつのせいで俺は昨日まで、基地中のトイレを磨き上げさせられたんだぞ! しかも兵士連中に『頑張れ、トイレのお嬢さん』なんて囃し立てられて……絶対、許さねえ!」
激昂するクロコに、ブレッドは苦笑いを浮かべる。
「災難だったな。だが、そんなに力んでちゃ自滅するぞ。焦りすぎだ」
「……………………チッ」
クロコは苛立ちを噛み殺し、ふんと横を向いた。
ほぼ同じ時刻。
基地の司令室で、アールスロウが届けられた書類に目を落としていた。
「緊急援軍要請か」
その声は、鋼のように冷たく、静かに響いた。
一時間後。
兵士たちの喧騒で満たされた食堂の一角で、クロコとブレッドは昼食をとっていた。クロコは馬肉のステーキを無造作に切り分け、ブレッドはパイを口に運ぶ。
そこへ、一人の兵士が歩み寄ってきた。短い金髪に、大きな鼻が特徴的な男――ロブソンだ。
「ブレイリバー、セインアルド。招集だ。司令室へ来い」
「招集? ああ、分かった」
ブレッドが慌ただしく立ち上がる。ロブソンが背を向けて去ったのを見送り、クロコが眉をひそめた。
「アイツ、どっかで見た気がする」
「ロブソンだ。入軍試験の時、おまえと戦うはずだった奴だよ」
「ああ、アサシンに惨敗した奴か。生きてたのか」
「勝手に殺すなよ。重傷でも命に別状はなかったんだろ」
ブレッドの言葉を耳に入れながら、クロコは再び不機嫌な表情を浮かべる。
「よりによって呼び出しがアールスロウか……何の用だ」
「行ってみれば分かるさ」
クロコは重い腰を上げ、出口へと向かった。その眼差しは、再び荒れ狂う戦場を求めているように見えた。
司令室。山積みの書類を無機質に処理していたアールスロウは、不躾なノックの音に目を上げた。
「入りたまえ」
扉が乱暴に叩き開けられる。その勢いで、室内には冷たい風が吹き込んだ。
「アールスロウ、何の用だ」
鋭い眼光を突き刺すようにして、クロコが入ってくる。
「……俺は別に、君と争うつもりはないんだが」
アールスロウは溜息を隠そうともせず、呆れた表情でペンを置いた。
「なんだと……!」
「おいクロ、お前、いったい何しに来たんだよ」
遅れて入ってきたブレッドが、頭を抱えるようにして突っ込む。ようやく冷静さを取り戻したクロコが、苛立ちを抑えて問いかけた。
「……で、何の用だ」
「では要件だ。一時間前、ウォーズレイ基地より緊急援軍要請が届いた。君たちにはその一員として出向いてもらう」
援軍、という言葉にブレッドが目を見開く。
「援軍部隊って……俺たち、まだ入軍したばかりですよ?」
「承知の上だ。だが現在、この基地は先週の奇襲事件の爪痕が深く、情報管理もままならない。兵力を大きく割くのは致命的なリスクだ」
アールスロウの瞳が、凍りついた湖のように静かに光る。
「故に、少数精鋭の部隊を構成する必要があった」
クロコが腕を組み、不敵に笑う。
「人数は?」
「五人だ」
「……たったの五人かよ」
「残り三人はすでに呼んである。じきに来る」
アールスロウが言い終えるか否か、再びノックの音が響いた。
招き入れられたのは、対照的な二人の兵士だった。
一人は身長二メートル近い巨躯。跳ねた赤髪と、どこか気だるげで鋭い眼光を持つ男。
もう一人は十四、五歳ほどだろうか。身長百五十センチに満たぬ小柄な体躯に、柔らかな灰色の髪。陶器のような整った顔立ちの少年だった。
二人は揃って見事な敬礼を決める。
「フロウ・ストルーク、クレイド・アースロア。招集を受け参りました」
その顔を見た瞬間、クロコの表情が凍りついた。
「……あ」
同時に、入ってきた二人もクロコを指さし、声を上げる。
「おい! いつかのトイレコンビじゃねえか!」
クロコの声に、赤髪の巨漢が憤慨した。
「誰がトイレコンビだ! この……いつかの変態女!」
「誰が変態女だ!!」
怒号が司令室にこだまする。横で灰色の髪の少年が、心底うんざりした様子で呟いた。
「……下品な呼び方はやめてよ」
ブレッドが慌てて割って入る。「まあまあ、二人とも落ち着けって!」
その混沌とした光景を、アールスロウは深い沈黙の中で眺めていた。内心の呆れを鉄仮面の下に隠し、淡々と口を開く。
「……紹介しよう。赤いのがクレイド・アースロア、灰色の髪がフロウ・ストルークだ。クレイド、フロウ。こちらが先週配属された新米、クロコ・ブレイリバーとブレッド・セインアルドだ」
「こいつらが精鋭か?」
クロコは値踏みするように、赤髪と銀髪の二人を睨みつけた。
「無名だが、実力は折り紙付きだ。基地内でも三、四番手の実力者だよ」
「三、四番手って……あんたは何番手なんだ?」
「俺はおそらく二番手だろうな」
アールスロウが淡々と告げると、クロコの眉がピクリと跳ねた。
「あんたに次ぐ実力者……つまり、こいつらが俺より格上だって言いたいのか?」
「戦場での経験値が違う。君はまだ、本物の死線を潜っていないからな」
クロコが舌打ちをこらえるなか、銀髪の少年・フロウが冷ややかに呟く。
「自信過剰なのは結構だけど、命を落とすのが早まるよ」
さらにクレイドが、巨躯を見下ろしながら鼻で笑った。
「自信だけなら、今のうちに捨てとけよ」
「なんだと……!」
一触即発の空気に、ブレッドが慌ててアールスロウへ話を振る。
「精鋭は五人だと聞きましたが、あとの一人は?」
「間もなく来る」
その言葉と同時に、司令室の扉が勢いよく開け放たれた。
「サキ・フランティス、召集を受け参りま……あっ! すみません、ノックを忘れました!」
慌てて頭を下げるのは、十二、三歳ほどの少年だった。跳ねた黄色い髪に、緑色の瞳。あどけなさが残る容姿に、クロコが目を丸くする。
「あ、お前……!」
「クロコさん!」
サキの瞳がぱっと輝く。ブレッドは(ああ、基地を案内してくれたあの子か)と合点がいった。
アールスロウが全員を見渡す。
「サキは実戦経験こそ浅いが、剣のセンスは天才的だ。若いが、この任務で実地経験を積ませる。……サキ、今回の任務は君にとって命取りになりかねない。覚悟はいいか」
「はいっ!」
サキが力強く敬礼する。アールスロウは静かに頷き、空気を変えた。
「それでは任務を言い渡す。北東のウォーズレイ基地が、国軍の猛攻に晒されている。君たちは援軍としてただちに現地へ向かえ。緊急の事態だ、準備ができ次第、出発だ」
「了解しました!」
四人が息を合わせて敬礼する。
クロコも一瞬迷いを見せたが、やがて鋭い眼差しを前方に定め、遅れて敬礼を返した。
小型の馬車が、フルスロックの街を駆ける。
車体を引くのは、グラウド国特有の品種改良種『リスハワード』。全長四メートルを超す巨躯の馬が、石畳を力強く蹴り上げていた。
車内は六人が座れる程度の広さだが、対面式の座席には五人の緊張感が満ちていた。
「改めて、よろしくね」
フロウの柔らかな挨拶に、クロコは眉をひそめて吐き捨てる。
「まさか、サキや『トイレコンビ』と一緒に行くことになるとはな」
「……誰がトイレコンビだ! 大体、お前だって変態女だろうが!」
クレイドが身を乗り出し、激昂する。
「誰が変態だ! そもそも俺は男だ!」
フロウが不思議そうにクロコの華奢な体つきを視線でなぞる。
「どう見ても女にしか見えないけどな」
場に微妙な沈黙が流れる。ブレッドが小さく溜息をつき、口を開いた。
「……まあ、少し特殊な事情があってな」
ブレッドは、クロコが呪いによって現在の姿に変えられてしまった経緯を、淡々と説明した。
一通りの説明を終えると、クレイドが興味深げに頷く。
「呪いか。世の中、変わった話もあるもんだな」
「ずいぶんあっさり信じるんだね」
フロウが呆れたように言うと、ブレッドは苦笑した。
「無理もない。俺たちだって信じていなかったんだ。……まあ、だからクロはこんな有様になっちまったわけだが」
クロコは窓の外へと視線を逸らす。その横顔には、言いようのない孤独が張り付いていた。
「別に、信じてもらおうなんて思っちゃいない」
しかし、予想外の声が飛んだ。
「ボクは信じます。クロコさん達がそう言うのなら!」
サキが力強く断言する。続いてクレイドも、大雑把な笑みを浮かべた。
「俺はハナから疑っちゃいねえよ。顔を見りゃ分かる」
「……突拍子もない話だけど」
フロウが静かに付け加える。「君たちが嘘をついているようには見えない。僕も、信じてみることにするよ」
不意を突かれ、クロコは呆然と仲間たちを見回した。
「……礼を言うよ」
ブレッドが心からの笑顔を見せる。クロコは気恥ずかしそうに頬をかき、再び窓へと顔を向けた。
「……好きにすればいいさ。どう思われようと、俺には関係ない」
その言葉に含まれる照れくささを、一同はあえて追及しなかった。
「さて、改めて仕切り直そうか」
ブレッドが明るい声で切り出す。
「俺はブレッド。こっちは相棒のクロコだ。――俺はクロって呼んでる」
「ボクはサキ、サキ・フランティスです!」
「クレイド・アースロアだ。よろしくな」
「僕はフロウ・ストルーク。フロウと呼んで」
自己紹介を終え、ようやく車内の空気が和らぐ。
「そうだ、おい、クロコ! おまえトイレコンビって言うの止めろよな」
「言わねえよ、名前は覚えた。……てめえこそ、二度と変態女なんて抜かすなよ」
にらみ合いながらも、どこか憎めない空気。フロウが二人の間に割って入る。
「まあまあ、落ち着いて。せっかくのチームなんだから、仲良くしようよ」
馬車はフルスロックの石門を抜け、広大な草原へと踏み出した。
車窓を流れるのは、風に揺れる緑の絨毯だ。時折、水色の花畑が色彩を添え、遠方には森が防波堤のように横たわっている。穏やかな旅路の光景だが、目的地が戦場であることを思うと、その青はどこか冷ややかに見えた。
「そう言えばサキ」
クレイドが不意に口を開く。
「お前、クロコと面識があったみたいだが、いつ知り合ったんだ?」
「……あの、グロウブたちに絡まれていたところを、助けてもらったんです」
クロコは目を細め、記憶を探るように呟く。
「グロウブ……? ああ、あのデカい黒髪の野郎か」
「……そんなヤツもいたな」と付け加えるが、それは十日前という、今のクロコには遥か遠い過去のような出来事だ。
「あの野郎、まだ懲りてなかったのか」
クレイドの瞳に、獲物を狙う猛禽のような光が宿る。
「同じ隊にいた頃、さんざんシメてやったのに。隊を変えて同じことを繰り返してたとは……!」
「でも、最近はすっかり大人しいですよ。女の子に負けたのがショックだったのか……恥ずかしかったんでしょうね」
「じゃあ、当分は平気そうだね」と、フロウが柔らかな笑みを浮かべた。
「次はねえぞ。また何かあったら言え。今度は二度と立ち上がれないように完璧にシメてやる」
クレイドから漏れた僅かな殺気に、車内の空気が一瞬だけ引き締まる。
その空気をブレッドが切り替えた。
「今の話はおいといて。ウォーズレイ基地ってのは、実際どんな場所なんだ?」
「一言で言えば、情報のハブ(仲介役)だね」
フロウが知識を紐解くように語り始める。
「北部の前線基地『クラット基地』は、バブル山脈のせいで本部との直接連絡が極端に困難なんだ。その通信を中継するために建設されたのがウォーズレイ基地だ」
クロコは腕を組み、鋭く問い返す。
「つまり、そこが敵に落とされたらどうなる?」
「クラット基地が『孤立』する。あそこは北部守護の要だ。孤立すれば敵にとって絶好の標的になる。クラットが落ちれば、我が解放軍の北の防衛線は崩壊し、国軍が一気に全領土へ雪崩れ込んでくるだろうね」
サキが不安げに付け加える。
「国軍はこれまでクラット基地の攻略に何度も失敗してきました。だからこそ、ウォーズレイを落として分断を狙っているんです」
ブレッドが渋い表情を浮かべる。
「情報中継が主なら、まともな防衛設備も整っちゃいねえだろうな。敵の猛攻に耐えられるのか?」
「期待薄だね。だからこそ、各所に必死の援軍要請を出しているんだろう」
フロウの冷徹な分析に、クロコは荒れる戦場を予感し、拳を握りしめた。
クレイドがふと思い出したように、フロウへ視線を向けた。
「なあ、国軍の例の『瞬神の騎士の再来』。あいつが攻めてくる可能性はあるか?」
「確かに『瞬神の騎士の再来』がいる基地もウォーズレイ基地に近いけど、一番近いのはラージロウ基地だから、おそらく侵攻してるのはそこだよ」
「瞬神の騎士の再来……? 何だそれ」
ブレッドの問いに、フロウは手短に言葉を紡ぐ。
「一年前に突如現れた、国軍の天才剣士さ。初陣から破竹の勢いで功績を積み上げ、『瞬神の騎士』の異名を継ぐ者として恐れられている。僕たち解放軍にとって、喉元に突きつけられた刃のような天敵だよ」
その言葉に、クロコが反応した。鋭い眼光を漂わせ、その名を咀嚼するように呟く。
「瞬神の騎士、か……」
「戦う機会はねえよ。今回の戦場は別だからな」
クレイドが肩をすくめて笑うが、フロウは諭すように付け加えた。
「覚えておいて損はないよ。いつか必ず、その刃と剣を交える日が来るはずだから」
「……生きて帰れればの話だな」
クロコは窓の外へ視線を戻し、退屈そうに小さくため息を吐いた。
「三日か。目的地まで何もねえなんて、退屈で死にそうだ」
しかし、その平穏は唐突に終わりを告げた。
出発して二日目の昼。のどかな風景の中を走っていたはずの馬車が、凄まじい振動に襲われた。