呪いで美少女になった少年兵、剣一本で戦場を駆ける 作:ハネケン
旅路は順調だった。二日目の午前中、草原を抜けた先には、荒涼とした岩石帯が広がっていた。
茶褐色の大地に散らばる大小の岩、厚い葉を蓄えた低木には、獲物を待ちわびる縞模様の蛇が鎌首をもたげている。殺風景だが、どこか神聖ですらある異質な景色――。
太陽が天頂へ達したその瞬間だった。
車体が聞いたこともない金属音を上げて激しく軋み、次の瞬間、馬車は衝撃と共に急停止した。
「うわっ!」
弾き飛ばされたサキが声を上げ、クロコは打ちつけた背中を押さえて顔を歪める。
「いってぇ……何が起きたんだ!」
クレイドが即座に窓から顔を出し、御者の老人ハルフトへ怒鳴った。
「おい、じいさん! どうかしたのかよ!」
ハルフトは白髭を揺らし、のんびりとした口調で首を傾げる。
「いやあ、車輪が御機嫌斜めでね。外れちまったようだ」
のそのそと馬車から降りたハルフトが、車輪の付け根を指さした。車軸は砕け、修復は絶望的だった。
「これじゃ、とても直せねえな」
クロコは周囲を見回す。地平線の彼方まで、岩と砂以外の何もない。
「ボロい馬車をいつまでも使ってるからだろ」
「町へ行くしかないね」フロウが冷静に告げる。「ハルフトさん、最寄りはどこですか?」
「それがね、場所が悪くて五〇キロは先だ」
地図を広げ、五人は頭を寄せた。ハルフトの指が地図の上を這う。
「…………おいおい、確かに何にもねーな。馬車を五十キロも運ぶわけにはいかないしな」
ブレッドが嘆息する。
その時、クロコが地図上のある地点を鋭く指さした。
「……ここなら十キロ圏内だろ」
ハルフトが困惑したように顔を曇らせる。「フランセール……そこは……」
「国軍の領土だね」フロウが即座に割り込む。
「ああ、今ちょうど、互いの領土の間ギリギリの所を走ってるからね」
一行に緊張が走った。軍の精鋭たちが国軍領の町へ踏み込むなど、火の中に飛び込むようなものだ。
「クロ、正気か? いくらなんでも危なすぎる」
「軍服を脱ぎ捨てて旅人のフリをすればいい。俺たちは少人数だし、こんなボロい馬車なら怪しまれねえよ」
「……リスクは高いが」ブレッドが思案の末、クロコの方を向いた。「今の状況じゃ、他に選択肢もねえな。小さな町だ、国軍の拠点がある確率も低いだろう」
クロコの強引な提案に、皆の迷いが少しずつ溶けていく。
「うーん、確かに五十キロも馬車を運ぶのは無理があるし……」
「だな。修理ができるなら、フランセールへ行くのが最善だ」
クレイドが太い腕を鳴らす。
「それでもなかなかきつい仕事になりそうですね」
サキがそう言うと、クレイドが笑みを浮かべる。
「心配するな。俺もいるからな」
クレイドは自信たっぷりに胸を叩き、横にいるクロコへニヤリと笑いかけた。
「お前は休んでていいぞ。体は女なんだからな」
「女扱いすんな!!」
クロコの怒声が岩石帯に響き渡った。
二時間後。
岩石帯を抜け、視界に緑の草原と――フランセールの町が姿を現した。
灰色がかった四角い住宅が不規則に並び、未舗装の道には無数の車輪の轍が刻まれている。どこからか漂う微かなワインの香りと、空高くを鳴き渡るフエドリの透き通るような鳴き声。閑散とした、静かな町だった。
しかし、クロコの呼吸は限界に達していた。
「ハァッ……ハァッ……っ!」
肩で息をするクロコに対し、クレイドは一人、涼しい顔で歩いている。
「おいおい大丈夫か? 張り切りすぎなんだよ、そんな小さい体で」
「うるせぇ! 女扱いすんな! 体ならフロウの方が小さいだろ、サキだって俺と大差ねえ!」
クロコは顔を真っ赤にして吠えるが、その足元は頼りなく揺れている。
「クロ、頑張りすぎだ。本番はこれからだぞ。少しは力を抜け」
「……俺だけ休んでられるかよ」
ブレッドが、クロコの背中を優しく叩く。
「なら、先に馬車屋を探してきてくれ。支えながら探すのは効率が悪いしな」
クロコは少し考え、渋々頷いた。
「……分かったよ」
走り去るクロコの背中に、ブレッドが声を張り上げる。
「クロ、迷うなよー!」
「バカにしてんのか!!」
二十後分。クロコは自分の立ち位置を見失っていた。
無機質な灰色の中層建築が並ぶ、見知らぬ小道。
(……完全に行き過ぎたな。馬車屋どころか、戻る道すら分からねえ)
商店街の喧騒からは離れ、周囲には静寂が澱んでいる。勘を頼りに逆走してみたものの、目に入る風景はどれも似たような退屈な顔つきをしていた。
焦燥がじわりと胸を這い上がる。
(角を曲がれば、何か手掛かりがあるかもな)
勢いよく角を曲がった、その時。
ドンッ――!
硬質な衝撃がクロコの足を襲った。反射的に手をついて転倒を免れたものの、勢い余って足首を捻りかける。
「いってぇ……何しやがる!」
足元には、一人の少年がうずくまっていた。身に余るほどダボダボの服を纏い、厚い眼鏡の奥で怯えた眼差しを向けている。白銀の髪が、埃っぽい土の上で寂しげに揺れた。
「わ、わっ……ごめんなさい! 本当にすみません!」
少年は縮こまり、平謝りを繰り返す。そのあまりのオドオドした様に、クロコの怒気は空振りした。
「……ったく。道の角で丸まってりゃ迷惑だろ。何してたんだよ」
「だ、大事な物を落としてしまって……。ここら辺に落ちているはずなんです」
少年はまた地面を這い始めた。クロコは鼻を鳴らし、踵を返す。しかし、数歩進んだところでふと足を止めた。
(……チッ。クソ、気になるな)
背中越しに響く、土をさらうカサカサという音が、どうにも胸の奥で引っかかった。
「おい!」
クロコは苛立たしげに振り返った。
「は、はいっ!?」
「手伝ってやる。何を落とした」
「えっ……い、いえ、そんな悪いですよ」
「いいから言え。さっさと見つけて終わらせるぞ」
突き放すような口調だが、その瞳には隠しきれない世話焼きの性分が滲んでいる。少年は戸惑いながらも、小さく答えた。
「銀色の……卵型のペンダントです」
クロコは辺りを見渡した。灰色の建物に挟まれた殺風景な土道。路傍には無造作に積み上げられた空のタルが影を落とし、隙間からは枯れ草が死んだ指先のように伸びている。
「……骨が折れそうな宝探しだな」
クロコは頭をかき、少年の横にしゃがみ込んだ
二人はペンダントの捜索を開始した。
少年が足元をキョロキョロと見回す一方で、クロコは豪快だった。路傍に積み上げられたタルをドスンドスンと荒っぽく蹴り飛ばし、その裏を検分していく。
(えっ!? あのタル、中身は空だよね……?)
少年の内心の悲鳴など露知らず、クロコは身軽に木へ飛び乗り、町全体を見渡した。見下ろせば、少年が自分の裾を踏んで派手に転んでいる。
「……トロい奴だな」
呆れつつも、クロコは降りてくる。
捜索開始から一時間。
「見つけたぞ!」
クロコの叫びに、少年が希望を抱いて駆け寄る。しかし、クロコが掲げていたのは、片手に握りしめられた巨大な『グラウドオオカマキリ』だった。
「……あの、それは探してくれてるんですか?」
雲が重く垂れ込め、日は陰り始めた。クロコが道端のトカゲとにらめっこをしていると、少年がふいに尋ねてきた。
「あの、君……この町の人?」
クロコは背筋を正した。ここは国軍領。不用意な回答は命取りだ。
「……旅の者だ。あちこち回っている」
「へぇ、そうなんだ」
少年は素直に納得したようだが、瞳の奥がどこか冷ややかだ。
気を取り直して捜索を再開する。クロコは今度はタルの蓋を開け、深々と顔を突っ込んだ。
「た、タルの中にはないと思うよ……。蓋があるんだから」
「何があるか分からねえだろ。ペンダントがすごい勢いで飛び込んだかもしれねえし」
「どんな動き!? っていうか、中身は黄ワインだよ。この辺りで一番の特産品さ」
鼻を突く芳醇な香りは、この町全体を覆うワインの匂いの正体だった。
「東にある大農園の代物さ。ただ、この時期は竜巻が多くて収穫が大変らしくてね」
「へぇ、物知りなんだな」
「そういえばきみ、旅してるんだよね。出身地はどこなの」
クロコは蓋を閉める。
「……お前、俺の出身地を聞いてどうする気だ?」
「ん? あ、いや……」
「……スロンヴィアだ」
その言葉を耳にした瞬間、少年の纏う空気が一変した。
「スロンヴィア事件の……。君、あの場所にいたのか?」
(事件……か。国軍側じゃあ、そう呼ばれているわけか)
クロコは表情を隠すように顔を背ける。
「それからずっと旅を?」
「いいや。ちょっと前までアークガルドにいた」
少年の顔色が、今度は驚愕に染まった。
「アークガルド!? あのセウスノール領のとんでもない魔境に……。君、壮絶な人生だね」
「ん? そうか? まあ、そんなもんだ」
重苦しい沈黙が落ちた直後、空が裂けたように猛烈な雨が降り出した。
「うわっ、通り雨か!」
「おい、こっちだ!」
クロコは建物の陰へ少年を滑り込ませる。勢いよく叩きつける雨音の裏で、気温が急激に下がっていくのを感じた。
建物の陰、二人を隔てるのは叩きつけるような雨音と、吹き荒れる風だけだった。
ふと、少年の声が雨音を割って届いた。
「……さっきの話。君は、つらいと思ったことはないの?」
少年は慎重に、まるで硝子細工に触れるような手つきで言葉を選んでいる。
「……何がだ?」
「どうして自分だけこんな目に、とか。どうして苦しいことばかり、とか。……そうやって嘆いたりしないの?」
クロコはわずかに視線を泳がせ、吐き捨てるように言った。
「別に」
「別にって……本気で言ってるの?」
クロコの表情は凪いだ湖面のように穏やかだ。
「思う思わないの問題じゃねえよ。俺が生きるのは過去じゃなく、これから進む道だ。自分の足で、自分の意思で決めるんだから、過去なんて関係ない」
少年は息を呑み、クロコを直視した。その瞳には、畏敬に近い輝きが宿っていた。
「……すごいな。本当に、素直にそう思うよ」
「お前はどうなんだ」
「えっ」
「人にばかり喋らせるな。そんな問いが出るってことは、お前も何か抱えてるんだろ」
少年は一度言葉を詰まらせ、ゆっくりと口を開いた。
「……僕は君みたいに立派じゃない。過去を振り切って前だけを見るなんて……僕にはできないよ。ただ……大切な人を守れるのなら、僕はそれだけで幸せだと思える」
眼鏡の奥で、深い青い瞳が揺らめいた。
「守りたいんだ。僕を大切に思ってくれる人たちを。……今の僕には力がないかもしれない。でも、何もしないで諦めることだけはしたくないんだ」
クロコは無言で少年を見つめた。
「……変かな」
「別に」
クロコは短く答え、ふっと笑みをこぼした。
「……悪くない。そういうの、俺は嫌いじゃないぜ」
少年は一瞬きょとんとし、それから顔を真っ赤にして狼狽した。
「あ、ありがとう……ハハハ、なんだかすごく恥ずかしいな」
その時、頭上の轟音がふっと遠のいた。
「おい」
「えっ、な、なに?」
「止んだぞ、雨」
雲の切れ間から、夕陽の柔らかな光が泥濘(ぬかるみ)を照らし出した。
「あ……本当だ」
「急ぐぞ。日が暮れたらペンダントなんて見つけられなくなる」
「そうだね! 早くしないと……!」
二人は再び、濡れた土の匂いが立ち込める街路へと飛び出した。
捜索開始から三時間。空は夕焼けの炎に焼かれ、紫から藍色へと深まり始めている。冷え込み始めた風の中、コウモリが羽音を立てて空を裂き始めた。
「ガーッ!!」
クロコは木の上から飛び降り、獣のような咆哮を上げた。積もる苛立ちが限界に達したのだ。
「おい! どこにもねえぞ!」
「あ、あの……コウモリ、かわいそうだから離してあげて」
クロコはコウモリのまんまるい顔をツンツンとなでたあと放した。
「それよりおまえ。本当にここで落としたのか? あらかた調べ尽くしたぞ」
「ここで間違いないはず。急いで走っていた時、服の内側から不自然な感触がしたんだ。その時の感覚、自信があるんです……僕、そういうのは敏感な方だから」
「……変なトコだけ敏感だな」
クロコは一旦思考を停止させた。彼が言うことが真実なら、ペンダントは「移動」しているはずだ。
(……待てよ)
クロコは道の中心へ移動し、地面に視線を落とした。通り雨で湿った土の上には、無数の馬車の轍(わだち)が刻まれている。溜まった雨水が薄く光るその溝を、クロコは獲物を追う獣のような目で這うようにたどった。
轍の一部に、ごく僅かな盛り上がりを見つける。
「……そこか」
クロコは迷いなく泥を払った。跳ね上がった泥の奥から、銀色の卵が鈍い光を放って姿を現した。
「……あったぞ」
クロコが短く告げると、少年が弾かれたように駆け寄ってくる。
「見せて!」
手渡されたペンダントを、少年は両手で包み込み、まるで心臓を確認するように強く握りしめた。その表情には、凍りついていた心まで溶かすような、純粋な安堵が浮かんでいた。
「たぶん、ペンダントはおまえが落としたときに、道の真ん中あたりに転がっちまったんだ。それが馬車に踏まれて地面にめり込んで、そのあと風に吹かれた土が上にかぶさって、って具合だな」
「地面の下か……なるほど、道理で見つからないわけだね」
少年はペンダントに付いた泥を丁寧に拭いながら、納得したように頷いた。
「……で、結局それは何なんだ?」
クロコのぶっきらぼうな問いに、少年は少しだけ悲しげに目を細めた。
「母さんの形見なんだ」
クロコは少しだけ表情を和らげ、「そうか。見つかってよかったな」と小さく笑った。
その時、クロコは頭上の夕闇を見てハッとした。
「うわっ……やべぇ、日が暮れちまった! ブレッドの奴、今頃カンカンだろうな!」
クロコは焦燥に駆られ、すぐに踵を返した。
「えっ、ちょっと待って! お礼もまだ……」
「またな!」
背中越しに手を振り、全速力で駆け出すクロコ。
「待って! 名前は!」
「クロコ・ブレイリバーだ!」
「クロコ!」
少年の声と共に、何かが空を切って飛んできた。クロコは反射的にそれを掴み取る。それは、先ほど見つけた銀色の卵型ペンダントだった。見れば、中央から綺麗に二つに分かたれている。
「……おい、これ!」
「それは二つに割れるんだ!」
少年が遠くから声を張り上げる。クロコは立ち止まり、ペンダントを掲げ返した。
「こんな大事なもん、いいのかよ!」
「母さんと二人で持っていた物なんだ。……君に半分あげる。またどこかで会えるように。その時に、ちゃんとお礼をさせて!」
クロコは一瞬の躊躇の後、分かったとばかりに手を突き上げ、夕闇の中へ駆け去っていった。
少年の視界からクロコが消えると、少年は呆然と立ち尽くした。
「……あっ。名前を教え忘れた」
しかし、すぐさま可笑しそうに笑みがこぼれる。
(クロコ・ブレイリバーか。……女の子にしては少し変わってるけど、本当に優しい子だったな)
少年は手元の半分になったペンダントを見つめ、夕闇に溶けゆくクロコの背中を想った。
(……また、会えるといいな)
日はとっくに沈み、夜の帳が降りていた。修理を終えた馬車の傍らで、一行は苛立ちと不安を募らせていた。
「ったく、クロの奴、一体何をしてるんだ! 店を探しに行ったまま、いったいもう何時間すがたをくらませてんだ……」
ブレッドが声を荒げる。サキは顔を青くした。
「まさか、国軍兵に捕まったんじゃ……」
「いや、それはない。あの腕っ節なら返り討ちにしてるはずだ」
ブレッドは首を振るが、フロウの眉間には深い皺が刻まれていた。
「それにしても遅いね。何かあったんじゃないのか」
その時だ。
「おっ、やっと見つけた」
頭上からの声に視線を向ければ、建物の上にひょいと佇むクロコの姿があった。
「このバカヤロー!! 何時間待たせてると思ってんだ!」
ブレッドの怒号にクロコは肩をすくめる。
「悪かったよ。迷っちまって、高い所から探してたんだ」
クロコが飛び降りると、ブレッドは溜息交じりに安堵を漏らした。だが、フロウは冷徹な眼差しでクロコを値踏みするように見つめる。
「……迷っただけにしては、戻るのが遅いね」
「べ、別にそれだけだよ」
クロコは視線を逸らした。フロウはそれ以上追及せず、ニヤリと笑った。
「本人がそう言うんなら、それでいいさ」
「とにかく出発だ。日が暮れても、ここは国軍の庭だぞ」
クレイドの号令で全員が馬車に飛び乗る。
「宿でも探そうぜ。こんな暗闇じゃ、群れオオカミに食い殺されるぞ」
「国軍領を一刻も早く抜ける。それが最優先だよ」
馬車は闇を切り裂くように走り出した。
そして四日目の昼。
大きな橋を越え、再び草原が広がる中、窓の外を眺めていたクレイドが声を上げた。
「おい、見ろよ」
全員が顔を出す。地平線の彼方に、灰色の建物群――ウォーズレイ基地がその無骨な姿を現していた。
「やっと着いたか……ウォーズレイ」
クロコの唇に、戦いを求めて飢えたような薄い笑みが浮かんだ。