呪いで美少女になった少年兵、剣一本で戦場を駆ける 作:ハネケン
ウォーズレイの町は、まるで時が止まったかのように静まり返っていた。
石畳を叩く馬車の蹄の音だけが空虚に響く。窓の外に並ぶ巨大な集合住宅はすべて窓を閉ざし、店は固く扉を閉じていた。
「人っ子一人いねぇな」
クロコの呟き通り、町はゴーストタウンの様相を呈していた。国軍の侵攻という暴力的な現実が、住民から生活を奪い去った結果だ。
やがて現れたのは、ヘルムの紋章を掲げた巨大な建造物――ウォーズレイ基地だった。フルスロック基地に比べれば小ぶりだが、張り詰めた空気が周囲を支配している。
門をくぐれば、地獄の断片が広がっていた。運び込まれる血塗られた担架。大砲を積み、死地へと駆けていく貨物馬車。ここは戦場の最前線なのだ。
司令室は、重苦しい沈黙が支配していた。
「第三防衛ライン、突破されました」
若い兵士の悲痛な報告に、白髪と白髭を蓄えた司令官、バブス・アストリアの表情がさらに険しくなる。そこへ別の兵士が駆け込んできた。
「アストリア司令官! フルスロック基地より援軍が到着しました」
「援軍だと? ……で、人数は」
「それが、たったの五名で……」
アストリアは一瞬だけ呆気に取られたが、すぐにふっと苦笑した。
「五人か。ガルディアか、あるいはアールスロウの差し金か。まあいい、彼らなら問題あるまい。通せ」
司令室に入ったクロコたちに対し、アストリアは軍人らしからぬ柔和な笑みを浮かべた。
「よく来てくれた。ここの司令官、バブス・アストリアだ」
「フロウ・ストルーク、以下四名。援軍として参りました」
フロウの敬礼に答え、アストリアは中央の大きな机へ一行を招いた。
「――今の戦況はどうなっているのですか?」
そう切り出したのはフロウだった。言葉には軍人としての礼儀と、状況を冷静に把握しようとする知性が宿っている。
アストリア司令官はフロウの眼差しを受け止め、感心したように頷く。
「あぁ、説明しよう。次の馬車が出るまで少し時間がある。ここでじっくりと把握しておいてくれ」
アストリアが中央の机に地図を広げる。
「ウォーズレイ基地は北と東を岩石帯、南を大河に守られた天然の要塞だ。だが、敵の国軍はこの岩石帯を通り、ここを目指している」
クロコは地図を覗き込み、ニヤリと笑った。
「きれいに囲まれてるな。……で、敵はどこから攻めてきてるんだ?」
「岩石帯から、ですか?」
フロウの推察に、アストリアは鋭く頷く。
「ああ。その通りだ。だが、この岩石帯は巨岩が密集しており、容易には通れない。敵のルートは自然と絞られる。我々もそれを見越して、めぼしいルートにあらかじめ防衛ラインを築いていた」
「――戦力差は?」
フロウの問いに、アストリア司令官は険しい表情で地図を見下ろした。
「五日間の激闘で被害が出ている。こちらは四千、敵は六千。ラージロウ基地の軍勢が主力だ」
「戦力比一・五倍ですか。……増援の見込みは?」
「あと二千は来る。これで数だけは互角だ」
アストリアは首を振った。
「だが、大砲と銃の数で国軍が勝っている。……それに、最も厄介な『怪物』がいる」
「……ラ―ジロウ基地と言えば、ベイズ・ファウンド大佐が有名ですね。昔は『裂破の獅子』の異名で有名な剣士で、今は司令官としても有能だとか」
フロウの言葉に、アストリアは眉を動かした。
「ああ。昔、サンストン軍を相手に共闘したことがあるが、戦術眼も剣の腕も一級品だ。ワインが好きだと言ってたな。だが、奴以上に警戒すべきは別にある……新型兵器『グラン・マルキノ』だ」
アストリアは地図の岩石帯を指し示す。
「全長三十メートル、直径二メートルの砲弾を撃ち出す動く巨大要塞だ。本来、我々が基地の防壁を盾に籠城戦を展開すれば、兵力差があっても有利に戦える。だが、この怪物が射程内に到達した瞬間、その防壁は何の意味もなさなくなる。たった一発の砲撃で、基地は根こそぎ崩壊するのだからな」
その響きに、クロコたち五人が一斉に息を呑んだ。
「……馬鹿な。そんな巨大な代物が、この岩石帯を越えられるのか?」
「蒸気機関という技術だそうだ。砲台そのものが自走してくる」
アストリアは悔しげに拳を握った。
「……つまり、最終防衛ラインが突破された時が、我が軍の終わる時、ですね」
フロウが静かに事実を突きつける。アストリアは苦渋に満ちた表情で頷いた。
「そうだ。その最終ラインだけは、絶対に死守せねばならん。だが唯一の救いは、あの図体だ。幅十メートルの巨体ゆえに、岩石帯では通れるルートが一つしかない」
アストリアの指が、一本の細い道をなぞる。
「敵もその一点に戦力を集中させている。我々も、そのルートを死守する。そこさえ抑えれば、グラン・マルキノはただの動けない標的だ」
「なるほど。一本道の押し合い勝負か」
サキが呟いた言葉には、皮肉なほどシンプルな戦場の真理が込められていた。
「グラン・マルキノが道中で撃ってくる可能性は?」
クロコの鋭い問いに、アストリアは沈痛な面持ちで首を振った。
「ゼロではない。しかし情報によれば奴らの主砲弾は最大三発だ。決戦の切り札を、道中の露払いに浪費する愚は犯すまい」
クロコはテーブルを力任せに叩き、獰猛な笑みを浮かべた。
「……話は簡単だ。俺たちが第四防衛ラインを死守すりゃいい。そうすりゃ、グラン・マルキノだろうがなんだろうが関係ない」
「頼んだぞ。前線へ向かう貨物馬車が出る。……生きて帰ってこい」
ウォーズレイ基地の東、岩石帯。
無骨な巨岩が太陽を拒み、大地を不吉な影で塗り潰していた。風が吹くたび、赤土が微粒子となって舞い上がり、死の気配を運ぶ。
第四防衛ライン。幅七十メートルの狭隘な通路に、高さ一・五メートルの石の防壁が千鳥状に並んでいる。中央に掲げられた解放軍の赤旗が、不規則な風に煽られて血のように蠢いていた。
石台の上には砲門が据えられ、黒い軍服を纏った兵士たちが青ざめた顔で剣を握りしめている。
その最前線で、鋭い眼光を放つ男がいた。顎を黒い髭で覆った威圧的な男、副司令ブロズドだ。
「配置完了しました」
兵士の報告に、ブロズドは短く頷く。
「いいだろう。一歩も引くな。……来るぞ」
防壁の正面、岩影から青色の波が溢れ出した。
グラウド国軍の軍勢だ。緑の旗印が揺らめき、無数の青い軍服が、まるで海が押し寄せるかのように通路を埋め尽くしていく。
数百メートル先で敵の軍勢が止まった。
静寂。
数百メートルの距離を挟み、両軍の呼吸の音だけが聞こえるような、張り詰めた緊張が支配する。大気が悲鳴を上げる直前の、不気味な凪がそこにはあった。
防衛ラインの裏では、兵士たちが重苦しい囁きを交わしていた。
「……数で押されている。このままじゃ、いずれ食い破られるぞ」
「しっ、聞こえるぞ」
彼らの不安を断ち切るように、乾いた音が響いた。
――パンッ!
信号銃の音を合図に、国軍の群れが咆哮を上げて殺到する。大地が震え、青い軍服の波が石の防壁を目指して雪崩れ込んできた。
「守れ! ここを突破されれば後はないぞ!」
ブロズドの怒号が響く。だが、剣を握る兵士たちの指先は恐怖に震えていた。
「砲兵隊、撃つな! もっと引きつけろ……まだだ、まだだ!」
敵が防壁の目前へ迫る。
「いまだ、撃てぇッ!!」
鈍い咆哮と共に、防壁の大砲が火を噴いた。
最前列の国軍兵が肉塊となって吹き飛ぶ。しかし、後続の兵たちは仲間の死体すら踏み台にし、一切の躊躇なく突き進んでくる。
「敵の気迫に呑まれるな! 第一陣、備えろ……!」
ブロズドが号令をかけようとしたその時だった。
「――いえ。一斉に行く必要はありません」
冷徹な声と共に、五人の人影がブロズドの視界に現れた。
「貴様ら、援軍か?」
「フルスロックから来た。僕たちが先行して、敵の陣形を切り崩す。指揮権を一時委譲してください」
フロウの瞳には、一切の迷いがない。ブロズドは一瞬、彼の瞳を覗き込み、そして短く頷いた。
「……生きて帰れると思うなよ。許可する」
フロウが防壁を跳び越える。その背後で、クレイドが獣のような唸り声を上げた。
「行くぞ、クレイド!」
「ああ……血祭りに上げてやる!」
国軍の隊長は、目前の光景に目を疑った。
「よし、陣形を組んで一気に――……んっ!?」
百人近い剣兵の集団を前に、解放軍の兵士がたった一人、無謀な勢いで飛び込んできたからだ。
「た、隊長、あれは……?」
「構うな! 虫が一人飛び込んできただけだ。陣形を維持したまま、その生意気な首を刈り取れッ!」
フロウの手にあるのは、剣と呼ぶにはあまりに短い、伸びたナイフのような小剣だった。だが、彼が走り出した瞬間、その刃は「死の閃光」へと変貌する。
風を切り裂き、瞬く間に国軍の懐へ飛び込むフロウ。包囲した三人の剣兵が、一斉に鋼を振り下ろす。
――ヒュヒュヒュンッ。
風切り音と同時だった。彼らが踏み出した足が止まるより速く、三人の喉元から赤黒い飛沫が噴き出す。
「なっ、なんだ今の……っ!」
呆然とする隙すら与えない。次なる敵が怒りに任せて振り下ろした大剣を、フロウは紙一重の踏み込みで回避する。刹那、空を切る剣の懐へ、フロウは幻のように滑り込んだ。
――ヒュッ。
音すらない。フロウの刃が横に一閃するだけで、敵の胸甲が裂け、内臓ごと命が零れ落ちる。
狂乱する陣形の中央。隊長が声を荒らげようとした時には、既にフロウは彼の目の前にいた。
「僕の剣技は、歴史が磨き上げた『極速』だ。数など、僕の前では無意味だよ」
刹那の乱舞。隊長とその周囲の兵たちが、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。フロウによって中央を分断された敵陣へ、後続の解放軍が一気になだれ込む。
しかし、後方で砲兵隊が牙を剥いた。三門の大砲が、その漆黒の銃口をフロウへと向ける。
「狙え……どんな怪物だろうと、剣士一人なら粉砕できる!」
砲兵たちが火蓋を切ろうとした、その時だった。
「フロウばかり見てちゃあ、ダメだぜ」
重厚な声と共に、赤髪の巨漢が砲兵隊の視界を塗り潰した。
「なっ、いつの間に……!」
クレイドの肩には、彼の身長ほどもある巨大な剣が担がれている。彼が横薙ぎに一閃させた瞬間、鋼鉄の大砲が紙のように引きちぎられ、火花と共に宙を舞った。
ドスン――!
破壊された大砲の残骸が地面を揺らす。砲兵たちが硬直する中、クレイドは獰猛に笑った。
「悪いな。ここは戦場だ」
再び振るわれた大剣が、三人の砲兵を同時に切り裂き、血の雨となって吹き飛ばす。
流麗なるフロウの舞と、暴力的なクレイドの破壊。
たった二人の牙が国軍の第一陣を、瞬く間に瓦解させた。
「……メチャクチャだな、あの二人」
ブレッドは呆然と呟いた。防衛ラインにへばりついていた解放軍の兵士たちからも、さっきまでの恐怖は霧散している。
「へぇ、悪くねぇじゃん」
クロコは防壁の縁で、獲物を狙う獣のように目を細めていた。サキもまた、圧倒的な二人の力に息を呑んでいる。
その高揚を見逃すブロズドではなかった。
「今だ! 機を逃すな! 第二陣、全軍突撃ィッ!!」
「おおぉぉぉぉっ!!」
怒号と共に、兵士たちが雪崩のように駆け出した。恐怖で硬直していた顔は、いまや勝利への渇望に染まっている。サキも一瞬の躊躇を振り切り、その後を追った。
「さて、俺たちも参加するか」
クロコが防壁から飛び降り、獲物を狩るように剣を抜く。だが、ブレッドがその肩を掴んで制した。
「……おい。クロ」
「なんだよ」
ブレッドの視線が、クロコの剣の先、あるいはその奥にある「何か」を捉えて彷徨う。
「お前……大丈夫なのか?」
「……何がだよ。いつもの事だろ」
クロコは怪訝そうに眉を寄せたが、ブレッドは深く追及せず、ただ短く息を吐いて自らの剣を抜いた。
「……ああ。そうだな、なんでもない」
「ならさっさと行くぞ!」
二人は顔を見合わせると、同時に防壁を蹴った。
「第三陣、突撃――ッ!!」
獣のような咆哮を上げ、クロコとブレッドは殺到する敵軍の渦中へと飛び込んでいった