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何か悲しかったり嬉しかったりすることが日常に起き、極めて大きな情動が精神に生じて、その人を揺さぶり動かしても、その人が晒されている現実の、仕事などの負荷が大きければ、精神はその情動を拒み、除けようとする。いわばそれは一種の防衛反応と言うべきもので、そうしなければ、その人は生活する上で必要となる諸事の処理が出来なくなり、とどのつまり破滅する。その人のそばに常時誰かがいて、その人の不能になった分のカバーをしてくれるのなら、その人は情動に揺さぶられて不全状態に陥ったとしても、破滅はしないだろう。
つかさの場合、幸い一人ぼっちではなかった。彼女には恋人の男がおり、彼女は彼のことが――彼は或る小さからぬ問題を抱えており、それは彼女の悩みの種ではあったけれど――基本的に好きだった。
一人身でつかさを育てた母親は、つかさが大学卒業したばかりの二十二歳の時、正規雇用のブライダルスタッフとアルバイトのコンビニの店員という、育児するうえで必要だったためせざるを得なかった長年のダブルワークの疲労が蓄積したのか、ある日卒然と力尽きた。ある夜、一人暮らししているつかさは母に具合が悪いと愁訴で呼び出され、九時頃いくぶんかの面倒臭さと共に行ってみたのだが、リビングのテーブルに突っ伏している母を揺り起こしてみても、一向に反応がなく、その内悪い感じがし、救急車を呼び、母は救急病院に搬送された。その後母は死亡と診断され、彼女は五十歳手前という比較的若い年齢で、いい戸建ての家が買えるくらいの遺産を置いて、あの世に旅立った。死因は心不全とされた。
その頃つかさは二十二歳で、まだ大学を卒業してから間無しであり、就職した中堅商社の仕事は多忙で、一人親の急死の驚きと悲しみに浸っている余裕がなく、その情動を拒絶し、強引に押し退け、精神がかき乱されないように気を張った。つかさは喪主の役目を負わなければならず、しかし彼女の会社は、ビジネス以外の物事に関心を持たないし、従業員に持たせたくないといった社風で、非情の嫌いがあったが、通夜と告別式への出席は許可され、彼女はかろうじて一抹の情味に身を委ねることが出来た。その後の保険会社やお寺とのやり取りは、すぐに復帰した多忙の仕事の最中に隙間を見つけて苦労してしなければいけなかったのだけど。
そういうわけで、一人親の逝去という、一人娘にとっての人生における重大な事件に、つかさは、どこか会社の仕事の一環であるかのように関わって処理し、本来あるはずの悲嘆は、実際あり、けれど、その苦味や辛味が実際に訪れるには、彼女が二十四歳になるまで待たないといけなかったのである。
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