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いわゆる施設で暮らす――というよりはむしろ、暮らさざるを得ない子供たちにとって、学校の夏休み期間というのは、どのように捉えるべきものなのか、いいものなのか、大したことのないものなのか、いまひとつピンとこないものだった。学校の級友には、田舎の親の実家に帰る者がおり、級友はそれを楽しみにしているのだが、施設の子供は、そもそも親の家にすらいないのであり、里帰りの喜びについて、どこか遼遠の異星の話のように、非現実的に聞こえた。しかし施設以外に帰るべき場所があるというのは、とにかく、不可抗力の事由によって施設にしかいられない子供たちにしれみれば、胸が詰まるほど羨ましくて仕方のないことだった。
さて、房総丘陵の豊かな自然の中に、施設の企画で旅行に行ったしずくたちに関して、その後、旅行によって互いの関係性がよりよいものへ深化したかというと、確かにそうだと言えるし、また、大して変わらなかったとも言える。嫌われ者、あるいは局外者のしずくは、旅行に参加し、同室者のゆうき以外の、いつも疎遠にしている子供たちに対し、些少の存在感を示すことはできたものの、早々に、回帰した日常の平凡さに虚しく埋没してしまった。けれど、しずくには少しホッとするところがあった。彼女は、施設に来る子供たちの多くがそうであるより更に、他者との安定した関係性の構築が難儀なのだった。しずくにとって、そして施設の多くの子供たちにとって、他者というのは、信じるに値すると評価するものであるよりはむしろ、裏切ると疑い軽蔑するものなのだった。
施設の子供たちの中には、夏休みの間のある期間、チラホラ外泊する者がおり、基本的に彼等は、実家に帰った。いわゆる”一時帰省”で、施設に長くいるために互いの関係がすっかりダメになってしまわないように維持するための、子と親の望ましい交流であり、とはいえ、必ずしも彼等が打ち解けるとは限らず、あくまでよい家庭環境の復旧への前向きな試みであり、善意の努力なのだった。
しずくとゆうきと、その他の多くの子供たちは、夏休み以前と同様に、施設の宿舎にいて、テレビを見るか、ゲームをするかしていた。ゆうきは、やはり学校の成績や受験のために、刻苦勉励に努めていて、彼女のその堅調に制御された生活に、同室のゆうきは、すなおに感心する一方で、未来に対する互いの熱意の落差に白けさせられるのだった。
しずくは、まだ母の連絡が来ていなかった。夏休みになる前にあった学校の三者面談に参加したがっていた母は、恐らく、帰省してこないかと勧めてくるのではと、しずくには予想された。そして彼女は、むげに断ろうとはあまり思わず、聞き入れてもいいという気が、しないではなかった。三者面談だと、学校の教師がおり、まじめくさった将来の話が要求されるが、帰省では、子と親だけであり、うまくことが運べば、互いの間の隔たりが、腹を割った対話によってある程度縮められるかも知れず、しずくはそうなればいいと予期し、けれど一方では、ほとんどしこりが解消できなかった場合が危惧され、不安になるのだった。
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