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カレンダーが8月のページになった。
ある日しずくは、ヒマだったので外出することにした。外出といっても、ブラブラ散歩に行くだけのつもりだった。ゲームはやり過ぎて飽きていたし、見たいテレビ番組は特にないし、とにかく、屋内にこもっているのが息苦しかった。外の空気が吸いたかった。といっても、施設の広場は適当でなく、なるべく施設の外側の空気が欲された。
外出には申請が要った。申請といっても、提出する用紙があるのではなく、口頭で職員に伝えればよかった。しずくはかやこに、その日の夕べ、一時間から二時間、公園に行くと申し伝え、するとかやこは、承諾してくれたのだが、相手が相手なので、また家出などしないかという疑いがあったのか、彼女の同伴が条件として付け加えられた。
「わたしに付いてきたって、面白いことなんてないよ」、としずく。
施設の管理棟の、デスクで事務仕事しているかやこのところまで、しずくは申請しに来たのだった。デスクにある、彼女の嗜好で置かれた、シマウマやキリンなどの動物のミニチュアオブジェが可愛らしかった。
しずくに対してかやこは、回転する事務椅子をしずくの方に回し、座った状態で聞いていた。
「面白くなくて、大丈夫」、とかやこはにっこりして言った。「しずくちゃんがきちんと帰ってくることが、いちばん大事」
しずくは、困ったようにフゥと鼻でため息した。
「しずくちゃん、ずいぶん改心したものね」、と他の女性職員が言った。「以前はいつの間にか出ていって、沙汰なしで帰ってこなかったから」
彼女の言に他の職員が同調し、彼女等は揃って呆れたように苦笑し、しずくはどこか気に食わなそうに憮然とし、かやこはやれやれといった具合に肩をすくめるのだった。
……。
しずくが散歩するのに夕べという時間帯を選んだのは、もちろん、盛夏の猛々しい暑さを考慮してのことだった。昼間だと気温は三十五度をゆうに超えるので、とても散歩するには厳しく、しかし夕方となると、夕立に降られる可能性があるけど、気温は、外出するのに無理のない程度まで下がるのだった。
二人は並んで歩いており、しずくは、アウトドアブランドのロゴが入ったTシャツにゆったりしたスラックス、サンダルという出で立ちで、一方かやこは、青のストライプのシャツとベージュのパンツという出で立ちだった。
散歩のためにわざわざ電車で来た二人は、上が環状道路になっている高架下を潜り、住宅街の間の道路をずっと歩いていった。空にモクモク膨らむ入道雲の端が、淡い橙色に染まっており、けれど辺りはまだ明るかった。
個人宅、マンション、事業所が雑多に立ち並ぶその先に、高いフェンスに覆われた貯水槽と、広い団地が現れた。貯水槽と団地に囲われるようにして、入口に金属の柵が二つ並んでいる公園があり、その正面で、しずくは立ち止まり、かやこは少し遅れて、きょとんとして同じように公園の方に向いた。
園内には、あずまやが、円状の砂場が、滑り台が、ブランコがあった。ブランコは、しずくが過日、雨の中、レインコート姿で座板に座っていたものだ。
しずくにおいて、あの日の光景が、金具のひんやりした感じが、絶えず打ち付ける雨粒の肌ざわりが、身がやつれるほどの心細さが、肉薄するように生々しく蘇って来、その時の感覚が、肌の上に再生されるようで、しずくは思わず身震いした。
「しずくちゃん?」、とかやこが彼女の横顔に向かって、どこか気遣わしそうに呼びかけた。「どうしたの? ここで散歩は終わり? この公園で休憩するの?」
その日、しずくには居場所があった。決してお気に入りの場所とはいえないけど、施設がそうだった。だから、途方に暮れてこの公園に漂着することはないのだった。施設からこの公園まで、ぜんぜん近くなく、むしろ遠かった。あの夜よく雨の中徒歩で来たものだと、しずくは半ば呆れ、半ば感心するようだった。
しずくが物思い、あるいは回想に耽り、かやこが怪訝そうにしていると、ふと、「どうしました?」、と尋ねる声が聞こえた。男の声だった。
サッと二人は振り向いたが、彼女等のそばに、一人の若い男が立っていた。彼は、Tシャツにジーンズという軽装で、髪はこの時期にはいささか暑苦しいほど無造作に伸びていた。
「道に迷ったのなら、ご案内しますけど」
かやこは「いえ、大丈夫です」、と即答した。「わたしたち、散歩の途中で、ちょっと立ち止まってただけです」
「そうですか」、と男はにっこり笑い、無問題と知ると、去っていった。
しずくは、かやこ共々、彼の後ろ姿をしばらく何となく見ていたが、彼の声に、聞き覚えがない気がしないではなかったのだった。
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