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しずくが六歳だった当時、母のみわこは四十歳だった。
みわこは離婚していた。離婚後、彼女はしずくを引き取り、養育費を貰いながら、神奈川県内にある2DKのこじんまりした賃貸アパートの部屋に、二人で細々と生活していた。
離婚の原因はさほど珍しいものではなく、すなわち、みわこのパートナーとの性格の不一致だった。パートナーだった男は、子育てに対してあまり協力的でなく、結婚前とのギャップにみわこは失望して不信感を募らせ、最終的に離婚する運びで、彼との合意が形成された。親権はほとんど自動的にみわこに渡り、彼女はパートナーに養育費を貰うことになったけど、児童手当などの公的扶助をフルに利用しても、パートタイマーの彼女には、子どもとの生活は経済的に厳しいものと言わざるを得なかった。
みわこは一人親として、不在のパートナーの役割まで担い、子どもが経済的に不如意に、また孤独にならないように注意しようという高い意識で、子育てに、そして労働に臨んだが、彼女のタフさは長続きしなかった。彼女は常に、うまくやっていけないのではないかというおそれと、彼女の力が不足しているために引き起こされるだろう問題の切迫したイメージのヒリヒリしたプレッシャーに脅かされていた。
そういった母の隠された苦悶と内面における暗い流れは、しずくにおいて、彼女はまだ幼かったけど、おぼろげに察知されていて、しずくはなるべく母の負担にならないようにとの思いで過ごしていた。
しずくとみわこの生活は、薄氷を踏むように、現実味のある崩壊のイメージと共に進行し、そしてそのイメージは、彼女等の淡い望みとは裏腹に、イメージに留まらず、現実と化して、健気に暮らす彼女等の上に、無慈悲に落ちかかってきたのである。
しずくのいじらしい気遣いは、確かにみわこの精神的支えとなっていたけれど、同時に、プレッシャーのブースターにもなっていた。
パートタイマーの収入と、元パートナーからの養育費と、公的扶助の金額がすべて合わさっても、子育てするのに十分でなく、やむなくみわこは、ダブルワークすることにした。その前に、子どもと過ごす時間とあるべき収入の上昇との間で葛藤したが、苦渋の思いで収入アップの方を選択した。しずくは気丈に受け入れたけど、親と過ごす時間の少なくなることに、不安のあることが明白で、みわこは罪悪感に苦しんだ。みわこには実家があったが、母一人でひっそりと生活していて余裕がなく、預けるという選択肢は取られず、地域でいちばん遅くまでやっている学童に、夜の十時まで預かって貰うことで対処せざるを得なかった。
親子関係は徐々に悪化していき、しずくは情緒が不安定になり、みわこはみわこで、慣れないダブルワークと、子どもへの、また世間への引け目から、どんどん疲弊していった。
仮にみわこが強い躊躇に抗してギブアップしなければ、彼女はあるいは、娘と心中し、ニュースの悲しい一記事になっていたかも知れない。
みわこは心中せずに済んだが、悲しい局面は避けられず、泣きながら施設に電話し、しずくは急遽一時保護の対象とされ、その後、施設の厳重なる判断の末、しずくの激しい抵抗に反して、施設に入所することになり、みわこはその後、育てる義務のある子どもを捨てた失格の親として、延々と苦悩することになるのだった。
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